サッポロビール株式会社
「社員=お客様」志向
サッポロビール株式会社 人事総務部 人事総務グループリーダー
生方誠司さん
人事とは、人が人を評価する、人が人の人生を左右するかもしれない、大変な仕事である。 その重責に、現役人事部員たちはどう向き合っているのか?(聞き手=ジャーナリスト・前屋毅)
- 生方誠司さん
- 人事総務部 人事総務グループリーダー
うぶかた・せいじ/1964年生まれ。87年横浜国立大学経済学部卒業後、サッポロビール入社。新潟支社営業企画部、同支社営業部から、92年10月労働組合専従、96年10月広報部、2001年9月新九州工場総務部長を経て、2005年3月人事総務部グループリーダー。
サッポロビールのお客様が一般消費者であるように私たち人事部の人間にとってのお客様は社員なんです。
前屋:私は以前、サッポロビール広報部にいらっしゃった生方さんとお目にかかっていますけど、いつから人事部に?
生方:じつは、今年3月に異動してきたばかりなんですよ。1987年に入社してすぐ、新潟支社の営業企画に配属されまして、その後、営業、労働組合の専従、広報、そして大分の新九州工場で総務部長をやりました。で、今回、初めて人事部門へ。サッポロビールの人事部には人事と労務があるんですが、両方のグループリーダーとして、人事評価と異動、それから労働組合対策などについてやっています。
前屋:初めての人事部勤務はどうですか。
生方:サッポロビールでは十数年前から、「マーケティング・マインドがある人間を人事部門に配置する」という考え方があります。というのは、「社員がお客様」という方針があるからです。サッポロビール全体のお客様が一般消費者であるように、私たち人事部にとってのお客様は社員、というわけです。そのお客様=社員に満足してもらい、社員のモチベーションを高めていくのが人事部の仕事だと。人事部というと「管理志向の強い部署」というイメージがあるかもしれませんが、それではサッポロビールの人事部としては失格だと考えています。ここでは、「お客様志向」が強く求められていて、実際、部内の雰囲気もそうなっています。私が初めて来た日から、堅苦しさは全然感じませんでしたね。
前屋:実際にこれまでやってきて、人事部の仕事はどうですか。
生方:やっぱり、人を知らなければできない仕事ですよね。私は今、管理職を中心に見ていますが、それぞれの目標管理の内容をはじめ、データ的なものは頭に入れるように努力しています。といっても、ただ覚えようと思って覚えられるものじゃないですからね。その人に思い入れを持ってデータを頭に入れないと、何の役にも立たない。そういう意味では、人事部とは、「人が嫌い」というタイプには勤まらない部署でしょうね。
もちろん、書類のデータだけからその人を知ろうとしても、その人の考え方やキャリアの方向性、性格など本当のところはよくわかりません。そこで、5月下旬から8月上旬にかけて、全国の工場や事業所を回って、工場長や部長クラス、異動の希望を出している方々を中心にヒアリングをしてきました。この秋の人事異動に向けて、みなさんがどういうキャリアを自分の頭の中に思い描いているのか、それに対して人事部がどういうサポートを与えられるのか、というようなことを、一人ひとりと会って話し合いました。そうすると、それぞれの人となりがよく理解できるようになるし、書類のデータも実感あるものとして捉えられるようになるんですね。
サッポロビールの人事部門にはマーケティング・マインドが求められると言いましたけど、マーケティングには市場を知ることが第一で、そのためにはお客様のところへ足を運んで意見を聞くこともするでしょう。それと同じことで、サッポロビール人事部のお客様は社員なのですから、人事部員は社員のところに足を運んで意見を聞くんです。この方法が、以前からずっと、サッポロビール人事部に定着しています。
生方氏(左)は営業、広報、総務部長などを経験して、今年3月に人事部へ。サッポロビールでは「マーケティングマインドのある人材を人事部門に配置する」という
日本全国の社員のところへ足を運んでヒアリングを行いキャリア・アドバイザー的なアドバイスもして来ました。
前屋:そのヒアリングの場で印象的なことはありましたか。
生方:自分の思い描くキャリアに向けて、地道に勉強をしている社員が多かったことです。それだけ、明確なキャリアを描いているわけですね。ただ、みなさんの描くキャリアが、バランスよく分散しているというわけではなくて、この部署に異動したいとか、あの職種をやってみたいとか、集中してしまう場合もあるわけですよ。また、本人の希望と適所・能力が一致していればいいんですが、そうではない場合もある。
だから、「こういうキャリアも考えられるんじゃないか」とか「そのキャリアに向けて、こういうキャリアも必要なんじゃないか」とか、ヒアリングのときにそういうキャリア・アドバイザー的な話もするようにしたんですね。でないと、納得してもらえないし、「せっかく人事部と話をしたのに、こっちの希望は何も聞いてもらえない」と言われてしまえば、お客様志向の人事になりませんから。一人ひとりと会った意味もなくなってしまいます。
前屋:ヒアリングをしていく中で、その人の描くキャリアに合った適材適所の部署や職種が見つかって、しかもそこに空きもあるとしたら、その場で異動を約束するのですか。
生方:それはしませんね。管理職クラスの異動となると、全社的なニーズ・タイミングと併せて役員などの経営的な意向もあって、最終的には委員会で決定することになります。だから、ヒアリングの段階で私が100パーセント確約するわけにはいきません。
前屋:人事部はその人と会ってヒアリングした強みがありますから、その委員会に強く推せば認められる、ということもあるのでは?それとも、そこまでの権限は人事部にはないのですか。
生方そのへんは微妙なところですね(笑)。私は人事部に異動してきたばかりなので、まだ委員会に一度も出席したことがないんです。どこまで人事部の意見を聞いてもらえるのか、わかりません。
ただ、上の役職になればなるほど、適材適所の考え方も重要ですが、「経営にとって必要かどうか」という判断が重視されることになるんだろうと思います。上の人事で、下の人事にも影響が出てきますからね。ヒアリングのときに異動などを確約するのは、やっぱり、できないですね。
いま振り返ると労組の専従も広報部も楽しい職場でしたね。
サッポロビールの人事部は私の適性を見る目があったのかな。
前屋:人事部へ異動になる前に、生方さんも人事部のヒアリングを受けたことはあるんですか。
生方:新九州工場では総務部長だったので、その立場で全体の人事についてのヒアリングは受けたことはありますよ。でも、そのときだけですね。
人事部のヒアリングを受けるのは役職者と異動希望者が中心です。私は異動希望を出したことがなかったので、受ける必要もなかったわけです。
前屋:生方さんは自分の人事に不満はなかった、ということですかね?
生方:異動した部署の仕事に満足していたってことなんでしょう。ただ、不満じゃないんですが、労組の専従に指名されたときと広報部への配属は青天の霹靂で、「何で?」って思いましたけど。
普通の異動と違って、労組から直接、「今度、組合に来てもらいたいんだけど、どう?」と声を掛けられたんですね。それも、定期異動の内示前のことだったので、ちょっと驚きました。でも、労組が人事部の方針を無視して勝手に私を指名したわけではなくて、企業内労組ですから、事前に人事部の了解はとってあったと思いますけどね。
労組から広報部に異動するときも、まさか自分が広報をさせられるとは思っていなかったので、やっぱり「何で?」と思いましたけど、いま振り返ると、どこも楽しい職場でした。ということは、人事部は私のことを見る目があったということですかね(笑)。
前屋:ヒアリングなどのほかに、今、サッポロビール人事部が力を入れていることは何でしょうか。
生方:人事制度について、それをどう良くしていくか、力を入れて検討し始めているところです。どうしたら社員のモチベーションを上げて活力のある組織にできるか、人事制度の改革から運用まで、社内にプロジェクトをつくって考えようと。中心になるのは人事部ですが、他のセクションからも人材を集めてプロジェクトチームをつくりました。
どんなときも明るく人の話を聞いて誠実に対応する。そういう行動規範が社員の心に火をつけるはずです。
前屋:たとえば、そのプロジェクトでサッポロビールのどのようなところを変えていきたいと?
生方:去年、「ドラフトワン」が大ヒットしたりして、社内は活気が出てきたんですね。就職活動中の学生さんがサッポロビールに抱くイメージも非常に上がってきています。そうしたものが根づくように、これから企業風土をつくっていきたい。そのために必要なのは、競争力と自立、自己責任だと考えていて、その方向へ向かうように人事制度も運用も変えていこうとしているんです。
もともとサッポロビールという企業は社内の雰囲気もチームワークもいいんですが、逆に言うと、おっとりした企業風土もあるんですね。良い面は残さなければいけませんが、もっと競争に前向きであるべきだという反省があるのも事実。だから、そこへ向けて人事制度も変えようとしているわけです。
前屋:そういう中で、人事部として「これが大事だ」と考えていることは何でしょうか。
生方:サッポロビールは「開拓者精神」をミッションステートメント(行動規範)にしていますが、そこに「自らの心に火をつけ、夢を語り、夢を実現する」「人の心に火をつけ、人の心がときめく時間と価値を提供する」と書いてあるんです。それをきっちりやれることが、人事部門も大事だと思います。
どんなときでも明るく人の話を聞き、真剣に接して誠実に対応する。それは冷めた心ではできません。自分の心に火をつけて、熱いものを持っている必要があります。それでこそ相手の心にも火をつけて、力を発揮してもらうことにつながるはずです。
ただ、変に妥協すべきではない。言うべきことは、きちんと言えないと人事の仕事はできないと思います。むずかしいのは、厳しいことを厳しい表情で言ったら相手にやる気をなくさせるだけですから、人事部にとって大事なのは「厳しいことを明るく言えること」なのかもしれませんね。
人事部員が偉そうに振る舞って「孤立」してはいけません。他部署との「横串を通した人脈」が人事部には必要ですね。
前屋:厳しいことを明るく言うのは、むずかしいですよね。
生方:ですから、今の自分には、それができていませんね(笑)。できていないから、何とかがんばって、そうできるようになろうと。その努力はしているつもりなんですけどね。
いまサッポロビールでは、SBBS(サッポロビール・ブランド・ビルディング・システム)という取り組みを進めています。いかにサッポロビールの社外イメージをつくっていくか、そのことに力を入れている。対外的にイメージしやすいのは営業や宣伝の分野かもしれませんが、内側からも盛り上げなきゃいけないと思っています。人事部としても身近なところから、たとえば「あいさつはしっかりしよう」「明るく元気にコミュニケーションしよう」「他部署の人と、どんどん話をしよう」といった方針を掲げています。
前屋:社内を明るくして、イメージを高めようということですね。それを人事部が率先してやっている、と。
生方:そうです。人事部門に来てみて感じたのですが、この部署って、あんまり人が寄りつかないんです。社員のみなさんにしてみたら、私たちにいつも監視されているような気分になるんでしょうか(笑)。異動してから数日は、知人が訪ねてきたりもしていたんです。それが1カ月もしたら、誰も来なくなりました。孤独になっちゃうんですよ。 これではいけない、と思いましたね。だから自分から飲みに誘ったり、日常声をかけたりして、いろいろな部署の人たちとコミュニケーションをとるように心がけています。人事部だけが偉そうに孤立していては変な雰囲気をつくりますから、「横串を通した人脈」が人事部には必要です。
前屋:そうしないと、「お客様」である社員のニーズだって、的確につかめないでしょう。お客様志向の人事をやるには、横串の人脈が必要だ、と。それは生方さんだけじゃなくて、人事部のみなさんの全員が心がけているわけですね。
生方:はい。人事部での仕事が長くて、孤立することに慣れていたような部員でも、そういうことが大事だぞと背中を押してやると、積極的に明るくコミュニケーションできるタイプが多いと思います。人事制度は経営のプラットホームの要ですが、そこに「魂」を入れるためには、人事部が信頼されることが大事だと思うんですね。
信頼されない人事部だと、人事制度そのものが信頼されなくなります。信頼されるためには、やっぱり地道なコミュニケーションが絶対必要。人事部一人ひとりの顔を社内に見えるようにしないといけない、ということです。
(インタビュー構成=前屋毅、取材=8月5日、東京・恵比寿のサッポロビール本社にて)
インタビューを終えて 前屋毅
人事部といえば、とかく「高所から社員を見ている存在」といったイメージが強かった。「使う側」の論理だけで社員を将棋の駒のように動かすエリート集団、というわけだ。
しかしサッポロビールの人事部は、自らの視点を低いところに置こうとしている。社員を「お客様」とする「お客様志向」で、その満足度を上げることを基本としているという。考えてみれば当然のことで、人事部の仕事は社員一人ひとりの能力を引き出し、活用することにある。それができてこそ、要の仕事であり、エリート集団たりうるのだ。社員を駒としかみない机上の「戦略」だけでは、「宝の持ち腐れ」になりかねない。
とはいえ、ただ「お客様」の言い分だけを聞いていては、経営は成り立たなくなる。満足してもらうために、要望のあったポジションに全員を異動させていたら、組織が成り立たなくなってしまうからだ。そうしたことを考えれば、無理やりにではなく、納得してもらったうえでの異動こそが理想的である。社員にしても、自分が考えていたより、適材適所を得られるチャンスになるかもしれない。その意味では、「お客様満足度」を上げる人事こそ最上の人事ではないのだろうか。生方氏の話を聞いていて、そのことを痛感させられた。
さらにサッポロビールでは人事制度改革を進めるという。どんな「お客様志向」の人事制度が登場してくるのか、今から楽しみだ。
まえや・つよし●1954年生まれ。『週刊ポスト』の経済問題メインライターを経て、フリージャーナリストに。企業、経済、政治、社会問題をテーマに、月刊誌、週刊誌、日刊紙などで精力的な執筆を展開している。『全証言 東芝クレーマー事件』『ゴーン革命と日産社員――日本人はダメだったのか?』(いずれも小学館文庫)など著書多数。