和田 秀樹さん
精神科医
資金繰りがつかない、後継者が育たない、いい人材を採用できない…。一般社員と同じように経営者もさまざまな不安や悩みを抱えていますが、それを解決してくれる相談先がすぐ見つかるでしょうか。他人に弱みを見せたくない経営者は、悩みを自分ひとりで抱え込んでしまう傾向があります。でも、それがもとで経営者がメンタルヘルスに支障をきたしたら一大事、重要な経営判断を誤ってしまうかもしれません。日本の企業では見落とされている経営者のメンタルサポートの重要性について、精神科医の和田秀樹さんが語ります。
―― 企業の競争がより激しくなる中で、いつも緊張状態に置かれたり、心を病んでしまったりする社員が増えています。
自律神経失調症、心身症、うつ病など、顔を合わせた瞬間から「この人、大丈夫かな」と心配になる社員もいれば、「食欲がないんです」「夜、眠れなくて……」と言うのを聞いて精神疾患が疑われる社員もいます。背景には、長引く不況の中でリストラが横行したり、社員個人の能力や実績を重視する評価方法が急に広がったりしたことがあるのではないでしょうか。とりわけ中高年の社員の中には将来不安やストレスから心の病にかかる人が増え、自殺にまで追い詰められてしまうケースも少なくありません。日本は自殺者数が年間3万人以上、今や世界有数の自殺大国です。
しかし、不安やストレスを抱えているのは、何も社員ばかりではありません。社員を動かし、ときにはリストラする決断も迫られる経営者も、同じように不安やストレスを抱えているんですね。実際、私は心理学や精神医学をさまざまなかたちでビジネスに応用する活動をしていますが、そうした中で痛感するのが、日本の経営者の方々の抱える悩みがじつに多いということです。「資金繰りがうまくいかない」「社員が会社の危機を理解していない」「有能な人材が集まらない」「部長が課長レベルの仕事しかできない」……など、数え上げたらきりがないほどです。
ところが不思議なことに、日本では一般社員の心の問題については社会的な注目が集まり、世間から同情だってされるのに、経営者という高い地位にある人の悩みや不安に対してはあまり目が向きません。むしろ、「経営者は強い人たちだ」と見られる傾向があり、経営者が社員をリストラしたときの心の痛みや会社の将来を心配して生じるストレスなどは、多くの場合、見落とされているのではないかと思います。経営者自身も、「会社のトップが動揺する姿を社員には見せてはいけない」などと強がって、深く悩んでいてもそれを誰にも打ち明けません。自分ひとりですべて抱え込んでしまうことが多く、結局、経営者の心の負荷が社員以上に重い――そんなケースも少なからずあるだろうと思います。
―― 経営者が不安やストレスを抱えることが増えてきたのは、 なぜ でしょうか。
経営者を取り巻く環境が急激に変わってきたからでしょう。これまでなら、会社でキャリアを積み、役職が上がるつれ、部下が増えたり実務的な仕事が減ったりして、精神的に「楽になる」という側面もあったと思います。それが最近では、上へ行けば行くほどきつくなってきたのです。
もともと日本の会社というのは、「共同体」のような環境の下で経営されてきました。たとえば、さまざまな案件を処理するときも会議を繰り返したうえで行ったり、重要な経営判断も経営トップがひとりで決めるのではなく、取締役会など合議制を通じて決めることが多かった。役職が上がっても、個人の判断で仕事をする場面はそれほど増えず、その責任まで取り沙汰されることなど少なかったと思います。
ところが、グローバリズムの名の下で成果主義の導入が進んだり、アメリカ型の経営に傾いている今の日本の会社では、個人の能力主義、実績重視がシビアに徹底されるようになってきました。経営者といえども、業績を上げることができなければ即、退場を迫られます。また市場競争は以前にも増して激しくなっていて、そんな状況の中では経営のスピードアップが大事ですから、これまでのように合議制であれこれ決めていたのでは間に合いません。経営者が自分ひとりで即断しなければならない場面も増えているわけです。
よく言えば、今の経営者は自分でやりたいように経営ができるし、成功すればハイリターンも得られる。その半面、他人と相談したり頼ったりする機会や時間が少なくなっていて、もし誤った経営判断をして失敗すると、問答無用の厳しい責任追及を受けることになります。企業に追い風が吹いていた高度成長期のような時代ならまだしも、現在のような低成長の時代では企業経営の舵取りは難しく、経営者というのはかなりのストレスを強いられるハードな仕事になっていると言えます。同時に、経営者とて一人の家庭人ですから、子供の教育や親の介護などプライベートでの問題も抱えることも少なくないでしょう。公私両面において相当な重圧に晒されるかもしれない――そんな状況に今の経営者は置かれていると思います。
―― アメリカの経営者はどうなのでしょうか。日本とは比べようもないほど徹底的な実力主義を掲げ、業績の上がらない人はあっさり切り捨てる企業風土がありますが、それでも経営者がやっていけるのは彼らがタフだということですか。
そんなことはありません。ただ、アメリカの企業ではドライな実力主義を標榜する一方で、経営者の失敗に対して寛容な側面もありますから、それが経営者の心を救うことがあるかもしれません。経営者は失敗すれば即退場を迫られるけれども、失敗を糧にして再挑戦する機会もまた、与えられているわけですね。
それから、日本と大きく違うのは、アメリカでは経営者のためのメンタルヘルスが充実していることです。経営者に心理学者や精神科医のカウンセラーがつき、サポートすることが一般的になっています。それでも自殺してしまう経営者も多いので、メンタルヘルスのサポートを受けるアメリカのエグゼクティブたちはますます増えていますね。
日本の企業では、成果主義などのシステムはアメリカ流を取り入れたものの、経営者に対するメンタルヘルスのサポートはほとんど導入されていません。日本の経営者は業績を上げているうちはちやほやされるけれども、いったん失敗するとひどく叩かれたりします。メンタルヘルスのサポートなしに企業がアメリカ流のシステムを導入していくと、経営者は自分の心を自分でケアするしかなくなるでしょうね。
―― 経営者がメンタルヘルスに支障をきたすと大変なことになる。
ええ。もしも経営者が心の健康を失ったら、本人はもとより、社員にとっても悲劇でしょう。
最近の認知科学では、その人の心理状態が判断力に大きな影響を及ぼすと考えられています。経営者が強い不安を抱えていたり、落ち込んでいたりする状態では、必要以上に悲観的な経営判断をしてしまうと思います。逆に、気が高ぶっている状態のときは、楽観的すぎる判断をしてしまう危険が出てくる。それでビジネスチャンスを逃し、会社の経営を危うくしてしまうかもしれません。
経営者がメンタルヘルスに気をつけて、いつも落ち着いた心理状態で経営をしていれば、判断を誤ったり、状況の分析を間違えたりすることは少なくなるはずです。私自身も精神科医として経営者の方々のメンタルヘルスのサポートをしていますが、「経営者がその資質を最大限に生かして、ベストな心理状態で経営に望めるようにする」ことが一番大事だと思っています。
―― メンタルヘルスが正常でなくなると、経営者は具体的にどんな心理状態になったり、どう考え方が変わったりするでしょうか。
たとえば、「完全な成功でなければ失敗だ」という思考に陥るとします。オール・オア・ナッシングの考え方ですが、会社の業績が上向いてきても「まだまだ十分ではない」と満足できません。結局、経営者は悲観的な判断に流れ、せっかくの上昇機運に水を差してしまいます。
うつ病に近い心理状態になると、「一つがダメならすべてダメだ」と考える傾向が強くなりますね。ある会社との取引が特別な事情で中止になると、「他の取引も中止されるに違いない」と思い込む。特定の出来事を一般的な特徴と結論づけてしまうわけです。また「何でも自分のせいにする」ケースも見られますね。何につけても自分の責任を感じてしまい、たとえば会議を終えた後で、「さっきはあんなことを言うべきじゃなかった」「もっとA部長の言い分を聞いてやるべきだった」などと考え込む。このような状態になると、もう経営者は正しい判断ができません。
―― しかしメンタルヘルスが不安定になっても、日本の経営者は誰からもサポートを受けられない……。
そこが一番の問題だと思いますね。精神的に不安定になり、自分の判断力に自信が持てず、会社の行く末を左右するような重要な経営判断を占い師に頼る経営者もいるそうですが、それはあまりに無責任だと私は思います。さまざまな意見をもとに経営者は自分で経営判断をしなければならず、もしも自分の心理状態が普通ではないと気づいたら、まずは精神科医や心理療法士を訪ねてもらいたい。身近に心のケアをしてくれる人が誰もいないなら、自分から専門家に診てもらうしかありません。ただ、日本には、そういう経験をしている精神科医が少ないのも事実ですが。
私は今、経営者の心をケアし、その悩みを解決する専門の機関が必要だと思っています。私の会社(ヒデキ・ワダ・インスティテュート)の事業の一つとして、「和親の会」という経営者をサポートする組織をつくったのも、それが理由です。 たとえば、経営者が後継者の育成に悩んでいるのなら、それを解決できる人材育成の専門家を紹介するなどして、サポートしていく。患者の病状に応じて治療を施し、適切な処方箋を与える――医療の現場なら当たり前のように行われていることが、今の経営の現場では残念ながらなされていません。「和親の会」の取り組みで経営者を少しでもサポートできればと考えています。
(聞き手・構成=笠井有紀子、写真=菊地健)
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