「違法収益剥奪」と「ダイバシティ」で
企業の経済犯罪を防げ
金融庁 総務企画局 企画課 信用制度参事官室課長補佐
弁護士
森雅子さん
上場廃止になった「西武鉄道」や「ライブドア」、経営トップと公認会計士らが逮捕・起訴された「カネボウ」、一酸化炭素中毒事故を隠して営業を続けていた「パロマ」など、大企業の経済犯罪が相次いで発覚しています。昔は「清濁あわせのむのがカイシャだ」などと言われたりしましたが、今の時代、そういう倫理観の欠けた、古い常識に凝り固まった企業には、国民から厳しい目が向けられるはずです。それなのに、なぜ、経済犯罪を犯す企業が後を絶たないのか。企業側の常識と社会の側の常識の間に「ズレ」が生じているのでしょうか。企業の経済犯罪の原因と対策について、弁護士から行政の世界に飛び込んで活躍する森雅子さんに聞きます。
もり・まさこ●1964年生まれ。福島県出身。東北大学法学部卒業後、95年に弁護士に。日本弁護士連合会消費者問題対策委員などを歴任。99年に日弁連の推薦で米国に留学。ニューヨーク大学ロースクール客員研究員などを経て、2000年に森雅子法律事務所を設立。2005年3月から金融庁総務企画局企画課信用制度参事官室課長補佐に。専門は消費者法、犯罪収益吐出制度など。
経済犯罪を犯した企業に対する「おしおき」がない
2002年の雪印食品や2005年のカネボウ、2006年のライブドアやパロマなど、大企業の不祥事が相次いで発覚しています。その内容を見ると、雪印食品は輸入牛肉を国産牛肉と偽装して助成金をだましとったり、カネボウやライブドアは会社の決算を不正に操作したり、パロマに至っては死亡事故まで起こしながらそれを隠して営業していたり、経済犯罪が目立ちます。
規制緩和の流れの中で、最近ではレギュレーション(規律)に反対する声が強いですが、私は、すべてを規制緩和してうまくいくとは思いません。とくに企業に対しては、そのことを強く思いますね。企業は自分がハッピーになるために利益を追求しますが、自分だけではなく、ステークホルダーからエンドユーザーの人までを含めてハッピーにならないと、結局、最後は壊れてしまうのです。企業がそうならないために、何が必要なのか。先日、経済産業省の産業構造審議会の委員と議論したのですが、その委員は「必要なのはレギュレーションとエデュケーションとインフォメーションのハーモナイゼーションだ」と。それは私も同感です。
大企業の経済犯罪が多発するのは、それらがないから、ということですか。
はい。日本では企業に対する制度的な根幹がきちっとできていないことが、経済犯罪が多発する大きな原因だと思いますね。とくに、レギュレーションについて言えば、経済犯罪を犯した企業に対する十分な「おしおき」がない。だから同じことを繰り返してしまうんです。
「刑務所に入る」という「おしおき」があるじゃないかと思われるかもしれませんが、経済的な犯罪というのは普通の犯罪とは違って「利欲犯」です。お金が欲しいから、利益を上げたいから、やる。そういうことをした経営者や社員を逮捕・起訴し、刑務所に行ってもらっても十分なおしおきにはなりません。刑事罰を科したうえで経済的苦痛も与えることによって「もう二度とやらない」となるんですね。そうすれば、他の人にも「経済犯罪は、やり損なんだ」と知らしめることができます。ところが、今の日本では奇妙なことが起きていて、経済犯罪を犯した人が逮捕・起訴され、有罪になっても、その犯罪で得た収益はその人に戻るんです。
ライブドアも村上ファンドも、経営トップが逮捕・起訴されたけれども、収益は企業がそのまま持っている。
そう。企業が違法な方法で上げた収益は全部、剥奪されるのが当然でしょう。それが、そうなっていない。「違法収益剥奪」ということにならないといけないわけですが、この話を私がすると、みなさん、「当たり前じゃない」「そんなの昔から言われていることだ」「この日本でもあるはず」と言う。でも、今のところ日本には、違法収益を企業に吐き出させるための制度がないのです。2006年6月に組織犯罪処罰法が改正されて、犯罪収益を剥奪して被害者に返還する制度がはじめて導入されましたが、一部の犯罪について、一部の被害者に、被害額の一部しか戻されません。
2005年にスタートした「課徴金制度」では違法収益の剥奪も明記されていますが。
課徴金制度は、ちょうど私の金融庁での最初の直属上司が、素晴らしい方なのですが、その方が中心になってつくった制度。日本で初めての制度です。それによって、たしかに違法収益剥奪もできるのですが、金額は全体的に低いということが言われていますね。刑法上の罰金や没収もあるのですが、これまた金額は低い。今の日本では、経済犯罪者に対して、その行為に相当する経済的な苦痛を与えることができるかというと、できない。有罪になっても、違法収益が犯罪者の手元に戻る現状は「犯罪のやり得」です。
損害賠償訴訟で勝っても被害者にはお金が戻ってこない
企業の経済犯罪を防ぐためには、犯罪に相当する経済的な罰を与える制度もつくらなければならない、ということですね。
そうです。それは規制緩和に逆行するように見えるかもしれませんが、企業に対する規律の中にかちっとした罰則規定もあって初めて規制緩和なのだと、私は言いたいですね。経済犯罪を犯した企業は「ごめんなさい」と言って違法収益を吐き出す。それは当たり前だ、という社会にならないといけません。
そして、そこからもう一歩進んで、企業が違法に得た収益は全部、被害者に返還してもらいたいと私は思います。現行の日本の法制度では、裁判所が犯罪者に違法収益をいったん戻したうえで、被害者はその犯罪者に対して民事裁判を起こして、損害賠償を請求できることになっています。でも、実際、それはかなり難しい。民事裁判を起こす被害者はわずかです。
なぜでしょう?
企業の経済犯罪でいちばん被害を受けるのはエンドユーザーです。エンドユーザーというのは非常に力が弱い。企業には立派な法務部があり、法務部の中には弁護士もおり、いざ裁判となってもすぐに戦える。ところが消費者(エンドユーザー)のほうは、高いお金で弁護士を雇わなければいけないし、どの弁護士を選択すればいいかの知識すらありません。裁判に臨むための準備一つをとっても力の格差があるわけです。
それに、今の日本では、企業が違法に収益を上げてもそれを簡単に隠せるようになっているんですよ。私が弁護をしたところで、誰が裁判を起こしたところで、企業が隠したものを民間人である弁護士や被害者が探し当てるというのは非常に困難です。ほとんど不可能。警察なら捜査権限があるのですが、弁護士にはそんな権限はありません。だから被害者側は裁判を起こし、やっとのことで勝訴判決を得ても、お金がどこかに消えていてわからない、ということになるんです。マネーロンダリングをされて、スイスの銀行に隠されたりすると、どうにもなりません。
経済犯罪を犯した企業に勝訴しても、違法収益が被害者に全額戻るというケースは少ない、と。
そんなケースはごくわずかというか、ゼロに近いと思います。勝訴判決はとれるんです。とくにマスコミで違法性が広く知られた事件では、被害者が企業に勝つことが多い。私が弁護した事件で言えば、ダイヤの買い取り商法で宝石を売りつけた「ココ山岡事件」では、ココ山岡は破産。お金がどこかに消えていて、被害者の手元に全額は戻ってこない。クレジットカードの残債務だけは裁判によりなくなりましたが。
でも私が弁護した中で、1件だけ、100%に近く被害者にお金が返ってきた事件がありました。犯罪者がお金を返したんじゃないんです。悪いことをした本人じゃなくて、悪いことをした人を番組の中で紹介したテレビ局がお金を支払ったのです。
中国人の詐欺師が、不治の病に苦しんでいる患者や家族に近づいて、「西洋医学では治せないけれど東洋医学の神秘で治しますよ」などと言って、高額の治療費をだまし取った悪質な事件でした。歯医者さんとか校長先生とか、詐欺に引っかかりそうにない人たちでも、たくさんお金を取られていました。自分の家族のためだと思うと、わらにもすがる気持ちになるのでしょう。中国人の詐欺師は儲けたお金を地下銀行へ流してしまい、さっさと帰国したわけです。
私たちは勝訴判決をとりました。だけど、詐欺師からはお金は戻ってきません。詐欺師が地下銀行へ流しているわけですからその財産の行方はわからなかった。ところが、その被害が拡大した背景には、あるテレビ局がその詐欺師と提携するようなかたちで長時間のスペシャル番組を放映していたことがあったんです。サクラの人を使って、半身不随の人が詐欺師の治療で突然、立ち上がったりするような場面を放映した。画面の下には詐欺師への問い合わせ番号も出ていました。それを見た人が詐欺師に連絡して、500万円、1000万円と払ってしまったのです。これはテレビ局にも責任があると、私たちは裁判に訴えて、それを裁判所が認めて、テレビ局が被害者に和解金というかたちでお金を払った。被害者がお金をほぼ全額返してもらったというケースは、これ以外に私は知りません。
出産・育児を経験した女性が経済犯罪を防ぐ存在となる
アメリカでは、行政が原告となって、経済犯罪を犯した企業を相手に損害賠償請求の裁判を起こし、その判決によって違法収益を吐き出させて被害者に分配する、という制度があると聞きました。
ありますね。私は2000年にニューヨーク大学のロースクールに留学して、そこで消費者保護の研究をしたのですが、ニューヨーク州とニューヨーク市というのは、世界中で最も消費者保護が発展している都市のひとつと言われるところなんです。
ニューヨーク州では司法長官事務所――州政府と検察を一緒にしたようなところで市民からの相談を受けつけ、また、ニューヨーク市では消費者保護局に弁護士が大勢いて、多数の相談に応じています。そして、その事案に応じて、行政が原告となって企業に違法収益を吐き出させる制度を活用しています。この制度は税金で行っているので、市民が相談に訪れるのも無料、そこにいる弁護士に頼んで裁判を起こすのも無料なんですね。こうして行政が経済犯罪の企業に違法収益を吐き出させて「だまし損」とすることで、同じような被害が出ないようにしているわけです。
州レベルを超えて全米レベルに被害が拡大した経済犯罪の事案では、「連邦取引委員会」(FTC)という、日本で言えば公正取引委員会みたいなところが原告となって損害賠償請求を起こし、違法収益を剥奪し、被害者に分配します。FTCのほかにも、証券取引委員会(SEC)と法務省と弁護士会も違法収益を剥奪する制度を持っています。SECは証取法違反に問われた企業に対する収益剥奪制度を持ち、これは日本の金融庁の課徴金みたいなものですね。また、法務省は刑法違反に問われた企業から違法収益を没収し、被害者に返す。さらに、弁護士会はクラスアクションの損害賠償請求訴訟を起こし、1人が大勢の被害者を代表して違法企業を訴える。そしてバーンと取り戻した違法収益を被害者全員に分配するわけです。
このようにアメリカでは、市レベルから州レベル、連邦レベルまで、また行政から司法、民間まで、さまざまな段階で経済犯罪を犯した企業に違法収益を吐き出させる仕組みができあがっています。企業にしてみれば、「悪いことをすれば大損をする」というメッセージになりますから、強い抑止効果があるはずです。これらと同じような制度が日本にあったら、たとえば雪印食品などのひどい経済犯罪は起きなかったのではないかと、私は思うんです。
日本では、企業に対する「ソト」からの規律づけがないことが、経済犯罪の多発につながっているということですね。では経済犯罪を犯す企業はその「ウチ」にどんな原因を抱えているのでしょうか。一流の大企業なら高学歴の優秀な人材がそろっているはずなのに、なぜ組織ぐるみで悪事を働いたりするのか、不思議です。
それは、企業の本来持っている性質にも一因があるかもしれません。企業というのは利益を追求しなければ成長できないものですから、経営トップは永続的に利益を上げていく責任がある。そうなれば、利益を上げるんだ、この方法だと、経営トップが決めたら、それに何も言わずイエスと従ってくれる、一緒に走ってくれるイエスマンが大勢いるほうが、企業にとっては好都合。イエスマンが少ないと企業は利益を追求できない。これは一つの真実です。そういう経営トップとイエスマンの組織で成長してきたというのが、戦後の日本企業でもあったと思います。ところが、それでいい方向に、トップが何の間違いもなく決断をしているときはいいのですが、トップの決断がいったん道を外れてしまったときには、イエスマンばかりの組織では修正がききません。「ちょっと待った」と言える人が組織にいないと、トップが間違ったときの軌道修正ができないということですね。
雪印食品の牛肉偽装の事件では、経営トップが間違ったというよりも、現場の社員が間違ったことをしているのに、それをトップが知らなかった、という状況でした。
経営トップが知らなかったということは、トップまで重大な情報が上がっていなかった、ということですよね。そういう組織の仕組みじたいが犯罪の大きな原因となったわけです。トップが確信犯的に違法なことをしている場合も、末端の社員たちが違法なことをしている場合でも、それを見て「ちょっと待った」と言える人がいないと、組織の致命傷になりますよ。
しかし会社組織の圧力に屈することなく「ちょっと待った」を言うのは難しいように思います。
会社の違法な行為には、断固「ノー」と言ってもらいたい。しかしそれは、言うは易く行うは難しだと承知していますが、では、どうしたらいいのか。私は、ダイバシティの思想を組織に入れることが大事だと思っています。イエスマンばかりの組織ではなく、多様なバックグランドの人をそろえた組織にするのです。
たとえば、出産・育児のために一度会社の外に出た女性をたくさん再雇用していく。これは自分自身が出産・育児の経験をして、仕事から一時的に離れた経験をしたから確信があるのですが、いったん立ち止まって世の中を見ると、本当の意味でエンドユーザーの顔が見えてくるし、その気持ちもわかってくるんです。私も両手に電話を持って秒刻みで依頼者の相談に乗っていた日常から離れたら(笑)、依頼者の気持ちがわかって、依頼者の立場で活動することが大事だと改めて気づきました。企業は、そんな経験のある女性たちを何%か配置すれば、組織が本来の社会の姿に近づくでしょうし、それでエンドユーザーやお客様のためにすべての活動をしようという方向へ傾いていくと思うんです。となれば、経済犯罪は減っていきます。
ダイバシティで女性を採用するというと、女性のためになるとか、社会福利であるとか、そういう視点で見られることが多いですよね。そういう視点もありますけど、そればかりじゃなくて、出産・育児を経験した女性というのは、企業のために、経済犯罪の防止になるんですよと私は言いたいのです。
逆に言うと、会社組織にどっぷり漬かり、目先の利益ばかりを求めている男性だけでは、危険なイエスマン集団ができやすいと。
そういう傾向はあるでしょうね。俗に言われますけど、女性のほうが正義感は強いと思いますし、それから女性のほうが裏表なくものを言いやすいとも思います。逆に、女性なりの弱点もありますけど、その2つの長所を企業は上手に活用することだと思いますね。また、女性に限らず、ダイバシティの観点からいろいろな人たちを入れていくということは、大事なことですよ。1人の人間を取ってみても、それまでの人生の中でたくさん辛い思いをしてきたり、逆境の中を伸びてきたりした人というのは、ここぞというときに正しい意見を言いますし、トップと違う意見でも勇気を持って言う傾向にあると思います。それは女性だけではなくて、身体的な障害を持った方も同じような長所があると私は思っています。
会社の行為を「人としての常識」で判断してほしい
自分の会社が違法なことをしているかどうか、それを知るためには法律の知識が必要です。そもそも、日本の会社員は法律の知識が十分にあるでしょうか。
全然ないと思います(笑)。ただ、たとえば牛肉を偽装するのは悪いことに決まっているでしょう。本当に問題になるケースというのは、社会常識で判断できます。そもそも、法律は難しいという人が多いけれど、そんなことはなくて、みんなが安全・安心に暮らしていくためのルールなんです。家族のルールや学校のルールと何ら変わりません。それが難しい言葉で書かれているだけで、その内容を突き詰めてみれば、全部常識からつくられていることですよ。
だからまず、会社の行為は常識で判断してほしい。会社の中の常識ではなくて、人としての常識、小学校の道徳の時間にやったような、そういう常識で判断してほしい。そうすれば、会社のやろうとすることに対して、おのずと答えが出てくるはずです。
会社の常識に染まると、間違った答えが出てくるかもしれない。
そう。もともと自分が持っていた常識にブラインドがかかったり、正しい判断ができなくなったりするかもしれませんね。そのことを気づかせてくれる人が周りにいなければダメで、そういう人は会社と同じ方向に走っている群れの中にはいないと思います。だから、さっき言ったように、多様な人を組織の中に配置しておかないと。少し醒めた目で社内を見ることができる人を配置しておくことは、企業としての知恵ではないでしょうか。
金融庁にも常識というのがあって、それは私みたいに外部から来た者には非常に奇異に映るのですが、何年もここにいる人たちと話をしてみると、奇異だとは思っていないんです。
金融庁の奇異な常識とは、たとえばどんなことでしょう。
かなりありますが(笑)、たとえば、私はここの仕事で必要になる本でも、自費で購入しているんですね。もちろん仕事で必要な本なら買える制度はちゃんとありますが、本1冊を購入するために役所の中の決済印が30個ぐらいいる、という。本1冊でも国民の税金で買うわけですから、きちっと審査しなくてはということなのですが、「決済印30個」と言われると私には奇異に思えるんですよね。
また、私は子供が2人いますが、子供がいる人に対しては、金融庁では「子育て支援制度」があるんですね。朝、子供を保育園に送り届けてから役所に来ると遅くなるから、遅く来て遅く帰れるという。または、早く来て早く帰れるという制度。ところが、これまでそれを使った人は誰もいなかった。子育て支援が大事だと役所がこんなに国民に向けて言っているというのに、当の役所の中では支援制度が全く活用されていない、ということですね。これも私には奇異に映って、それで私が「子育て支援制度を使いたい」と申し出ました。「そんな制度、誰も使ったことがありません」と驚かれましたが、「でも私、使いたいんです」と言って、決済印をたくさんもらったんです(笑)。
同じようなことは企業の中にもあるでしょうね。
ええ。その企業ごとの常識があると思います。その常識がいいほうに作用していれば問題ありませんが、違法行為を隠蔽する方向とか、利益の追求ばかりを目指す方向にベクトルが向いていると困ります。そうすると末端の支店や社員に対して圧力がかかったりする。営業成績を上げなさいという。法令遵守室があってコンプライアンスをきちっとしている本社組織は大丈夫かもしれないけど、それがないところで利益追求の圧力を感じている社員は善くない方向へ走っていくかもしれない。実際、そういう悲しい現実はあるし、大企業になればなるほど目が行き届かないという危惧があると思うんですね。ですから、このあたり、大企業ほど気をつけてほしい。
このインタビューの前半でうかがった「違法収益剥奪」の制度は、いつか日本にも導入されるでしょうか。
いずれは導入されるでしょうし、そうなるようにします。実際に、司法の場面では、2006年に「組織犯罪処罰法」ができて、その中で違法収益を国が取りあげて被害者に返す制度が初めてできました。まだ違法収益の全額とはいかないのですが、今後、この司法の動きを行政につなぎたいと思っています。組織犯罪処罰法には附帯決議――行政の分野でもこれをやりましょうよ、というのが付いているんです。金融庁ではそれに先んじて2006年1月に経済犯罪チームを与謝野大臣がつくり、海外の制度を研究したり、各省庁との話し合いをしたりしています。
また経済協力開発機構(OECD)の中の消費者委員会でも、行政による違法収益の剥奪が今、ホットな話題になっていて、2006年10月または2007年3月にはOECDとして意見書をとりまとめる、という情報もあります。さらに安倍官房長官の「再チャレンジ」の具体案の中にも違法収益の剥奪が入っています。そういうふうに、あちこちで芽が出てきていますので、私としてはこの制度の導入は必ず実現すると思っています。
ニューヨークは違法収益剥奪の制度があり、消費者保護が世界中でいちばん充実していると言いましたが、過去にその制度の導入に命を懸けた人がいたからそれが実現したんですね。どんなことでも、ひとり命を懸けるぐらいの気持ちで取り組む人間がいないと、新しいものは生まれません。この日本でも違法収益剥奪の制度をつくりあげるために、私は心血を注いでいくつもりです。
(取材・構成=編集部、写真=菊地健)
取材は2006年6月29日、東京・霞ヶ関の金融庁にて
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。