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「複職時代」に自分らしい働き方を選ぶ

キネマ旬報社代表取締役専務

田中 和彦さん

一つの会社、一つの仕事にしがみつく――そんな働き方をしていると、いつ路頭に迷うか知れない時代になってきました。大きな会社に入社できたら一生何とかなる、などと信じている人はもういないでしょう。不安定で変化の激しい時代の中をどう生きるか。誰しもその難問に直面していますが、いったいどうしたらいいのか? 『週刊ビーイング』編集長から現在はキネマ旬報社代表取締役専務に転じた田中和彦さんは、現代を「複職時代」と名付け、働く人はその時々に応じて、いくつもの選択肢の中から、自分らしい生き方を主体的に選び取ってほしいと言います。新しい時代の生き方、働き方について、田中さんにうかがいました。

Profile

たなか かずひこ●1958年大分県生まれ。82年一橋大学卒業、リクルート入社。人事部人事課長、広報室広報課長を経て、93年に総合転職情報誌『週刊ビーイング』編集長。95年から大学生向け就職情報誌『就職ジャーナル』編集長を兼務。98年、ギャガ・コミュニケーションズ入社、映画プロデューサーとして活躍した後、2002年『ディレクターズマガジン』(クリーク・アンド・リバー社発行)編集長。現在、キネマ旬報社代表取締役専務。ニュービジネス協議会「人材委員会」委員、国土庁「大都市住民の地方移動促進方策調査委員会」委員などを歴任。主な著書に『就職のクスリ』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『複職時代』(PHP研究所)がある。

働く人の意識を変えた90年代末の金融ショック

ご著書『複職時代』というタイトル、田中さんは「もはや一つの会社、一つの仕事にしがみつくのではなく、その時々に応じて、いくつもの選択肢の中から、自分らしい生き方を主体的に選び取っていくようになって欲しいという思いから名付けた」と書かれています。実際、『週刊ビーイング』の編集長をされていた10数年前と現在とでは、雇用を取り巻く環境は違っていますか。

全然違っていますね。あのころは「できるサラリーマンほど転職をする」「会社にしがみつく奴ほど危ない!」「終身雇用・年功序列の考えから脱却して、自分のキャリアは自分でつくろう」などという特集記事を『週刊ビーイング』で企画して、読者を挑発するような感じでした。そうした特集企画で時代の半歩先を走っているという気負いもあったんです。

でも今では、そんな企画のタイトルがあまりにも当たり前のことになってきたでしょう。私の周りを見渡してみても、転職を経験していない人のほうが少ないし、一つの会社にずっといることが当たり前だったころからすると、これは大きな変化だと思います。「大きな会社に入社したら一生安泰だ」とか「サラリーマンは気楽な稼業だ」などと信じる人も、もうどこにもいないでしょう。

そのように環境が変わり始めたのは1992年ごろ――バブル経済の崩壊がきっかけでしょうか。

田中 和彦さん Photo

いえ、90年代の半ばまでは、株価が下がったり景気が悪くなったりする状況の中でも、働く人には「一つの会社を勤め上げる」「会社が一生面倒を見てくれる」という考えが、まだ根強くあったと思うんですね。

ところが、90年代後半になって山一證券とか日本長期信用銀行など、だれもが潰れるはずがないと思っていた大組織が潰れてしまった。失業するはずがないと信じていた人たちが職を失った。そのころが境目――バブル崩壊で土地神話が崩れたように、金融機関の相次ぐ経営破綻で日本の会社の雇用神話は崩れ去ったんだと思いますね。それまで「これから実力主義の時代が来る」とか「能力次第で自分の給与が変わる」などということは、サラリーマンはみんな頭ではわかっていたけれど、あの金融ショックをきっかけに肌身に感じるようになったという気がします。

将来のゴールを描いて転職をしているか

『複職時代』には、仕事上のさまざまな転機を経験した人の話が書かれてありますが、とくに「転職」については、今後、経済状況に関係なく転職を経験しない人のほうが珍しくなっていくだろうと思います。でもあまりに転職回数の多い人というのは、人事担当者からすれば、やっぱり「長続きしない人」「何に対しても一生懸命になれないタイプ」というように見られないでしょうか。

何度も転職を繰り返すことがいいのか悪いのかと、よく聞かれるのですが、私は、必ずしも転職の回数が少ないほうがいいとも、多いのが悪いとも言えないと思うんですね。人には必ず転機というものが訪れますから、その転機においてどんな決断をしたかが大事――つまり、目的を持って転職をしているのか、それとも目的もなく流されて転職をしているのかによって、転職の中身はずいぶん違ってくるでしょう。

田中 和彦さん Photo

転職の回数の多い人が中途採用の面接試験に来たとしますね。そのとき人事の担当者が見なければならないのは、転職の中身だと思うんです。この人は転職を5回もしているからダメ、などと決めつけないで、転職のプロセスに整合性を感じさせる中身があったらOKなんですよ。たとえば1年も経たないうちに2社も3社も転職していたりすると、どうしたんだ?と気になるでしょうけど、そこで、その人からよく話を聞いて、「次にどうしてもやりたい仕事があって、きちんとけじめをつけて辞めた」ということがわかれば、問題はないはずです。転職を繰り返した回数じゃなくて、その人のキャリアにおいて一つひとつの転職に意味があるか、納得性があるかどうか、そういったポイントを見なければいけないと思うんです。

それを具体的に言うと、たとえば20代の人だったら、30代・40代になったときの自分自身を思い描いて転職をしているかどうかですね。その人なりの、30代でのゴールや40代までの目標があって、それに向かって転職してキャリアを積んでいるかどうか。今の会社は何となく居心地が悪いとか、上司とウマが合わない、給料が安いなどと不満先行で転職を繰り返している人は、ゴールや目標が何もないことが多い。だからどこへいってもうまくいかないんですね。ゴールの明確な人というのは、会社に多少不満があっても、「これを乗り越えれば何とかなる」と踏ん張っているケースが多いし、今の会社にいると自分のゴールへ近づけないと気づいたときに初めて、転職を考えることになる。職場を簡単に変えられる時代だからこそ、自分のゴールや目標をしっかり描いておく必要がありますよね。

人生のターニングポイントはわかりにくい?

若い世代はともかく、中高年の会社員で自分のゴールを明確に描いている人はそんなに多くないような気がします。

少ないでしょうね。というのは、今までは会社がゴールを用意してくれたからです。「部長までは出世しろよ」「転職なんて考えるな」「キャリアステップは会社が用意する」などと言って。

今の中高年世代は、会社の言うとおりに働きさえすれば出世できて、定年退職後も退職金で悠々自適に……と信じてきたでしょうから、不安定な時代になったとたんに自分のゴールを描けと言われても、これはなかなかむずかしい。「会社のために必死にやってきたのに、それはないんじゃないの」という感じになるかもしれません。

けれども、そういった中高年を反面教師にして、20代、30代の若い世代の人たちが「自分の将来は自分で何とかしなくちゃいけない」という気持ちになっているんじゃないかと思います。たとえば彼らは自分の能力を開発したり高めたりすることに積極的です。10万円、20万円の授業料を払って仕事を終えてから英会話学校へ通ったり、新しいパソコンソフトを買って練習したりしている。会社がお金を出すから能力開発のための学校で勉強してくださいと勧めても、嫌だと拒否する人が少なくなかった一昔前に比べると、今の若い人は身銭を切ってでも自分の能力を高めようという意識があります。

では若い世代にとっては転職なんて当たり前で、一つの会社に骨を埋めるという気持ちは鼻からないのでしょうか。

そういう気持ちが全然ないとは思いませんけど、自分に転機が訪れたら、それに応じて会社をいくつか変えてもいいなと、そんなふうに考えている人は多いでしょうね。一つの会社で30年のキャリアを築こうと働くよりも、自分のゴールに最短距離で到達するためにはどの会社がいいかと考える。そんな若い人が増えていると思います。

昨年の秋、キネマ旬報社で学生向けの就職セミナーを開いたとき、映画業界で働きたいという学生がたくさん来たんですね。ところが、いま映画会社というのは、ほとんど新卒採用をしていないわけです。どこの映画会社も中途採用で人材を集めている。でも、それでも映画の仕事がやりたいから、アルバイトでも何でもいいから映画にかかわる会社へもぐり込んで、とりあえず業界への「入場券」を手に入れたいという学生が少なくなかった。

僕らの世代だったら、「アルバイトでも」なんて発想をしなかったんじゃないでしょうか。いくら映画の仕事をしたくても、やっぱり正社員のほうが給料が高いし、法的にもいろいろ守られてもいるから、映画以外の業界の会社へ路線変更も考えると思います。今の若い人は、それをしない。正社員になったところでいつ失業するかわからないし、アルバイトでそれなりに食べていくこともできる。映画業界で働くというゴールに向けて、アルバイトの仕事から始めるのが近道だと考えたら、そうするんですね。

田中 和彦さん Photo

アルバイトで映画業界へ入るか、正社員で別の仕事を始めるか。そこは大きな転機と言えますね。

そうですね。その転機において決断を下して、結果としてその後の自分が存在することになりますよね。でも『複職時代』で取材した人たちの話から私が気づいたのは、そういうときが大きな転機だと本人が感じていないケースが少なくないんだということです。あのときが自分の人生のターニングポイントだったのかと、後から振り返って初めて気づく人もいる。「もしこうしていたら」と思うことも、その過去の時点では大きな転機だと感じていないものなんです。

転職者を迎えるときはホスピタリティが大事

転職者が増えてきた今、受け入れる会社側が気をつけることは何でしょうか。初出社の日のランチを社員の誰からも誘われなくて、ショックを受けたという転職者もいます。

転職者に対してどのようなホスピタリティを持つかということは、会社の風土で決まりますね。初めて職場に来た人の受け入れを重視する社風か、そういう人には関心を持たない社風なのか。これは、経営トップがどう思っているかで決まってくると思うんです。私が最初に働いたリクルートは「人を温かく迎える」という社風がありました。リクルートがダイエーの傘下に入ってすぐ、中内功さんが銀座の本社に乗り込んできたときでさえ、社員一同、クラッカーを鳴らして歓迎したぐらいですから(笑)。中内さんはびっくりしたんじゃないですか。

田中 和彦さん Photo

転職者に対するホスピタリティを持つことと同時に、転職者に査定方法を理解してもらうことも大事です。「うちの会社はこんな仕組みで評価をしています」と、きちんと説明しておく。転職者が「前の会社ではこういうところを評価してくれたのに、この会社ではダメなのか」と反発しても、あなたは今の会社の評価を受けるしかないと納得してもらうことです。そこで転職者の言い分を受け入れて査定をねじ曲げたりすると、こんどは生え抜きの社員たちから不満の声が出てくることになると思います。

(取材・構成=天野隆介、写真=中岡秀人)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。

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