「知識創造によるイノベーション」で人を育てる
東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科(MOT)助教授
佐々木 圭吾さん
グローバル化による競争の激化で、企業のM&A(買収・合併)が頻繁に行われるようになるなど経営環境は、かつてない激変をみせています。そうした時代を勝ち残る企業としてどのように強い組織を構築していったらよいのでしょうか。知識創造によるイノベーションを提唱する佐々木圭吾さんに聞きました。
ささき・けいご●1986年九州大学経済学部卒業後、4年間の電機メーカー勤務を経て、1996年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得修了。同年横浜市立大学商学部専任講師、翌年助教授。2006年より現職。
知識を経営にどう活かすか
グローバル化や競争の激化にともなうM&Aが行われるなど経営環境が激しく変化する時代に、企業はどのような革新を実践していくべきでしょうか。
変化に対応するためには、二つの対策を講じる必要があります。ひとつは「柔軟な機動力のある組織を作る」こと、そしてもうひとつは「変化を予測し一歩先を見据えた戦略を持つ」ことです。
特に人事を始め、R&D(研究開発)など、戦略的資源を取り扱うセクションの人たちは、今のトレンドをさまざまな角度から分析した予測に基づいて、長期的で広い視野、例えば時代認識や世界認識をもって物事を見ていかなければならない。私の所属する社会人のためのMOT(技術経営専門職大学院)の目的でもあるわけですが、そういう能力のある人材を育てていく必要があると思います。そのためには、視野を狭くさせるタコツボ的な組織や思考の壁を排除して、広く社内外に知的異種格闘の場をどう作っていくか、人事がコーディネート役になって、優秀な人材が育つメカニズムを作っていかなければならないでしょう。
知識創造理論によるイノベーションについて教えていただけますか?
ナレッジマネジメントとは組織における知の創造、活用、蓄積の効果的な運営でイノベーションを推進していく経営方式ですが、知識そのものには「暗黙知」と「形式知」という二つのタイプがあると考えています。
暗黙知は、言葉や文章で表すことが難しい、主観的・身体的な知のことで、具体的には、思い(信念)、視点、熟練、ノウハウなどです。他方、形式知は、言葉や文章で表現できる客観的で理性的な知のことで、コンピューター・ネットワークやデータベースなどのように情報技術(IT)を活用して蓄積や共有がある程度可能なものです。
また、知識がどういった主体に保持されているかという点では、大きく「組織知」と「個人知」に分けて考えることも重要です。個人知とはもちろん個人によって保持されている知ですが、やや理解が難しいのが組織知です。組織知とは、組織の中で存在が認められていて、全員がその知識自体を持っていなくても、最低限アクセス可能な状態にある知識のことです。そう考えると、組織の中にあるけれど、活かされにくい二つの知識があることがわかります。
ひとつは、組織成員の個人が持っているけれども、組織的に認識されていない個人の知です。こういった個人に埋もれた知識は大抵の場合、データベースとグループウェアを活用したIT技術などによって「組織知」に変換し、共有することが可能です。ここで重要になるのは個人への知識提供のインセンティブですが、技術的な面で考えれば共有することは比較的容易と想定されます。
問題はもうひとつの活かされにくい知識である、「組織的な暗黙知」です。これは個人に還元できない、組織として暗黙的に保持している知識です。いわゆる組織の遺伝子とか、何をもって正しいとするかという価値観、あるいは組織的ルーティンのようにメンバーに分担して保持されていて組織として初めて意味のある知などがこれに当たります。容易に想像できると思いますが、ITで共有するということも、そのままでは無理です。それを抽出するための組織的ムーブメントが必要でしょう。現実にはITを中心とするナレッジマネジメントが普及しているようですが、期待した成功に結びつかないものも多いようです。その原因は「組織的な暗黙知」へのアプローチの誤りなのではないでしょうか。
やや厳密に本来の意味を述べれば、暗黙知とは個々の細目から創発される意味を統合力によって形成する「暗黙的な『知る方法』」なのです。
企業内外の諸々の事象や変化を捉え、それらの全体から意味を解釈し、企業全体としての行動力に結び付けていく道筋やものの見方、考え方に関する暗黙的な組織知こそがナレッジマネジメントのもっとも重要な対象であると思います。
説明できない曖昧なものをすべて暗黙知として形式化しようとするのではなく、「組織的な暗黙知」をどう経営に活かしていくか、そこに焦点をあてていくことが重要です。これは形式化するまでにも長く時間がかかるし、財務的成果がでるまでに時間もかかる。ナレッジマネジメントの成否は、それを認識し組織的努力を継続できるかにかかっています。
ナレッジマネジメントをひとつの方法論として…
ナレッジマネジメントによりイノベーションに成功した具体例をご紹介いただけますか?
よく知られるところとしては、エーザイが挙げられると思います。同社には、知創部という社長直轄のセクションがあります。知創部ではもう、10年以上にわたってナレッジマネジメントをひとつの方法論にしたさまざまな活動を行っています。
エーザイはもともとドメスティックに展開していた製薬メーカーでしたが、現在は売り上げの50%以上は海外市場という国際的な企業に成長しています。新薬メーカーとしては後発であったこの会社の80年代までの成長の原動力のひとつは、効果的な営業力でした。その営業力は、地域のお医者さんの科別研究会、例えば胃腸科のお医者さんの研究会といったものをコーディネートして、学閥などといった縦割り世界にいる医師たちに、横のつながりをつくる機会を提案していったのです。薬を扱ってもらう前に、まずエーザイを知ってもらうためにしたことなのですが、これは医師たちにとってもとても意義のあるものだったのです。そこでエーザイの名を知ってもらって、お医者さんにプルしてもらう形で、営業活動を行った。卸業者のリーダーシップが強かった当時としては、これはある意味、イノベーションです。中期の成功要因はそこにあったと思います。
そして、そうした成功体験の中で培った、顧客に一歩でも近づこうとする“エーザイらしいやり方”という、組織の現場における暗黙知を「hhc(ヒューマン・ヘルス・ケア)」という企業理念、つまり形式知に捉え直したのです。hhcというのは、エーザイのコーポレートガバナンスにもありますが、「患者とその家族の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィットの向上に貢献することを企業理念にする」というものです。
つまり、我々は何をやってきたのか、何のために事業を行っているのか、どういう会社でありたいのかということを自省的に捉えていくきっかけとして、知創部がナレッジマネジメントを方法論として行っていったのです。具体的には、ナレッジサーベイというアンケートにより自分たちの活動を振り返ったり、hhcの例にふさわしいプロジェクトのコンペをやったり、知創部がけん引役となりました。また、現状分析からではなく、理想(あこがれ)からイノベーションを起こそうとする、「hhcドリブン」イノベーションというコンセプトを自分たちで考案し普及につとめました。
プロセスの中で顕在化したものを、次の行動に活かしていくために転換する、そこで新しい知識が生まれる、そのことを共有して皆が変わる。いわば人が育っていくわけです。これこそがナレッジマネジメントのプロセスです。そしてエーザイがやってきたことなのです。これは単に個人の知の共有ではありません。
また近年の急成長の背景には、内藤晴夫社長が、日本の製薬メーカーの将来的な国際化を見越して、かなり早い段階から国内外のMBAに人材を派遣するなどして、長期的にも国際的な人材を育てることを行っていたこともあります。
新薬ブロックバスターを中心に国際化を進めていくというビジネスモデルに、素直にのって成功したように思われる方もいるのでしょうが、こういった素地があった上で、いい製品が出てきていざ国際化というときに、それを遂行する人材が育っていたからこそ、花を咲かせることができたといえます。たまたまいい薬ができたから成功したという単純な話ではないのです。
人材育成の文化はあった中で、そこに企業理念の浸透のための方法論を導入して地道な努力を続けていた。そうした努力が実を結んだ事例と言えるでしょう。ミッションをもった戦略的投資の成果なのです。これからは、企業体質が知識創造型に変換できた企業だけが、強みを発揮できる時代になるのでしょう。
人材はイノベーションの源泉
今、2007年問題が話題になっていますが、学生と企業の両方に日々接してらっしゃるお立場から、どうご覧になりますか?
2007年問題については、随分前から予見できたことなのに、なぜもっと早くから手を打たずに今になって騒ぐのか、私自身も不思議です。
学生の様子を見ていると、一昨年から就職状況はがらりと変わってきていて、企業は優秀な人材の確保に大変苦労している。その一方で、定年自体は変更できずに貴重な熟練者は放出される。
イノベーション時代に突入し、「組織は人なり」というならば、人事部はかなり戦略的な部門であってしかるべきだと思います。2007年問題についても、人事部の人が時代の流れは読んでいたのでしょうが、手を打つことができなかったようです。そういった状況をみるにつけ、予算、採用計画のメカニズムなどを、ここで見直すべきではないかと思いますね。
人材はイノベーションの源泉です。人件費は他の設備投資とは違い、個々人の生産性を測定することも困難だし、その成長性を予測することも難しいものです。そういった意味では、人材は、世の中でもっとも不確実な資産といえるでしょう。人件費を独立的に考えるのではなく、長期的に見た事業の投資として総合的に考えるべきです。
私は、人材の確保は、その時その時のマーケットメカニズムに拠らないでもっと戦略的にやるべきじゃないかと思っています。マーケットメカニズムに拠るなら、世界の一流の人材は米国に取られてしまう。同じ賃金だったら言語的にも地理的にも米国が選ばれるでしょうから。それでは日本はあらゆる国際競争で負けてしまいます。安価なうちに優秀な人材を確保し、教育で価値を上げていく、自分で育てていく、それしか日本企業が国際競争で生き残る術はないと思いますね。それを司るのが人事部なのでしょう。
目先の仕事に振り回されるのではなく、企業の10年後、20年後の命運を左右する新しい戦略の中核になる人材を確保し、社内外の場を活用し育てていく、そうしたシナリオを描き舞台を用意することを、人事部は仕事の中心に据えて考えていくべきです。人材をどう育てていくかという局面で有効な手段が、知識創造によるイノベーションなのです。
(取材は2007年1月9日、東京理科大学MOTキャンパスにて)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。