失われた30年の成功体験を越えて
J.フロントリテイリングが挑む
「価値共創」と個人の“Will”を覚醒させる人事戦略
J.フロントリテイリング株式会社 人財戦略統括部 グループ人財開発部長 執行役
今津 貴子さん

変化の激しい時代に企業の持続的成長を実現するには、旧来の成功モデルからの脱却が不可欠です。大丸・松坂屋の百貨店事業を中核として幅広い事業を展開するJ.フロントリテイリング株式会社は、経営戦略の根幹に「価値共創」を掲げ、100年に1度の変革に挑戦。その実現の鍵を握るのが、人財戦略の抜本的な転換です。個人の“Will”を起点とした組織づくりこそが変革の原動力になると語る同社 グループ人財開発部長の今津貴子さんに、過去の成功体験を乗り越え、従業員一人ひとりの熱量を引き出す挑戦の軌跡と、その先に描く未来について伺いました。

- 今津 貴子さん
- J.フロントリテイリング株式会社 人財戦略統括部 グループ人財開発部長 執行役
大学卒業後、株式会社大丸(現 株式会社大丸松坂屋百貨店)に入社。紳士靴の販売、法務担当などを経験。2018年より人事領域に携わり、2024年よりJ.フロントリテイリング株式会社にて現職。グループ全体の採用、育成、風土改革、DE&Iなど、人財開発領域全般を統括する。
なぜ今、「価値共創」なのか。30年続いた「オペレーショナルエクセレンス」という成功体験からの脱却
まず、貴社の人財戦略の根幹にある「価値共創」という考え方について伺います。この言葉が生まれた背景や、そこに込められた意味をお聞かせいただけますか。
当社の経営戦略のまさに中心にあるのが「価値共創」です。現社長の小野が就任した2024年に始まった中期経営計画において、「価値共創リテーラーグループ」への変革を追求することを明確に打ち出しました。それに合わせて、人財戦略を大きく転換させる必要があり、この1年半、まさに戦略を練り続けてきたというのが実態です。
では、「価値共創」とは何なのか。未来を切り開き、目指す姿を実現していくのは、当社グループの従業員一人ひとりの力に他なりません。従業員を最も重要な価値共創パートナーと位置づけ、一人ひとりのWill(意志・意欲、内発的動機)に寄り添いながら、会社と従業員が相互に支援・貢献することによって、共に成長していくことを目指しています。
「価値共創」は、私たちが長年よりどころとしてきた成功体験からの脱却という、強い危機感に基づいています。ご存じの通り、百貨店業界は「失われた30年」と言われる長い期間、非常に厳しい状況にありました。低成長とデフレが続き、物の値段が上がらず、給与も伸び悩む。そうした時代の中で、かつて高度成長期に「ハレの場」として業績を伸ばしてきた百貨店が生き残るために何をしたかというと、徹底的なコスト圧縮でした。
人への投資を抑え、採用を凍結することもありました。デフレに対応し利益を確保するため、「営業改革」を通じて、究極の「オペレーショナルエクセレンス」を追求してきたのです。
オペレーショナルエクセレンスとは、具体的にはどのような取り組みだったのでしょうか。
一人ひとりの担当業務を明確に定義し、細分化しました。例えば同じ販売担当でも、直接接客する人、カウンターを担当する人など、売場の特性に応じて役割を分け、仕事の進め方を一つひとつマニュアル化しました。この仕事量であれば何人、何時間でできる、というレベルまで業務を分解し、徹底的に効率化を図ったのです。
このやり方を約30年間続けることで、私たちは厳しい時代を乗り越えてきました。そのため、社内にはこの成功体験が深く、強く刻み込まれています。しかし、時代は大きく変わりました。変化のスピードは激しく、先月の常識が今月にはもう古いと言われる時代です。このような環境で、決められた役割だけをこなし、「私はそれしかできません」という人財を育てているようでは、もはや生き残れません。非常に強い危機感がありました。
過去の成功モデルは現在の環境では足かせになりかねない、ということですね。
その通りです。そこで私たちは自社の変革、言わば「脱皮」が必要だと考えました。外部の強みと私たちの強みを掛け合わせ、新しい価値を生み出していく。私たちのグループには百貨店だけでなく、パルコや建築、不動産など多様な事業があり、同時に多様な人財がいます。これまでは、各社がそれぞれの最適化を追求する「個社最適」に陥っていました。人事制度もシステムもバラバラで、グループとしての総合力を発揮できていなかったのです。
もはや1社では太刀打ちできない時代に、グループの強みを掛け合わせなければ、新しい価値は生み出せません。まさにグループ全体が、100年に1度の変革期を迎えています。その変革をけん引する旗印が、「価値共創」なのです。
「価値共創」は、社内やグループ内にとどまらない考え方なのでしょうか。
はい。お客さまはもちろん、店舗を構える地域の方々、株主、数万社にのぼるお取引先、そして従業員。私たちを取り巻く全てのステークホルダーと「共創」していきます。そこにあるのは、対等なパートナーシップという考え方です。お客さまも、お取引先も、そして会社と従業員も、全てが対等なパートナーであるべきだと考えています。
具体的には「感動共創」「地域共栄」「環境共生」の三つを実現したいと考えています。「感動共創」では、モノを売るだけでなく、感動体験を顧客に提供し、つながっていくことで、顧客と共に新しい価値を創っていきます。「地域共栄」では、例えば、子会社の百貨店で九州の自治体と協定を結び、共に名産品を開発して、プロモーション活動を行うなどの「九州探検隊」という取り組みが始まっています。「環境共生」では、「Another ADdress」というアパレルのサブスクリプションサービスや、「MEGRUS」というブランド品のリユース事業を外部パートナーと連携して立ち上げました。
こうした一つひとつの取り組みが、私たちの目指す「価値共創」の姿です。まだ始まったばかりですが、このような動きをグループ全体に広げていきたいと考えています。
“Will”を起点に、個と組織が共に成長する。「巻き込むチカラを、面白がるココロを。」に込めた変革への意志
経営戦略としての「価値共創」を実現するために、人財戦略においては、どのような転換を図ろうとしているのでしょうか。
私たちが最も重視しているのは、従業員一人ひとりの才能とWillにしっかり向き合うことです。会社という組織の目標と、個人のWillをすり合わせながら、共に実現していく。そのために何をすべきか、という点を全ての起点として考え始めました。
これまでのオペレーショナルエクセレンスを追求する中では、会社から指示されたことを素直に受け止め、真面目にやり遂げることができる人財が評価されてきました。しかし、「価値共創」を成し遂げるには、それだけでは不十分です。現状に対して「本当にこれで良いのだろうか」「もっと他に良い方法はないか」と自ら問いを立て、これまでにはない新しい何かを生み出そうと考えられる人財、組織を超えて挑戦できる人財を育てていく必要があります。
新たな成長パターンに転換するため、積極的な人財投資を行い、将来の飛躍に向けた土台作りを進めています。当社が過去に全社的な合理化施策によって成し遂げた成長という成功体験から脱却し、多様な事業を持つグループとしての総合力を発揮するため、「人財管理」から「人財開発」へ、「オペレーション指向」から「マーケット指向」へ、「個社最適」から「グループ最適」へ、人財戦略の転換を図っています。

まさにマインドセットの変革が求められるわけですね。
はい。役員が集まる合宿などで議論を重ね、私たちが持つ強みは何か、何を残し、何を変えるべきかを突き詰めて考えました。その結果、見えてきたのは、従業員は真面目で素直、目の前の仕事に誠心誠意取り組む人財が多い、という強みです。一方で、日々の業務に追われ、新しいことを考える「余白」がない。そもそも、余白を生み出そうという発想自体が生まれにくい環境でした。
これからの時代、新しい価値を生み出すためには、誰かが一歩踏み出し、外部とつながり、新しい価値観や手法を取り入れる、いわば「ファーストペンギン」のような存在が必要です。ただし、そういう人財を育てるだけでは不十分です。その挑戦を「いいね、面白いね」と受け止め、「私も一緒にやります」と手を挙げるフォロワーやサポーターも同時に育てていかなければ、変革の動きは組織に根付きません。
そのために、どのような考え方を軸に据えたのでしょうか。
グループ各社でバラバラだった考え方を束ねる、共通の軸が必要だという結論に至りました。そこで策定したのが、グループ共通の「人財マネジメントポリシー」。「巻き込むチカラを、面白がるココロを。」という言葉です。
誰かが始めた挑戦を「面白がる」マインド。そして、自らもチャレンジする行動力。他者を気持ちよく巻き込み、「この人と一緒なら」と思わせる求心力。こうしたマインドと行動を、採用、育成、配置、評価といった全ての人事マネジメントの中心に据えていこうとしています。まだ道半ばではありますが、このポリシーを基盤に、各施策のブラッシュアップを進めている段階です。
従業員は、会社から与えられた仕事に対して非常に真面目で、やり遂げる力が本当に強い。「これは無理だろう」と思っていたことでも、やり遂げます。それは素晴らしい強みです。一方で、「それは本当にあなたがやりたいことですか」「その仕事が終わったら、次にあなた自身のキャリアをどう描きますか」と問うと、多くの従業員、特にベテラン層は戸惑ってしまいます。
自身の意思でキャリアを考える機会が少なかった、ということでしょうか。
そうかもしれません。圧倒的に強いリーダーについていけば大丈夫、それが正解だ、という時代を長く生きてきました。「黙ってついてこい」というスタイルで、デフレの時代を乗り越えてきた成功体験があるからです。そうした環境では、従業員は自ら考えなくなります。
だからこそ今、私たちはこれだけ「Will、Will」と繰り返し伝えているのです。一人ひとりが自分の想いを声に出し、行動に移していく。その積み重ねがWillの実現につながり、ひいては価値共創という大きなうねりになっていくと信じています。
従業員の挑戦を促す「RED」、外部出向、デジタル人財育成
従業員のWillを尊重し、引き出すために、具体的にどのような施策に取り組まれていますか。
代表的な取り組みの一つが、「RED」という企業風土醸成企画です。「Realize Energetic Dream(熱量あふれる夢を実現する)」の頭文字をとったもので、まさに従業員の「これがやりたい!」という熱い想いを、会社がサポートしながら実現していく仕組みです。
面白いのは、この企画自体が、ある従業員のWillから生まれている点です。私が着任する前に、2030年のあるべき姿を考える若手中心のプロジェクトチームがありました。その中にいた私の部下を含む数名が、「成果を問うのではなく、個人のやりたいことを純粋にサポートする仕組みを作りたい」と強く願ったのです。そのWillが形になったのが、この「RED」です。
まさに価値共創を体現するような成り立ちですね。どのようなWillが実現しているのでしょうか。
事業領域に制限はなく、新規事業の提案もあれば、既存業務の改善、さらには社会貢献に関する提案まで、多岐にわたります。例えば、従業員の有志が部活動として行っていた農園活動を、会社としてサポートしてほしい、といった応募もありました。
毎年数十件の応募の中から、選考を経て数件を採択します。採択されると、ピッチ大会でその想いをグループ全体に発信し、手挙げ式で集まったサポーターと共に、実現に向けて走り出します。もちろん、必要な経費は会社が支援します。この取り組みを通じて、会社や組織の壁を越えた連携が生まれていますし、挑戦する人の姿が次の挑戦者を生むという好循環も少しずつ見えてきています。
外部の知見を取り入れるための施策についても伺えますか。
グループの施策として、CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)の出資先であるスタートアップ企業へ、従業員を研修出向させています。公募制で、手を挙げた従業員が最長1年間、全く異なる環境に身を置きます。スタートアップの意思決定のスピード感や働き方は、私たちの組織とは全く異なります。その中で新しい事業に挑戦したいという強いWillを持った従業員が、その経験を必ず自社に持ち帰り、新たな価値創造に貢献してくれると期待しています。
また、会社単位では、私たちより先行して、外部のスタートアップ企業への「越境学習」を制度化している子会社もあります。こうした動きをグループ全体でさらに活性化させていきたいと考えています。
デジタル人財の育成にも力を入れていらっしゃると伺いました。
はい。「デジタルコア人財」の育成は特に注力している分野で、デジタル部門に専任組織を作り、内製化して取り組んでいます。具体的には、「デジタルデザイナー研修(デザイン思考)」と「データアナリスト研修」という二つのコースを自前で開発し、3ヵ月間の集中プログラムとして提供しています。
現在、各社からの推薦制で実施しており、参加者はその間みっちりとスキルや考え方を学びます。最終的には、2030年までに1,000名のデジタルコア人財を育成するという、挑戦的な目標を掲げています。DXを活用して既存の業務プロセスを変革したり、顧客満足度を向上させたりと、活躍する場面は今後ますます増えていくでしょう。また、より裾野を広げるために、デザイン思考の単発研修や動画学習といったライトなプログラムも提供しており、こちらには延べ1,500名ほどが参加しています。

キャリア開発に関する研修も非常に手厚いそうですね。
外部から来た人に驚かれることの一つが、キャリア開発研修の多さです。グループの全従業員を対象に、20代、30代で各1回、40代以降は5歳刻みで、1泊2日の研修を実施しています。
特にミドル・シニア層のリスキリングやマインドチェンジは重要なテーマです。研修所に缶詰になり、同年代の仲間と対話する中で、自身のキャリアや人生を深く見つめ直す機会を提供しています。やらなければならないことが山積みで、研修を担当している部署は大変なのですが、従業員一人ひとりの人生に寄り添い、共に成長していくという会社の姿勢を示す、重要な取り組みだと考えています。
変革の最大の鍵は「マネジメント」にあり。“罰ゲーム”化する管理職を解放し、リーダーシップを再定義する
さまざまな施策を進める中で、変革の難しさを感じる場面はありますか。
何十年もかけて積み重ねてきた企業風土は、まさに「岩盤」のようだと感じています。外部から来た人も、「なかなか複雑で根深い文化だ」と話していて、一朝一夕に変わるものではないと覚悟しています。じっくりと腰を据えて取り組む必要がありますが、一方で施策は次々と打っていかなければなりません。
その中でも、私たちが最優先の経営課題として取り組んでいるのが「リーダーシップ改革」、すなわちマネジメント層の変革です。
多くの企業が同様の課題を抱えていると思いますが、部長や課長といった管理職の役割が、もはや「罰ゲーム」のようになっていると感じています。ほとんどの管理職がプレイングマネジャーとして自身の業務を抱える中で、DXや制度改革といった新しい仕事が次々と上乗せされていく。一方で、部下からの突き上げもあり、上層部からのプレッシャーも強い。彼らが疲弊しているのを、肌で感じています。
このような状態では、マネジメントは機能しません。部下の話をじっくりと聞く時間がなく、権限も十分に付与されず、自ら判断しない。他部署との連携も面倒になり、問題を自分たちで抱え込んでしまう。この状況を打破しない限り、価値共創も、風土改革も進まないと考えています。
具体的に、どのように変革を進めようとしているのでしょうか。
まずは、マネジメントの役割を再定義することから始めています。理想はマネジメントに専念することかもしれませんが、現実的には難しい。最低限のマネジメント業務、例えば部下の育成や目標設定、健全な権限委譲などをしっかりと行える環境を整える必要があります。そのために、評価のあり方を含め、仕組みから見直しをはじめたところです。また、一人の管理職が抱える部下の人数、いわゆるマネジメントスパンが適正かどうかも検証しています。
ここが変革の起点です。マネジャー自身が、自分が変革の主役なのだと腹落ちし、率先して動かなければ、組織の風土は変わりません。
変革のメッセージを、現場にどのように浸透させているのでしょうか。トップダウンの難しさもあるかと思います。
おっしゃる通り、私たちは長年トップダウンでやってきた組織なので、現場には「また上から何か降ってきた」という、ある種の「シラケ」が生まれやすい土壌があります。この「シラケのマネジメント」は、変革を進める上で最も重要だと思っています。
そこで、経営層の対談をショート動画にして配信するなど、メッセージの伝え方を工夫しています。「見なさい」と強制するのではなく、「こんなのあるよ」と、あくまでも選択肢として提示。また、社長と各事業会社の社長が対談形式で行うオフサイトミーティングでは、その場で従業員からの質問をリアルタイムで受け付け、双方向のコミュニケーションを重視しています。
時間はかかりますが、対等なパートナーとして対話を重ねることで、会議の場で意見が出るようになったり、各社で自発的に会議のあり方を見直す動きが出てきたりと、変化の兆しが見え始めています。
人づくりと組織づくりは両輪で。人事部門自らが体現する「価値共創」の未来
今後の展望についてお聞かせください。
人財開発はもちろん、組織開発にも注力していきたいですね。人づくりと組織づくりは、まさに車の両輪であり、一体で進めるべきものだと考えています。
人づくりにおいては、これまでお話ししてきたような教育研修や、個々のタレントを見える化し、データを蓄積しながら戦略的な配置・育成を行うタレントマネジメントを強化していきます。
組織づくりでは、ハード面の「仕組み」とソフト面の「風土」の両方からアプローチします。挑戦した人をきちんと称賛し、評価する仕組み。下から意見が湧き上がってくるようなメッセージの発信。これらを適切なタイミングで打ち出していく必要があります。
人事部門の変革も求められます。私たち人財戦略統括部が取り組む戦略の柱の一つに、「人事改革」を掲げています。戦略を立案し、グループ全体をけん引していくためには、人事パーソン自身の戦闘能力を高め、戦える組織に変わらなければなりません。まず私たち自身が、部門の壁を越えて連携し、「価値共創」を実践する。その背中を見せることでしか、誰もついてきてはくれないと考えています。2030年に「価値共創リテーラーグループ」へと変革を遂げた姿を実現できるよう、これからも挑戦を続けていきます。

(取材:2025年9月11日)

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