トラスコ中山の管理職登用・育成術
「ボスチャレンジ」「オープンジャッジシステム」で実現する、自律的に成長する人材の発掘とサポート
平山 貴規さん(トラスコ中山株式会社 総務部 人事課 課長)
喜多 智弥さん(トラスコ中山株式会社 経営企画部 人材開発課 採用課 秘書課 CSR課 課長)
62年の歴史を持つ専門商社であるトラスコ中山は、日本のものづくりを陰から支えるプロツール(機械工具・工業用副資材)を取り扱い、独自のビジネスモデルを展開。国内外に93拠点を展開し、約2800名の従業員を抱える東証一部上場企業です。そんな同社では、立候補制の管理職登用制度「ボスチャレンジ」で、管理職候補を見つけ、登用前から教育し、着任後にも継続して支援する仕組みを構築。また、役員も含めた全従業員が対象となる360度評価制度など、特色ある人事制度を打ち出しています。働き方や個々人のキャリア観が変容する中で、活躍する管理職をいかに発掘し、どう育てていくべきか。同社人材開発課課長の喜多智弥さんと、人事課課長の平山貴規さんにお話をうかがいました。
- 平山 貴規さん
- トラスコ中山株式会社 総務部 人事課 課長
ひらやま・たかのり/1999年大学卒業後、同社に入社。営業部門の支店長、IT部門の課長、通販ビジネスなどを経て、2018年1月より人事課長となり、労務管理・給与・人事制度の導入と運用管理、人事異動や人事考課(OJS)業務などを担当。
- 喜多 智弥さん
- トラスコ中山株式会社経営企画部 人材開発課 採用課 秘書課 CSR課 課長
きた・ともや/2001年大学卒業後、同社に入社。営業部門の支店長、物流部門のセンター長を経て、2019年1月より人材開発課兼秘書課兼CSR課長となり、2021年より採用課長も兼務。会社の人に関わる部門に多く関与し、採用、教育をはじめESGや社長の想いを伝えていく秘書業務などを担当。
人材育成のスローガンは「自覚に勝る教育なし」
貴社は経営戦略の一環として人材育成に注力されています。まずは、人材育成において大切にされている理念や考え方を教えてください。
平山:当社代表取締役社長の中山哲也が2002年の年頭所感として社員に向けて発信したメッセージに「自覚に勝る教育なし」という言葉があります。
社内研修をはじめとした教育において、大切なのは本人の自覚。誰かに言われたから行うのではなく、自らモチベーションと責任を持ってビジョンを描き、実践するのが大事だという内容でした。このメッセージが現在まで受け継がれ、人事が制度や施策を企画するうえで礎となる考え方になっています。
喜多:「自覚に勝る教育なし」というのは、人材育成を担う私たちにも当てはまります。社内外の状況が変わっていく中で、「いま本当に必要な研修とは何なのか」「どういう人材を育てれば、日本のものづくりに貢献できるのか」を日々考えているんです。人材育成を行う側にも“自覚”が問われるからこそ、研修内容も毎年、良いものへと改善していかなければならないという意識がはたらきます。
近年、「自律的なキャリアを築くこと」の重要性が叫ばれていますが、貴社では20年前から“個人の自覚”にフォーカスされていたんですね。
平山:VUCAの時代と言われ、先行きが見えない中で大切なのは、誰かに指示されたり与えられたりするのを待つのではなく、自分の頭で考えて行動すること。当社の社員にも、若いうちから湧き上がってくる思いを大切にしてほしい。「事業をこう動かしていきたい」「会社をこう変えていきたい」という思いを持った社員を育てていきたいと考えています。
喜多:組織というのは、言ってみれば“人の集合体”ですよね。個人のスキルや人間力があがることで組織力が向上し、会社が強くなっていく。当社も事業を成長させるために、デジタルや物流への投資を惜しみなく行っていますが、そのツールや手段を使うのも結局は人です。だからこそ、人材育成が何よりも大切だと捉えています。
管理職になりたい人が自ら手を挙げ立候補する「ボスチャレンジ」制度
貴社では、管理職を“ボス”と呼んでいるそうですね。ボスに求められることについて教えてください。
喜多:当社における“ボス”は、支店長や物流センター長、本社の課長など、現場で部下を持ち、直接指示を出している管理職を指します。ボスはいわば、エリアの最高責任者。支店長であれば「トラスコ中山〇〇支店株式会社の社長」という感覚を持って働くことが求められます。顧客へのサービスクオリティの向上から課題解決、部下のマネジメントに至るまで、すべての権限と責任を持ちます。
平山:今後、「ボスに任せる領域を拡大していこう」という話もあります。これまで当社では、部下のマネジメントが行き届くようにと、小規模の事業所を数多くつくってきましたが、それではボスのマネジメント力が育たないのではないかという問題提起がありました。たとえば、小規模の支店を複数兼任してもらうことでボスの成長につながると考えています。
貴社には、管理職になりたい人が自ら手を挙げて立候補する管理職選定の仕組みがあると聞きました。
喜多:「ボスチャレンジ制度」という仕組みです。管理職になりたい人が立候補し、「ボスチャレンジ・コース」という2泊3日の社内研修を受けて認定されると、ボス候補として登録されます。新しくボスが必要なときには、このボスチャレンジ生の中から選ばれるという仕組みです。
2021年には「ボスチャレンジ制度」の仕組みや研修、評価制度を、大きく見直しました。これまで十数年ボスチャレンジ制度を続けてきた結果、ボスチャレンジ生が70名程に増え、立候補時期などによってスキルや意欲に差が生じはじめたからです。そこで今年全員リセットして、あらためて「いま管理職に立候補したい人」を募りました。
これまでと変えたのは、「立候補」だけではなく「ボスによる推薦」も認めたこと。ボスの多様性を広げていくための変更です。これまでは自ら手を挙げることに重きを置いてきました。基本的なスタンスはこれからも変わりませんが、個人によって異なる気質を考慮したほうがいいのではないかと考えたのです。
たとえば、女性のほうが自分自身に自信がないと手を挙げない人が多く、現行のルールでは女性のボスが生まれにくい構造になっていました。「自分にはまだ管理職は務まらない」と思っている人の中にも、これから伸びていく可能性を感じる人材はいます。ボスが推薦するのであれば、そのような人にも一度チャレンジしてもらいたい。制度変更により、さまざまなタイプのボスが生まれるのではないかと期待しています。
管理職候補への研修「ボスチャレンジ・コース」の内容はどのように変わったのでしょうか。
喜多:咋年まで行っていた2泊3日の研修は廃止し、「書類による一次選考」と「人事課長・人材開発課長・総務部長・経営企画部長による面接」に変更しました。「なぜボスになりたいのか」「会社の課題をどう捉えているのか」「管理職に着任後、自分の強みをどう発揮していきたいか」などをディスカッションし、管理職にチャレンジできる素地があるかどうかの見極めを行います。
また、ボスチャレンジ生に認定された後の過程も、従来とは大きく変えました。これまでは新任ボスの選定リストに登録されるだけでしたが、来年1月以降は、ボスチャレンジ生を人事異動させ、実際に課長代理や支店長代理、センター長代理といった役職に就いてもらいます。2年間、名実ともに管理職候補生として仕事をし、ボスと同じ評価軸で査定されます。ボスチャレンジ生として成果を残し、任せられると認められた人が、新任ボスに登用される仕組みです。
以前は、評価が下位5名のボスを降格し、チャレンジ生を登用して、定期的に人材を入れ替えていました。今年からは評価下位を必ず入れ替えるのではなく、よりボスに適している候補生がいれば、評価が高いボスでも交代させる方針にしました。
降格によって、社員のモチベーションに影響はないのでしょうか。
喜多:降格という言い方をしますが、ボスは偉い人ではなく、マネジメントという役割を与えられた人です。なので、降格になったから腐ってしまうということはあまり聞きません。
また、当社はボスになっても、なりっぱなしとはいきません。元ボスという社員もかなりいます。評価が低かったのであれば、不足していた考え方やスキルを学び直して再チャレンジすればいい、という風土があります。また、降格した社員には、管轄部長から理由を伝えるなどのフォローを行っています。
降格が当たり前であることで、若手はいつもチャンスがあると捉えて頑張っていますし、ボスたちは緊張感を持って働けています。
コロナ禍で見直された、新任管理職フォローの仕組み
ボスに登用されたあとのフォローや人材育成にはどのように取り組んでいますか。
喜多:ボス登用後も「新任ボス・コース」「ボスマネジメント・コース」という研修を用意しています。新任者向けの「新任ボス・コース」は、コロナ禍の影響もあり、今年は内容を見直しました。従来はボスとして知っておくべき知識を学ぶ、3泊4日の合宿を開催していたのですが、大勢で集まることが難しくなったからです。
具体的には、半年間、月1回2時間のオンライン研修を行うスタイルに変更しました。オンラインになってむしろ良かったと感じるのは、社内の各セクションの責任者が講師役を務められるようになったことです。合宿では、責任者が予定を調整して開催地まで来るのが難しく、人材開発課が中心となって講師を担当していました。オンラインであれば本社や各支店から参加できるので、それぞれの領域について最もリアルな現場を知っているボスが直接教えられるようになりました。
これまで多くの新任ボスは、本社にいる総務や財務、経理といった部署の課長とコミュニケーションをとる機会が少なかったのですが、「オンライン研修で顔を合わせ、つながりを持てたことで、普段から悩みを相談しやすくなった」と聞いています。定期的な研修があることで、新任ボス同士のつながりもつくりやすくなりました。
貴社ではほとんどの研修を内製化されています。他社では「既存社員の協力を仰ぐのが難しい」という声もありますが、何か工夫をされているのでしょうか。
喜多:当社はもともとジョブローテーションが活発な会社です。その影響もあり、セクショナリズムがないんですね。「自分が所属している部門の仕事だけをやっていればいい」と考える人が少なく、トラスコ中山のボスを育てていくことに、あたりまえのようにみんなが協力してくれる社風があります。人材開発課としては本当にありがたいことです。
加えて、講師側にもメリットがあります。資料をつくったり、話す内容を整理したりするには勉強が必要ですし、プレゼンテーションのスキルも磨かなければなりません。負荷が大きく大変ではありますが、本人にとっては有意義な時間です。研修を受ける側よりもむしろ、研修を企画したり講師を務めたりする側のほうが成長できるメリットは大きいかもしれません。
「ボスマネジメント・コース」では、どのような研修が行われているのでしょうか。
喜多:「ボスマネジメント・コース」は2年に1回の頻度で行われており、ボス全員が対象です。この2年はコロナ禍でストップしていたのですが、来年1月以降に、内容を変えて再開を予定しています。
まず年明けに開催しようと考えているのが、「アンコンシャスバイアス研修」です。思いこみや偏見、無意識な決めつけに気づくための研修です。新しいことに挑戦していくためには、新しい価値観や考え方をどんどん取り入れていく必要があります。組織の多様性を進めるには、まずは管理職側の意識を変えていくことが重要だと考えました。
また「メンタルヘルス研修」や「キャリアマネジメント研修」にも注力していきます。肌感覚ではありますが、世の中的に「ボスになりたい」という人は減っていますよね。若い社員から見ても「トラスコのボスっていいよね」「あんなふうになりたいよね」と言われる存在に管理職がなるためには、ボス自身の働き方や見え方を変えていく必要があります。そのために、まずはボス自身が「アンコンシャスバイアス」や「メンタルヘルス」「キャリアマネジメント」などの理論を学び、理解していくことが先決だと考えています。
公正で透明性ある管理職登用の基盤となる360度評価「オープンジャッジシステム」
貴社独自の評価制度「オープンジャッジシステム」について教えてください。
平山:「オープンジャッジシステム(以下OJS)」は2001年に始まった人事評価制度で、当社人事制度の中核を担っています。
OJSは大きくわけて三種類あります。一つ目は、人事考課OJS。当社では半期に一度人事考課が行われていますが、100点満点のうち30点は、上司だけではなく部下や同僚など一緒に働く社員が評価し、点数を付ける仕組みになっています。いわゆる360度評価ですね。また、それぞれが評価した評点コメントは匿名で本人にフィードバックされます。この人事考課は給与や賞与、昇格・降格にダイレクトに反映されるもので、一緒に働いている人からの評価が低ければ、給与や賞与が下がったり、降格したりする可能性が大いにあります。
二つ目は、新ポジションへの昇格OJS。当社では管理・監督職に昇格する際に従業員の信任を得なければなりません。たとえば「主任になりたい」と自ら手を挙げた場合、パートを含めて約2800名の従業員にジャッジしてもらいます。役職によって必要な得票数が異なり、全体の80%の信任が得られれば昇格です。
三つ目は、役員OJS。オープンジャッジによる評価は、メンバーやボスだけではなく経営陣にも適用されます。つまり、役員や執行役員、監査役、部長も、私たち管理職からの評価を受けます。取締役・監査役の評価結果は株主にも公開され、ガバナンスの面からも健全な経営体制の実現に寄与しているのです。
OJSのメリットをどのように捉えていらっしゃいますか。
平山:管理職としても、企業に所属する社員としても、さまざまなメリットを感じています。上司からの一方通行の評価ではなく、共に働く人々からも評価されることで、客観性や公平性、透明性が増します。日頃の仕事ぶりが昇給や昇格に反映されるとなれば、モチベーションもあがりますよね。
また、相互に評価し合うことで、組織にいい緊張感が生まれます。ハラスメントなどの問題が起こりにくく、組織内でトラブルが起きたとしても、早期に問題を発見することができるんです。周囲からの評点コメントが匿名で本人にフィードバックされるのもOJSの特徴です。自身の課題点を認識しやすく、成長につなげられます。
OJSを自社に導入する場合、留意すべきポイントはありますか。
平山:そうですね。私たちも20年にわたってこの制度を運用していく中で、表出した課題を一つずつ解決してきました。
たとえば過去には、周囲のメンバーに悪い点を付けないよう促す管理職がいた時代もあったようです。その対策として匿名で通報できる窓口を設け、現在ではそのようなケースはなくなっています。
ただ、不思議なもので、メンバーはちゃんと上司の言動を見ているんです。部下に圧力をかけたり、急に周囲に優しくして人気とりのような行動をとったりしている人は、結局、評価が低い。やはり部下や同僚も、尊敬できる上司のもとで働きたいのでしょう。管理職による問題行動が自然に淘汰されていく側面もあります。
これからOJSのような制度を導入されるのであれば、ポイントは制度の信頼性です。360度評価やコメントは、匿名だからこそ正直に書けるものです。当社でもOJSが始まった当初は「誰が何点を付けたのか、どんなコメントを書いたかを上司や役員は知っているんじゃないか」という疑念がありました。しかし当社では、役員も上司も、たとえ社長であっても秘匿情報を見ることはできません。そのことが周知され実感された今は、社員も安心して投票し、コメントを書いています。情報の秘匿性が守られて、はじめて機能する制度だと思います。
「キャリアマネジメント」や「メンタルヘルス」にも注力
社員の声を聴き、強みを引き出し、成長につなげていく組織へ
最後に、今後新たに取り組みたいと考えていることがあれば教えてください。
喜多:今後の大きな動きとして、まず来期から社内初の人事部が発足します。現在は、私が所属する採用課、人材開発課は経営企画部、平山が所属する人事課は総務部なんです。経営企画部と総務部にまたがっていた採用・教育・評価・異動・キャリアマネジメント・ヘルスケアなどの業務を、一気通貫で動かしていく体制になります。同時にタレントマネジメントシステムを導入し、社員一人ひとりがどのようなモチベーションで仕事に取り組んでいるかといった、エンゲージメント調査なども実施する予定です。
2020年から始めた異動希望制度「ジョブチャレンジ」や、来期からスタートする社内公募制度「オープンポジション」など、社員の強みや希望を尊重したキャリアマネジメントを推進していく計画もあります。
平山:これまで当社では人事主導でジョブローテーションを実施してきました。社員が3~5年でさまざまな部署を経験して、ゼネラリストになれるように育ててきたわけです。活発なジョブローテーションには組織の一体感を生んだり、部署の垣根を超えた相互理解ができたり、どこに行っても通用する人材を育成できたりする利点がありました。ジョブローテーションを基本とする考え方はこれからも変わりませんが、たとえば「ITなどの特定分野で専門性を高めていきたい」といった、個々人のニーズにも応えられる仕組みをつくりたいと考えています。
社員がどのような人生を歩んでいきたいのか。そのためにどんなキャリアの可能性があるのか。個々人の希望や思いを汲みとりながら、その人が最も成長できる配属先を検討することも、人事部の大切な役割の一つだと捉えています。
喜多:当社は60年を超える歴史を持つ会社ですが、時代の変化と共に、社員の働き方や生き方、マネジメントのあり方も変わっています。その変化にあわせて会社をよりよい方向へと変化していかなければなりません。
先ほど平山も話していましたが「ボスチャレンジ」や「OJS」という制度をつくったことで会社が新しく生まれ変わるわけではありません。日々運用していく中で、社員と一緒に走りながら、都度改善を繰り返していくことが大事だと感じます。だからこそ社員の声にしっかりと耳を傾けていきたいですし、「個人の力を引き出して日本のものづくりに貢献し、社会のお役に立つ」というゴールにしっかりと結びつけていきたい。もっといい会社にするために何ができるのか。社員の声を聞き、社員と一緒に考え、改善を繰り返していく人事部でありたいと思っています。
(取材は2021年10月6日)