いま日本企業が目指すべきパーパス経営
個人を突き動かす志を引き出し、組織の力にする人事の役割とは
一橋大学ビジネススクール 国際企業戦略専攻 客員教授
名和 高司さん
企業にとっては経営戦略や事業の根幹となり、またビジネスパーソンには生き方や働きがいにつながるとされる「パーパス」。不確実で流動性の高い世の中の羅針盤のような存在として、近年HR領域でも注目されています。パーパスを「志」と表現し、志は資本主義に続く次世代の経営のベースとなると主張するのが、一橋大学ビジネススクール 国際企業戦略専攻 客員教授の名和高司さんです。CSV経営のスペシャリストであり、ファーストリテイリング、味の素、SOMPOジャパンなどの社外取締役としても知られる名和さんに、“志”本経営の考えや志の見つけ方、また人事が担う役割などをお聞きしました。
- 名和高司さん
- 一橋大学ビジネススクール 国際企業戦略専攻 客員教授
なわ・たかし/東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカースカラー授与)。三菱商事の機械(東京、ニューヨーク)に約10年間勤務。 2010年まで、マッキンゼーのディレクターとして、約20年間、コンサルティングに従事。自動車・製造業分野におけるアジア地域ヘッド、ハイテク・通信分野における日本支社ヘッドを歴任。日本、アジア、アメリカなどを舞台に、多様な業界において、次世代成長戦略、全社構造改革などのプロジェクトに幅広く従事。その後、ボストン・コンサルティング・グループのシニア・アドバイザーを経て、現在はインターブランドとアクセンチュアのシニア・アドバイザー。2010年6月より、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授に就任。2020年4月より、京都先端科学大学客員教授を兼任。
志(パーパス)は、新たな時代の経済主体「人」を動かすエンジン
行き過ぎた資本経済の反動から、国内でもSDGsやCSVなど社会課題の解決に根ざした事業を展開する企業が増えています。
ESGやSDGsに取り組むのは、特別なことではありません。企業活動を行ううえでの大前提で、私にしてみれば、空気や水の話をしているのと変わらない。グローバル・スタンダードに追い付こうとSDGsに躍起になる企業がありますが、ことの本質をつかめていないように思います。
そもそもSDGsは、2030年までの目標です。企業経営は超短期と超長期の二つの時間軸で考えるものであり、未来を見据えるならば、残された9年という時間は短すぎます。
また日本の企業には、SDGsは慈善活動の延長であり、利益は二の次と捉える傾向があります。このような姿勢で取り組んでいては、収益を圧迫し、いずれ活動自体が立ち行かなくなってしまうでしょう。社会価値と経済価値の両方を高めてこそ、経営は成り立つものです。
社会価値を高めながら自らの経済価値も高めるカギは、三つのポイントに集約できます。一つ目は、SDGsでも問われているサステナビリティ(Sustainability)。ただし違うのは、30年先の2050年を一つの到達点として、SDGs の17の目標を超えた、自社ならではの18番目の目標を掲げることです。二つ目はデジタル(Digital)。昨今DXが叫ばれていますが、今やデジタルは当たり前のツールです。大事なことは、X(トランスフォーメーション)。デジタルを活用して、いかに業務、事業、経営を変革するかです。三つ目はグローバル。社会も環境、そして企業活動そのものも地球規模で考えなければなりません。。しかし実際には地域間の競争や分断は深刻さを増していて、ボーダーレスには程遠い。それゆえ、私はあえてGlobalに“s”をつけて表現し、三つのポイントの頭文字から「新SDGs」と呼んでいます。
著書などを通じて、日本企業が目指すべきは志本経営だと説いていますね。
近年の世界経済の関心ごとは、ポスト資本主義です。ここ数年のダボス会議では、資本主義の終焉が議論の中心。市場経済と実体経済があまりにも乖離し、今やカネ余りの状態です。金融資産も物的資産もコモディティ化していて、それら自体が価値を生み出すことは難しい。そうした流れから、次の時代の経済の主体として、ヒト、モノ、カネのうちのヒト、すなわち人的資産に注目が集まっているのです。
価値創造の原資として人を捉えたとき、その源泉となるのは自己の欲望ではありません。他者にとって価値のあることをしたいという信念、つまり志です。志の高さが周りの人々の心に火をつけ、社会に大きなうねりをもたらします。企業も、世の中の一人ひとりも「自分は何をしたいのか」が問われているのです。
SDGsの掲げる17の項目は、いわば社会課題解決の規定演技に過ぎません。企業に求められるのは18枚目の切り札です。ここに、その企業が描く独自の未来像が浮かび上がり、真の競争優位が生まれます。日本でも三菱ケミカルホールディングスの「KAITEKI」や良品計画の「感じ良いくらし」、ファーストリテイリングの「Life Wear(究極の普段着)」など、目指す社会のあり方を掲げ、その実現に向けて事業展開する企業が存在します。
「失われた30年」と言われて久しいですが、グローバル・スタンダードや株主至上主義といった言葉に踊らされ、日本の企業に本来備わっていた経営の姿を見失ったことが、低成長や衰退を招きました。懐古趣味に走れと言っているのではありません。遠い未来に向けて走り続けるには、志(パーパス)という自らの存在理由を明確にする必要があるでしょう。
ワクワク・ならでは・できる!をもとにパーパスを見つける
志は、どのようにして見つけられるものなのでしょうか。
私は企業で経営陣や社員向けにCSVワークショップを実施する際、デイドリームセッションを取り入れています。組織のあらゆる制約から解放された前提で、自分たちがこの企業でやりたいこと、実現したいことを、自社の目的とひもづけながらひたすら無邪気に出し合うものです。
このとき私は、「北極星をめざそう」と呼びかけるようにしています。視点を過去と非連続な遠くの高みへと舞い上がらせることが重要だからです。加えて重要なのが、「ワクワク・ならでは・できる!」の三つのフィルターを通すこと。その夢に胸が躍り、自社のユニークネスが反映され、自分たちならば実現できると信じられるものこそ、志にふさわしいからです。
セッションを始めると、経営者や若手社員は乗り気で柔軟に意見を繰り出します。対照的に盛り上がらないのが、ミドルマネージャーたち。日ごろの実務であらゆる制約に縛られているせいか、余計なことを言ったら責任を取らされると感じているようで、なかなか積極的になれずにいます。しかし彼らにも入社した当初は、やりたいこと、実現したいことがあったはず。彼らの当時の気持ちを掘り起こし、志を呼び起こすことが重要です。
ミドルマネージャーの委縮した状態を解放するために、有効な手法はあるのでしょうか。
人事の姿勢を変えることが重要かもしれません。人事の仕事として、ルールを決めて浸透させることを思い描く人もいるかもしれませんが、それは違います。社員が志を見つける「プロセス」を作ることが本来の役割です。デイドリームセッションのような、社員の志を引き出すセッションを企画し、実行する手配師となるべきです。
しかし、このようなことを組織で一斉にやろうとしても難しいでしょう。どこから火をつけるか、という見極めも大切です。日本を代表する経営者である稲盛和夫さんは、人のタイプは自燃性、可燃性、不燃性に分けられると話しています。自燃性タイプは、自ら心に火をつけ燃えることのできる人をさします。あれだけ深刻な経営不振に陥ったJALが3年で復活したのは、社内に自燃性の人たちがいたから。稲盛流の志に自燃性の人たちがすぐに反応し、可燃性の人へと燃え広がったのです。
まずは、自燃性タイプと可燃性タイプを見つけ出し、プロジェクトに巻き込むことがポイントになります。組織を包括的に掌握している人事に、ぜひ頑張ってもらいたい部分ですね。自燃性の人が集まるマグマは、必ず組織に存在します。それを見つけられるかどうかは、人事が日頃からきちんと社員一人ひとりの想いに向き合えているかどうかにかかっています。
一般的な組織では、自然性の人の割合は非常に限られていますが、可燃性の人と合わせれば、かなり大きな炎になるでしょう。残りの不燃性の人たちの心にいきなり火をつけるのは難しいけれど、自然性と可燃性の人たちをきっかけに行動が変わった、という話はよく耳にします。
パーパスが完全一致する必要はない。組織と個人のズレが、化学反応を生み出す
社員たちが働きがいを持って仕事に臨むには、組織と個人の志の一致が重要なのでしょうか。
難しい問いですね。パーパスは自分の内側から沸き起こるものであり、押し付けられるものではありません。また、個の志と組織の志が、一言一句そろうことなどあり得ません。仮にそうした組織があったとしたら、とても危険です。どこを切っても同じ金太郎飴の状態では、全体が不健全な方向へと進んでいたとしても、誰も気づかないからです。
むしろ組織と個人のパーパスに“ズレ”が存在する方がいい。組織の志に、個人が働くうえで大切にする思いがある程度一致していればいいのです。ズレている部分は働く人の個性です。そこから組織にはない火種を持ち込んで、化学反応をもたらします。
しかし組織と個人で目指すベクトルが全く異なるのは、双方にとって望ましいことではありません。多様なパーパスを束ねてストーリー化し、腹落ちさせるのが人事の重要な役割です。このプロセスを、組織を立てるのか、個を立てるのかと二律背反の考えで捉えると、「個は我慢して組織に染まれ」という発想になりがちです。
オーケストラでは、指揮者がタクトを振って、さまざまな楽器の奏でる音色を、一つの大きな旋律にしていますよね。指揮は経営の役割ですが、人事も裏方として、社員一人ひとりが個性をもって働きながら、会社が目指す一つの大きな力を生むように支援することが重要です。
組織と個人の志をすり合わせるために、どのようなやり方が考えられるでしょうか。
一つは1on1ミーティングです。単なるガス抜きや進捗報告の場として使う企業もありますが、本来は自身の内面に存在するパーパスと照らし合わせて、組織の中で何ができるかを考える時間です。こうした機会がなければ、真の働く意義を見失ったまま、ひたすら働き続けることになってしまいます。逆に、働き方を一律に考え、志の実現へまい進したい人の時間を制限していないかも気になります。
今の日本は長時間労働の是正が、働き方改革の主軸にあります。WorkとLifeは、本来切り分けられないものなのです。もちろん人間らしい暮らしは担保すべきですし、家庭を顧みずに働くのはあまりに不自然です。だからと言って、すべての人の働き方を時間で区切るような考えも、自然とは言えないでしょう。ワーク・ライフ・バランスではなく、「ワーク・イン・ライフ」こそ、企業と個人のパーパスに沿った形なのではないでしょうか。
iPS細胞研究でノーベル賞を獲得した山中伸弥氏が以前、VW(Vision&Work hard)という考えについて話していました。ビジョンがあれば、実現するためにハードに働くものだと。個人が納得いく形でVWを実践しているならば、働く時間を取り上げることは、本人の志や信念に水を差していることになります。バーンアウトしないように注意を払いながらも、ノリノリで働ける環境や状況をつくり出すことのほうが、はるかに健全で建設的です。
ただ、現実問題として、日本のビジネスパーソンの間には「働かされ感」が蔓延している場合も少なくありません。
会社員時代、私は嫌な仕事は断るか外注するなどして、とにかく自分の好きなことしかやりませんでした。その代わり、違う形でより高い価値を提供したいと、常に上司に噛みつきながらガチンコ勝負で働いていました。「好きにさせてくれ」と。今振り返ればかなり生意気だったと思いますが、上司はとても理解のある人でした。
しかしまったく後悔はしていません。もし嫌な仕事を受け入れていたならば、やらされ感でいっぱいだったはずだからです。三菱商事で貫くべき志がはっきりとしていたから、このような態度を取れたのです。それは社内で出世するとか、先輩や上司からの覚えがよいというような、スケールの小さな欲とは異なります。
書籍『NO RULES』で知られるネットフリックスは、ルールを極限まで抑えた企業です。「タレント・デンシティ」(質の高い人財の濃度)で組織の価値は決まるという考えのもと、優秀な人材が存分に能力を発揮できるよう、従業員にフリーダム&レスポンシビリティ(自由と責任)を与えています。言うならば、プロアスリートのチームのようなものです。極力会社が管理をしない一方で、アウトプットにはとことんこだわる。創造のプロセスとしての失敗は大歓迎ですが、自社の目指す方向性や求める戦力と合致しなければ、十分な退職金を手渡し、容赦なく関係を断ち切るといいます。
人を動かすのはルールではありません。働く人たちが自律し、自考・自走できる状態こそ、組織が本来目指すべき姿なのではないでしょうか。一人ひとりが自分の思いや志にとことん向き合える環境であれば、社員たちはきっといい仕事をしてくれるはずです。このことを踏まえると、個々の社員が生きがいに通じている形で働ける状況をつくることが、人事の仕事だといえます。
パーパス経営実現へ 人事に問われる「腹落ちさせる力」
志本経営を目指す場合、人事にはどんなサポートができるのでしょうか。
『パーパス経営』の中で、志本経営を実践する国内外の企業を比較するのに、「志す(To Be
)」「実践する(To Do)」「成果を出す(To Impact)」「発信する(To Say)」の四つの観点に分解しました。これを活用して整理してみましょう。最初の志すは、これまでお伝えしたことに補足するならば、社員に対してWill-Can-Mustのうち、特に「今の仕事で実現したいこと」にあたる、Willを掘り下げる機会を持つことです。例えばリクルートは、オリジナルのシートを用いて、上司と社員の間で対話を繰り返すことで知られています。
続く「実践する」と「成果を出す」は、互いに連動します。キーワードは、「たくみ」から「しくみ」への変換です。日本の企業は何ごとも仕組み化が苦手で、俗人的な匠の力で乗り切ろうとするところがあります。しかし個が学び得たものを周囲と共有し、組織の資産となるよう広がりを持たせることで、志は社会にスケールさせることができるものです。特に仕組み化が求められるのは、経営や事業、業務の根幹に当たる部分。デジタルの力を取り入れながら、グローバルモデルを確立するのが望ましいでしょう。
「発信する」では、「志の腹落ち」がポイントとなります。「ワクワク・ならでは・できる!」の3要素を表現し、受け手ごとに自分ごと化できるような抽象度の高い言語化と多彩な具象化のセンスが求められるでしょう。ユニクロの「Life Wear」は、1枚の服でも100人いれば100様の着こなしがあることを表したものです。実際に社内で議論した際には、100人のペルソナを設定しました。どういう形でLife Wearを着こなし、生活の一部にするかというストーリーをつくり上げています。
特に人事が注意したいのは、社員自身の腹落ちです。世の中には、理念と内実が伴っていない企業がたくさんあります。会社の志を社員が自分ごと化し、行動に反映されなければ、きれいごとばかりのうわべを取りつくろっただけの会社になってしまいます。インナーコミュニケーションを充実させ、志を実現させるのは社員自身だという自覚を促す、そのうえで外へと発信し、自社の存在をアピールしていくことが求められます。
志本経営の実践には、リーダーの資質が問われそうですね。
そのとおりです。リーダーには、これまで以上に人間力が求められるでしょう。稲盛和夫さんは、人生や仕事の結果は、「考え方×熱意×能力」で決まると述べています。中でも、考え方の影響力は大きい。熱意と能力は絶対値なのに対し、考え方はプラス(ポジティブ)とマイナス(ネガティブ)の振り幅を持つからです。
考え方とは、何が善いのかを見極める力とも言い換えられます。真善美の“善”にあたり、この善こそ人間だけに備わる究極の力だと私は考えます。というのも、真を知る力であるIQや美を知る力ともいえるEQは、既にAI(人工知能)が進出している領域であり、特にIQはAIが人間を越えるのは時間の問題だからです。しかし善は倫理的正しさであり、その判断をアルゴリズム化するのは困難。善を判断する力、すなわちJQ(Judgment Quotient)こそ、これからのリーダーに問われる資質といえるでしょう。
昨今はDXの渦中にあり、STEM(※)人材の確保に注力する企業も増えています。しかし、もう少し先のシンギュラリティの到来を考えると、STEMだけでは心許ないところです。そこで近年は、ARTの要素を加えたSTEAM教育への期待が高まっています。デザインや美学の領域にとどまらず、リベラルアーツやマーシャルアーツも取り入れた、人間ならではの素養が反映された部分がより重視されるようになるでしょう。
※Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字をとったもの。小学校などで導入されたプログラミング教育は、STEM教育の一環とされる。
ポスト資本主義の最も重要な資産はタレントです。一人ひとりの個性を引き出し、一つの志に向かって組織の力に変えていける企業が、厳しい競争で頭一つ抜け出すことができます。それはダイバーシティを越えた、インクルーシブな世界。人事部はタレントという貴重な経営資産を扱う、重要な機能といえます。オーケストラのコンサートマスターのように振る舞い、その組織ならではのハーモニーを見出してほしいですね。
(取材は2021年8月19日)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。