世界を唸らせる最高のおもてなしはこうして生まれる
“和”を重んじる、ホテルオークラ東京の人材開発とは
株式会社ホテルオークラ東京 管理部
糸正弘さん
「気をつけ」でわかる、ホスピタリティの素養
人材を採用し育成する具体的なプロセスについておうかがいします。選考においては特にどのような点をチェックされていますか。
接客がメインですから、やはり第一印象が大きいです。いくら学業優秀で発想が豊かでも、立ち方、歩き方、話し方といった基本的なところでお客様を不快にさせるような人は、残念ながら採用することは難しい。その部分が教育によって直るか直らないかも含めて、じっくりと見ます。先ほどお話ししたチャレンジングな姿勢や自立的に学ぼうとする前向きさといった資質については、過去の経験のヒアリングを通じて評価しています。もっとも、私の印象では、最近の若い世代は総じて保守的。能力はあるのに、欲がないのが気になります。弊社でそれなりの実力を身につけたいという思いはあっても、みんな、その先の志をあまり語ろうとしません。「総支配人になりたい」「本社へ行ってグループ全体の経営戦略に携わりたい」など…。
貴社の育成方針では、少なくとも入社後5年くらいまでは「基礎をかためる時期」と位置づけられています。人事としてはその間、若手社員にどういう支援を行われているのでしょうか?
OFF-JTとしては、入社直後の新入社員導入研修からはじまります。おそらく他社と違う点は、将来的に経営幹部を目指すジェネラリスト候補の人材も、調理職のようにスペシャリストとしてキャリアを積む人材も、配属先に関係なく、新人全員が入社式から導入研修までを一緒に経験することです。1週間の研修で共通して学ぶ内容は、オークラの経営理念や歴史、ホテリエとしての基本的なマナーなどが中心です。実際にホテルがどのようにして運営されているのか、どういう仕事があるのか、現場の雰囲気をできるだけつかんでもらえるように各セクションのスタッフを講師として呼んでプログラムを構成しています。導入研修を終えたら、それぞれの配属先に分かれて、現場でのOJTに移るわけですが、基本的には前年に入社した若手社員をコーチ役として新人につけます。
なるほど。それは教える側の勉強にもなりますね。
はい。自分が前年経験した苦労を後輩には味わせたくないと考えるか、あるいは同じ苦労をあえて経験させるのか、いずれにせよ、自分が1年間で学んだことを次の代に切れ目なく引き継いでいくのです。新人にとっても、前年まで同じ立場だった先輩の言葉は信憑性が高く、胸にすっと落ちるでしょう。それに何といっても、同世代だから話しやすい。私が若手だった頃のことを思い出すと、セクションの長やベテランのスタッフはそれこそ雲の上の人という印象でした。何か聞きたくても、直接話すことはできませんでした。部門や職種によっては、いまだに上下関係が厳しい縦社会がありますから、コーチ役の若いスタッフにはぜひ新人の心強い支えになってあげてほしいと思っています。
部門を超える“同期の絆”―― チームワークの育て方とは
導入研修の後は、OFF-JTも部門別・職種別に分かれて実施されるのですか。
定期研修では同期がたびたび顔を合わせます。たとえば導入研修を終えて各部門に配属された新人たちは、入社3ヵ月目にまた一堂に会し、フォローアップ研修を受ける。これは、3ヵ月間の学びを振り返って整理する機会であると同時に、同期同士がセクションを超えてコミュニケーションをとり、“横”のつながりを確認し合ってもらう仕掛けでもあるのです。研修後は懇親会などを行って、同期の絆をどんどん深めてほしいと思っています。1年次、3年次研修なども、そういうことを念頭に企画しています。いったん現場に入ると、誰もが大なり小なり厳しい職人的な世界で揉まれることになる。つらくてくじけそうなときもあるでしょう。でも、横のつながりがあれば自分だけが苦労しているわけじゃない、仕事は別々ですが、みんなもそれぞれ頑張っているのだと思えます。互いの存在が支えになって、孤立せずに済みます。そういう部門を超えた社員間の絆は、仕事上のチームワークの土台にもなる。ですから、基礎固めの時期にぜひ育ててほしいのです。
企業理念として掲げる「和」は、チームワークの大切さにもつながりますね。
はい。ホテルの運営にチームワークは絶対に欠かせません。お客様から見れば、ベルボーイも、フロントも、客室係も、スタッフはみんな同じオークラの人間。部門を超えてきちんと情報を共有し、全員が同じ思いをもっておもてなしできることが理想的です。たとえば土日になると婚礼が多いのですが、組織全体でコミュニケーションをとることで、直接携わっていないスタッフもロビーでそのようなお客様を見かけたら、「おめでとうございます」とお迎えできる。一体感のあるサービスでお客様に喜んでいただくためには、一にも二にもチームワーク、スタッフ同士の“和”が大切なのです。
逆にいうと、それだけ各部門間の疎通を図るのが難しいという面もあるのでは?
ホテルの各セクションは、自分たちの仕事に誇りと強いプロ意識を持っています。特にサービスを提供する部門などは上下関係も厳しい。ひと昔前まで、若手が他の部署へ交渉やお願いをしに行っても、なかなか相手にしてもらえませんでした。私も、あの伝説の小野ムッシュ(日本のフランス料理の礎を築いた初代総料理長の小野正吉氏)に口を聞いてもらえるまで、一年程はかかりました。「上司を呼んで来い、おまえじゃ話にならん」といわれました。そのようなとき、その部署にいた仲のいい同期が橋渡しをしてくれ、すごく助かりました。
ジョブローテーション制度も採用されています。
原則としてひとつの職場に約3ヵ月ずつ、1年間で料飲部門、宿泊部門、管理部門という三部門をローテーションし、ホテリエとしての基礎を固めます。各部門の管理職でも意外と人事や計数管理の知識に疎かったり、会社全体の状況が見えなかったりするのです。またスペシャリストとして道を究めようとしても、その分野の知識だけではどこかで限界がきてしまう。自分を成長させるためにも、そしてお客様にもっと喜んでいただくためにも、部門の壁を超えて視野とネットワークを広げる必要があります。合同研修もジョブローテーションも、一番のねらいはそこです。