優秀な若手をひきつける「リテンション・マネジメント」
人が辞めない組織をつくりあげる極意とは
青山学院大学 経営学部 教授
山本寛さん
少子化に伴う労働人口の減少が進行する中、優秀な人材に長く組織で活躍してもらうための施策である「リテンション・マネジメント」が注目を集めています。特に企業の将来を担う若手社員の離職防止は、企業にとって重要課題。若手社員がエンゲージメント高く働くために、企業は何をすればいいのでしょうか。近著のテーマとして「若手のリテンション」を取り上げた、青山学院大学経営学部教授の山本寛先生にお話をうかがいました。
山本寛(やまもと ひろし)/人的資源管理論担当。博士(経営学)。メルボルン大学客員研究員歴任。働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメントの問題が専門。日本経営協会・経営科学文献賞など受賞。 著作は『人材定着のマネジメント』(中央経済社)、『自分のキャリアを磨く方法』『転職とキャリアの研究[改訂版]』『働く人のためのエンプロイアビリティ』『昇進の研究[増補改訂版]』(以上単著:ともに創成社)、『働く人のキャリアの停滞』(編著:創成社)、『「中だるみ社員」の罠』(日本経済新聞出版社)など。近著に『なぜ、御社は若手が辞めるのか』(日本経済新聞出版社)がある。
採用の質を高める前にリテンションの充実を
山本先生は銀行、市役所勤務を経て、研究者の道に進まれました。どのような分野がご専門なのでしょうか。
市役所時代に大学院に通い、修士課程は産業心理、博士課程では経営学を専攻しました。最初の研究テーマは昇進の遅れで、以来、働き方やキャリア形成に関する問題を調査しています。研究テーマは、学生時代に自分の適性が分からなかったことや、銀行員時代に銀行の仕事が合わなくて悩んだことなど、自身の経験が起点になっているものが多いですね。現在は、エンプロイアビリティ、オンリーワンキャリアを形成する専門性意識、そして今回の取材テーマでもある、リテンションなどを並行して研究しています。
今回は特に、若手社員のリテンションについてうかがいたいと思います。まずは、今なぜリテンションが必要なのか、お聞かせください。
以前と比べて、転職が一般的なものになったことが挙げられます。また、今は転職市場が活発なので、転職すれば給与や労働環境が良くなる可能性があることも大きいでしょう。転職後の満足度も高いようで、厚生労働省が2016年に行った転職者実態調査によると、転職後の仕事先の満足度を「満足」「やや満足」と答えた人は53.3%、「やや不満」「不満」と答えた人は10.3%で、43.0ポイントの開きがありました。ただし、この調査は転職して比較的間もない人を対象としているので、数年後には感じ方が変わっている可能性もあるかもしれません。
また近年は、SNSによる発信がさかんです。自分と年代が近い人の転職に関するポジティブなつぶやきが、退職を促すことも考えられます。先輩社員が転職してハッピーに過ごしている様子を見て、「自分はいつ辞めようか」と考えるようになる人が出てきてもおかしくありません。
若手が退職することで、どのような弊害が起こると考えられますか。
一つはコストの問題です。若手の採用、また、初期の育成にかかるコストは、数百万円と言われています。入社3年以内に辞められてしまうと、その投資を回収することができません。
次に、退職者が担当していた仕事の問題です。退職者の仕事を引き継いだ従業員には、大きな負荷がかります。特にハイパフォーマーが退職した場合、その影響は甚大でしょう。新たな人材を採用できたとしても育成期間が必要であり、元の水準まで戻すには時間がかかります。
離職者が出ることは、残された従業員たちのモチベーションにも影響します。一般的に、優秀な人材ほど早い段階で会社に見切りをつけ、新しい環境に移る傾向があります。すると残った従業員の中に「この会社で働き続けていてもいいのだろうか」という疑念が生じてくる。場合によっては、相次いで従業員が辞めていく連鎖退職も起こるかもしれません。そうなると、採用活動にも影響が及びます。「離職の多い会社」には、優秀な人材が集まりにくくなるからです。人手不足が深刻化すれば、倒産のリスクも高まります。
リテンションと採用活動は車の両輪と考えるべきですが、優秀な人材を確保するために、採用の質を変えることは難しいと思います。むしろ、今いる従業員に長く勤めてもらい、中堅層が輝く組織づくりに力を入れるべきです。エンゲージメントの高い社員が揃う会社には、就活生も魅力を感じるものです。
業務遂行の目的化による虚無感がモチベーションを下げる
若手が辞めてしまう会社には、どのような傾向があるのでしょうか。
仕事に関する、さまざまなマイナス面があると思います。一つは、長時間労働の問題です。若手社員が就職後、想像以上に負担を感じるのは、残業時間だといいます。特に近年はワーク・ライフ・バランスを重視し、プライベートの充実を前提としている若者が少なくありません。
また、圧倒的な業務量から生まれる虚無感も、退職につながっているようです。社会人2年目、3年目になると、多くの仕事を任せられるようになります。しかし、上司はプレイングマネジャーで忙しく、人手不足もあってOJTのフォローも十分とはいえません。
その一方で、今は働き方改革の波に押され、企業には残業時間の削減が求められています。若手からすれば、仕事が残っているのに「残業せずに早く帰れ」と一方的に言われることもある。そのような状態では、仕事をこなすことばかりが目的になり、達成感を得づらくなってしまいます。加えて、すぐ上の世代の先輩が働く姿に魅力を感じられなければ、将来に希望を持てなくなるかもしれません。そうした連鎖が、エンゲージメントの低下につながっていると思います。
仕事に追われて、自分を見失ってしまうのですね。
今取り組んでいる仕事を通じて身につけたスキルは、次の段階でどのような仕事に結びくのか。また、研修と組み合わせることで、どういったキャリアパスが期待できるのか。そういったことをきちんと説明し、本人も納得できれば、結果的に着地点が当初の想定と異なっても構わないと思います。ところが今は、それを説明する時間をつくることさえ惜しいというのが、現場の本音ではないでしょうか。新しい人材を獲得できても、しっかりとサポートできず、「とにかく仕事を覚えて」ということになってしまう。大切なことはわかっていても、動機づけはついつい後に回しがちです。
逆に、思うように仕事をもらえず、会社を辞めてしまうケースもあるのでしょうか。
もちろん、考えられます。上司がリスクヘッジを意識し過ぎてしまい、部下に仕事を任せられないような状況ですね。特に顧客絡みの業務は、慎重になりがちです。部下が上司に同行し、仕事のやり方を確認する期間を設けるなどの余裕が欲しいところです。その際、上司に対する失敗の許容も重要だと思います。企業として、権限委譲を目的とした部下の成長につながる失敗を、どれだけ容認できるのか。これは、企業風土にも大きく関係してくることです。
プレイングマネジャーという立場が、マネジメントの余力を奪っているという議論もあります。一方で、現場感覚を失うことを恐れ、実務から離れたがらないマネジャーが多いのも事実です。マネジメントの相対的価値を、会社側がもっと認める必要があると思いますね。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。