日本企業を変革する「40代リーダー」を育成せよ
UFJ総合研究所理事長・多摩大学学長
中谷 巌さん
企業の不祥事が相次ぐ中、組織の変革を推進していくことのできる「リーダー」を求める声が高まってきました。年功序列制度が長く続いてきた日本の企業では、年齢が60代になってから経営トップに就任するケースがほとんどです。そうした状況に対してUFJ総合研究所理事長の中谷巌さんは「60代で経営トップになっても遅い。日本企業が厳しいグローバル競争を勝ち抜こうと思ったら、40代の若いリーダーが必要だ」と指摘します。これからの日本企業の変革を担うリーダーには、どのような資質が求められるのでしょうか。国立大学教官の座をなげうって自分の信念を貫くなど大きな決断を繰り返してきた中谷さんに、リーダーが持つべき決断力や人生哲学についても聞きます。
なかたに・いわお●1942年大阪府生まれ。65年一橋大学経済学部を卒業後、日産自動車入社。71年同社を退職し、73年ハーバード大学大学院で経済学博士号を取得、同大学経済学部の講師に。帰国後、大阪大学教授、一橋大学教授などを歴任し、現在、多摩大学学長、UFJ総合研究所理事長など要職を兼務。マクロ経済政策から産業研究、大学改革まで多方面で活躍している。99年ソニー社外取締役就任をめぐって人事院と対立、一橋大学教授を辞したエピソードは有名。主な著書に『痛快!経済学』(集英社インターナショナル)『次世代リーダー学』(小学館文庫)『中谷巌の「プロになるならこれをやれ!」』(日本経済新聞社)『eエコノミーの衝撃』(東洋経済新報社)など。近著に『プロになるための経済学的思考法』(日本経済新聞社)。
日本企業の経営トップは出世競争の「ゴール」になっている
中谷さんが学長を務めておられる多摩大学では、東京・品川の同大学ルネッサンスセンターで「40代CEO育成講座」を開講していますね。2002年春にスタートして、今年で4年目です。なぜ今、「40代リーダー」が必要なのでしょうか。
日本の大手企業の経営トップというと、ほとんどが60歳前後です。でも海外のグローバル企業のCEOは40歳代が多くて、3日ぐらい徹夜しても平気で働いていたり、各国を飛び回ったりしています。日本企業の60代のトップは、1日徹夜するのがやっと、という感じでしょう。すぐに肉体的な限界がきてしまう。経営トップになってからが勝負、激しいグローバル競争をスタートすることになるのに、日本企業の経営トップというのは出世競争のゴールのようになっています。そんなことでは、海外の若いリーダーが率いるグローバル企業に勝てるはずがありません。
日本企業の40代は、ようやく部長クラスというところですね。
「部長」とはマネジャーであって、リーダーではありません。いま部長をしている人には「部下をしっかりマネジメントしなくちゃ」という意識はあるでしょうが、「リーダーシップを発揮して、組織をどうやって動かしていこうか」という意識は希薄じゃないですか。
リーダーとは志を持って人々の上に立ち、人々に影響を与えることのできる人です。人間的な魅力と信頼に足る大きなパーソナリティがないと、人々に影響を与えることなどできません。一言で言うと「チェンジエージェント」(変革を起こし、推進できる人材)が現代のリーダーにふさわしいと思いますが、日本企業の若手にはまだ、そうした意識は必ずしも育っていないですね。
海外のグローバル企業の若手とは能力が違うのでしょうか。
いえ、日本企業にも能力のある優秀な若手社員はたくさんいますよ。ただ、リーダーになるためのトレーニングを受ける機会が少なく、彼らの能力が十分に引き出されていないように感じますね。
たとえば、今の日本企業の部長クラスに「明日、イギリスのブレア首相とサシで1時間話せるチャンスがある。君、やってみないか」と水を向けたら、どういう反応が返ってくるでしょうか。おそらく、そんな話を聞いただけで驚いてしまって「ちょっと待ってください」と逃げ腰になるんじゃないでしょうか。ブレアだって40代で首相になった人ですよ。欧米の企業の若手リーダーなら、そんなチャンスは絶対逃がしません。ビジネスマンも40代になったら、自分自身の人生哲学を持ち、どこへ行っても誰に対しても議論ができるようになっていなければいけないのに、今の日本企業の40代クラスには、そういう場も相手もほとんどありません。ですから、先の多摩大学の「40歳代CEO育成講座」を開き、日本企業の優秀な若手社員にみっちり勉強してもらおうと、そう考えたわけです。
「日本のビジネスマンは退屈だ」と欧米で言われる理由
「40歳代CEO育成講座」では具体的に何を学ぶのですか。
講座の中心は「ものの考え方」「人を説得する力」「論理的思考能力」を学ぶことです。通常のビジネススクールみたいにビジネススキルとしての知識などを学ぶことはありません。講座は10カ月間ですが、最初のカリキュラムは「世界の宗教」。キリスト教を信じている人は基本的にどんな考え方を持っているのか。イスラム教を信じる人はどういう行動習慣を持っているのか。宗教についてさまざまな角度から掘り下げて考えていくのですが、それを誰か専門家から講義を受けて学ぶというスタイルではないんですね。反対に、受講生たち(大手企業の若手社員)が講師になって、専門家に向かって講義をする。それをきっかけに、受講生と専門家が徹底的に議論を始める。私はこれを「知の格闘」と呼んでいますが、若い受講生がその道を究めた専門家と議論する過程で深い知識と教養を伝達され、新しい考え方にも出合うのです。
カリキュラムのスタートに宗教を取り上げるのはなぜでしょう。
グローバルなビジネスの場で闘うためには、どうしても必要な知識だからです。リーダーはまず、自分が拠って立つ国の歴史や文化、伝統を知らなくてはいけないし、同時にビジネスの相手についても、彼が拠って立つ国や地域の歴史や文化、伝統、宗教観を知らなくてはいけない。そうしないと、グローバルな場で闘うどころか、相手と基本的な会話すらできません。
たとえば、日本人というのはお正月には神社へ初詣に行くし、結婚するときは教会で式を挙げるし、お葬式を出すときにはお寺のお坊さんに頼みますよね。もし、それについて欧米のビジネスマンから「どうして?」と訊かれたら、ちゃんと答えられますか?明快に答えられる日本企業のビジネスマンは一握りでしょう。あるいは、「キリスト教圏ではない日本が経済発展できた理由は何か?」などと訊かれたらどうでしょうか。質問の意味さえ理解できないんじゃないですか。
確かに、どういう意味なのか、よくわかりません……。
キリスト教圏ではないのに経済発展を遂げた日本を不思議に感じる欧米人は少なくありません。その背景には、マックス・ウェーバーという社会学者の影響があるんですね。彼は「資本主義経済を発展させたのは、宗教改革だ」と言い切った。「禁欲的労働に励むことが神の意に沿うのだというプロテスタンティズムが普及したために、イギリスやアメリカでは他の地域に比べて資本主義経済が発展したのだ」と。これは、欧米のビジネスマンなら誰でも知っていることです。
欧米に行くと、「日本のビジネスマンは退屈だ」という声をよく聞くんです。欧米人の誰もが不思議に思っている、さっきのような質問をしても、日本人のビジネスマンは宗教・歴史などの教養や常識が欠けていて、欧米人を納得させる回答ができないからです。日本の学校教育では、何年に何が起きたとか、誰が何をしたなどと歴史の事実を詰め込むばかりで、それがこの国の発展にどんな意味を持ち、どう影響したかということまで深く教えません。欧米では、そんな教育を小学校から当たり前のようにやっています。その差を埋めるためにも、「40歳代CEO育成講座」では宗教や歴史の「知の格闘」を行っているんです。
講座は今年で4期目ですが、受講生はどのような人ですか。
日本の大手企業・グローバル企業の将来を担う30代40代の人材、いわばエリート中のエリートを各企業から推薦してもらっています。一般募集はしていません。同業では明かせないこともありますから、自動車では日産、エレクトロニクスだったらソニーというように、1業種につき1企業に参加してもらっています。1期1クラスで、定員は24名ですから、これまでの受講生は約100名。ほとんどの受講生が英語を話しますし、MBA(経営学修士)は必要条件ではないのですが、持っているほうが望ましいとしています。
彼らは欧米のビジネスマンに比べると、ものの見方や考え方の訓練を受けていませんが、基礎的な知識はあるし、それなりにビジネスの経験も積み重ねています。ですから、自分に何が欠けているのかということに講座の中で気がつくと、みるみるうちに変っていくんですね。講座修了後、東証一部上場の測量会社のトップになった人もいますよ。
講座の最終発表では、受講生が自分の企業のトップを前にして、具体的な経営変革案をプレゼンするそうですね。
ええ。自分の会社をどう変革したらいいか、30分にわたって発表し、それから自分の会社の経営トップと議論するんです。これはきついですよ。受講者の変革案に対してトップが「そんなことはとっくにわかっている!」なんて、声を荒げて反論することも少なくない。そこで議論どころでなくなり、しどろもどろになってしまう受講生もいますが、中には、「いや、私はこう思うんです」「こういうふうに変革していけばもっと我が社はよくなるはずです」と丁々発止、トップとやり合う受講生も出てきます。そして受講生が自分の企業の経営トップを論破すると、今度はトップのほうから「次の役員会で君の変革案を提案してみなさい」とか「君に子会社を任せるから、今のプランを実践してみろ」などということになって、実際、その講座の最終発表の場で受講生の企業変革案の採用が決まったケースもあるんです。
ただ、これまでのところ、その最終発表で自社の経営トップと全身全霊の対決、知の格闘ができた受講生は全体の3割ぐらいですね。せめて半分の受講生がそうなるようにしたい。「40歳代CEO育成講座」から、日本企業の真の若手リーダーを200人は輩出したいと思っているんです。
企業という枠を超えた思想や哲学を持っているかどうか
ダイエーや西武鉄道グループなど、「カリスマ」と謳われていたリーダーが失脚したり、企業不祥事が相次いだり、といった出来事がメディアを賑わせています。日本の企業には、本当のリーダーがいないのでしょうか。
私は、松下幸之助さんは凄かったと思いますよ。自分の企業を発展させようと一生懸命にやったわけですが、しかしその根底に流れる思想は一企業の枠を超えていたからです。ビジネスにおける利益を追求しつつ、世の中における自分の企業を相対化して見ていました。それができるかどうか。企業という枠を超えた思想や哲学を持っているかどうか。これは、グローバルに通用するリーダーになれるかどうかの試金石です。英語ができるかできないかということより、ずっと重要だと思いますね。
企業不祥事が頻繁に起きる背景には、日本企業の共同体的な組織のあり方が影響していると思います。自分の所属する企業=共同体が一番大事だという考え方は悪いことではありませんが、その考え方に凝り固まってしまうとおかしなことになりがちなんですね。企業という枠を超えた思想や哲学を持てるかという話に通じますけど、あまりにも自分の所属する共同体を守ることにウエイトがかかると、一般社会の常識が見えなくなってしまう。公害物質を垂れ流す企業なんて、そんな状況になっているんだと思います。この有害物質を海に流してしまえば人の命を奪うことになりかねない、という健全な市民としての判断が働かず、自分の企業の利益、共同体の論理が優先されてしまうのです。
当たり前のことですが、企業を変革するリーダーというのは企業人である前に、健全な地球市民でなければいけません。これは企業の社会的責任(CSR)の考え方にも通じることです。日本でも最近、企業も社会の一員であって、その責任を考えていきましょうとか、そのためにも社外取締役など外部の眼を入れて経営の透明性を確保しようなどという考え方が広がってきましたね。企業の経営者は、本音を言うと社外取締役なんて入れたくないと思っているでしょうが、上場企業にとって社外取締役は株主の意見を代表する存在です。それを無視した経営というのは、もはや成り立たないと思いますね。
リーダーには、出処進退の問題がつきまといます。中谷さんが社外取締役も務めたソニーはいち早く委員会等設置会社に移行し、カリスマ性のあった前会長兼CEOの出井伸之さんが退任する際も、指名委員会が機能しました。
ソニーが委員会等設置会社に移行したのは、出井さんの卓見だったと思います。委員会等設置会社の優れている点の一つは経営トップをどうやって決めるかという仕組みがはっきりしていることです。指名委員会が設置され、たとえば来年の取締役は誰にするかなど、議論することになります。しかも委員の過半数を社外から登用することになりますから、企業内の派閥争いなどが経営トップや取締役の選出に影響する余地はほとんどなくなる。
指名委員会のない企業では、経営トップをどうやって選ぶかという仕組みはまずありません。ですから、創業者が経営トップの椅子に座り続けている企業もある。それで経営がうまくいかなくなって、潰れてしまったら目も当てられませんよね。上場企業がそんなことを避けるためにも、委員会等設置会社への移行は一つのいい方法だと思います。
死がやってきたら「おもしろい人生だった」と目を瞑りたい
リーダーには決断力も必要と言われます。中谷さんご自身も、ソニーの社外取締役に就任する際には「国立大教官と民間企業役員の兼任を認めない」とする人事院と対立して一橋大学を去るなど、大きな決断をされています。そうした決断をするために必要なことは何でしょうか。
格好よく言えば、人生哲学とか死生観のようなものが必要になると思います。人は、生きている間にどんな高い地位を得たり、豊かな経済力を持ったりしても、いつか死ぬのです。死から逃れられる人はいません。だったら、死が自分にやってきたとき、そして自分の人生を振り返るそのときに、「おもしろかったなあ」と目を瞑りたい。私はそう思っているんですね。
一橋大学を辞めたとき、「国立大学の教授をやっていたほうが身分も何もかも安定するのに」と忠告してくれる人もいました。でも私は、ソニーのようなグローバル企業の社外取締役を引き受ければ自分の研究にとってプラスになるだろうし、教え子たちに対しても机上の企業論ではなく、企業の生の実態を伝えられるようになるだろうと思ったのです。アメリカでは、企業の社外取締役に声もかからない大学教員なんて失格だと言われます。社外取締役というのは企業のために働くのではなくて株主の利益を代表して働く、いわば公的な仕事なのですから、世間の誰が何と言おうと、自分自身の価値観に従って行動しようと決断したのです。
アルベール・カミュが書いた『シジフォスの神話』にあるのですが、人の一生とは、重い岩を背負って山登りを繰り返すようなものです。赤ん坊としてこの世に生まれ、一生懸命に山を登り始めるけれども、老いにしたがって自分で積み上げてきたものが無意味になっていく。そうして再び山登り――別の人生が始まる。
「あなたの余命は数カ月です」と宣告されて、精一杯生きようとする人と自暴自棄になってしまう人がいますが、人生80年と考えた場合もこれと同じじゃないでしょうか。どうせ人生は有限なのだから、限られた時間を楽しむ。そう考えれば、どんな決断もそんなにたいしたことではないと思います。
取材は7月4日、東京・港区のUFJ総合研究所にて
(取材・構成=村山弘美、写真=中岡秀人)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。