味の素のグローバル化に向けた
“トランスフォーメーション”による
人財マネジメント変革(前編)
味の素株式会社 理事 グローバル人事部 次長
髙倉 千春さん
味の素は世界130以上の国や地域で事業を展開する、日本におけるグローバル企業の草分け的存在です。しかし数年前まで、人事制度の仕組みは「職能資格制度」をベースとした「日本的」なものでした。「人事全体の仕組みや考え方を変えていかなければグローバル展開は難しい」――そう考えて近年、変革に注力しているのが、同社グローバル人事部次長の髙倉千春さん。味の素を真のグローバル企業へと変革するための動きが活発化していますが、その際には「チェンジ」ではなく「トランスフォーメーション」が重要だと髙倉さんは言います。インタビュー前編では、外資系企業を中心に20年以上人事を経験してきた髙倉さんにご自身のキャリアを振り返ってもらうと同時に、日本企業がグローバル化を図る上でのポイントについて、お話をうかがいました。
- 髙倉 千春さん
- 味の素株式会社 理事 グローバル人事部 次長
たかくら・ちはる/津田塾大学(国際関係学科)卒業。1983年、農林水産省へと入省。1990年にフルブライト奨学生として米国Georgetown大学へ留学し、MBAを取得。帰国後、1993年からコンサルティング会社にて、組織再編、新規事業実施などに伴う組織構築、人事開発などに関するコンサルティングを担当する。その後、人事に転じ、1999年ファイザー株式会社、2004年ベクトン・ディッキンソン株式会社、2006年ノバルティスファーマ株式会社において人材組織の要職を歴任。2014年7月味の素株式会社に入社し、2017年7月から現職。同社のグローバル戦略推進に向けたグローバル人事制度の構築と推進のリード役を務めている。
外資系企業の人事責任者を20年にわたって担当し、味の素へ
最初に、髙倉さんのこれまでのご経歴をお聞かせください。
大学卒業後は、農林水産省へ入省しました。自分の得意な英語が活かせる、経済局の国際部に配属されたのですが、当時は中級職の女性が任せてもらえる仕事は限られていました。最初の配属は国際部長の秘書だったのですが、最初の1年半くらいは電話番、コピー取り、部長のスケジュール管理といった雑事がほとんど。ただし、電話番といっても、かけてくるのは自民党の幹部や国会議員など、重鎮の方たちだったので、とても気を使いましたね。
当時はまだ、官民とも女性を活用する雰囲気が希薄な時代でしたが、それでも、国家公務員になったからには特定の案件を担当する「原課」に出て仕事をしたい、と考えていました。するとある時、思わぬチャンスが巡ってきました。私のタイプのブラインドタッチが速いと知った他部署の方が、国際部長秘書の仕事が終わった後に、私をタイプ要員として借りたい、と言ってきたのです。日米農水産物交渉を担当していた国際経済課で、私は仕事をすることになりました。ただ、立場は依然として中級職だったので、何とか上級職になって国際関係の仕事をしたいと思い、普段から経済言論やさまざまな法律について勉強していました。
当時、女性の一般スタッフの多くは、20代で結婚をして寿退職するパターンが多かったのですが、私はといえば、日中は仕事の傍ら経済言論を勉強し、夜は公文書のタイプをひたすら打っているような状況。それなら得意な英語で頑張って働いてもらおうと、次は、USTR(アメリカ合衆国通商代表部)代表のカーラ・ヒルズが来日、日米構造協議が行われている中で、私に日米交渉団の末席で文書を作成する仕事が与えられました。日米要人たちの駆け引きを目の当たりにし、通商交渉の重要性を痛感しましたね。その他にも、自民党本部に行って先生方の話を聞いてメモを取る、といった政策的な仕事もこなしました。
1980年代後半、まさにアメリカが日本に貿易自由化を迫っていた時代に、日米の要人と関わる仕事をされていたわけですね。
本当に貴重な経験をさせてもらって、今でも感謝しています。しかし、いろいろと考えた結果、ビジネススクールで学び直すことにしました。幸運にも、フルブライト奨学生の試験に合格。米国ジョージタウン大学(MBA)に留学することになりました。ちょうどその頃に結婚したのですが、偶然にも夫がアメリカ大使館勤務になり、ビジネススクールに通いながら外交官夫人としての役割をこなす、という生活をワシントンで3年間続けました。
帰国後は、どのようなキャリアを歩まれたのですか。
3年間、ビジネスについてさまざまなことを学んだことで、私にはコンサルタントの仕事をしたい、という思いが募っていました。そこで帰国後に中途採用試験を受け、三和総合研究所に就職することになりました。1993年のことです。国際経営開発部に所属し、日本企業のアジア戦略のコンサルティングを行いましたが、ここでの経験が今の仕事に反映されています。
その後、外資系のコンサルティング会社であるジェミニ・コンサルティング・ジャパンへ転職。日系と外資系で経営コンサルティングを学び、この経験を実業の世界で活かしたいと思っていた頃に、医薬品メーカーのファイザーから話があり、1999年、人事部企画担当リーダーとして就任することになりました。当時、急成長していたファイザーでは、職能給から職務給への転換が求められていました。そこで給与価格を市場水準に合わせ、評価を目標設定に応じた成果報酬とし、それに至るまでのプロセスをコンピテンシーで測るといった大掛かりな人事改革に着手しましたが、今、味の素でやっているのはまさにこのことです。
振り返ってみると、この頃から日本企業では「成果主義」が台頭し、人事制度も職能給から職務給、コンピテンシーへの転換という流れがありました。当時、いくつかの日本企業が先駆的に導入していましたが、導入の仕方が中途半端なケースや、変化への対応に二の足を踏んでいるケースも少なくありませんでした。そのような変革を行わなくても日本企業は成長したので、グローバルスタンダードとしての人事制度の立ち上げが遅れてしまい、「失われた25年」を招くことになってしまったのではないかと思います。
ファイザーの後は、日本べクトン・ディッキンソン、ノバルティスファーマ、日本テトラパックと、さまざまな企業で人事責任者を務めてきました。味の素に入社したのは2014年7月です。グローバル化に向けた人事制度改革の話をいただき、伝統的な日本企業の味の素での人事制度改革なら、私の今までの外資系企業での経験が活かせるのではないか、と考えたのです。