キッコーマン株式会社:
混迷の時代に求められる「プロ人材」の育て方とは
――「働きがい」が社員を、企業を強くする
キッコーマン株式会社 人事部長
松崎毅さん
安定した内需に支えられ、不況の波にも比較的強いといわれてきた食品業界が、人口減少という避けがたい構造変化に直面しています。しょうゆのトップブランドであるキッコーマン株式会社は、グローバル展開を加速させるとともに、社員一人ひとりと向きあう人材育成戦略によって、この難局を乗り越えようとしています。組織を牽引する「プロ人材」の育て方や、2年続けてベスト10入りを果たした「働きがいのある会社」(Great Place to Work Institute Japan)、そして退職率2%台という高いモチベーションの秘密について、人事部長の松崎毅さんにじっくりとお話をうかがいました。
- 松崎毅さん
- キッコーマン株式会社 人事部長
まつざき・つよし● 1981年キッコーマン株式会社 入社。大阪支店・京都営業所での10年間の営業を経て人事部門配属。採用、人事企画、労政を担当し2008年6月より現職。昨年の持株会社制移行に伴い、いかに企業グループとして一体感を保ち、「働きがいのある会社」にしていくか、をテーマに日々取り組んでいる。
国内で通じれば海外でも通じる――グローバル展開50年の手応え
しょうゆはいまやsoy sauceとして、世界各国で愛好されています。御社では、営業利益の実に約2/3を海外が占めているとのこと。しょうゆの“グローバル化”を改めて実感しました。
国内の経営環境が厳しさを増すなか、海外市場は右肩上がりの伸びを示し、弊社にとってますます重要度が高まっています。おかげさまで、2007年には米国進出50周年を迎えました。私たちは、グローバル化がいわれる前から海外に目を向けてきましたが、今後、日本の人口が減っていくことを考えると、この動きをさらに加速させなければならないのはいうまでもありません。採用活動をしていても、弊社に興味を持ってくれる学生のなかには、「海外へ行きたい」という希望者がとても多いんですよ。
それは心強いですね。日本の若者は海外に興味を失い、“内向き志向”が進んでいるともいわれますが、企業にとっていわゆるグローバル人材の育成は喫緊の課題ですから。
そのグローバル人材について、じつは先日、ある人事関係のシンポジウムで講演を頼まれたんです。いただいたテーマが、まさに「グローバル人材をどう育てるか」だったので、一度はお断わりしました。申し訳ないけれど、聞いてくださる方々のご期待に応えられるような話が弊社にはありません、と。結局、講演自体は別のテーマでやらせていただいたのですが。
どうしてですか? 御社には50年に及ぶ海外進出の経験と実績があるのでは。
とはいえ、グローバル人材の育成は重要な課題だとは思います。これまでは適性や能力のある人材を適宜選抜して海外の拠点に送り出し、それでうまく回っていましたが、これからはそういう人材がもっと必要になってきますからね。ただ、実際にどうすれば社員一人ひとりがそういう人材になれるのかというと、結局、一番大切なのは自分の仕事がきちんとできるようになること、それに尽きると思うんです。ですから海外へ送り出すにしても、いきなり現地へは配属しません。まずは国内でしっかりと働いて、力をつけてほしい。国内需要の掘り起こしもまだまだ必要ですし、キッコーマンのビジネスに携わるかぎり、知識も技術もノウハウも、最新のものはすべて国内に揃っていますから。
ローカリズムに徹することが、グローバリズムを養うことに通じるわけですね。
少なくとも弊社の場合はそうだと思います。国内できちんと仕事ができるようになれば、海外へ出ても十分通用するでしょう。それが、弊社の取り組む「プロ人材」育成のひとつの理想形でもあります。
専門性に優れた「プロ人材」は、スペシャリストとどう違うのか
御社では求める人材像を「プロ人材」とし、その条件を〈仕事における高度な能力をもっている〉〈能力を発揮して自律的に行動し、成果に結びつけることができる〉〈社内外のニーズを満たし、市場に価値を与えることができる〉人材と定義しています。“プロ”という言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか。
端的にいえば、社員がそれぞれの仕事のプロになるということです。営業のプロ、人事のプロ、経理のプロ、研究開発のプロ……当然、経営者も“経営のプロ”であるべきでしょう。プロである以上はまず自分の専門性や強みを磨きあげ、組織からも市場からも“求められる人材”にならなくてはいけません。ただし専門性を究めるといっても、いわゆるスペシャリストとは似て非なる人材像です。私の勝手な解釈かもしれませんが、スペシャリストというのは、どちらかというと内向きで自己完結的ではないでしょうか。知識や情報をインプットしても、それが個人に蓄積されるだけ。成果としてアウトプットされず、企業力の強化に結びつきにくいイメージがあります。一方、私たちの考える「プロ人材」の究極のあり方は、仕事を通じて周囲をどんどん巻き込み、組織を活性化させられるようになること。そのためには、スペシャリストのようにただ自分の専門分野だけを追いかけていればいい、というわけにはいきません。
むしろ周辺分野にも関心を広げて、すすんで周囲とコミュニケーションをとる姿勢が求められるでしょうね。
そうなんです。しかも「プロ人材」は、相手に自らの専門分野を平易な言葉で、わかりやすく伝えることができなければなりません。
そもそもなぜ「プロ人材」の育成というテーマを掲げられたのですか。
それは冒頭でも触れたとおり、弊社を取り巻く厳しい環境変化に対応するためです。食品業界は基本的に内需産業ですが、少子高齢化の進行によって国内市場の量的な縮小は避けられません。キッコーマンといえばしょうゆ、“純和風”の印象が強いと思いますが、弊社もまた、事業の多角化や国際化を加速させ、新市場の開拓を積極的に推し進めていく必要に迫られているのです。そうした激変期を乗り越えるために社員はどうあるべきか――。その答えとして、私たちは、専門性をもって成果に結びつけることができる「プロ人材」という人材像を導き出しました。
企業にも同じことが言えるのではないでしょうか。自らの強みを最大限に発揮して、“求められる企業”に成長しなければなりません。弊社は2009年10月、持株会社制への移行に踏み切りました。最大のねらいは、各事業会社の権限と責任を明確にすることで、それぞれの企業体質を強化することにあります。今後は各社が担当事業に特化しつつ、グループ全体をどのように巻き込んでシナジーを発揮していくかが、キッコーマンにとって大きなテーマになってくるでしょう。
ジョブ・ローテーション、研修・教育、面接の三本柱で 「プロ人材」を育てる
では、実際にキッコーマンの「プロ人材」がどのようにして育成されるのか、その方法論についておうかがいします。御社の手厚い人材育成体系の中核に、ジョブ・ローテーションと研修・教育、そして面接の三つを柱とする「CDP制度」がありますね。
たしかに私たちはいま、CDP制度を活用してプロ人材育成に取り組んでいます。ただ厳密にいうと、CDP制度はそれを目的としてつくられた制度というわけではないんです。話の発端は、私が人事部に異動した1991年より前にさかのぼります。私は当時、京都の営業所勤務が7年ほど続いていて、「うちの会社にはなぜ、ジョブ・ローテーションがないのか」と、経営陣や組合の幹部が回って来るたびに言っていました。そうしたら、「君がそういう仕組みを考えてみなさい」と(笑)。人事部に移って、採用担当を経たあと人事企画として自分でCDP制度を立ち上げることになったのです。制度がスタートしたのが1997年。そのときはまだ「プロ人材」という言葉も、考え方もありませんでした。
目標よりも先に、方法論が生まれたわけですね。松崎部長ご自身が導入を熱望されたジョブ・ローテーションに、研修・教育と面接を加えて三本柱とした当初のねらいは何だったのですか。
CDP制度を設計したとき、自分自身の経験も踏まえて、少なくとも入社10年目までは、全員に次のふたつの「機会」が与えられるべきだと考えていました。ひとつは、いろいろな仕事や職種を経験し、本人の適性を把握する機会。これを実現するのがジョブ・ローテーションですね。多様なキャリアを重ねながら、本当に納得できる方向を見極めてほしい。そして30歳代半ばぐらいから、それを自らの強みや専門性としてどんどん磨き上げ、その分野のプロになってほしいんです。会社としても、社員に「プロ人材」への成長を促すなら、やはり本人の適性に沿った方向で異動先を決めたり、能力開発を進めたりすることが望ましい。それが、ひいては企業体質の強化につながっていくのです。
適性を把握する機会は、会社だけでなく、社員本人にとっても欠かせませんね。
ところが目の前の仕事で忙しいと、実際はなかなか将来のことまで頭が回りません。そこでもうひとつ、自分の将来やキャリアについて意識的に考える機会を用意する必要があります。会社にいわれるままではなく、たとえば10年後、15年後に自分はどうなりたいのか。もちろん目標ですから、変わってもいいんですよ。大切なのは「自分のキャリアは自分でつくるもの」という社員の意識なんです。CDP制度の三本柱のうち、研修・教育と面接のプログラムはこの“意識付け”をねらいとしてつくられています。
「CDP面接」はアピールの場であると同時にスカウトの場
具体的にその三本柱をどのように運用されているのでしょう。
ジョブ・ローテーションについては、入社後8年間で2課所の異動を行います。当初は10年間で3課所動いていたのですが、「プロ人材」の育成をより意識して制度を改めました。専門性を重視する観点から、一つの職種に対する適性や成長のプロセスをもっとじっくり見ていこうということになったんです。それと並行して、キャリアへの意識付けをはかる研修も随時行っています。5年目には、仕事のプロとしての基礎能力や意識の醸成を促す「意識改革研修」を実施。7年目に行う一泊二日の「CDP研修」では、すでに「プロ人材」として活躍する先輩社員の体験談を聞きながら、これまでのキャリアを“たな卸し”すると同時に、将来についてとことん考える研修を行います。1~3年目、5年目、7年目と研修を重ねるごとにキャリアビジョンが深まっていく、そういうイメージですね。
そしてそのビジョンを会社に伝える場が、面接というわけですか。
そうなんです。自己申告面接や人事考課面接など、面接自体は普段からよく行っているのですが、とりわけCDP研修と同時期に実施する「CDP面接」は、社員にとってキャリア形成の大きなポイントになります。この面接で将来、自分はこうなりたいとアピールしてもらうんですよ。その相手は人事部ではありません。私たちもオブザーバー的な立場で同席しますが、実際に面接を担当するのは自部門以外の部門長3名。人事の人間を含めると、4対1の面接になります。
なぜ、面接官にあえて他部門の部門長を?
社員にとってアピールの場、あるいはキャリアカウンセリングの場であると同時に、会社にとっては、それが“スカウト”の場でもあるからです。面接を受ける社員の希望は前もってわかっているので、たとえば海外で営業職に就きたいという場合は、当該部門の部門長や海外勤務の経験者などを呼んで、面接を行います。そうすれば社員のアピールを受けて、その場で適性や能力を評価したり、異動の可否を決めたりすることもできるわけです。
もちろん面接官からは、日頃どういう勉強をして、どれくらい成長しているのか、他の仕事のほうが合っているんじゃないかといった、現場目線の厳しいチェックが入ります。社員にとっては、自分の甘さや理想と現実の違いを思い知る結果になることも少なくありません。それでも、自分が目指す道で実際にキャリアを積み重ねてきた先輩社員のアドバイスには、人事部のそれとは違う、格別の重みがあるようです。「プロ人材」として会社に貢献するためには何が必要なのか、何をもって自分の本当の強みとすればいいのか、きっと多くの気づきを与えてくれるのでしょう。
「働きやすい会社」よりも「働きがいのある会社」を目指したい
CDP制度が始まって13年が経ちました。松崎部長からご覧になって、同制度はキッコーマンの組織にどのような効果や影響をもたらしたと思われますか。
13年間で、目指す「プロ人材」を何人育てられたのかと聞かれると難しいですが、少なくとも「自分のキャリアは自分でつくるもの」という意識は確実に浸透しつつあるのではないでしょうか。社内でもいまだ賛否両論あって、会社が社員の将来設計にそこまで世話を焼く必要はないという意見も根強いんです。たしかにある意味、正論だと思います。ただ、何も働きかけないと忙しさにかまけて、自分のキャリアを考えるというあたり前のことにも頭が回らなくなってしまう。それが職場の現実でしょう。ですからキャリアへの意識付けが進んだだけでも大きな成果だと、私は思っています。その証しといっては何ですが、弊社の平均勤続年数は19年と長く、入社後3年間での自発的な退職率も2%程度に抑えられています。
昨今の情勢からすると、退職率が2%というのはすごく低いですね。
これは、CDP制度という仕組みがあることによって、社員一人ひとりに「会社がちゃんと見てくれている、認めてくれている」という実感を担保できているからだと思うんです。この「社員一人ひとり」と向き合う発想こそが、じつは弊社の人事の基本であり、さまざまな制度設計の根幹をなしています。何よりも人を大切にするキッコーマンという企業のDNAに、脈々と受け継がれてきた哲学といえるかもしれません。
そしてそれが、社員一人ひとりの成長へのモチベーション、働きがいにもつながっていくわけですね。
そうであれば、人事としては理想ですね。「働きがい」といえば、私は最近こう思っているんです。弊社は、「働きやすい会社」よりも「働きがいのある会社」を目指したい、と。あくまでもこれは私のイメージなのですが、働きやすい会社というのは、働く人が感じるいろいろな不満をケアしてくれる会社、いいかえれば社員満足度の高い職場環境のことでしょう。もちろんそれは必要だし、否定するつもりはありません。でも、人の満足にはかぎりがない。すぐに、次の不満が出てきます。それに対して、働きがいというのは満足・不満足を超えて、社員一人ひとりの幸福感に関わってくるのではないか。私はそう考えています。
つまり「働きがいのある会社」とは“社員幸福度”の高い会社だということですか。
企業人にとっては、この会社で働いていて幸せだと思えることこそが最高の働きがいなんじゃないでしょうか。もちろん幸福も、キャリアと同じで、自分で実現していくものです。私たち人事部はその支援に努め、社員一人ひとりの幸福を、キッコーマンの業績を押し上げる原動力へと結び付けていかなければなりません。
(取材は2010年3月1日、東京・港区のキッコーマン・東京本社にて) (取材・構成=平林謙治、写真=東幹子)