田中潤の「酒場学習論」【第27回】
新木場「丸惣」と選択のあるキャリア
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
こんな立地に、こんな最高の大衆食堂&酒場があるとは。今回ご紹介するのは、そんな酒場です。今は11時のオープンですが、以前は朝7時からやっていました。まぎれもない食堂なのですが、ここには定食というメニューはありません。好きなおかずを取って、ご飯と味噌汁を組み合わせると、自分だけの定食のパターンが無限大に生まれるのです。おかずは常に100種類ほどあります。これをトレイに好きなだけ取って会計に持っていきます。刺し身などは冷蔵庫から自分で取り出し、温め直すものは温まったら席まで運んでもらえます。
いうまでもなく、おかずはすべて酒呑みのアテになります。つまり、100種類ものアテを食べ尽くすことができる天国のような酒場でもあるのです。私はここでは、いつも黒ホッピー。どんなアテにも合う、スーパードリンクだと思っています。昼の食堂呑みの醍醐味は、仕事の合間に普通にランチを取っている人、一人で黙々と昼酒している人、数人のグループで呑み会をしている人、そんな人たちが当たり前のように同じ空間にいることです。まさに多様性、ダイバーシティです。特に丸惣は、結構な大きさのハコなのでこのカオス感が際立ちます。
この食堂を酒場使いするときの悩みは、メニューが多すぎて選択に苦慮することです。ここでは紙に書かれたメニューというものがありません。活字になったメニューから選ぶのではなく、居並ぶ現物から選択するのです。わくわくと胸の躍る瞬間です。そして一つひとつのボリュームは控えめなので、何皿も取ることができます。ああ、何を選ぼうか、トレイを持って歓喜と苦悩の時間を過ごすことになります。
私たちの日常は選択の連続です。選択ができるということは、間違いなく幸せで豊かなことです。でも、時に「選択肢がない方が楽なのに」と感じる瞬間もあります。日替り定食だけの食堂に行けば、何も考えなくてもお店のお勧めのごちそうを味わえます。メニューが多い店は自分で決めなければいけません。
私が社会人のスタートを切った1980年代の日本。若手社員の転職は決して一般的ではありませんでした。第2新卒などという言葉が生まれたのは、随分と後のことです。入社した会社で、そして会社が決めた配属先で頑張る以外の選択肢は事実上ありませんでした。多少嫌だなとか、つらいなと思いながらも、頑張る以外なかったのです。仕方がなく頑張っているうちに、仕事の面白みを感じたり、自分の成長に気づいたり、小さな成功体験を得たりして、だんだん仕事を楽しむことができるようになってきたものです。ある意味、選択肢がなかったが故の強さだともいえます。
しかし、今は違います。通勤電車の中は転職エージェントの広告であふれています。今の若手社員は転職というカードを手に入れたのです。さらには新卒採用の世界でも、職種別採用が拡大してきています。会社に命じられた想定外の仕事をいやいや続ける必要はなくなったのです。私たちは多様な選択という新たな機会を手に入れたのです。
しかし、これに対する準備ができている人ばかりではありません。学校の先生や親が勧める進路、偏差値が導く高校や大学に進んでここまで来た人も多いでしょう。決して、自律的に自分の道を決めて切り開くことを軽々とできる人ばかりではないのです。選択肢が増えれば増えるほど、キャリアについての悩みも増えていきます。
私は副業で週末にキャリアカウンセラー養成講座で授業を持たせていただいていますが、他者のキャリアの支援に興味を持つ人は驚くほど増えています。すでに国家資格キャリアコンサルタントを取得した人は6万人を超えました。選択できる時代、選択肢の多い時代は、幸せで豊かな時代であるとともに、悩み多き時代でもあるのです。他者の支援が必要な時代でもあるのです。
丸惣のメニュー選びで迷うとき、もしもトレイにとったアテが好みの味ではなくても、この量と金額であれば「まあ、いいや」と思えます。食べ始めてみて「これってこないだも食べたな」と、無意識に保守的な選択をした自分に気づかされることもあります。
選択にはさまざまな癖もあります。選ぶのは大変で難しいけれども、やはり選択肢のある豊かな世界を守りたいと思います。そんな中で少しでも自分らしい選択ができたと実感できる人が増えると素敵だと思います。それは私たちキャリアにかかわる人の共通の思いでしょう。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。