日産自動車株式会社:グローバルな「人財」育成に向けた人事部改革
日産自動車株式会社 人事部 人事企画担当部長 (兼)人財開発担当部長 西沢正昭さん
人事とは、人が人を評価する、人が人の人生を左右するかもしれない、大変な仕事である。 その重責に、現役人事部員たちはどう向き合っているのか?(聞き手=ジャーナリスト・前屋毅)
- 西沢正昭さん
- 人事部 マネジャー
にしざわ・まさあき●1956年生まれ。81年早稲田大学政経学部政治学科卒業後、日産自動車株式会社入社。人事部門に配属され、工場人事、本社人事を経験。90年海外統括本部海外企画部へ部門間異動。94年欧州日産ビジネスプランニング、98年スペイン日産ダイレクター、2001年欧州日産ジェネラルマネージャー、2003年人事部人財開発担当部長、2004年から人事企画担当部長 兼)人財開発担当部長。
2003年に海外から戻り人財開発の担当部長に就任しました。
そのとき人財開発グループが人事部門の中で独立したのです。
前屋:西沢さんは人事が長いとうかがっているのですが。
西沢:僕が戻って来る直前、「日産180」が2002年にスタートしていて、2004年までに人財開発の領域で何をやるか、という骨格は決まっていました。2002年は次世代のリーダーの育成、2003年は部課長層のマネジメントスキルの向上、そして2004年は一般層の専門性の向上とキャリア開発だと。それらと並行して、一般層の人事制度はコンピタンシーを軸にした人事制度に切り替えることが計画されていて、2004年に実行される予定でした。僕が来たときは次世代リーダーを育成するための「グローバル・エグゼクティブ・トレーニング」をつくりはじめたところで、その第1回の合宿研修がはじまるというときでしたね。
しかし、新しい人財開発グループは10人いたのですが、トレーニングの仕事に1年以上の経験がある人は2人しかいなくて、ほかは2、3カ月前に中途採用されたか、僕と同じ時期に他部門から異動してきたか、それ以外は派遣スタッフでした。やることは決まっていても、やれる体制ではなかった。
だから、その体制づくりが僕の最初の仕事でした。まずは、人の数をそろえなければなりませんでした。それから、組織を整える必要があった。なにしろ、僕が来たときには課長がいなかったんですよ。部長がいれば、普通は課長がいるじゃないですか。新しく来た部長というのは、以前からいる課長がお膳立てしてくれるのに乗って、様子をみながら次の施策を考える。これが普通のスタイルでしょう。でもそのときは、課長はいないし、スタッフのほとんどが異動してきたばかり、という状況でした。
前屋:組織になっていないわけですね。それをどこから手をつけて組織にしていったのですか。
西沢:いろいろなプログラムをつくらなければいけなかったので、リーダーシップ系をやるグループ、ルノーとのアライアンスを促進するためのクロスカルチャートレーニングをやるグループ、そしてそれ以外のマネジメント・トレーニングをやるグループ、それから全体をコーディネートするグループをつくりたいと思ったのですが、最終的には3つのグループをつくり、それぞれに課長をおきました。人も増やし、10人だったのを20人にした。その体制が整ったのが2004年4月ですから、僕が来てからちょうど1年後でしたね。
組織の人数を倍にするのは、大変でした。当時は、そんなに簡単に人を増やせる状況ではなかったのです。「なぜ西沢のところだけ人を増やすんだ」とずいぶん言われましたが、気にしている余裕もありませんでした。やることは決まっているわけですから、それを片づけていくことのほうが僕にしてみれば大事でしたからね。
前屋:そのとき西沢さんも教育は初めてだったと。どのような役割だったのですか。
西沢:教育については素人でした。トレーニングの中身については、技術をもった人にまかせて、僕の役割は、人財開発の仕組みをつくるための組織づくりです。その組織づくりのために、社内から人を指名で引っ張ってきたり、新たに人を採用したり、ヨーロッパで一緒に仕事をしていた人に声をかけて来てもらったりもしました。社内の公募制もあったのですが、それで人を集める時間的余裕がなかったので、人財開発に興味ある人がいると聞いたら、すぐ面接して決めていきました。国内の大学のビジネススクールに自費で通って、ホワイトカラーの生産性向上を学んでいる社員がいると耳にして、すぐ会いに行ってみたりしたんです。アメリカのビジネススクールで人事を勉強していて、日本で就職を希望している女性がいると聞いて、すぐ電話で話して、口説いたこともありましたね。
前屋:でも、大変な状況にある日産にスカウトするのは、けっこう難しかったのではないですか。誰でも景気のいい会社に就職したいでしょうからね。
西沢:リバイバルプランが注目されていたし、カルロス・ゴーンも有名になって、収益もどんどん回復している時期でしたから、不安はもたれなかったですね。人財開発に情熱をもった人を集めましたから、僕は細かいことに口ははさみません。現在はシニアマネジャーの女性がいますが、ゴーンさんの側近をやっていた人ですけど、彼女に全面的に任せています。とにかく、女性ばっかりなんです。人財開発に興味もっているのは、女性が多い。男性で、人の育成に興味をもっている、という人は、あまりいないのではないでしょうか。自分のことには関心あっても、人をサポートしていくのは、男性は得意でないのかもしれませんね。新卒の面接をしていても、人事を希望してくる女性は口をそろえて「人財開発をやりたい」と言いますね。
昔の日産の人事部は日本国内のことしか考えていませんでした。
しかし今はグローバルに方向をまとめていこうと考えていますね。
前屋:名刺のお肩書きを拝見すると、人財開発担当と人事企画担当の兼任となっていますが、人事企画も最初からなのですか。
西沢:いえ、人事企画は2004年4月からですね。人財開発の体制をつくって、ようやく安定的に仕事ができるなって思ったら、兼務になってエライ目にあったわけです(笑)。人財開発だけで四苦八苦していたのに、「兼務なんてできるかな」と思いましたね。それでも、「チャレンジします」って答えましたけど(笑)。
人事企画グループの仕事は、一つは人事制度の企画、それから人事部門内のリソースマネジメント、つまり人事の組織をどうするか、ITシステムのインフラをどうするか、といったことを考える部署ですね。人事といっても、本社人事と各部門の人事、それからグループ会社の人事、海外のヘッドクォーターの人事があるので、人事企画グループでは、そういう人事部門内の方針をつくったり、部門内コーディネーションしたり、という仕事もします。
ここは昔に比べて大きく変わったところで、昔の人事は国内のことしか考えていなかった。しかも、日産自動車株式会社のことだけで、人事は海外の各リージョン、グループ会社でバラバラの方針でやっていたんです。それを今は、グローバルに方向をまとめていくということになっています。なんでもかんでも統合するのは意味がないし、不可能です。しかし、リーダー層の人事や育成とかヘッドカウントや労務費コストのマネジメント、グローバルにやっていかないといけないトレーニングなどは、統一する必要がありますね。また、適材適所に国籍や年齢、性別など関係なく配置する方針をとっていますから、一つのポストに国籍を超えた、さまざまな応募があったりする。それらに対応するためのシステムも必要でしょう。
もう一つ大きく変わったのは、海外人事部を2006年の4月に廃止したことです。日産が海外に進出し、日本人が駐在員として各地に出ていくので、海外人事部ができ、その給与を決めたり、現地の労働条件を決めたりしていました。つまり、出向者のお世話が中心でした。しかし、海外人事部があると、海外との接点は全部ここがやればいいという意識になってきます。人事部にはそれぞれ異動・採用や、評価・報酬などの部署があるのに、相変わらず海外については、海外人事部が窓口をやっていました。それ故、人事の各機能部署がなかなかグローバルになりきれなかったわけです。それで思い切って海外人事部を廃止して、海外出向者の異動は採用異動グループに任せ、評価は人事労務グループでやるように再編成しました。各グループは海外との接点をもってやっていかなければならなくなったわけで、大変になったということですね。
全員がカルロス・ゴーンを目指しても仕方がないと僕は思います。
マネジメントのほかにエキスパートの領域で貢献する人も必要です。
前屋:リーダー層の育成については、どういうふうに行われているのですか。
西沢:自動車メーカーの場合は商品が一つなので、各部門(ファンクション)が巨大で、部門を超えての異動は放っておくとなかなか実現しません。優秀な人は各部門が囲い込んでいて、その部門の中で偉くなっていく。開発なら開発の仕事しか知らないで副社長になる、ということもあるわけです。しかし、自動車ビジネスの全体を経営していこうとすれば、開発だけの経験でいいのかと言う疑問が残る。そこで、優秀な人財を発掘、登録し、部門の人財からコーポレートの資産にするわけです。こうなると部門はこの人たちの人事を勝手に決められなくなる。個々人に設定された「キャリアディベロップメントプラン」に沿って実際に配置していく。それをキャリアコーチが担当していますね。そしてそのキャリアディベロップメントプランとリーダーシップトレーニングをうまく組み合わせて、リーダーの育成をしているのです。
前屋:何歳くらいで、優秀な人材は将来のリーダー候補として登録されるのですか。
西沢:年齢は関係ありません。いちばん若い役員は43歳のときに就任しています。ただ外国人のエグゼクティブは、もっと若い。30代の役員もいます。
リーダー育成を進めるためには、日本の教育システムから見直していく必要もあると僕は思います。欧米のエリートは若いころから、エリートとしての教育を受けてきています。ゴーンもそうです。20代で工場長をやったりしている。日本では、ありえないですね。僕は20代のころ、毎朝、事務所の掃除をやっていましたよ(笑)。日本の会社はそのあたりから変えていかないと、優秀なリーダーは出てこないかもしれません。
前屋:ただ、リーダー候補として登録する制度ができると、社内的には誰がエリートコースを歩んでいるか、わかりますね。
西沢:オープンにはしていなくても、なんとなくわかりますよね。そこから自分がはずれていることがわかると、志気が落ちるのではないかといわれますが、全員がカルロス・ゴーンを目指しても仕方がないと僕は思います。大半は、エキスパートの領域で会社に貢献してもらいたい。そのあたりを、まだ人事の仕組みとして完成していないので、これからの課題です。
「エキスパート・リーダー制」という制度を考えているのですが、まずはエキスパートの領域とそのリーダーを決める。そして、その人を中心にエキスパティーズをどうディベロップするかということをやろうとしています。それとあわせて「マネジメント・タイプ・マネジャー」と「エキスパート・タイプ・マネジャー」にポストを分けようと。人を分けるわけではなく、ポストを分けるのです。そういうことをやるためのプロジェクトを今、進めています。
これまで日産自動車では、ゼネラルマネジメントができないと課長になれなかったので、最初は専門領域の仕事を一生懸命やるのですが、課長を意識したころから「管理能力がないとダメだ」と思って、そっちへ走る社員が少なくなかったと思います。マネジメントの道で生きていく人もいなければいけないのですが、全員がそうでは、エキスパティーズがおろそかになってしまうでしょう。ですから、エキスパティーズをディベロップする仕組みづくりをやろうとしているわけです。
前屋:日産では外国人の社員も増えていますね。それに伴って会社に変化はありますか。
西沢:自動車会社というのはピラミッドの組織で、しかも伝統的日本的な組織だったので、どっちかといえば軍隊的に「つべこべ言わずに、やれ」と言って仕事をさせる風土が強くあったと思います。しかし、現在では外国人も含めてバックグラウンドの異なる社員がたくさんはいってきていますから、かなりダイバーシティが進んでいる。もうモノカルチャーの時代は終わりました。だから「つべこべ言わずに、やれ」が通用しない。評価の仕方も、密室で決めるなんて現在ではありえない。オープンですよ。
いま日産の社内で、このダイバーシティ組織のマネジメントに苦しんでいる課長は、けっこういると思います。僕だって最初は苦しんだから。今は、吹っ切れましたけどね。組織の長になれば、チームのパフォーマンスを上げることを考えなければならない。パフォーマンスをあげるためには、どうするか。適材適所にメンバーを配置して、適切な仕事の与え方ができるか、その手腕にかかってきますね。組織のメンバーのモチベーションを高めてアウトプットさせるのが、リーダーとしての仕事なのです。
僕はコントローラー・タイプで、自分で何でもコントロールしないと、全部を知っていないと気が済まないというところがあるんです。しかし細かいことにこだわったマネジメントをするのではなくて、メンバーに方向を示し、仕事を任せ、結果を褒めて、部下をモチベートしながらアウトプットを上げていく。その繰り返しをうまくやることで組織として広い範囲の仕事ができるようになると思っているのです。私も苦しんだ時期があって、コーチングの研修を受けたりしながら、自分で考えていきました。大事なのは、自分自身がどうしたいのかということをしっかりと持つことです。自分自身でゴールを設定し、そこへ向けて何をするのか、そこに学習ニーズが生まれてくると思います。そういう一つの「学習する文化」を企業の中につくるのは時間がかかりますが、とても重要なことだと思いますね。
前屋:ありがとうございました。
インタビューを終えて 前屋毅
日産自動車は、危機的な状況からルノーとの提携を経て復活への道を歩きはじめた。その過程のなかで、会社自体が大きく変わりつつある。遅ればせとは言いながら、人事部も例外ではない。旧来の日本的製造業の人事部から、グローバル企業の人事部へ変わろうとしている。
人材開発に力を入れはじめているということが、その象徴のように思える。業績回復で余裕ができたからといって、人材開発はやるものではない。それをやらなければ、新しい日産で活躍できる人材を確保できないから、やるのだ。そういう人材を育てていかなければ、日産の未来もないからこそ、人材開発が必要とされているのだ。
中途採用などで必要な人材を確保する、という考えが一時期は通用していた。即戦力という考え方だ。育てるコストがいらないので、企業にとってはメリットのある方法だと思われていた。しかし、そうそう都合のいい話はない。いつでも必要なときに、必要な人材が確保できるわけではないのだ。
やはり、その企業にとって必要な人材は、コストをかけて育てていかなければならない。それでこそ、「人材」以上の「人財」になるのだ。それを目指しつつある日産自動車の人事部は、たしかに大きく変わってきていると言える。
(取材は2006年9月1日、東京・中央区の日産自動車本社にて)
まえや・つよし●1954年生まれ。『週刊ポスト』の経済問題メインライターを経て、フリージャーナリストに。企業、経済、政治、社会問題をテーマに、月刊誌、週刊誌、日刊紙などで精力的な執筆を展開している。『全証言 東芝クレーマー事件』『ゴーン革命と日産社員――日本人はダメだったのか?』(いずれも小学館文庫)など著書多数。