タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第60回】
「部下」という言葉を、この世からなくしたい!
―鍵を握る、新任管理職のキャリア開発―
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん
令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」をインタラクティブなダイアローグを通じて、戦略的にデザインしていきます。
タナケン教授があなたの悩みに答えます!
新任管理職に起こる大幅な役割転換
主体的なキャリア形成、キャリア自律、キャリアオーナーシップなど、企業が社員一人ひとりの可能性に向き合い、人的資本の最大化に投資していく「組織内キャリアから自律的キャリアへの転換」が進んでいます。
この歴史的転換の進展の最中で、私が強い違和感を持っているのが、「部下」という言葉です。「うちの部下の主体的なキャリア形成を進めます」という言い方は、どうにも矛盾をはらんでいます。
まず、辞書的な意味を確認しておきましょう。部下は「組織などで、ある人の下に属し、その指示・命令によって行動する人」と解説されています。「手下」「配下」と書いてある辞書も少なくなくありません。
組織にとって言葉は、非常に大切です。管理職が「部下」をコントロールしているようでは、社員一人ひとりの可能性に向き合うことはできません。
私は、「部下」という言葉を一切、使用しません。企業から「部下のキャリア開発」について講演を依頼された場合も、「メンバーのキャリア開発」という言葉に変えて、引き受けています。これからも一生使用しません。
「部下」という言葉をなくし、社員一人ひとりの可能性を伸ばしていくために重要視しているのが、初めて管理職になる人たちへのキャリア開発アプローチです。というのも、新任管理職にメンバーのキャリア形成へ寄り添う視点を構築してもらうことで、組織文化は劇的に変わっていくと確信しているからです。具体的には、従業員から管理職へのキャリア・トランジッションを迎える際に、「部下」ではなく「メンバー」、「管理」ではなく「育成」に力点をおくことを伝えるようにしています。
新任管理職へのキャリア・トランジッションは、単なる役職の変化にとどまらず、業務内容や責任、さらにはリーダーシップスキルに関する大幅な役割転換を伴います。この転換を成功させるためには、個人としての成長と同時に、組織としてのキャリア開発支援が不可欠です。
新任管理職が直面する課題、求められるスキルとは
それでは、より内実を見ていくことにしましょう。新任管理職が直面する課題でもっとも重要なのは、リーダーシップの習得です。これまで個人のパフォーマンスが評価されてきた従業員が、管理職としてチーム全体の成果を求められる立場に移行することは、非常に大きな変化となります。リーダーシップを発揮するには、メンバーのモチベーションを高め、目標達成に向けた方向性を示す能力が求められます。いかにしてチームをまとめていくのか、メンバー一人ひとりのキャリア形成に寄り添っていくのか、その手腕が問われるのです。しかし多くの新任管理職は、このリーダーシップスキルを十分に習得していないことが多く、大きな課題となっています。
次に、コミュニケーションスキルの強化が欠かせません。管理職には、フィードバックや指導の際に、メンバーとの円滑なコミュニケーションが求められます。時には厳しい決断を伝える場面もあるため、極めて重要なスキルです。しかし、これまで業務遂行に集中していた従業員にとって、こうしたコミュニケーションの質を高めることは、必ずしも容易ではありません。
加えて、業務の集中と人間関係にも配慮しなければなりません。以前は同僚として接していた人々がチームのメンバーとなる場合、関係性の変化に伴う葛藤やストレスが生じやすくなります。また、年上のメンバーへのキャリア開発支援に難儀することもあるでしょう。業務と人間関係のバランスを取ることは大変難しいことです。
こうした課題を乗り越えていく際の「お守り」となるのが、キャリア開発の知見です。例えば、キャリア構築理論 (Career Construction Theory)では、キャリアを個人が自己を表現する手段と捉え、人生の物語を形成するプロセスと考えます。キャリアは単なる職務経歴の積み重ねではなく、個人の価値観や目標を反映した「物語」であり、この物語をどのように構築するかがキャリア開発の鍵となります。
なかでも、キャリア構築理論では、「キャリア適応性」(Career Adaptability)を重要な概念として位置づけています。キャリア適応性とは、個人がキャリアの転機や課題に対処する能力を指し、(1)関心 (Concern)―自身のキャリアに対する将来への意識や準備の度合い 、(2)統制(Control)―キャリアにおいて積極的に意思決定を行う力、(3)好奇心 (Curiosity)― 新しい機会や挑戦に対する興味・関心、(4)自信 (Confidence)―キャリア目標を達成するための自信や能力という4点から構成されます。
まずは新任管理職自身がこの4点を理解し、キャリア適応性を高めていくことが大事です。それをメンバーへのフィードバックの際に役立てていくようにするのです。
キャリア構築理論でもう一つ大切な点が「個人の経験や価値観に基づいたキャリア物語の形成」に着目している点です。新任管理職は、自身の過去の経験や学びを活かして、新たな役割でどのような物語を作り上げるかを考える必要があります。この物語の形成においては、自己理解や将来のビジョンを明確にすることが不可欠。またこのとき、「部下」と認識するのではなく、チームの「メンバー」として接することが重要です。
「キャリア物語の形成」は、プロティアン・キャリア理論とも親和性が極めて高いものです。プロティアン・キャリア理論は、個人が変化に柔軟に対応しながら、自らの価値観や目標に基づいてキャリアを築いていくことを強調する理論です。組織の枠組みに縛られず、自己主導でキャリアを形成することを重視しています。新任管理職にとっても、この自己主導性は非常に重要です。組織の期待に応えるだけでなく、自らの価値観や目標に基づいたキャリア選択を行うことで、長期的なキャリア成功を目指すことができます。
また、プロティアン・キャリア理論では、価値観に基づいたキャリア選択が強調されます。新任管理職には、自らの価値観と組織の目標がどのように一致するかを理解し、それに基づいて行動することが求められます。このアプローチは、モチベーションの維持やリーダーシップの発揮において重要な役割を果たします。
新任管理職が直面する課題を乗り越えるための具体的な方法である、メンタリングとコーチングも把握しておきましょう。メンタリングは、職務遂行における実践的なアドバイスやサポートを提供します。コーチングは自己理解を深め、リーダーシップスキルを強化するための助けとなります。
メンタリングは、新任管理職が直面する具体的な課題に対処するための実践的な支援を提供します。例えば、意思決定のプロセスやチームマネジメントの手法など、現場での経験に基づいた知識を共有することで、新任管理職のスキル向上を支援します。
コーチングは、新任管理職が自らの強みや弱みを理解し、リーダーとしての自己成長を促進するための手法です。自己認識を深めることで、リーダーシップスタイルの確立や、メンバーとのコミュニケーションの質を向上させることが可能になります。
次に、新任管理職向けのトレーニングプログラムは、リーダーシップ開発やマネジメントスキルの強化に効果的です。これらのプログラムは、理論的な知識の習得に加え、実践的な演習やシミュレーションを通じて、新任管理職が直面する具体的な課題に対応できるよう設計されています。リーダーシップ開発プログラムでは、新任管理職がリーダーシップスキルを体系的に学ぶ機会を提供します。例えば、チームビルディング、意思決定プロセス、メンバーのモチベーション管理など、さまざまなリーダーシップの側面について深く掘り下げます。
シミュレーションや実践的なトレーニングは、現実に近い環境で新任管理職がスキルを試し、経験を積むための手法です。これにより、理論だけでなく、実際の業務での適応力を高めることができます。
新任管理職が成長を続けるためには、自己反省とフィードバックの活用が重要です。定期的なフィードバックを通じて、自身のパフォーマンスを評価し、改善点を明確にすることで、持続的なスキル向上を図ることができます。定期的なフィードバックは、新任管理職が自らの行動や決定を見直すための貴重な機会となります。上司や同僚からのフィードバックを通じて、リーダーシップの質やチームのパフォーマンスを客観的に評価し、必要な改善を行うことが可能です。
自己反省は、新任管理職が自身の成長を促進するために不可欠なプロセスです。日々の業務を振り返り、成功した点と改善すべき点を明確にすることで、リーダーとしての成熟度を高めることができます。
さらに、新任管理職が成功するための重要な要素となるが、ネットワーキングです。社会関係資本の蓄積と言っても過言ではありません。組織内外でのネットワークを築くことで、他の管理職や専門家と情報を共有したり支援を受けたりすることが可能になります。ネットワーキングを通じて得られる知識やリソースは、キャリア資本の一部として、長期的なキャリア開発に貢献します。
組織内のネットワーキングは、新任管理職が他の部署やチームと連携し、組織全体の目標達成に向けた協力体制を築くために重要です。これにより、組織全体の視野を持ち、効果的なリーダーシップを発揮することが可能になります。
外部ネットワーキングは、業界全体のトレンドやベストプラクティスに関する知識を得るための手段として有効です。新任管理職が他の業界リーダーや専門家との関係を築くことで、視野を広げ、自身のキャリア開発に新たなインサイトを得ることができます。
このように新任管理職のキャリア開発は、個人の成長と組織の成功にとって極めて重要なプロセスです。キャリア構築理論、プロティアン・キャリア理論などのキャリア理論を活用することで、新任管理職は自己のキャリアを効果的に設計し、新たな役割に適応するための指針を提供できます。
組織には、メンタリングやコーチング、トレーニングプログラム、フィードバックの提供、そしてネットワーキングの強化といったサポートを提供することで、新任管理職の成功を支援することが求められます。新任管理職がこれらのリソースを活用し、自己のキャリアを積極的に開発することで、組織全体の成果が向上し、持続可能な成長が実現するでしょう。
「部下」という言葉を一切に使用しない、新任管理職のキャリア開発に、この国の組織文化の未来を賭けていきます。
それでは、また次回に!
- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、最新刊『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。