日本が本気でDE&Iを推進するときがきた
~本気のDE&Iが国民所得2.1%、雇用者報酬3.7%押し上げる~
第一生命経済研究所 総合調査部 マクロ環境調査G 主任研究員 白石 香織氏
要旨
- 日本が「本気」でDE&Iを推進するときがきた。減りゆく労働力を補うためには、デジタルやAIの活用に加えて労働者の裾野を可能な限り広げ、1人ひとりの生産性を引き上げていく他ない。このために必要となるのが、これまでのD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)から一歩進んだ「DE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)」の推進である。
- DE&Iとは、多様な人材を受け入れるだけでなく、個々の特性や状況に合わせて必要なサポートを与えることで、各自のパフォーマンスを存分に発揮させる新しい企業の戦略である。2020年頃から北米や欧州で広がったものの、最近では「反DE&I」の動きもあり、取組みの若干の減速もみられる。
- DE&Iを「コスト」や開示のための「義務」と捉えていると、反動が起きやすい。日本が本気で推進していくためには、DE&Iが企業の収益や成長に直結しているという実感や成功体験を持つことが重要である。
- そこで、第3章では架空のマンゴーファームのケースを用いて、男性中心の日本企業が、多様な人材(女性、外国人、障がい者、高齢者等)を受け入れ、DE&Iを推進することで、企業の収益・成長に結びつけていくプロセスを説明する。
- 第4章では、こうしたDE&Iの動きが日本全体で広がった場合、最大で国民所得を2.1%、さらに雇用者報酬を3.7%(5.9兆円)押し上げるとの試算を提示する。DE&Iの推進により今までにない視点や切り口から、企業が新しい付加価値を創造することで、国民所得および雇用者報酬の押し上げにもつながることを示す。まさに、岸田政権が狙う「成長と賃金の好循環」を実現しうるポテンシャルを持ち合わせているといえる。
- 第5章では、企業がDE&Iを実際に推進していく際のポイントを、先進企業を参考にしながら示していく。多様な人材を受け入れるだけでなく、組織のなかで「構造的な差別」がどこで生じているのかを特定し、個々の特性や状況に応じたサポートを提供することでその差別を解消していくことが求められる。
- 第4章での試算における雇用者報酬の増加を見ても、女性の労働力の活用が賃金・経済におよぼす影響は大きい。DE&I推進の際は、まずは女性への施策を優先的に進めつつ、そこを皮切りに、企業に所属するマイノリティへの施策を展開していくことが重要である。
1.日本が本気でDE&Iに取り組まなくてはならない理由
日本のダイバーシティ戦略は少しマンネリ化していないか。近年では、大企業中心に男女の育休取得率から男女間賃金格差まであらゆる開示義務に迫られ、「やらざるを得ないもの」となっているからかもしれない。人手不足や原材料費高騰等への対応でそれどころではないという企業も多くあるだろう。後述するが、ダイバーシティの象徴である米国においても、経済や政治の影響を受けて取組みが若干減速している。
ただ、日本には「本気」でダイバーシティ戦略に取り組まなくてはならない理由がある。それは「多様な人材からイノベーションが生まれるから」という前向きな理由に留まらず、「労働力人口の減少」という避けられない未来と対峙するために必要不可欠な戦略としての位置づけである。「日本の将来推計人口(令和5年推計)」(国立社会保障・人口問題研究所)によると、労働の中核的な担い手となる15歳から64歳の生産年齢人口は2020年の7509万人から2070年には4535万人と6割の水準に減少する。日本商工会議所・東京商工会議所の調査によると中小企業の7割が「人手不足」の状態にあると回答し、帝国データバンクによれば2023年の「人手不足倒産」件数は過去最高を記録した。
減りゆく労働力を補うには、国全体で生産性を上げるしかなく、そのためにデジタルやAIを活用することはいうまでもない。そのうえで、労働者の裾野を可能な限り広げ、1人ひとりの生産性を引き上げていく必要がある。そこで必要なのが、これまでのD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)から一歩進んだ「DE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)」の推進である。
定義については第2章にて詳説するが、DE&Iとは、「多様(ダイバーシティ)な人材を受け入れること(インクルージョン)にとどまらず、組織のマイノリティの人々の特性や状況に合わせて必要なサポートを与えること(エクイティ)で、多様な人材のパフォーマンスを存分に発揮させる企業戦略」である。
従来のD&Iとの違いはどこにあるのか。米国で有名な多様性提唱者ヴェルナ・マイヤーズ氏は、D&Iをパーティにたとえこう表現する。「『ダイバーシティ』は女性がパーティに招待されること、『インクルージョン』はそのパーティでダンスに誘われること」(注1)。つまり、パーティ(企業)に女性を「招待」するだけでなく、一緒に踊ろうと「誘う」ことが重要だと説く。
D&Iの推進は引き続き重要であるが、減りゆく労働力を補うには、DE&Iの特にエクイティの施策(以下、公平性施策)を進めることによって、1人ひとりに必要なサポートを提供し、生産性を向上させることが求められる。また、女性に加えて外国人や障がい者、高齢者、LGBTQ+、若者といった多様な人材もパーティに「誘う」ことが求められるだろう。そのうえで、多様な人材がパーティで「一緒に踊る」ことができるよう、必要な「ダンスレッスン」や「ダンスシューズ」といった「公平性施策」を推進することが必要となるのではないか。
本稿ではDE&Iの現状について説明したうえで、架空のマンゴーファームのケースを用いて、本気でDE&Iを推進することが企業の収益や成長、そして賃上げにどのようにつながるのかについて解説する。さらには、こうしたDE&Iの動きが日本全体で広がった場合、最大で国民所得を2.1%、雇用者報酬を3.7%、押し上げるとの試算を示す。その上で、企業がDE&Iを推進するうえでのポイントや方向性を検討していく。
2.DE&Iとはなにか
DE&I(Diversity, Equity & Inclusion)は、従来の「D&I」に、「公平性(エクイティ)」が加わった企業の新しいダイバーシティ戦略で、2020年頃から北米および欧州において広がった。いわゆる「#Me too運動」や「Black Lives Matter」(注2)等、女性や黒人への差別という根強い社会問題が明るみになり、「多様な人材(ダイバーシティ)を受け入れる(インクルージョン)だけでは、構造的な差別は変わらない」との風潮が高まった。構造的な差別とは、企業のルールや慣習等の仕組みによって、特定の属性を持っている人たちが差別を受けてしまうことを指す。
こうした構造的な差別を解消していくために、企業に求められているのが、「公平性(エクイティ)」の概念である。この「公平性」を理解するうえで、よく引用されるのが「Equality(平等)」と「Equity(公平性)」の違いを載せたイラストである(資料1)。イラスト左側(Equality)では、野球の試合を見るために、幼児から子ども、大人までに全員に一律の同じ高さの台が用意されているが、一番右の幼児は背が届かず野球の観戦ができていない。
一方、イラスト右側(Equity)では、幼児や子どもの背の高さに合わせて、野球観戦に必要となる高さの台が用意されているため、結果的にすべての多様な人材が野球を公平に観戦できている。違いは、全員に「一律に平等なサポート」を提供しているか、または個々の特性や状況に応じた必要なサポートが与えられ「機会が公平に保たれている」かにある。従来のD&Iでは、一律に平等なサポートをおくEqualityに重きが置かれていたといわれている。
アジアにおいてもDE&Iの考え方は徐々に浸透しつつある。日本では人的資本経営やサステナビリティ開示の意識の高まりから、DE&Iの取組みを開示する企業が近年増加している。こうした流れを受けて、2024年1月に日本経済団体連合会が公表した「経営労働政策特別委員会報告」においては、「DE&I」が生産性向上および持続的な賃上げに向けた重要な柱として位置づけられている。
一方で、足もとでは反DE&Iの動きも出ている。2023年6月、米国連邦最高裁判所が大学の入学選考で黒人や中南米系を優遇する、古くからのDE&Iの取組みといえる「アファーマティブ・アクション(注3)」を違憲とする判決を下した。続いて、米国の5つの州において、大学やコミュニティカレッジにおけるDE&I推進が廃止される法案が通った。
米国企業は引き続きDE&Iを重視する方向は変わらないが、新型コロナ禍以降の企業の収益鈍化および経済の先行き不透明を受け、DE&I推進部署のポジションが一時解雇の対象となるケースも出ている。ダイバーシティを象徴する米国でさえ、経済や政治の影響を受け揺り戻しがあることを示す。
DE&Iを「コスト」や開示のための「義務」として考えていると、どうしてもこのような反動が起きてしまう。日本が本気で推進していくために求められることは、DE&Iが企業の収益や成長に直結しているという実感や成功体験を組織が持つことである。下のイラストでいえば、DE&I推進によって「全員が野球を観戦できた」という実感や成功体験を持つことが重要となる。
3.DE&I推進は企業の収益・成長にどう結びつくのか<ケーススタディ>
ではその実感や成功体験のイメージをつかみやすくするために、本章ではケーススタディとして、架空の老舗企業がDE&Iを本気で推進した結果、企業の収益、成長、そして賃上げにつなげていくプロセスを示す。
<ケーススタディ>
マンゴーファームを営むJapanマンゴー(以下、Jマンゴー)は、廃業の危機にあった。男性正社員中心の従業員が高齢化するなか、昔ながらの栽培法で収穫したマンゴーを農協経由で販売している。競合他社は新しい商品のブランド化に成功し、時代にあったプロモーションで市場のニーズをとらえ、市場規模を拡大させていた。
危機感を募らせた同社CEOの大久保は、尊敬する大学の先輩からインドで広まるAIを活用した高級マンゴー栽培法を聞きつけた。同社でもAIを導入することでマンゴー栽培の高度化および高級化を図り、国内市場の拡大および長期的には海外への展開を視野に入れ、2025年、本格的な経営改革に乗り出した。まず、2030年までの5年間の中期経営計画目標を「高級マンゴーを世界市場へ」と定め、そのための戦略として「①AI導入によるマンゴー栽培の高度化・高級化」、「②新しい販売チャネルの開拓」、「③ハウス増設による生産拡大」を3本柱に置いた(資料2)。
この戦略を推進する人材が必要となった。そのため、新規採用に加えて、今いる従業員の登用およびリスキリングに乗り出した。
「①AI導入によるマンゴー栽培の高度化・高級化」に関しては、マンゴー生産量世界一を誇るインドから、商工会議所経由でAI栽培技術を持つ専門家・モハメッド・クマールを採用した。クマールを新設の「AI推進課」のトップに任命し、彼の主導のもとハウス内にはAIセンサーが取り付けられた。その結果、マンゴーの発育段階に応じて、ハウスにおける日射量や気温、土壌が最適な状態に保たれた。次に、聴覚障がいをもつ従業員・村田はデータ分析を得意としていることから、同部のリーダーに抜擢。ハウス内のAIセンサーから蓄積されるデータを徹底的に分析することで、マンゴーの甘みを最大限引き出す最良のハウス環境を実現させた。
「②新しい販売チャネルの開拓」に向けては、「販売推進課」においてSNSに精通しており、正社員への転換を希望していた育児中の若手パート従業員・佐々木を正社員として登用した。デジタルマーケティングについてリスキリングする機会を与えたところ、SNSによる積極的なプロモーションを展開し、新たなチャネルの開拓に着手した。また、前職でウェブデザイナーをしており、親の介護を抱え、夫の扶養の範囲で働きたいとの希望を持つパート従業員・岡田を上位職であるチーフに登用。女性目線で洗練されたパッケージをデザインしてもらったところ、SNSで話題をよび、新しいチャネルからの注文が増加していった。
「③ハウス増設による生産拡大」に関しては、地域のプロフェッショナル人材戦略拠点(注4)のマッチングを通して、商社を退職し、病気治療中の平田を採用した。彼が持つゼネコンとのリレーションを活用して、次世代の温室ハウスの隣接地への建設が決まった。
Jマンゴーはこのように多様な人材を受け入れた。さらに、受け入れるだけでなく、存分に活躍してもらうための公平性施策を積極的に展開した。まず子育てや介護、障がい、治療を抱えていても、柔軟に働くことができるようフルリモート・フルフレックス制度を全社的に導入した。外国人従業員のクマールには他の従業員とのコミュニケーションを円滑に行えるよう、同時通訳機能がついたAI搭載デバイスを提供し、かつ帯同家族が日本に溶け込めるよう生活サポートも行った。聴覚障がいを持つ村田には、デジタルワイヤレス補聴器や音声文字化アプリを導入し、自宅でも快適に行える環境を整備した。
また、扶養に入るために労働時間を抑えて働いていたパート従業員の岡田に対しては、政府がすすめる「年収の壁支援強化パッケージ」(注5)を活用して、手取り減少を回避し、労働時間を気にせず働ける環境を整備した。さらに、治療との両立を抱える高齢従業員の平田には、1日4-5時間の短時間勤務、週2-3日の勤務も可能とした。
このようにDE&Iを積極的に展開し始めて5年が経過した2030年、AIによる緻密に管理されたハウスで育ったマンゴーは、とろけるような甘さと洗練されたパッケージがSNSでバズり、国内および海外からの顧客からの注文が殺到していた。そのタイミングで次世代の温室ハウスが隣地に完成し、収益は急増。それにより、Jマンゴーでは大幅な従業員への賃上げを実現した。副次的な効果としては、新しい人材の活躍に既存の従業員が刺激を受け、全体でリスキリングが進み、働く意欲も高まった。こうしたDE&Iの効果を実感した同社は、さらなる多様な人材の採用・活用を進めている。その矢先、商社出身の平田が進めていた海外プロジェクトにおいて、同社のAI栽培法を活用して米国で生産する話が持ちあがり、投資家から2億円を調達。老舗企業であったJマンゴーの海外市場への扉が開かれた。
4.本気のDE&Iは最大で国民所得を約2.1%、雇用社報酬を3.7%押し上げる
第3章で述べたケーススタディはあくまで架空の話で、すべてが順風満帆に運んだケースではあるが、これは日本企業全体に応用できると考えている。同社のように、従来のビジネスモデルを変えられず、人の新陳代謝も進まないなか、伸び悩む日本企業は少なくない。危機感を高めた多くの企業が、同社のようにDE&Iを収益・成長につなげた場合、どのような効果があるか、簡易的な試算を行った。
試算にあたっては大胆な前提を置いている。まず、JマンゴーのようにDE&Iを推進し企業収益が増加した場合、DE&Iの対象となりうる女性、高齢者、外国人、障がい者(以下、DE&I人材)への報酬が増加すると仮定した。また、DE&Iを推進したとしても、労働者数やDE&I人材の対象ではない男性の賃金は変わらず、また企業収益が増加しても労働分配率は一定とした。
試算方法としては、企業の付加価値が増えれば賃金も上昇するとの前提のうえで、「賃金構造基本統計調査」(2022年)をベースにDE&I人材の賃金増加分を試算した(注6)。次に、この増額分を上乗せた「総賃金」を、内閣府「国民経済計算」によるGDPベースの「雇用者報酬」に調整・変換し、労働分配率で割り戻すことによって、国民所得(注7)の増加率を算出している(注8)。その際、DE&I人材の報酬が男性正社員並みの水準になった場合の「ベストシナリオ」と、現行賃金の水準を鑑みて、現実的な増加額に設定した「モデレートシナリオ」の2パターンを想定した。
こうした試算の結果、日本が本気でDE&Iを進めた場合、国民の豊かさを示す指標である「国民所得」については、ベストシナリオでは約2.1%、モデレートシナリオでは約1.0%押し上げる(資料3)。また、それにより雇用者報酬は、ベストシナリオでは3.7%(5.9兆円)、モデレートシナリオでは約2.6%(4.2兆円)増加することが見込まれる。
これらは、日本企業が本気でDE&Iを進め、これまで活用しきれてこなかった労働力を活用すれば、今までにない視点や切り口によって新しい付加価値を創造し、国民所得、雇用者報酬の押し上げにつながることを示している。まさに、DE&Iは岸田政権が狙う「成長と賃金の好循環」をボトムアップで実現しうるポテンシャルを持っているといえよう
また雇用者報酬の増加額をDE&I人材ごとにみてみると、女性の増加額がベストシナリオで+4.8兆円、モデレートシナリオで+3.7兆円と、ともに全体の改善額の8割以上を占めている。女性の労働力が日本経済のカギを握っており、DE&I戦略において女性への投資の優先度が高いと考えられる。ただ、女性が働きやすい環境は、それ以外のマイノリティを含むすべての人にとっても働きやすい環境といえる。まずはDE&I戦略を進めながらも、そこを皮切りに組織にいるマイノリティ構成員の特性や状況に応じてDE&Iを広げていくことが重要である。
5.DE&I推進のカギは「構造的な差別」への対応
それでは、企業が本気でDE&Iを推進するにはどうしたらよいだろうか。近年、統合報告書やサステナビリティレポートを見ていると、D&IからDE&Iへと取組みを進化させて開示する企業が出てきた。またDE&Iと掲げていなくとも、しっかりと公平性を確保した取組みを行っている企業もある。一方で、D&IからDE&Iに「看板」を掛け変えただけで取組みは変わっていない企業もある。
そこで本章では、2023年8月時点での統合報告書やホームページ等でDE&Iの取組みを公開している企業50社を調査し、効果的なDE&Iの取組みを行っていると考えられる企業を参考に、「目指すべきDE&I」の姿を考えていく。
従来のD&Iの取組みで多くみられたのが、「女性管理職比率〇%」、「障がい者雇用率〇%」やLGBTQへの取組みを評価する「PRIDE指標のゴールド認定取得」(注9)といったD&I推進による結果や実績の提示である(資料5)。つまりは、多様な人材を受け入れるための取組みや実績が重視されてきたといえよう。
それに対して、DE&Iの先進企業では、多様な人材の受け入れにとどまらず、その組織にある「構造的な差別」を解消することで多様な人材が活躍できる取組みを重視している。たとえば、障がい者は健常者と同じパソコンでは力を発揮できないことも多いことから、「IT機器やパソコンのアクセシビリティ強化」や、LGBTQ+への理解を高め、彼らの帰属意識を高めるために「コミュニティ・アライネットワーク(注10)の形成」等を行っている。また、外国人が直面する言語や文化の壁解消に向けて、「英語公用化、バディ制度、祈禱室の設置」等を行う企業もある。
つまりは、DE&Iを進めていくには、従来の多様な人材を受け入れる取組みに加えて、「構造的な差別」の解消を行うことが求められる。第2章にあったEquality(平等)とEquity(公平性)の違いを示した資料1(左)を思い出していただきたい。幼児から子ども、大人までに全員に一律の同じ高さの台が用意されているものの、一番右の幼児は背が届かず野球の観戦ができていなかった。このような「構造的な差別」が組織のどこで生じているのかを特定することが、DE&I推進における最初の重要な一歩である。
上智大学の出口真紀子教授は、構造的な差別の解消には、組織の中で優遇されてきたマジョリティが持つ「特権」(労なくして得ることができている優位性)を可視化することが重要だと説く。その様子を自動ドアにたとえ、マジョリティには自動でドアがあくので、存在すらも気づかないが、マイノリティは毎回ドアをこじ開けなくてはならないとする。組織のなかでマイノリティの誰が何を必要としているのかという観点からのアプローチに加えて、マジョリティが当たり前のように持っている特権から「構造的な差別」を特定していくのも一考に値する。
では、「構造的な差別」の解消に向けた先進的な取組みを行う企業の事例を紹介していこう。A社では従業員サーベイを実施したところ、平均出産年齢である30歳前後に女性の海外キャリアへの志望および意欲が一気に下がることを発見した。出産後の海外赴任は女性や家族にとっても負担となるため意欲も希望もなくなるという「構造的な差別」を特定し、希望する女性には20代後半に積極的に海外赴任をさせるという解消策を講じている。B社でも同様に、管理職登用の時期が女性の出産時期に重なるという「構造的な差別」を特定し、女性には積極的に20代後半でリーダーの経験を積ませる、「キャリアの早回し」を実施することで解消を図っている。
DE&Iがすでに浸透するC社では、男女という性別は関係なく登用・昇進が行われているなか、男女賃金格差が生まれているのはなぜかを調査した。その結果、「中途入社時の年収」に格差が生じていることが判明し、女性の賃金を引き上げおよび採用時に入社前の年収を聞かない等の解消策をとっている。
6.日本が本気でDE&Iを推進するときがきた
冒頭で述べた通り、今後、確実に労働力が不足していく日本では、多様な人材を受け入れるだけでなく、能力を発揮してもらうことで生産性をあげていくことが必須となる。今こそ、日本が本気でDE&Iを推進するときがきたといえよう。本気で推進していくには、第3章のJマンゴーのケーススタディにもあったように、企業の収益・成長、そして賃上げにつながっていくという実感や成功体験を持つことが重要である。さらに、第4章では、日本企業全体がこのようなDE&I戦略をとれば、最大で国民所得を2.1%、雇用者報酬を3.7%(5.9兆円)押し上げると試算され、日本経済全体の豊かさにも裨益することがわかった。同試算において女性の報酬上昇分が一番大きかったことからも、女性への施策を優先的に進めつつも、そこを皮切りに、企業に所属するマイノリティへの施策を広げていくことが重要である。
女性が日本経済の行方を握るカギとしながらも、本稿ではあえて「女性活躍」という言葉を避けている。私見ではあるが、女性に一律に「活躍しろ」というメッセージと感じる人も少なからずいるからである。もちろん活躍したい女性もいるが、育児や介護、趣味を優先させたい女性もいる。また、1人の女性の人生においても、その優先度は変化していく。
ここでもDE&Iの観点が求められる。女性を一律に(平等に)「活躍」させるのではなく、DE&Iの観点から価値観や生き方に寄り添った必要なサポートを与えることが求められるのではないだろうか。つまり、目指すべきは、女性に限らず、「全ての人が自分らしくイキイキと働ける」社会だと考えている。
世界共通の事象ではあるが、「女性市長」「女医」等、何か珍しい職に女性がつくと「女性」を意識した頭文字がつく。これらの役職に女性が就くことが珍しい社会の現実を映し出す。一方で、「女性参政権」「OL(Office Lady)」はどうか。女性が選挙にいくことや企業で働くことは当たり前となった今、あまり耳にしない。
つまりは、本気でDE&Iを推進し、日本で「女性活躍」という言葉が聞かれなくなったとき、それは日本が多様な社会になりつつあることを意味する。幼いわが子 が社会人になったとき、かつてあった「女性活躍」という言葉を懐かしく語れる日がくるよう、我々は今こそ本気でDE&Iを推進していかなくてはならない。
- 米国IT企業が2015年開催した Women's Leadership Forumにて、ヴェルナ・マイヤーズ氏は“Diversity is being invited to the party; inclusion is being asked to dance”と発言し話題となった。
- 「#MeToo運動」とは、2017年にハリウッドで影響力のあるプロデューサーが長年にわたって女性へ行っていたセクハラ・性暴力をニューヨークタイムズが報道したことを機に、女性たちが被害の経験を#MeTooをつけて次々とネット上に書き込み、一大ブームを巻き起こした運動。「Black Lives Matter」は、アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動。2020年5月に米ミネソタ州で起きた「ジョージ・フロイド事件」を受け、全米に広がっていった抗議運動が有名。
- アファーマティブ・アクションとは、人種や性別などによる差別を解消する積極的な措置。日本語では「積極的格差是正措置」と訳される。
- プロフェッショナル人材戦略拠点とは、内閣府が進める「プロフェショナル人材事業」の一環で、東京と沖縄を除く45道府県に設置されている。各地域にある中小企業の経営課題解決のために必要となる「プロフェッショナル人材」のマッチングの支援等を行う。
- 年収の壁支援強化パッケージとは、パートやアルバイトなどの労働者が年収の壁を気にせずに働けるようにするための政府の施策。ただし、2023年10月からスタートし、2025年の年金制度改正までの時限的措置となっている。
- 厚生労働省「令和4年賃金構造基本統計調査」をベースに賃金増加分を試算(障がい者分は厚生労働省「平成30年度障がい者雇用実態調査結果」を参照)。「ベストシナリオ」では、女性(正社員・非正規)、外国人(専門的・技術的分野、特定技能、身分に基づく者、技能実習生)、障がい者(身体・知的・精神・発達障がい)、高齢者(65歳以上、男・女)が男性正社員並みの賃金水準になると仮定し試算。「モデレートシナリオ」では、女性は正社員、非正規社員ごと、外国人は就労区分ごと、障がい者は障害の種類ごとに、高齢者は男女にわけて、現実的な賃金水準を設定し試算。LGBTQ+については賃金額の特定が難しいため考慮にいれていない。
- 国民所得とは、「国民」の豊かさをあらわすGNI(国民総所得)から固定資本減耗を引いた額を指す。一方。GDP(国内総生産)はGNIから海外からの所得を引いたもので、「国内」の豊かさをあらわす
- 試算したDE&I人材の賃金増加分を加えた「総賃金」を、内閣府「国民経済計算」によるGDPベースの「雇用者報酬」に調整。調整にあたっては、過去3年間の総賃金と雇用者報酬の比率(平均)を調整係数として設定。調整後の雇用者報酬を労働分配率(過去3年間平均、73.7%)で割り戻すことによって、国民所得の増加率を算出。
- PRIDE指標は、LGBTQ+にとって働きやすい職場を実現することを目的に一般社団法人「work with Pride」が2016年に策定したもの。企業や団体は5つの評価指標における獲得点数により「ゴールド」、「シルバー」、「ブロンズ」の3段階で表彰される。
- アライとは、LGBTQ+など性的マイノリティ当事者のことを理解し、支援のために行動する人のことを指す。アライネットワークは、LGBTQ+の人たちが自分らしく働ける職場づくりを進めるためのネットワークを指す。
- 日本経済団体連合会「2024年版 経営労働政策特別委員会報告-デフレ完全脱却に向けた「成長と分配の好循環」の加速-」(2024年1月)
- 出口真紀子「マジョリティの特権を可視化する-ダイバーシティ推進の構造的な障壁を取り除くために-」(2023年4月)
- Harvard Business Review「DEI経営の実践」(2024年3月)
- 日本商工会議所・東京商工会議所「人手不足の状況および多様な人材の活躍等に関する調査」調査結果」(2023年9月28日)
- 帝国データバンク「2023年の「人手不足倒産」過去最多の260件~顕在化した「2024年問題」、建設/物流業が半数を占める~」(2024年1月12日)
- 厚生労働省「令和4年賃金構造基本統計調査の概況」(2023年5月)
- 厚生労働省「平成30年度障がい者雇用実態調査結果」(2019年6月)
- 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)」(2023年4月)
- 白石香織「男女賃金格差解消には「OBN文化」からの脱却~脱・オールド・ボーイズ・ネットワーク(OBN)文化のカギはDE&I~」(2023年5月)
- 永原僚子「【1分解説】年収の壁・支援強化パッケージとは?」(2023年10月)
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