新卒エントリー数80%減から大逆転、ニコンの採用改革
「カメラだけじゃない」ブランディングストーリー
株式会社ニコン 経営管理本部 人事部 採用課長
古市 典昭さん
就職市場は“売り手市場”と言われて久しく、各社とも求める人材の獲得に苦労しています。株式会社ニコンも、新卒採用のエントリー数が最盛期の5分の1にまで落ち込みました。2021年12月に採用改革プロジェクト(以下PJ)を開始。採用ターゲットの明確化やターゲットに合った集客媒体の検討、訴求ポイントの見直しなどに取り組み、新卒採用のエントリー数はわずか2年で2.5倍に増加しました。ニコンはどのように採用の「大改革」を進めたのでしょうか。同社経営管理本部 人事部 採用課長の古市典昭さんにお話をうかがいました。
- 古市 典昭さん
- 株式会社ニコン 経営管理本部 人事部 採用課長
ふるいち・のりあき/大学卒業後、住宅メーカー、ITコンサルティング会社、社会保険労務士法人、政府系企業再生ファンドでの勤務を経て2011年に株式会社ニコン入社。人事企画職、アジア統括人事(シンガポール駐在)、人材開発部企画課長を経て、2022年4月より新卒採用と採用ブランディングの責任者となり、2024年6月からはキャリア採用の責任者も務めている。
ミッションは採用数倍増
2022年4月に発表した中期経営計画では、人材の「獲得・育成・活躍」の3本柱で人的資本経営に取り組むと明記し、採用改革PJが始動しました。PJ開始前の採用活動はどのような状況で、どんな課題を抱えていたのでしょうか。
中期経営計画では、人材の採用数を前年の2倍に増加することを決めました。しかし、これまでと同じ方法では、求める人材を必要な人数だけ獲得できません。そこで、先行して2021年12月に採用PJを発足させました。
PJが始まる以前の採用活動は新卒採用に偏重していました。新卒・キャリア採用を一つのチームで担っていたため、新卒採用をメインで行い、キャリア採用は後手に回っていたのが実情でした。
一方、新卒採用でも、カメラ市場の縮小に伴ってニコンの知名度が下がり、2022年卒の応募者数は最盛期の2012年卒と比べて5分の1ほどになっていました。また、新卒の採用者数は業績に応じて決めていたため、年度によってばらつきがあり、人員構成の年齢比率がいびつでした。長い間新入社員が配属されない部署もあったほどです。
こういった弊害を解消するため、2022年度以降は毎年コンスタントに新卒から150人ほど採用する方針となりました。このように、新卒採用・キャリア採用ともに見直しを迫られ、2022年4月からは新卒採用とキャリア採用を別の課に分け、双方を強化することにしたのです。
私自身、PJ開始時点では人材開発部に所属しており、従業員教育に携わっていました。2022年4月に新卒採用と採用ブランディングを担当する課長となり、PJを任されました。「大変な業務を任されてしまった」というのが正直な気持ちでしたね。
それまで採用活動には関わっていなかったものの、対面を中心とした採用スタイルと単発的な採用活動には課題を感じていました。新型コロナウイルス感染症が拡大する前は採用チームがさまざまな学校で開かれる対面イベントに奔走していましたが、大きな労力を要する一方で、アプローチできる学生の人数は限られていたんです。コロナ禍でオンラインツールが充実し、人材開発部で従業員研修をオンライン中心に切り替えた経験もあり、オンラインでの採用活動を積極的に取り入れ、ニコンの良さをより多くの人に伝えていきたいと考えました。
また、一つひとつのイベントに役割や意味を持たせ、ストーリー性のある採用活動にしたいと考えました。例えば、学生が業界研究を行う時期は、まず多くの学生にニコンのことを知ってもらう。その後はさまざまな媒体を駆使して学生が知りたい情報を提供し続け、「ニコンを受けたい」と思ってもらえるまで長期的に関わり続ける。こうした活動を年間通じて行うことで、最終的には「入社する会社はニコン以外考えられない」という、「ニコンのファン」になってもらえれば理想的だと考えました。
若手と一緒に訴求ポイント再考
PJで取り組んだ主な施策を教えてください。
大きく三つの施策に取り組みました。一つ目は採用ターゲットの明確化です。当社の職種は事務系や技術系など多岐にわたり、技術系には機械設計や電気回路設計、ソフト・ファームウェア開発など多くの職種があります。それぞれの部署によって求める人物像が異なっており、採用担当に寄せられる要望もさまざまだったので、毎年のように選考基準を見直していました。
キャリア採用であれば入社後の担当業務が明確なので、その都度部署の要望に沿う形でもよいと思います。しかし、実務経験のない学生を選考する新卒採用では、ニコンの社風や伝統を脈々と受け継ぎ、次世代に伝えていく人材を定義しておく必要がある。そのため、求める人物像を改めて定義することにしました。ベースにしたのは、当社が掲げる三つの「心掛け」です。「好奇心」「親和力」「伝える力」を選考の評価軸に据えました。
二つ目は、ターゲットに合わせた集客媒体の検討・見直しです。まず、採用ホームページをリニューアルしました。当時のホームページはデザインや作りが古く、ストックフォトを多用していて、実際に働いている社員の様子がほとんど伝わりませんでした。掲載していた情報も「学生が何を知りたがっているか」という視点に欠けていました。そこで、デザインを刷新してコンテンツを充実させました。
例えば「新人カメラ」というコンテンツでは、ニコンの新入社員3人がカメラを手にして社内を巡り、気になったものを撮影・紹介しています。トップ画面には、若手社員がいきいきと働く様子を収めた動画も掲載しています。多くの学生にニコンの良さを届けるため、就職活動の情報収集に活用する学生が多いX(旧Twitter)など、SNSでの情報発信を活性化しました。
三つ目は、学生に訴求するポイントの再考です。人事や採用の部署はもちろん、コーポレートのブランディングを行っているデザインセンターや広報部を巻き込みながらPJを進めました。ニコンの魅力を改めて考えるディスカッションには、現場の若手社員にも参加してもらいました。まずは当社の強みである技術・品質。次に、若手が成長・挑戦できるフィールドであること。そして、一緒に働く人や環境です。採用面接で「ニコンは穏やかな人が多く話しやすかった」と言われる機会が多かったため、社風・人柄についても前面に出していくことにしました。
この時点では、これらの訴求ポイントは本当に学生が知りたいことなのか、確証が持てませんでした。そこで、順番が逆になってしまいましたがソーシャルリスニング調査を行い、若者が就職を検討する際に知りたがっている情報を確認。結果的に当初の想定が確信に変わりました。同時に、これまでいかに情報発信が足りなかったかがわかりました。中で働く自分たちにとっては当たり前でも、学生からは魅力的に映る点が多くあるのだという気付きにつながりましたね。
もっと発信すべきだと思ったのは、どんな情報でしたか。
例えばコアタイムのないスーパーフレックスタイム制度です。当社のフレックスタイムには始業時間や終了時間の定めがなく、育児などプライベートと仕事を両立しやすいので、新卒だけでなくキャリア採用の候補者にとっても有益な情報だと改めて認識しました。
FA制度についても情報発信が足りませんでした。同じ部署で一定年数勤務すると、社内のシステム上で自らの経歴やキャリア、志向を公開してオファーを募集できる制度です。オファーを送った部署とうまくマッチングすれば、現部署の上長の意向と関わりなく異動が可能で、従業員自身がキャリア形成の主導権をもてる仕組みです。
これまでも「ニコンには夏休みが2回ある」など魅力的な制度は伝えてきたつもりですが、キャリアの自律性や働き方に関する面は強くアピールしていなかったので、積極的に発信することにしました。
多種多様な事業展開をPR
「ニコン=カメラ」というイメージは非常に強いと思います。一方、貴社の新卒採用サイトでは「カメラだけじゃない」点を強調されています。イメージ一新に取り組んだ背景や苦労した点などがあればお聞かせください。
「ニコンはカメラだけじゃない」というメッセージは長年伝えてきたつもりだったのですが、ソーシャルリスニング調査の結果から「まだまだ浸透していない」と感じました。
私がニコンに転職した2011年頃、カメラ事業が絶好調でした。その他は半導体やフラットパネルディスプレイ(FPD)の露光装置事業が柱でした。しかし、カメラの市場がシュリンクし、半導体も海外企業にシェアを奪われ、大きな危機が訪れた時期がありました。
その後主力以外の事業を育てる方針を立て、ヘルスケアを中心にさまざまな事業を成長させていきました。こうした背景から、ニコンがどのような事業を展開していて、社会にどのように貢献しているのかを広く周知することも、非常に重要な採用の使命だと考えたのです。ニコンが「世の中になくてはならない会社」と認知されなければいけません。昨年から久しぶりにテレビCMを放映していますが、冒頭で「ニコンはカメラだけではないんです」というメッセージを打ち出しています。
採用イベントでも、カメラ以外の事業について工夫しながら説明しています。例えば、それまで企業ロゴが入っただけだったノベルティは、ニコンの多種多様な事業が伝わるポップなイラストを描いたものに一新しました。ニコンが携わる顕微鏡やロボットアーム、飛行機などをイラストで表現しています。
航空機エンジンや発電機に使用されるタービンブレードという部品は、一部を破損すると全部を取り換えなくてはいけないことがあるのですが、ニコンは破損部を修復できる金属加工技術を有しています。環境にも優しい技術です。飛行機の機体にサメ肌をモチーフにした微細加工(リブレット加工)を施す事によって空気抵抗を減らし、二酸化炭素排出量の削減につなげる研究にも取り組んでいます。
ニコンに対して「完成品を提供するメーカー」というイメージを抱く人が多いため、機械の重要な部品を提供するコンポーネント事業にも力を入れている一面を伝えようと、歯車のような部品も描きました。
各部門が採用を“自分事”に
採用改革に関して、経営層や現場社員にはどのように協力してもらったのでしょうか。また、経営層や社員からはどんな反応がありましたか。
採用改革PJが立ち上がったのは、中期経営計画を作る過程で「今の採用のやり方では質・量ともに人材の採用が難しい」という議論があったためと聞いています。経営層は全社の部長が集まる会議の場などで「採用にぜひ協力してほしい」といつも発言していました。経営層自らが発信してくれたおかげで、社員に協力を依頼しやすい風土ができていたんです。
ただし、以前は会社説明会への参加をお願いしても、「うちの仕事を学生に説明しても、そんなに魅力のある話はできない」と断られることがありました。そこで「魅力がない部署を希望する学生はいません。自分たちの仕事に魅力があると捉えていないことが問題なのではないですか」と議論を重ねました。その結果、各部門の意識が変わり、採用が思うように進まないときは「どう取り組んだらいいか」を積極的に聞いてくれるようになるなど、人事と現場のコミュニケーションの機会が増えました。今ではすべての部門が採用に対して前向きに協力してくれます。
新卒で入社した場合、面談で希望する部署を聞いてから配属先を決定するので、どんな仕事をするのかを内定者が理解できていない部署には、希望者が出ないこともあります。そのため、内定者に対して各本部や事業部門の業務内容を詳しく伝える機会をつくり、より理解を深めてもらう取り組みも始めています。
キャリア採用については「採用するのは人事の仕事だ」という考えの部署も、当時は少なからずあったようです。しかし、各部門の中で採用が自分事化されたことで、狙った採用につながっていない理由や面接での魅力訴求などの課題を、各部門と人事部で定期的に振り返るようになりました。
就職人気ランキング1位、応募2.5倍
2024年5月の中計進捗報告では、人的資本経営は「順調」とされていました。PJの成果をお聞かせください。
減少していた応募者数は、最も少なかった2022年卒と比べて2.5倍まで増加しました。まだ最盛期の半分ほどですが、やみくもにエントリー数を増やす必要もないと思っています。応募者数が増えることで、ニコンへの関心がそれほど高くない人も増える可能性があるからです。私たちが目指しているのは、「ニコンに入社したい」と思って応募してくれる人を増やすことです。
採用者数は22年度、23年度共に目標以上の実績を上げることができました。配属した各部門からも、優秀な新卒が増えたとの声をもらっています。これまで浸透していなかったニコンの魅力を伝えることで、より志望度が高い学生が多く入社してくれたのだと考えています。
また、マイナビ大学生就職企業人気ランキングでは、「精密・医療機器」の業種別で2年連続1位を獲得。このランキングはそれまであまりニコンのことを知らなかった学生の関心を広く集めることができるので、上位進出を狙っていました。PJ開始前は2年連続で10位圏外だったのですが、幸運なことに2023年ランキングで1位を取り、続いて2024年も1位になることができました。
面接において、何か工夫されたことはありますか。
採用メンバーに常日頃話しているのは、「採用はファンづくり」だということです。すべての応募者に気持ちよく面接を受けてもらい、残念ながら選考に通過しなかった方にも「ニコンに入りたかったな」と思ってもらえることを意識しています。
ニコンに入社しなかった学生が、ニコンの取引先で働く可能性もあります。他の会社でさまざまな経験を積んでから、キャリア採用で再び応募してくれるかもしれません。採用でニコンを訪れてくれた方と今後どのようにつながるかわからないため、ファンになってもらいたいのです。
人的資本経営で今後、さらに注力すべき課題がありましたらお聞かせください。
キャリア採用の強化と入社後の育成です。2024年度は新卒採用150人、キャリア採用300人を年間目標に置いています。新卒採用では、イベントのアイデアが出てから1ヵ月以内にオンラインで開催できるくらいのスピード感を実現しました。この流れをキャリア採用にも取り入れたいと思っています。PJ発足の際に新卒採用とキャリア採用の組織を分割しましたが、2024年6月から再び一つの組織が担うことになり、私が責任者を務めています。
キャリア採用は、本社など都心エリアは比較的採用しやすいのですが、地方での採用に苦戦しています。そこで、エリアを限定して地域性を持たせたイベントを企画中です。入社した方がスムーズに活躍できる環境整備も進めたいと考えています。キャリア入社の場合、受け入れ部門が即戦力という認識をもっているため、すぐに仕事を渡して周囲があまりケアできていない状態に陥りがち。そのため、社内システムの使い方を教えるなど、キャリア入社の方が入社後早期に活躍できる下地を整えるガイド役を、必ず一人アサインしてもらうようにしました。
また、キャリア入社の方と事業部長・本部長が定期的に意見交換を行う場を設定している部門も出てきました。入社後のギャップがないか、参考となる他社の取り組みがないかを直接聞き、職場改善につなげる機会になっているようです。
新卒社員に関しては入社後すぐ離職する人は多くありませんが、若手社員を対象にして、会社にどんな支援を望んでいるかアンケートをとるなど、積極的に意見を聞き、その中から出てきた意見を基にフォロー体制を更に整える検討を始めています。
“売り手市場”と言われて久しい就職市場で、各社とも求める人材を獲得することに苦労していると思います。採用に悩む人事担当者にアドバイスやメッセージをお願いします。
まず、学生らからどのように思われているのか、自社の立ち位置を正確に確認することが重要です。また、「自社の良さ」を改めて考えることも。採用に苦戦していると「自社にはあまり魅力がない」というネガティブ思考に陥ってしまいがちです。実際に当社もそうでした。しかし、学生がすごいと思ってくれるようなネタは社内の意外なところにあるものです。その上で、「応募者がどのような情報を求めているのか」を相手の立場になって考え、自社の魅力と結び付けて発信できるかが、これまで以上に採用の明暗を分けると思います。一緒に頑張っていきましょう。