自分でなければできない仕事をしている人は転職も簡単、というわけにはいかない
採用方法に工夫を凝らせばいい人材の獲得は間違いなし、というわけにもいかない
人材紹介アドバイザー
小中敏也
「引き継ぎ」に時間がかかって転職できない
自分の後任探しに4カ月はかかると思ったんですけど…
希望の企業に転職が内定しても、入社前には、もう一つの大仕事が待っている。それが「退職の手続きと引き継ぎ」だ。しかし、実際の引き継ぎにどれくらいの期間が必要なのか。初めての転職の場合は意外と読めないことも多い。また、重要な役職を任されているようなケースでは、「自分がいないと、とても回っていかないのでは…」と思い悩んでしまう人もいるようだ。
「仕事を途中で放り出して辞めるのだけは避けたいんです」
「今の仕事というのが、本当に代役のいない部署なんです。私以外は全員20代の若いスタッフですから、自分が抜けるとなると、まずその後任を探すところから始めないといけないんですよ…」
転職相談の中で、「内定が出た場合、どのくらいの期間があれば退職できるか」は、一人ひとりの求職者の方に必ずお聞きする質問だ。財務マネジャーとして、その部門を取り仕切っているNさんにもこの質問をしたところ、やはり相当の準備期間が必要ということになった。
「後任探しと引き継ぎとなると…2カ月くらいですか?」
「いや、もっとかかりそうですね」
Nさんは少し考えてから、慎重な口調で答えてくれた。
「いま担当している仕事の幅が本当に広いので、たぶん社内の異動でまかなうのは難しいと思うんですよ。財務知識のある社員自体、ほとんどいませんしね。中途採用をかけて、面接・選考を経て…となると、新しい人が入社するまでにやはり2カ月くらい。それから引き継ぎですから…」
結局、Nさんの計画では、最低4カ月、場合によっては半年ぐらい必要になるかもしれない、というのである。
一般的には、内定から入社まで1カ月程度が普通だと言われている。
「4カ月というとかなり長いですよね。マネジャークラスの人材でも、引き継ぎが2カ月以上かかるとなると、採用する企業のほうもそこまで待てない…という場合が出てくるかもしれませんよ」
Nさんもそれはわかっているようだった。 「他の紹介会社でも、それは言われました。採用する立場からはそうなりますよね。でも、仕事を途中で放り出して辞めるのだけは避けたいんですよ。今後、どういうことでご縁があるかわかりませんし…」 困ったような顔をしながらも、Nさんの口調には何となく嬉しそうな響きもある。重要な役職を任されている自負や責任感。自分でなければできない仕事をしているという誇り。転職を考えていることと矛盾するようだが、とくに初めて転職するという方の場合にはよくあるケースなのである。
「この仕事は自分でなければと、がんばってきたのに…」
ひとまず「では、実際に内定が出そうになったら、対策を考えましょう」ということにして、Nさんは活動を開始した。何社か面接を受けた中には、やはり入社できる時期が先すぎるという理由で見送りになったケースもあったようだが、実務経験豊富な方だけに、ついに希望企業の中の1社の最終選考にまでこぎつけた。しかし、最終面接では必ず「入社時期」についての質問が出るはずである。
Nさんと私は対策を相談した。その結果、「採用企業には現状を正直に話す。ただ、4カ月ではなく2カ月で何とかする」ということになった。Nさんは最後まで「2カ月で大丈夫だろうか」と心配していたが、やはり希望企業で働きたいという思いが勝り、その結果、無事、内定を勝ち取ったのである。
とはいえ、山場はここからだ。本当に2カ月で引き継ぎが完了するのか。もししなかったら、いったいどうなるのか。心配する私のもとにNさんから連絡があったのは2週間後だった。
「小中さんですか。Nです。ご心配をおかけしましたが、どうにか1カ月半で退職できることになりました」
「えっ、そんなに早く…。よかったですね」
「はい、後任をどうするかが問題だったのですが、担当役員がしばらく現場のほうも見てくれることになりまして、その間に後任を探すことになったんですよ。ですから、当初考えていた半分以下の日程で済むことになりました」
弾んだ声だった。
「思ったよりも早く退職が決まってほっとしていますけど、同時に、少しあっけなくもありましたね。今まで、この仕事は自分でなければと思って、残業続きでもがんばってやっていただけに…」
新しい職場への入社直前にNさんが話してくれた感想は、おそらく本音なのだろう。自分が抜けたら大変なことになると思ってがんばるのも、ある意味で仕事の醍醐味だ。しかし、それにこだわってしまうことで、転職という大きなチャンスを逃してしまう、そんなケースも世の中にはまだまだたくさんあるのではないだろうか。
人材採用の「こだわり」が裏目に出ている企業のケース
海外の本社の方針がそうなっているんですけど…
優秀な人材、自社にふさわしい人材を採用するために、企業は選考プロセスにもさまざまな工夫を凝らしている。一風変った選考スタイルにも、長い間に築き上げたその企業なりの知恵の蓄積が隠されていることも多いものだ。しかし、これが度を過ぎると、何のためにやっているのかがわからなくなって、むしろ最終目的である「良い人材の採用」を阻害しているとしか思えないようなケースもあったりする。
「社長は最終候補者が3人そろわないと面接しないんです」
「Eさんの面接、無事終わりました。とてもいい方だと思いますよ。担当部門のマネジャーからもいい評価でしたし。次回は社長面接なのですが、実は少し先になりそうなんです。Eさんにはどのくらい待っていただけそうでしょうか?」
M社の人事担当、G部長からの電話だった。その日行われた候補者Eさんとの面接の結果は上々のようだが、社長面接までに時間がかかりそうだという。
「社長がご出張か何かですか。トップはやはりお忙しいでしょうから、日程調整に多少時間がかかるのは仕方ないと思っています。もちろんEさんにもお待ちいただくようにお伝えいたします」
Eさんは特殊な技術系の知識を持つセールスエンジニアで、その経験は同業の企業が見れば必ず興味を持つものである。そういう意味では、ライバル企業が乗り出してくる前に社長面接を行って欲しかったのだが、事情があるのなら仕方がない。
「いや、そういうことではないんですよ…」 G部長はちょっと困ったような声になって続けた。
「実は、うちの社長は最終候補者が3人そろわないと面接をしないんですよ。海外の本社の方針がそうなっているんです。課長クラス以上の採用は、最低3人の中から比較・検討して選ばなくてはならないというルールがありまして」
「そうなんですか。ちなみにEさんは何人目の候補者になるのでしょう?」
「そこが問題でしてね…」
G部長の声が一段と暗くなった。
「Eさんが最初、1人目の候補者なんです。あと2人、よい人材の心当たりはありませんか。3人そろわないと最終面接がいつまでたってもセッティングできないんですよ」
「今度は若手を取って育てようという方針に変えたんです…」
このケースでは、外資系企業で社長も外国人だったということも、かなり影響していたのかもしれない。トップといっても、日本法人の社長は、海外本社の指示には従わなくてはならない存在だ。結局、Eさんは3人の候補者がそろう前に、別の企業のオファーが出て、再就職を決めてしまった。G部長は、また1人目からの候補者探しを再開することになったが、これもやむをえない。
しかし、こういう「本来は良い人材を採用するために考えられたプロセスが、逆に採用の足を引っ張っている」というケースはそれほどめずらしいことではない。M社ほどではなくても、似たような事例は各社であるような気がする。
たとえば、ある企業では、1次面接と適性・能力を見る筆記試験が必ずセットになっている。若手にはそれでもいいだろうが、40代の経験豊富な人材などに対しては、ケース・バイ・ケースで後日にするなど、敷居を低くする方法があるのではないだろうか。しかし、見ていると公認会計士クラスのハイレベルな有資格者に対しても「初回は筆記試験があります」と定型の対応をしてしまっていたりする。
また、ある企業では、初回の面接を「集団面接」(新卒の学生に行うような複数の候補者をいっぺんに面接するスタイル)で行うことにこだわりを見せていたりする。しかし、社会人経験者の場合、プライバシーの問題などから集団面接を嫌がる方も多いのである。
その後、またM社に人材を推薦する機会があった。
「今回はスタッフレベルのポジションですから、社長面接はございませんよね?」
G部長も苦笑している。
「そうですね、それが助かります。結局、あのポジションは今も採用できてないんですけどね。今度は若手を取って育てようという方針に変えたんですよ。担当マネジャーと話し合いましてね。若手採用なら社長面接がないですから…」
それも、ある意味で採用の工夫、努力には違いないだろう。しかし、本来はもっと違うところで努力したほうがいいような気がしてしまうのだった。