孤立する個人、すれ違う組織――頼り、頼られる組織文化をいかに育むか
変化の激しい時代を乗り越えるビジネススキル「受援力」
神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科 教授
吉田 穂波さん

リモートワークの浸透やジョブ型雇用の拡大により、従業員の孤立やコミュニケーションの希薄化が深刻な課題となっています。多くのマネジャーが部下に対して「いつでも頼ってほしい」と願う一方、部下は「助けて」と言えずに一人で問題を抱え込み、突然の離職に至るケースも少なくありません。この問題を解決するために注目される新たなスキルが「受援力(じゅえんりょく)」です。産婦人科医・産業医として働く人々の心身の健康に寄り添い、近年は「受援力」の研究と普及に取り組む神奈川県立保健福祉大学大学院 教授の吉田穂波さんに、個人と組織の成長を促す「頼るスキル」の本質、そして明日から実践できる組織文化の醸成について伺いました。
- 吉田 穂波さん
- 神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科 教授
よしだ・ほなみ/産婦人科専門医、認定産業医、医学博士、公衆衛生学修士。ハーバード公衆衛生大学院修了後、東日本大震災の被災地で支援活動を行った経験から組織や個人の「受援力」の研究をはじめ、自治体事業や企業研修を通じビジネスパーソンが孤立しないような職場づくりに取り組む。6児の母。著書に『頼るスキル 頼られるスキル 受援力を発揮する「考え方」と「伝え方」』(角川新書)、『受援力を身につける 「つらいのに頼れない」が消える本』(あさ出版)ほか多数。
なぜ今、職場で「受援力」が求められるのか?――変化の時代を乗り越える新たなスキル
「受援力」とは、どのような概念なのでしょうか。
「受援力」は、「人に頼る力」「援助を受け取る力」のことです。もともと内閣府の防災担当者による防災用語で、災害が起きた際に、被災地が外部からの支援を効果的に受け入れるための備えや能力を指す言葉です。
私は2011年に起こった東日本大震災の被災地で、妊産婦や新生児を抱える家族を訪問するなど支援活動に携わる中、助けが必要な状況にもかかわらず、「人に頼ってはいけない」「迷惑をかけてしまう」と考え、適切なサポートを受けることなく心身ともに疲弊している数多くの方に出会いました。そのとき、「受援力」は防災の分野だけに留まるものではない、と強く感じたのです。
その後、産婦人科医や産業医として多くの患者さんやビジネスパーソンと接する中でも、助けが必要な状況にもかかわらず、一人で抱え込んでしまう方を数多く見てきました。特に子育てや介護のようなプライベートな問題は、「自己責任」という言葉で片付けられ、人一倍責任感が強い人に負担が偏りがちです。
そのような状況で「受援力」という言葉に触れたとき、支援を受けることを「能力」や「スキル」として捉えるその視点に、非常に感銘を受けました。支援を受ける側が、何かを施してもらうだけの弱い立場なのではなく、主体的に周囲のサポート資源を活かす能力を持っている。この考え方は人口減少など、変化が激しく将来の予測が困難な現代社会を生きる私たちにとって重要なスキルになると確信し、研究を始めました。
防災用語だった「受援力」がなぜ今、特にビジネスの現場で重要性を増しているのでしょうか。
近年の新型コロナ禍による働き方の変化は非常に大きな要因です。リモートワークは通勤の負担を減らすなどのメリットがある一方で、雑談から生まれる偶発的なコミュニケーションや、隣の席の上司や先輩に「ちょっといいですか」と気軽に声をかける機会を奪いました。
また、ジョブ型雇用は個人の専門性や成果を明確にしますが、ともすれば「契約範囲外のことは関知しない」という雰囲気につながり、チーム内での助け合いを阻害する可能性も指摘されています。
さらに、DEI(ダイバーシティ・多様性、エクイティ・公平性、インクルージョン・包括性)の推進も関係しています。多様な背景を持つ人材が集まることは組織の強みですが、同時に「自分は他の人と違うのではないか」「こんなことを聞いたら、配慮が足りないと思われるのではないか」といった不安や孤立感を抱えやすくもなります。一人ひとりがマイノリティとしての側面を持つようになり、同質性の高い組織にあったような「あうんの呼吸」が通用しにくくなっているのです。
確かに、以前のような同質性を前提としたコミュニケーションは成り立ちにくくなっているように感じます。
加えて、私たち日本人の文化的な背景には、「人に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分でするべき」という価値観が根強く存在しています。これは美徳である一方、助けを求めることに対する強い心理的な抵抗感を生み出しています。
また、「今までの人はできていたのだから、自分もできて当然」といった過度な目標を自分に課したり、頼ることに対して恥ずかしさや遠慮を感じたりする傾向があるのも事実です。生成AIやWEB検索など、現在は自分で調べられるツールが豊富なため、何でも自分で解決しなければならないというプレッシャーが増していることも、影響していると思います。
このような複数の要因が絡み合い、多くのビジネスパーソンが「頼りたいけれど頼れない」状況に置かれています。前例が通用しない課題に直面したとき、あるいは心身に不調を感じたとき、本来であればチームや同僚、上司に助けを求めるべき場面で、一人で抱え込んでしまう。その結果業務が滞り、個人のメンタルヘルスが悪化し、最悪の場合突然の休職や離職、うつや過労死につながってしまいます。これを防ぐために、意識して「頼るスキル」、すなわち「受援力」を身につける必要性が高まっているのです。
「助けて」が言えない心理的背景――自己責任と完璧主義の罠
頼ることができずに我慢を続けた結果、ある日突然退職してしまう、ということもよくあるようです。
残念ながら、そうしたケースは決して珍しいことではありません。SOSを出せない背景には、いくつかの心理的な罠(わな)が潜んでいます。最も大きなものの一つが、「助けを求めること=自分の無能さや努力不足」という誤った認識です。特に、真面目で責任感の強い人ほど、この傾向が強いように感じます。「このくらいの仕事は一人でできて当たり前だ」「人に頼るのは、自分の能力が低い証拠だ」と考え、分からないことや困っていること自体を恥だと感じ、周囲に隠そうとしてしまうのです。「できない自分を認めたくない」「困っている状況に陥っていることを知られたくない」というプライドも関係しているのかもしれません。
周囲の環境がその考えを助長してしまうこともあります。例えば、上司が「困ったら何でも言ってね」と声をかけているとします。これだけ聞くと、部下を気遣う優しい言葉のようです。しかし、受け取る側にとっては、「本当にどうしようもなくなるまで、自力で頑張るべきだ」というメッセージに聞こえてしまうこともあります。「いつでも頼っていい」が、逆に「とことんまで困った状況に陥らなければ頼れない」「安易に頼ってはいけない」という高いハードルになってしまうのです。
さらに問題なのは、そのように声をかける上司自身が、誰にも頼らずに完璧に仕事をこなす、スーパーマンやスーパーウーマンのように見える場合です。部下から見て、上司が弱音を吐いたり、誰かに助けを求めたりする姿を見たことがなければ、「この上司に頼ることは、完璧ではない自分をさらけ出すことだ」と感じ、ますます頼ることができなくなります。人間は、自分が見たことのない行動をとることに不安を覚え、実践するのが非常に難しい生き物です。頼られる側である上司の振る舞いが、実は部下の「受援力」を無意識に阻害しているケースもあるのです。
上司のあり方も問われるわけですね。
はい。加えて、先ほども触れた「自己責任」という考え方も、個人のSOSを封じ込める強い力を持っています。何か問題が起きたとき、その原因を社会や組織の構造ではなく、個人の努力不足や能力不足に帰結させてしまう風潮です。この考え方がまん延すると、従業員は「ここで助けを求めたら、努力が足りない人間だと思われるのではないか」「評価が下がるのではないか」と萎縮してしまいます。
これらの心理的要因が複雑に絡み合い、従業員は「困っている」という事実そのものを隠すようになります。周囲は全く気づかないまま、本人の内側では限界が近づいている。そして、ある日突然、コップの水があふれるように、心身の限界を迎えてしまうのです。「自己責任」が行き過ぎると、結果として本人が「無責任」と言われる状況になる――これは、個人の問題だけでなく、そうした状況を生み出している組織全体の課題として捉える必要があります。
「受援力」は組織と個人にどんなメリットをもたらすのか
「受援力」を発揮し、健全に頼り合える関係性が構築できた場合、どのような効果が期待できるのでしょうか。
個人と組織の双方に、計り知れないほどのメリットがあります。まず、個人にとっては、何よりも心理的負担が大幅に軽減されます。組織全体に「一人で抱え込まなくてもいい」「頼ることで成長できる」「頼ることは弱さではなく、乗り越えるための強さである」という安心感があることが、精神面での健康を保つ上で非常に重要です。孤立感が解消され、自分がチームの一員であるという所属意識も高まります。また、自分一人では解決できなかった課題を、他者の知識や経験を借りることで乗り越えられたという経験は、大きな成功体験となり、のちのち、困っている後輩をうまく助ける後進育成の素地となります。
人に頼ることは、自分にはない視点やスキルに触れる絶好の機会です。例えば、若手社員が経験豊富な先輩に相談することで、自分だけでは何時間もかかったであろう業務を短時間で解決できるかもしれません。また、知らなかった情報源やスキルを身に着けられるかもしれません。それは単なる時間短縮ではなく、先輩の思考プロセスや問題解決のアプローチを学ぶ、またとない機会となります。「受援力」は、個人の成長を加速させるエンジンにもなり得るのです。
組織へのメリットは多岐にわたります。第一に、業務のブラックボックス化を防ぎ、生産性を向上させることができます。一人の担当者が業務を抱え込んでしまうと、その人が休んだり退職したりしたとき、業務が完全にストップしてしまうリスクがあります。日頃から情報共有や相談が行われていれば、こうしたリスクを分散できます。また、複数の視点が入ることで、より良いアイデアが生まれたり、非効率的なプロセスが改善されたりすることも期待できます。
第二に、離職率の低下とエンゲージメントの向上です。先ほどの話にもつながりますが、孤立感や過度なプレッシャーは、従業員のメンタルヘルスを損ない、離職の大きな原因となります。頼り合える文化がある職場は、従業員にとって心理的安全性が高く、自身の強みを生かし、安心して働き続けることができます。結果として、組織への帰属意識や貢献意欲、すなわちエンゲージメントも高まるでしょう。
そして第三に、これは特に強調したい点ですが、「頼る」という行為は、相手への最大限の信頼と敬意の表明でもあります。私たちは、誰にでも助けを求めるわけではありません。「この人なら、きっと的確なアドバイスをくれるだろう」「この人は、私の状況を理解してくれるだろう」といった、相手に対する信頼や尊敬があるからこそ、頼ることができるのです。頼られた側も、自分が必要とされていると感じ、自己肯定感を高めることができます。普段働いていると、信頼や尊敬、感謝の気持ちを受け取ることはなかなかありませんが、頼られることで、自分の価値を再認識するとともに、働きがいにもつながります。
このように、「頼る・頼られる」という関係性は、決して一方的なものではなく、相互作用によって、組織内の信頼関係を強固にし、ポジティブな人間関係の連鎖を生み出します。これが、最終的にはイノベーションが生まれやすい、変化に強い組織風土の醸成につながっていくのです。
人事担当者が実践すべき、「受援力」を高める組織的アプローチ
個人と組織にとって、多くのメリットがあることが分かりました。しかし、これまで「頼ることは良くない」とされてきた文化を変えるのは、容易ではないと感じます。
ご指摘の通り、文化を変えるのは一朝一夕にはいきません。他者へ助けを求める「受援力」を高めるには、頼る側の心理的なハードルを下げることが重要です。その具体的な方法として、相手への「敬意(K)」、存在の「承認(S)」、そして心からの「感謝(K)」を伝える頭文字「KSK」の実践が有効です。
まず「あなただからこそお願いしたい」と「敬意」を込めて依頼し、次に相手がいてくれること自体を「承認」します。そして、話を聞いてくれた行為そのものに「相談できて楽になった」と「感謝」を伝えることで、両者の間に深い信頼関係が生まれるのです。
職場で誰かに頼ることは、決して恥ずかしいことではありません。むしろチームの結束力を高め、互いの成長を促す積極的なコミュニケーションと言えます。早めに軌道修正する機会にもなります。AI全盛の時代、人間ならではの連帯力や巻き込む力、任せる力は、今後、より価値あるスキルとなります。人事担当者から率先して受援力を発揮し、KSKを駆使していろいろな人に意見を聞いたり、相談したり、自己価値観を高めたりすることを通じ、人事担当者自身が受援力のお手本となって、誰もが頼りやすい風土を職場に浸透させることが重要です。
人事部門として、従業員の「受援力」を高めるために、どのようなアプローチが可能でしょうか。
「もっと頼りましょう」と呼びかけるだけでは、効果は限定的です。組織として、意図的に仕組みや環境を整えていく必要があります。
まず大事なのは、頼られる(助けを受けとめる)側のスキルを磨くことです。部下や同僚が勇気を出して助けを求めてきたときに、上司や周囲がそれを適切に受け止め、対応するスキルです。特に、管理職向けの研修プログラムに取り入れることを強く推奨します。具体的には、ただ話を聴く「傾聴」だけでなく、相手が本当に困っていることを引き出すための「問いかけ」の技術や、相談してきた行為を肯定する「受容」の姿勢などを学びます。
そして、先ほども触れましたが、管理職自身が率先して自己開示を行い、自らの弱みや失敗談を語って、部下の意見を聞いたり相談したりすることも、極めて重要です。完璧な上司ではなく、共に悩み、助け合うパートナーとして振る舞うことが、部下の「受援力」を引き出す最も効果的な方法と言えるでしょう。
「頼る」ことを後押しする制度や仕組みを設計することも重要です。例えば、多くの企業で1on1ミーティングが導入されていますが、単なる進捗確認の場になってしまっているケースが散見されます。「業務上の課題だけでなく、個人的な悩みやキャリアの不安なども含めて、安心して話せる場」「公私混同してもよい。人間対人間としてつながりを築ける場」として再定義し、その目的を管理職と部下の双方に丁寧に周知することが重要です。
小さな成功体験を共有し、組織文化として根付かせることも有効です。制度や研修だけでは、文化は醸成されません。「頼ってみたら、仕事がスムーズに進んだ」「勇気を出して相談したら、気持ちが楽になった」「部下に頼られて、自分も新たな学びがあった」といった、ポジティブな事例を社内で積極的に共有するのです。そのためには、社内報やイントラネットで好事例を紹介したり、朝礼や定例会議の場で共有する時間を作ったりすると良いでしょう。社員研修の後、社員食堂の机の上に「受援力でこんなに助かった!」「私のKSKボキャブラリー」というエピソード集を配置している企業もあります。小さな成功体験の共有を繰り返すことで、「この組織では、頼り合うことが推奨されているのだ」「助け合うことは、お互いにとって良いことなのだ」という認識が、徐々に従業員全体に浸透していきます。
個人のスキル、マネジメントのスキル、そしてそれを支える制度と組織文化を連動させていくことが、人事部門が主導すべき組織的なアプローチだと考えます。
これからの人事戦略を考える上で、非常に重要な視点をいただきました。最後に、人事担当者や経営者の方々へメッセージをお願いします。
これまで、人事部門の役割は、採用、育成、評価といった制度を設計し、運用することが中心だったかもしれません。これからの時代に求められるのは、そうしたハード面の制度設計に加えて、従業員一人ひとりが安心して、自分らしく能力を発揮できる土壌、すなわち組織文化を育んでいく役割です。
「受援力」は、その文化を育む上で重要なキーワードです。人は誰でも、一人ではできないことがあります。得意なこともあれば、苦手なこともあります。また、余裕があるときとないときがあり、自分のパフォーマンスも機械のように一定ではありません。人間の当たり前の「弱さ」や「不完全さ」を、組織として受け入れ、互いに支え合うことができるか。その覚悟が、今、問われているのだと思います。
「頼る」ことは、依存ではありません。自立した人同士が、共通の目的を達成するために築く、健全で戦略的なチームワークの一つです。人事担当者の皆さんには、ぜひ「助けてほしい」という声が安心して発せられる環境、そしてその声が温かく受け止められ、職場環境の改善につなげられる環境を築いていってほしいですね。
「お互い様」の精神が根付いた組織は、困難な状況に直面したときにも、しなやかに乗り越えていくことができます。それは、従業員の幸福度を高めるだけでなく、企業の持続的な成長を支える、何よりの競争力となるはずです。

(取材:2025年8月29日)

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