日本の人事部「HRアワード2024」受賞者インタビュー
企業人事部門 最優秀個人賞 受賞
世界中の現場で学んだ「人事は運用が8割」
一人ひとりのポテンシャルをアンロックして、
パナソニックから日本の人事を変える
パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCHRO
木下 達夫さん
日本の人事部「HRアワード2024」企業人事部門 最優秀個人賞に輝いた、パナソニック ホールディングス株式会社 グループCHROの木下達夫さん。P&Gで人事のキャリアをスタートし、その後に所属したGEでは財務や営業、工場マネジメントなど人事以外のポジションを務めたことで、「事業そのものを前に進め、現場の思いを理解する」経験を積んだといいます。メルカリでグローバル規模の組織開発を担い、2024年7月からは現職で「日本の人事を変える」挑戦がスタート。木下さんの歩みを追いかけるとともに、日本企業の人事がこれから向き合うべき本質的な課題について聞きました。
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- 木下 達夫さん
- パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCHRO
きのした・たつお/P&Gジャパンで採用・HRBPを経験。2001年日本GEに入社、北米・タイ勤務後、プラスチックス事業部、金融部門などで人事の要職を歴任。2012年よりGEジャパン人事部長。2015年にマレーシアに赴任し、アジア太平洋地域の組織人材開発、事業部人事責任者を務めた。2018年12月にメルカリに入社、執行役員CHROに就任して海外出身のエンジニアが多数活躍する組織作りを推進。2024年7月にパナソニック ホールディングス入社、執行役員 グループCHROに就任。
「組織と個人のWIN-WIN」を意識するようになったP&Gでの経験
「HRアワード2024」企業人事部門 最優秀個人賞を受賞された感想をお聞かせください。
これまでに名だたる人事パーソンの方々が受賞されていますので、とても光栄に思うとともに、賞の重みを感じています。周囲の方々の反応は想定していた以上で、フェイスブックで受賞を報告したところ、800近い「いいね!」をいただきました。
私は、人事としての自分のミッションを「組織と個人のWIN-WINの関係を構築し、その両者のWINのレベルを最大化させること」だと考えています。このミッションは私一人で成し遂げられるものではありません。今回の受賞はこれまでに組織変革をともに進めてきたリーダー、メンバー、外部パートナーなど、仲間たちとの共創の結果だと思っています。
木下さんが掲げる人事ミッションは、どのような経験から見出したのですか。
私がこの思いを抱くようになった原点は、社会人としてのスタートを切り、最初に人事を担当したP&G時代にあります。
私は大学時代にマーケティングを学んでいました。就職活動ではマーケティングに強みを持つことにひかれてP&Gにエントリーしたのですが、説明会や選考を通じてP&Gではマーケティングの考え方を人事にも応用していることを知りました。
マーケティングの基本的な考え方はWIN-WINです。お客さまに大きなメリットを感じてもらうため、自社とお客さまの両者のWINを高めて橋渡しするのがマーケティングの仕事。同じように、会社で働く個人がWINになり、会社もWINになるよう橋渡しをしていくのが人事だと学んだのです。
私は人事の仕事に強く興味をかき立てられました。P&Gは当時から新卒の職種別採用を行っていたので、HRを第一希望で出したところそのまま通って人事配属になりました。これが私の出発点です。いま振り返っても、良い選択をしたと思います。
P&G時代にはどんな仕事を担当したのですか。
最初に担当したのは新卒採用です。ここでも、候補者のWINを大切にすることを第一に考えました。
P&Gの新卒採用チームは、自社の採用成果だけでなく、自社にエントリーする学生がキャリアにおいて何を考えるべきか、どんな点を考慮して会社を選ぶべきかにも踏み込んでアプローチしていました。未経験でも数年でマーケティングのプロになれる研修プログラムがあったので、そのノウハウを応用。学生向けにマーケティングのメソッドを伝える「P&Gアカデミー」や「P&Gビジネススクール」を開講し、キャリアの可能性を考えるきっかけにしてもらいました。こうした取り組みの結果、P&Gは就職人気企業ランキングで上位に入るようになったのです。
ただ、そのようにキャリアを考えてP&Gを選んでも、入社後には活躍する人とそうでない人に分かれてしまっていました。自社を志望した人たちの思いを理解する採用担当としては、入社後になかなか活躍できない人がいる現実は受け入れがたいもの。「入社した人が活躍できるようにしたい」と考え、私はHRBPを志願しました。
HRBPを務めた結果、私は人事パーソンとしての最初の壁に直面することになります。それまでに採用領域での知見は蓄積していたものの、若手の人材開発や組織開発といった領域では、自分にできることがほとんどなかったからです。あまりにも知見がなさすぎると感じ、自分自身に愕然(がくぜん)とした社会人5年目でした。
人事の課題を乗り越えるために、あえて人事以外のポジションへ
その後の2001年、木下さんは日本GEへ転職していますが、この決断の背景には何があったのでしょうか。
GEへの転職を決めたのは、「HRリーダーシッププログラム」という制度があったからです。当時の設計では、人事部門に入社したメンバーが8ヵ月×3回のローテーションでさまざまなポジションに就き、人事以外の仕事を経験するという仕組みでした。
人材開発や組織開発の知見不足を痛感していた私は、事業の現場に身を置いて事業そのものを前に進める経験を積み、そこで奮闘する従業員の思いを理解したいと考えていました。そんな私にとって、GEの制度はうってつけだったんです。
人事としての課題を乗り越えるために、あえて人事以外のポジションを経験できる機会を選ばれたのですね。
はい。転職後はさっそく、アメリカ・カナダの事業会社で財務や内部監査の仕事を担当しました。
その後はタイの工場へ赴任しマネジャーに。営業本部長や営業マネジャーとともに、営業プロセス改善や生産性向上を目的とした取り組みを進めました。営業メンバーに同行して顧客先へ赴く機会も多く、手触り感を持って組織・事業・現場を理解し、自分の中の引き出しを増やすことができました。
栃木県にあった日本GEプラスティックス(当時)の工場人事も経験しました。生産が海外へシフトし、コストカットの連続で従業員が疲弊していた時期であり、エンゲージメントスコアが100点満点で30点という状況での赴任でした。経営陣への不信感も根強かったと思います。
一方、この工場には日本の事業に迅速に対応し、昔ながらの高い技術力を武器に新機能を持つ製品や新開発の材料を試せる強みがありました。有名製品の開発プロジェクトに参加し、高い付加価値を生み出す工場へと生まれ変わる取り組みを進める中で、エンゲージメントスコアが2年間で80点台へ大幅改善。従業員の目の色が変わり、「組織は生まれ変わることができるんだ」と実感しました。
人事は「運用が8割」。良い理念や方針が現場に悪さをすることもある
GEでのさまざまな経験の中で、人事パーソンとしての転機となった出来事はありますか。
GEが買収した日本の金融事業会社へ赴任した際は、人事制度における「運用の重要性」を痛感しました。
この会社では、伝統的な日本企業のやり方から外資系企業のやり方へと変化する中で、現場から不安や不満の声が多く上がっていたのです。たとえば外資系となってからは「従業員本人の希望を考慮しない人事ローテーションはNG。すべて社内公募しなければいけない」という方針になり、それまで行われていた定期人事異動が止まっていました。
従業員の主体性を重視する配置の方針が間違っているとは思いません。ただ現実を見ると、定期人事異動が止まったことで、10年前に単身赴任で地方へ転勤したまま戻ってこられなくなっている人もいました。一方で、「社内公募は裏切り者が利用するもの」と見られる風土もあり、もとの部署へ戻ることは簡単ではありませんでした。
「動きたくても動けない」というジレンマを抱える人がたくさんいたわけですね。
はい。この問題をひも解くために、私は現場でたくさんの人から話を聞きました。現場からすると、一人ひとりが大きな案件を抱えているので、社内公募で突然動かれては困る。支社・支店の管理職からすると、人を出すのはいいとしても、代わりに誰かが来てくれなければ業務が回らなくなってしまう。こうした事情があるからこそ、以前は定期人事異動を行っていたのです。
そこで私は、定期人事異動を復活させることを決断しました。GEの「従業員の意思を尊重する」という方針に則り、本人の希望を聞いた上で、実際に異動する人数の上限を定めて支社・支店の人員計画に影響が出ないようにしました。こうして定期人事異動が再び始まり、現場からは喜びの声がたくさん届きました。
会社として崇高な理念があり、正しい方針だと信じていても、それが必ず現場の人を幸せにするとは限りません。良い理念や方針が現場に悪さをすることもあるのです。本質的に組織のWINと個人のWINを両立するために必要なのは、人事が「制度2割・運用8割」を意識すること。完璧な制度を作っても、現場で「裏切り者が利用するもの」と思われていては意味がありません。現場にフィットするように制度をチューニングする運用こそが大切なのだと学びました。
GEを経て、メルカリのCHROに就任しています。これまでとはまったく異なる事業環境への挑戦でした。
GEが厳しい市場環境に対応してデジタル改革を進めていた頃、私はGEジャパンの人事部長やアジアパシフィックの人事責任者を務めていました。100年以上の歴史がある会社を、ITベンチャーのようにアジャイルでスピーディーな組織にできるのか。この挑戦に挑む中で、私はテックカンパニーの成長に貢献したいと考えるようになりました。
日本に帰国した後はグローバル規模のテックカンパニーからいくつかお声がけをいただきましたが、最終的には上場直後のメルカリを選びました。メルカリはまさに、グローバルテックカンパニーになろうとしていたからです。
CHRO就任後は外国人採用を推進し、55ヵ国からエンジニアが集まる会社となりました。高いモチベーションを持って働く英語話者が会社の成長を支え、日本の永住権を申請する人も増加。少子化で高度人材が不足していると言われる中で、日本企業がこうした成長モデルを実現できたのは大きな成果だったと感じています。
パナソニックが変われば日本が変わる。そのポテンシャルと課題
2024年7月、木下さんはパナソニック ホールディングスのグループCHROに就任しました。これまでのキャリアとは異なる伝統的な日本企業への転身に驚いた人も多いようです。
私はもともと、外資系キャリアを離れる際に「これからは日本社会の役に立ちたい」と強く思っていました。外資系で長く人事を務めてきた立場としては、日本企業の人事のスタンダードは世界から遅れている感覚があり、悔しさを覚えていたのです。
だからこそ日本を代表する会社に身を置きたいと考え、パナソニック ホールディングスへの入社を決めました。私は「パナソニックが変われば日本が変わる」と思っています。ゆくゆくは、パナソニックをきっかけにして日本の人事を変えていくことが目標です。
木下さんは、パナソニックの現状や人事に関する課題をどのように捉えていますか。
パナソニックグループはとても大きなポテンシャルを秘めていると感じています。ここ数年をかけて事業会社制度を取り入れ、会社ごとに競争力のある人事の仕組みを作れるようになりました。それによってさまざまな取り組みが生まれ、グループ会社からはジョブ型人事制度の先進事例が発信されています。
入社して驚いたのは、働いている人たちの服装が意外とカジュアルだったこと。大阪の本社でも東京のオフィスでも、Tシャツにジーンズのカジュアルな服装で歩いている人がたくさんいます。オフィスはフリーアドレスで役員との距離が近い。メール文化からチャット文化への転換が進み、社内SNSも活発に使われています。外資系やテックカンパニーを経験した者として、こうした実態があることはポジティブな驚きでしたね。
一方で、課題も明確だと考えています。エンゲージメントスコアは毎年少しずつ上がっており、グループ全体で68と高い水準にあります。ただ、「働きやすさ」と「働きがい」の要素別で見ると、働きやすさは先行して改善されていますが、働きがいはなかなか高まっていないのです。
たとえば「私が求められている以上のことをやれる組織か」「リスクを取って挑戦することが許容されるか」といった設問に対しては、グループ全体で数値が低い傾向にあります。大企業ならではの上意下達の風土がまだまだ残っており、社員一人ひとりがポテンシャルをアンロック(UNLOCK)、つまり最大限発揮し、自走する動きを十分にサポートできていないのかもしれません。
働きがいが高まらなければ本質的な変革は成し遂げられません。挑戦しがいのある、大きな課題だと思っています。
従業員が「フロー状態」になれる環境を作り、「PX」を推進したい
働きがいを高めていくために、どのような方針を立てていますか。
パナソニックには、創業者の松下幸之助から受け継いだ経営哲学と行動指針があります。これを従業員個人が自然に理解し、腹落ちできるように、各事業会社のHRリーダーとともに活動しています。
たとえば、リスクを取って挑戦する人を称賛し、挑戦しない人へは厳しくフィードバックしていく必要があるでしょう。これは人事だけではなく、組織のあらゆるレベルで進めていかなければなりません。
多様性の拡大も重要です。2023年、パナソニックでは中途採用入社者が2000人を超え、初めて新卒採用入社者の人数を上回りました。多様な人材の知見や方法論を吸収し、プロパーだけでは見つからなかった新しいやり方を実践していけるようになるはずです。
すでに国内では中途採用入社者の割合が20%を超えています。20%を超えると中途採用入社者が組織内の珍しい存在ではなくなり、一定の存在感が発揮されるようになります。これを後押しできれば、さらなる変化につながるはずです。
パナソニックの人事をさらに発展させていくための目標をお聞かせください。
従業員が「フロー状態」になれる職場環境を作り、拡大させていきたいと考えています。
フロー状態とは、業務に没入し、楽しくて仕方がない状態を指します。従業員が言われたことや求められたこと以上の業務に挑戦でき、かつ挑戦を阻害する要素が少なく、力を発揮しやすい職場であればフロー状態に入れるはず。そのための環境整備を進めていきます。
松下幸之助が残した言葉にも「会社が社員に与えられる最上位の幸せは、仕事が楽しくて仕方ない状態を作ること」とあります。これはまさに、フロー状態に入る従業員を増やすことだと言えるでしょう。
パナソニックの現経営陣からは、よく「役員に昇進するまでのキャリアではヒリヒリ感の連続だった」と聞きます。最近は事業の成長がスローダウンし、守りの仕事も増えているので、フロー状態になかなか入れないのではないかという反省の思いも聞かれました。フロー状態に入っている従業員の比率を高めることが、経営視点でも今後の重要指標となります。
また、「PX」(パナソニックのデジタルトランスフォーメーション)を支える組織開発・人材開発も今後の重要テーマです。社内の事業では、生成AIを活用したビジネスがどんどん立ち上がっています。一人ひとりが挑戦できるカルチャーを加速させ、PXを実現していけば、これまでにない変化につながるはず。兆しは社内のあちらこちらに見られます。私の役割は、これらの兆しを大きな炎に変えることだと認識しています。
人事の「モダナイゼーション」に取り組み、会社を超えて成果を共有したい
先ほどは「パナソニックをきっかけにして日本の人事を変えていきたい」というお話がありました。木下さんは、現在の日本企業の人事部が抱えている課題をどのように考えていますか。
大きく三つの課題があると考えています。
まず、日本企業の人事は「Why」を大切にするべきだと思っています。一つひとつの取り組みや施策について、「なぜそれをやるのか」を掘り下げて考えるということです。
Whyの反対は「How」、つまり方法論ですね。人事はとかくHowに引っ張られがちですが、そもそも自分たちは何をしたかったのか、顧客にどんな価値を届けたいのかを考えた上で、必要な方法論に落とし込むべきではないでしょうか。
人事は業界を超えて先進事例を導入しやすい一方で、流行に飛びついてしまうところもあります。制度を導入することが目的化しているようではもったいない。トップレベルでも現場レベルでも、Whyを語り合うことが何よりも重要だと考えます。
二つ目は、「運用が8割」。制度を生み出すだけではなく、現場の従業員のために運用しきることが大切です。
評価制度を例に取って考えてみましょう。しっかりと成果を出している人が正しく評価されることには誰も反対しません。ただ、人事部門が分布を気にして「1や2の悪い評価もちゃんとつけてください」と現場にお願いすることがあります。現場の管理職としては、当然ながら身近な部下に悪い評価をつけるようなことはしたくない。結果、分布を意識するがゆえに、昇格したばかりの人や育児休業から復帰したばかりの人などが低評価になってしまうのです。
これは、本当にWhyに沿った運用なのでしょうか。管理職が厳しい評価をつけづらいのなら、厳しい評価をすべき人にどう向き合うかを支えるのも人事の運用上の工夫でしょう。「運用8割」は、人事のさまざまな側面に当てはまります。本当にやりたかったことと実態が違う。そんな現場の現実を変えていく工夫をすべきです。
三つ目は、人事の生産性を高めること。これは人事だけの問題ではありませんが、日本の間接部門は生産性が低いと感じています。私がかつて所属した外資系企業では、「間接部門がやめるべきこと」を明確に決めていたため、人事部の人数は毎年減っていきました。
足し算でやるべきことをどんどん増やしていると、どんな会社でも人事が大忙しになってしまいます。最近では人事のオペレーションを変えていくためのツールが続々と登場していますし、海外のオフショアをうまく使うこともできるでしょう。従来のやり方をよしとせず、見直していくことで、人事が本当にやるべきことだけに集中できるはずです。
ちなみに私は、パナソニックに入社して素敵な言葉と出会いました。パナソニックでは生産性拡大ではなく「モダナイゼーション」、つまり近代化という言葉を積極的に使うのです。生産性と聞くとコストカットをイメージし、現場では防衛本能が働きがち。それに対して、やり方を近代化して進化させるというモダナイゼーションは前向きに捉えられますよね。
最新の技術を取り入れ、自分たちの業務をどんどん楽にしていく。私自身もそんな人事のモダナイゼーションに取り組み、会社の枠を超えて積極的に成果を共有していきたいと考えています。
(取材:2024年11月1日)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。