田中潤の「酒場学習論」【第23回】
秩父「Shu Ha Li」と、移住・ワーケーション
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
先日、生まれて初めて秩父の街に降り立ったのですが、たちまち好きな街になりました。街歩きして気づいたことがあります。とても魅力的な建造物が多く、しかもいずれも現役で使われているのです。街歩きの楽しみが増します。そして、不思議とホルモン屋が多い。地元の方に聞くと、石灰石の採掘のために九州からの労働者が多数移住し、その方々が特に労働後に好んで食べたのが発端だとか。
そして、素敵なバーも多い。イチローズモルトの影響なのか昔からなのかはわかりませんが、バー・ホッピングができる街です。どのバーも酒場も、都内ではなかなかお目にかかれないような種類のイチローズモルトがカウンターやバックバーに居並びます。バーにはのべ5軒しかお邪魔できませんでしたが、カクテルよりもウイスキーを呑んでいる人が圧倒的に多いイメージです。他エリアから来た人がイチローズモルトを呑んでいるからかもしれませんが。
このときにお邪魔した一軒が、バー「Shu Ha Li」です。秩父神社の参道から一本入った情緒あふれる黒門通りに面する酒場です。秩父はもともと養蚕業が盛んな街であり、その頃に規格外の繭を活用して作った太織といわれた野良着が起源だという「秩父銘仙」。全国の商人がそれを求めて訪れた「秩父銘仙」の販売出張所として使われていた昭和初期の風情あふれる長屋風の建物、その一角に「Shu Ha Li」はあります。夕暮れどきから夜の帳(とばり)が完全に降り切るくらいの時間帯には、この外観をアテに果てしなく呑み続けたいと感じるくらいの魅力があります。
店名が二つ書かれているのですが、もともと別場所にあった「Liebe」という秩父の文豪たちが集ったバーを継承したので、その名も残しているとか。今は女性バーテンダーである小松穂波さんが一人で切り盛りされています。暗過ぎず明る過ぎずといった照明と、穂波さんのお人柄から、女性一人客でも入りやすいバーです。カウンターとバックバーには、やはり多様な種類のイチローズモルトが並びます。
門外漢でも秩父の街に二日いると、それなりには詳しくなってきます。とても話しやすい穂波さんですが、それもそのはずで、秩父のコミュニティFMである「ちちぶエフエム」でパーソナリティとして数番組をもっておられるとか。「Shu Ha Li」の前のお仕事も実に意外なお仕事で、とてもマルチな方です。訪問時は酒類の提供が19時までと制限のある時期でしたが、いずれ制限が撤廃されたら、ゆるゆると「Shu Ha Li」を始めとした秩父のバーで、気ままなはしご酒をしたいものです。
秩父に訪れたのは、日本キャリアデザイン学会の仕事のためでした。日本キャリアデザイン学会では研究大会の他にもいろいろな企画があり、その一つである「キャリアデザイン・ライブ」に私も担当として名を連ねさせていただいています。堅苦しい場ではなく、ライブ感あふれる場でさまざまな角度から、キャリアについて考えよう、という趣旨の企画です。
このときの「都会⇔田舎でキャリアを考える~秩父からの発信」と題した企画はコロナ以前に企画され、もともとは秩父に集まって開催する予定でした。しかし、企画した昨年は開催を見送ることとなり、一年延期した今年は悩んだ末に主催者だけが秩父に入り、そこからオンライン開催する形をとりました。
東京からほどよい距離の秩父。この地に移住した方、Uターンした方、いろいろな方が地域経済を支えています。また、ここにきてテレワークが普及したことにより、秩父に住んで東京の企業で働いたり、秩父でワーケーションしたりと働き方の選択肢も広がってきています。東京が日帰り圏内である立地は、いろいろな可能性を秘めています。今回の企画の前半では、学会の担当者が秩父の街に散って、各地から秩父を紹介するという趣向を入れたのですが、私は「Shu Ha Li」にご無理をいって昼間に開けていただき、バーからの中継を担当しました。
私のまわりでも、この一年間で東京を離れて地方都市への移住を決めた人が複数います。通勤の概念が消失することにより、さまざまなチャレンジが可能になりました。私のいる会社でも、一部の部門では従来のエリア別組織を業務別組織に変えたことで、一つの課に東京の社員も大阪の社員も当たり前のように所属するようになりました。また、福岡の社員が転居せずに東京の部署に異動する案件も出ています。経験者採用の際には、国内であれば居住地不問を打ち出す案件も出てきました。コロナ以前から考えてはいた施策ですが、この1年半で一気に加速しました。
働き方の歴史をたどってみましょう。第二次産業の発展により、農村から都市へと労働者が集められ、職住一致・職住近接の生活が崩れ、通勤という概念が生まれました。多くの労働者が被雇用者となり、家族の住む家から離れた工場やオフィスで働くのが当たり前になりました。農業や個人商店では、親が働く姿を子供は常に見ていましたが、子供の労働観を養った意義は小さくないでしょう。そして今、テレワークにより職住一致が戻ってきました。次の世代の労働観にこれはどのような影響を与えるのでしょうか。
秩父のバーのカウンターでイチローズモルトをいただきながら、これからの働き方に想いを馳せます。私たちは今、本当に大変な災難の中で生きています。しかし、その先には新しい多くの光があるはずです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。