タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第54回】
組織と個人の持続的成長を実現するCOX
(キャリアオーナーシップ・トランスフォーメーション)
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん
令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」をインタラクティブなダイアローグを通じて、戦略的にデザインしていきます。
タナケン教授があなたの悩みに答えます!
先日出版した『進化するキャリアオーナーシップ』は、富士通株式会社において20年ぶりとなる、人事制度のフルモデルチェンジの成果をまとめた書籍です。
富士通の人材開発チームの皆さまから2020年7月末にご連絡いただき、今日に至るまでの3年半、私もフルモデルチェンジ・プロジェクトに参画させていただき、プロティアン・キャリアに関する講演、キャリアオーナーシップ診断の開発と分析、キャリア対話のYouTube動画コンテンツの作成など、さまざまな取り組みをご一緒させていただきました。
この間の取り組みにより、組織エンゲージメントスコアの向上や社内ポスティング制度への社員の参加者数の増加、各種キャリア施策への積極的な参加など、定量的にも定性的にも効果が確認されるようになってきました。
なぜ、成果が出てきたのか。この点について、考えてみたいと思います。今から振り返ると、目指すべき方向性が明確であったことが大きな力となりました。
経営戦略と人事戦略とが連動したトランスフォーメーション
プロティアンゼミでも繰り返し取り上げてきたように、「人的資本の最大化」には経営戦略と人事戦略の連動が欠かせません。2020年10月に富士通は、全社DXプロジェクト「フジトラ」の本格始動についてプレスリリースを出しました。目指したのは、IT企業からDX企業への全社をあげた変革です。
代表取締役社長の時田隆仁さんがプロジェクトオーナーを務め、執行役員EVP CDXO、CIOの福田譲さんがプロジェクトリーダーとなって、経営戦略側からの変革が動き出しました。この経営戦略と連動する形で、執行役員SEVP CHROの平松浩樹さんが人事戦略側のプロジェクトリーダーを担いました(時田さん、福田さん、平松さんの肩書はいずれも、2024年4月時点のもの)
まさに、経営戦略と人事戦略が連動する形で、富士通の変革がスタートしたのです。先日、一緒に登壇した機会に、平松さんに「なぜ成果が出てきたのか、その鍵は何だったのか」をあらためてたずねてみました。
答えは「HR Visionを明確に策定したこと」でした。
経営陣がダイアローグを重ね、策定されたのが、「社内外の多才な人材が俊敏に集い、社会のいたるところでイノベーションを創出する企業へ」というビジョンです。そこには明確な方針が示されています。まず、(1)社内外の人材の流動化を促進させること。そして、(2)さまざまな地域や領域でイノベーションを創出していくこと。
さらにこのHR Visionは、富士通のパーパスとも共鳴するのです。富士通が掲げるパーパスは「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく」ことです。パーパスとHR Visionの実現に向けて、人事部門でも変革が進められました。その際のCHROの大きな役割の一つは、「社員のやる気を引き出すこと」と「社員のやる気の阻害要因」を見定め、改善していくことです。よりわかりやすく表現するならば、「キャリアのブレーキ」要因を探し出し、「キャリアのアクセル」を踏める状態へと改革を進めていくことです。
先に策定したHR Visionは、人事の施策ではなく、「経営戦略と人材戦略」を連動させていくための共通認識にあたります。富士通の取り組みで見ていくと、経営戦略としてIT企業からDX企業への変革を進め、人材戦略としてキャリアオーナーシップへの変革に取り組むことで、組織と個人の持続的成長を実現しているのです。もちろん、これらの取り組みを各種の動画や記事、メディアなど、さまざまな機会を通じて発信していること自体が、人的資本の情報開示にもなっています。
HR Visionを策定することで、人事部門の役割も明確になります。これまでの「管理・調整」のバックオフィス的機能を果たす<守りの人事>から、「自律・開発」をプロデュースするグロース機能を担う<攻めの人事>への役割転換です。「何から始めていいのか、わからない」という状態を抜け出し、「持続的成長を実現するには、何から始めていくのか」という選択と運用のフェーズを迎えることができるのです。
さらに次の「人的資本価値向上モデル」を掲げることで、<グロース人事>として取り組むべきことがより明確になります。
社員個人のキャリア開発、社内外の人材の流動化、人材ポートフォリオが人材戦略とHR Visionとつながり、さらに経営戦略と連動する形で、変革が進んでいくのです。
ここまで設計ができてくると、次なる段階は、それぞれの施策を全方位で着実に取り組んでいくことです。社員一人ひとりに、キャリア自律型への転換の大切さを納得してもらいながら、キャリアオーナーシップを実現していくための鍵になったのが、「現状の状態の可視化」と「現状の状態の内省化」です。
プロジェクトチームの皆さまと開発したのが、キャリアオーナーシップ診断です。16の質問に回答することで「なりたい自分」になるためのキャリアコンディションを4類型に診断し、現状を把握できるようにしました。
共通の設問群でキャリアコンディションを可視化させると共に、キャリアオーナーシップ・トランスフォーメーションは、キャリアダイアローグを重ねることで進展していきました。私がプロジェクトチームに参画したとき、キャリア研修は実施されていました。ただ、当時のプログラムは「個人のキャリアの棚卸し」に主眼点がおかれていました。
私が大切にしたのは、キャリアは個人の問題ではなく、関係の問題であるという点です。
そこで、自律的なキャリア形成の実現プロセスを関係論的なアプローチから明らかにしたプロティアン・キャリア論の知見を、まずは社員の皆さまに伝達していくように登壇を重ねました。次に、キャリアを語り合う場としてキャリアCaféを実施しました。
これらの取り組みにより、通常の業務をこなすのに時間がとられていた社員の方々が、それぞれのキャリアについて少しずつ語りあうようになっていったのです。
キャリアダイアローグのポイントは、「何をしてきたのか」ではなく、「何をしていきたいのか」です。つまり、現状に至るまでのAs-Isを確認しあうのではなく、これから創出していきたい未来像であるTo-Beを意識的に語りあうのです。
組織は生き物であると痛感しました。一つひとつの取り組みが、たしかに新たな組織文化を創出していったのです。もちろん、プロジェクトチームの皆さまとの挑戦はこれからも続きます。先日も、ミドルシニアの社員の方々が躍動するのは、どのような機会や制度を設けたらいいのかについて、議論を重ねました。
策定したHR Visionの実現に向けて、全社員に向けて、さまざまなアプローチやチャネルで伝え続けていきます。社員のキャリアオーナーシップは1日にしてならず、なのです。
キャリアオーナーシップ・トランスフォーメーションの具体的な事例として富士通の取り組みを見てきました。「富士通だからできる」という理解は間違っています。皆さまの企業でも必ず、実現可能です。そのための一歩として、まずは経営層や人事開発チームを集めて、HR Visionを策定してみてください。策定したビジョンは未来永劫というわけではなく、むしろ常に個人と組織の関係性を把握しながら改善をし続けるべきものです。
個人と組織の持続的成長は、これからのあなたの取り組みにかかっているのです。それでは、また次回に!
- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、最新刊『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。