第一志望の企業をあきらめきれない人材
入社後に上司の退職を知らされた人材
あってはならないことですが… 入社後すぐに退職してしまう人たち
候補者に内定を出し、無事入社すれば採用活動は終了する。しかし、その採用が成功だったかどうかは、しばらく働いてからではないと分からない…というのが一般的だろう。ところが、中には「しばらく」どころかあっという間に退職してしまう人材もいる。ひょっとしたら最初から計画的だったのではないか、と思える人も…。
入社日の昼休みにいなくなった
「Kさんがいなくなった? 昼休みに出ていったきり、姿が見えなくなったんですか…それはどういうことでしょうか?」
私は思わず聞き返してしまった。午前中に電話した時には、「Kさんですね、ちゃんと出社されていますよ。今はミーティング中です」という話だったのに。
Kさんはこの日が入社日、つまり転職初日だった。朝は普通に出社したが、午前中のオリエンテーション兼ミーティング後の昼休みに、急にいなくなったというのだ。
「初日ですからね、一緒にランチに行きませんかと誘ったんです。でも、銀行に行く用事があるから…といって一人で外出されたんですよ。それっきり帰ってきません…」
採用した企業の人事マネジャーも呆れたといった口調だ。それから急いでKさんの携帯や自宅の電話に連絡したが、もちろんつながらない。翌日もKさんは行方不明だった。心配になった私はKさんの履歴書に書かれていた住所へ出向いてみたが、アパートには鍵がかかっていて不在だった。
初日の昼休みにいなくなって、翌日も無断欠勤である。採用した企業からも、「この話はなかったことにしたい」という連絡がきた。それ以来、Kさんと連絡がとれることはなかった。
ここまで極端な話ではなくとも、入社後数日で退職してしまう人は、時折出てくるものだ。
「聞いていた仕事内容とあまりにも違う」「長時間残業が常態化していて、社内の雰囲気がとても悪い」などと本音を話してくる人もいれば、企業や人材紹介会社を気遣ってか、「田舎の親が倒れて、急に家を継ぐことになりました」「持病が悪化して、しばらく入院することになりました」といった、仕事とは関係ない理由を挙げて退職を伝えてくる人もいる。
いずれも、入社前にはまったくそんな気配や迷いを感じさせなかった人たちである。
入社後に第一志望企業に内定したら…
せっかく入社した会社をすぐ辞めるのだから、何か大きな理由があるのは間違いないだろう。
「転職者に甘さがある場合もあれば、企業に問題があるケースもありますよ」
こう話してくれたのは、自社で採用した人材にやはり数日で辞められたことがある人事のM係長だ。
「企業に問題があるケースは、業績不振で巻き返しを図っているような部門での欠員募集の場合が多いですね。厳しい社内状況をそのまま伝えたら誰も入社してくれないと思って、面接の時にはいい話ばかりしてしまうんです。当然、入社後はギャップを感じるでしょう。とんでもないところに入ってしまった、でも今ならまだ脱出できるんじゃないか…と、急に退職してしまうケースがありますよ」
もう一つは、「かけもち応募」のケースだという。
「第一志望の企業の選考結果が出るのが遅れている、そのうちに第二志望の企業の入社日がきてしまった…という場合ですね。普通なら第一志望の企業に辞退の連絡を入れてから、第二志望の企業に入社するでしょう。一定の期日までに結果が出なかった時点で、縁がなかった…とあきらめるものです。しかし、中にはあきらめきれない人もいるのです」
そういう人の場合、第二志望の企業に勤め始めた後でも、第一志望の会社から採用通知がきたら、乗り換えてしまうという。
「本人は悪いと思っていませんからね。どんな人事担当者や人材紹介会社でも見抜けないですよ。たしかに転職は人生の一大事ですから、何としてでも自分の希望を貫きたいという気持ちも分からなくはないですが…」
M係長自身、どう見ても病気とは思えない人から「急病で入社を辞退したい」という連絡が入り、そのまま退職になった事例を経験しているという。入社後すぐの急な退職には、そんな転職の「裏ワザ」が使われているケースがあるのかもしれない。
入社早々、目標にしていた上司が転職!
入社の決め手は人によってさまざま。中には「こんな人と一緒に働きたい」と直属の上司の印象の良さで入社を決める人も少なくない。上司から自分にはないスキルや経験を学びとって成長したい──そんな気持ちはよく分かる。しかし、実は自分が上司となるはずだった人の「後任」として採用されていたとしたら…かなりのショックを受けるのは間違いないだろう。
これってよくある話なんですか?
「実は私、今度転職することになったんですよ…」
転職希望者の相談ではない。取引先企業であるB社の総務部長から、突然聞かされたのだ。しかし、私も転職の支援をする者として、それだけでは驚かない。驚いたのは、B社ではほんの1ヵ月前にNさんという人材を採用していたからである。それも総務部長の直属の部下としてだ。
入社前にNさんは私にこう話してくれた。
「B社に内定して本当に良かったです。特に総務部長のDさんが素晴らしいんですよ。総務・人事だけじゃなく、経理も分かっていますし、上場企業でのご経験もあるんですよね。あの方と一緒に仕事ができたら、私もすごく成長できるような気がします。本当にありがとうございました」
そう、NさんはD部長の下で働けるから…という理由でB社を選んだようなものなのである。私はおそるおそる訊いてみた。
「NさんはD部長が転職されることは、もうご存知なんでしょうか?」
D部長はちょっと苦笑いしながら、昨日伝えたところだ…と言った。
「もちろん驚いてましたよ。でも、私の後任ということで、課長に昇格させるように役員には了解をもらっています。彼にとっては逆にチャンスだと思うんですよ」 その直後にNさんにお会いした。やはりショックは隠しきれない様子である。
「こういうことってよくあるんですか? D部長が尊敬できる上司だと思ったから入社したのに、1ヵ月でいなくなるなんて信じられないですよ。それに私は人事の経験しかないですから、D部長がやっていたことを全部引き継げと言われても正直なところ不安です…」
経理の担当には別に経理課長がいるというが、将来的にはそちらもNさんに任せたい…と言われたのだそうだ。
その話、いつ決まったんですか?
「やはり、もう一度登録させて下さい。すぐに転職するかどうかは分かりませんが、準備だけはしておきたいんです」
1週間後、Nさんから再転職のための登録手続きをしたいという連絡がきた。D部長の転職の話を聞いた時から、ある程度は予想していた展開である。
B社との契約では、Nさんが早期に退職すれば人材紹介手数料の一部を返金しなければならない。私にとっては痛い話だが、Nさんの気持ちを考えれば嫌とはいえない。それに、そんなB社を紹介したのはこの私。責任を感じていた。
「ところで、この話をD部長から聞かれたのはいつでしょうか?」
Nさんは、私がD部長の転職を知っていて黙っていたのかもしれないと考えているようだった。私はつい1週間前に聞いたばかりで、正直驚いていると話した。
「そうなんですか。私もあの後、さらにD部長と話をしましてね。最初から自分の後任を募集するつもりで人材紹介会社に依頼していたと聞いたものですから…。今の私のポジションを募集する前から、D部長自身の転職先はもう決まっていたようです」
さすがは百戦錬磨のD部長…と私は心の中で思った。外資系企業などを何社も経験してキャリアアップしてきた人物だけに、後任の人材がいない状態だと会社との退職交渉が難航するケースがあることも熟知していたのだろう。
「そんな話を聞いて、D部長だけでなく会社全体への不信感が生まれてしまいました。私の最終面接を担当した役員も、D部長が転職することは知っていたようです。それなのに、一言も言ってくれませんでしたからね…」
企業側としては「退職に伴う欠員募集」では採用しにくい…と考えたのかもしれない。激務になることが予想される総務部長の後任ではなく、単に増員とした方が採用しやすいと考えて、わざと情報を出さなかったのなら、人材紹介会社としては知りようもない。
「今回は申し訳ありませんでした。でも焦って退職を急がないで下さいね。もっと良い転職先があれば移る…というスタンスでいきましょう」
Nさんは「そうですね…」と力なくうなずいた。D部長が言うように、Nさんがこの災難を転じて福となしてくれればいいのに、と心から願わずにはいられなかった。