ヤマト運輸株式会社:
現場の力で若手社員が育つ「ジョブローテーション制度」
人事総務部 人材育成課 課長
樽見 宏さん
ゆとり社員やシュガー社員が問題視される一方で、肝心の新入社員教育については、短期間の集合研修だけという企業が少なくない。そうした中、「宅急便」で知られるヤマト運輸では、2年かけて現場の主要な業務を体験する「ジョブローテーション制度」をすべての大卒事務新入社員に課している。「座学ではやりがいは伝えられない。仕事の本当の醍醐味は現場に出ないと味わえない」という人材育成課・課長の樽見宏さんに、その秘訣をうかがった。 (聞き手=ライター・平林謙治)
- 樽見 宏さん
- 人事総務部 人材育成課 課長
たるみ・ひろし●日本福祉大学経済学部卒業後、1994年に入社。入社時研修を経て営業所勤務。97年から2005年まで、滋賀県内で営業所長(現・エリア支店長)を務める。 滋賀主管支店メール便課長、関西支社運行担当マネージャーなどを経て、07年10月より人事総務部へ異動、人材育成課・課長として採用・教育の両部門を統括する。
ヤマト運輸の本分は、ただモノを運ぶだけの運送業ではない
平林:樽見さんは人材育成の責任者として、新人の採用から教育、キャリア形成の支援まで一貫して担当されています。そもそもヤマト運輸が求める人材像とは、どういうものなのでしょうか?
樽見:1931年に制定された弊社社訓の第一に「ヤマトは我なり」という言葉があります。ヤマトマンとは何か? と問われれば、この社訓を実行できる人という答えに尽きると私は思っています。お客様は、セールスドライバーであれ、サービスセンターの受付であれ、接客した個々の社員に「ヤマト運輸」を感じるでしょう。その応対が、ヤマトの応対になるのです。ですから限られたお客様との接点の中で、一人ひとりが精いっぱい相手の心に響くサービスを提供しなければならない。それには、何をおいても「人が好き」であることが大前提です。私たちの本分は、ただモノを運ぶだけの運送業ではなく、荷物と一緒に送り主の「想い」を届けるサービス業なのです。
平林:新入社員全員に、入社直後から現場の業務を一通り経験させる「ジョブローテーション制度」が御社の若手育成の大きな柱です。新人がいきなり宅配便サービスの最前線に立つのですから、たしかに「人が好き」でないとつとまりませんね。
樽見:そうなんですよ。ジョブローテーション期間中、新人は荷物の集配から電話応対、営業や人事まで、それこそ現場のあらゆる仕事を任されます。その中で地域のお客様に育てられ、先輩や仲間たちに鍛えられていくんです。もちろん私も経験しましたが、はっきりいって大変でした。最初は右も左もわからないし(笑)。でも振り返ると、現場での経験がいまの私のすべてですね。あのような経験がなければ、若手に何も教えられません。
平林:「ジョブローテーション制度」の具体的な流れについてお聞かせください。
樽見:大卒の新規採用は基本的に本社で一括して行っています。今年は全国で141名に内定を出しました。入社後は、まず各地のエリア支店に配属され、エリア内の宅急便センター(全国に6,151ヵ所)を回って実務を学びます。男女で業務内容の区別はほとんどありません。ドライバーに同行して荷受や配送を補佐したり、都心であれば台車を押して得意先へうかがったりもします。2年目になると、エリア支店を統括する全国69ヵ所の主管支店に移り、お客様対応を集約するサービスセンター業務や営業業務、パートやアルバイトの採用管理業務などの後方支援に回ります。
人材育成課として最低限これだけは覚えてほしいという内容は定めていますが、それ以外は上司の裁量にまかせている部分が多いですね。何を、どれくらい学ぶかは、本人の習得度や現場の忙しさ次第で変わりますから。2年間のジョブローテーションでみっちり現場経験を積んだ後、晴れて3年目に本配属となります。以前のジョブローテーション制度は3年間でしたが、社内組織の改編に伴って期間を短縮。若く、新鮮な感性を持った人材がより早くキャリアアップできる道筋をつくりました。
仕事を「点」ではなく「線」で理解するために
平林:人事戦略上のねらいはどこにあるのでしょうか?
樽見:同制度は1987年に開始されました。私自身は導入時の細かい経緯を知らないのですが、目指すところはおそらく当初から変わっていないと思いますよ。大切なのは、さまざまな業務を経験して「仕事のつながり」の大切さを学ぶことなんです。“点”である仕事は、一つひとつがつながり、“線”になって初めて完成する。自分がいま行っている仕事が何に影響し、どういう効果をもたらすのかを理解するジョブローテーションであってほしいと考えています。そのためには、お客様との接点である現場でのOJTが一番。そこには、ヤマトの仕事のすべてが集約されていますからね。大卒の新人には、とくに第一線のセールスドライバーの仕事ぶりを、間近でしっかりと見てほしい。自分たちがどうしてご飯が食べられるのか、その根本を肝に銘じることは、将来、会社の運営を担っていくための必須条件といっていいでしょう。
平林:「ジョブローテーション」というと、選ばれた経営幹部候補に中枢部門を歴任させ、スキルと人脈を蓄積させる、長期雇用を前提としたゼネラリスト養成のための人事施策というイメージが強いですね。しかし、御社では新入社員の育成プログラムとして導入されています。
樽見:「幹部候補の養成」という趣旨は弊社も同じなんですよ。違うのは、ヤマト運輸の理念が「全員経営」であり、「全員が幹部候補」だということ。つまり全社員で、会社を同じ目標に向かって動かしていく。だからこそ先ほど言ったように、点ではなく線で仕事を理解する必要があるんです。そこが分かれば、仲間を思いやる「お互いさま」の精神も自然と湧いてきます。社員個々の力の「和」が「協力・結束・調和」という企業としての力を生み出すことになるでしょう。素晴らしい現場体験を若いうちにぜひ味わってほしいし、また味わわせてあげるのが私たち育成担当者の使命だと思っています。
平林:なるほど。現場の「和」の力が若手を育てるわけですね。樽見さんの新入社員時代はいかがでしたか?
樽見:まったく見ず知らずの土地に配属され、最初は不安でいっぱいでした。そんな中、独り暮らしの不自由を案じて営業所の女性スタッフがご飯をつくってくれたり、同行したセールスドライバーが「おまえのために嫁さんがつくったんだ」といっておにぎりを差し入れしてくれたり、ありがたい思い出は数知れません。どれほど励まされたことか…。「人っていいなあ、チームっていいなあ」とつくづく実感しましたね。現場の仕事はハードだけど、とにかくまわりの人があったかいんですよ。だから本社に配属された人は、たいてい「現場に戻りたい」という。(同席された広報の方に向けて)社風として、そういうムードですよね? 私も人事に配属される前は10年以上ずっと現場を歩いてきましたから、その気持ちはよく分かります。
「見てくれている」という実感が若手の成長を促す
平林:御社のサービスが全国に拡大していく中で、現場における教育の質や人材のレベルを均等に維持するのは大変でしょう。人事部としては、現場に対してどのようなサポートを行っているのですか?
樽見:各主管支店の人事総務課に教育専任者を配し、緊密に連携をとっています。普段、社員に直接目を配り、相談に乗るのは教育専任者の役割ですが、全社的な教育方針の策定や教育専任者に対する研修は私たちが行い、きちんと意思統一をはかるようにしています。
また若手社員には、ジョブローテーションの進捗状況や今後のキャリアプランについて、本人と会社が一緒に考えるための機会を設けています。入社前の内定者研修、1年次追指導研修、2年次追指導研修など、計3回の集合研修を実施。そこで若手社員を採用した私たち人事部が直接一人ひとりを面接し、成長を継続的に見守るようにしています。
平林:集合研修時の若手社員との面接では、成長を確認したり、コミュニケーションをとったりするツールとして、御社ならではのユニークな資料が使われるそうですね。
樽見:「CATシート」と「アピールシート」ですね。前者は、個々の目標達成と各業務の習得状況を本人がセルフチェックし、所属長が確認するもの。「CATシート」の名称はCoach And Trainingの頭文字からとっていますが、もちろんネコに引っかけています(笑)。後者の「アピールシート」の中には、イキイキチャートというものがあります。これには自分がどんなときにイキイキし、どんなときにイキイキしていなかったか、モチベーションの変化を社員自身が時系列のグラフにして記入します。
平林:どういう効果がありますか?
樽見:面接する側が若手社員の成長や心の変化を確認できるメリットとともに、自ら記入することで彼らにとっても“振り返り効果”があるようです。業務に対する向き、不向きも客観的に判断できる。自分自身に対する気づきのきっかけですね。ある時期にガクッと落ち込んでいるグラフを見て、「こんなにつらいときも乗り越えられたんだから、きっと頑張れるよ」と励ますと、目を輝かせる新人も少なくありません。実際、現場にはひとりで悩みを抱えこんでいる社員がいます。話を聞くと泣きだしてしまったり…。いまの若者は私たちよりも寂しがり屋な面があるし、とくに地方に配属されるとどうしても不安になりますからね。だからこそ面接では、彼らの声に丁寧に耳を傾けて、私たちが常に公平に見守っていることを実感してもらえるよう心掛けています。
平林:若手も悩むでしょうが、受け入れる上司や先輩の側も、現場の最前線で「教育」と「業務のパフォーマンス」の両立を求められて大変ですね。
樽見:その通りです。でも、そんな上司の苦労や努力にまで、若手社員はなかなか思いがいたらない。そこで集合研修の最後に、直属の上司が書いた「上司からの手紙」を一人ひとりに手渡します。サプライズだから、もらった若手社員はたいてい感動しますよ。上司だって普段は忙しいし、手取り足取り教えている暇もないのが現実です。黙って自分の背中や働きぶりでお手本を示すしかない。上司によっては、言葉が足らず、誤解から若手社員の不満を招くこともあるでしょう。だからこそ、どういう意図で自分を指導してくれているのか、手紙という形であらためて言葉にされると嬉しいし、「やっぱり自分を見てくれているんだ」という特別な絆を実感できるのです。“見てくれている”という実感がもてれば、若手社員はモチベーションを刺激され、成長も早まるのではないでしょうか。
私は、現職への異動を知ったとき、誰かが自分を評価してくれているのだと強く感じました。それまでは関西支社で運行業務のマネージャーをしていて、人事部はおろか、本社勤務さえ希望したことがなかったのですから。「自分をちゃんと見てくれている」――この信頼関係がヤマト運輸の人事の本質であり、若手社員の離職率が低く抑えられている最大の理由だと思います。
自ら手を挙げる、それがキャリアアップのスタートライン
平林:ジョブローテーションを経て本配属になった後の、若手社員のキャリア形成についてお聞かせください。
樽見:大卒新人の場合、主管支店スタッフやエリアアシスタントマネージャーとして配属された後、役職候補者としてのOJTを経験します。その後、試験に合格すれば、役職者(エリア支店長か主管支店の課長、本社の係長)への登用の道が開けます。さらに本社および支社で経営役職候補者として研修を重ね、早ければ12~13年目ぐらいで経営幹部(主管支店長か本社の課長)に昇進、というのがキャリアイメージですね。
現状では、最も早いケースだと30代半ばで本社の経営幹部や主管支店長の任に就いている社員がいます。できるだけ若い才能を登用していきたいというのが会社としての方針ですが、チャンスはただ待っていても掴めません。弊社では、すべての登用システムや教育・研修制度に参加する資格はただひとつ。本人の立候補が大前提です。もちろん選考はありますが、やる気さえあればキャリアアップの機会は平等に与えられる。自ら手を挙げて、有言実行でキャリアをつくりあげていくのがヤマト運輸のルールです。
平林:そのやる気を若手社員から引き出し、キャリアの土台を固めさせることにジョブローテーションの意義があるわけですね。
樽見:新人時代にいただいた先輩方からの励ましや、お客様からの「ありがとう」という言葉は、いまも忘れられません。それが私に「ヤマトは我なり」という意味を教えてくれました。ジョブローテーションを通じて一人でも多くの新人や若手社員に、厳しいけれども楽しい、「現場の感動」を体験してもらいたいと願っています。
人材育成課・課長の樽見さん(右)と、広報課の大島さん(左) (取材は2008年11月4日、東京・中央区銀座のヤマト運輸本社にて)