田中潤の「酒場学習論」【第24回】
新発田「シンガポール食堂」と他社事例の活用
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
この食堂に惹き寄せられて、この街を訪れました。夕方から羽越本線が運休するほどの大雨、強風の日のことです。お目当ては、謎の麺料理「オッチャホイ」。八重洲にある「七彩」というラーメン店で期間限定メニューとして提供され、それを食した際にこの謎の麺料理をネットで調べたところ、新潟県新発田市の「シンガポール食堂」が提供する名物料理だと知りました。この愛くるしい名前の麺料理の原点を訪れたく、わざわざ新発田駅に降り立ったのでした。
地方都市ではよく経験するパターンですが、JRの新発田駅から市街地まではかなりの距離があります。大雨と強風の中、とぼとぼと街中を目指すと、運のよいことに酒蔵に出逢います。「王紋」で知られる市島酒造です。一休みを兼ねて中に入らせていただくと、大盤振る舞いで利き酒をさせてくださいました。天候は最悪ですが、とても幸先のよい旅です。日本酒でエネルギーをいただき、さらに雨と風の中を街中に向かいます。
しばらく進むと、交差点の手前に「シンガポール食堂」の看板が見えます。店先には「シンガポール名物オッチャホイ」というお茶目な看板が出ています。いやがおうにも期待が高まります。
オッチャホイは、平麺の焼きうどんです。確かに東南アジアっぽい雰囲気があります。しかし、驚いたことに実はシンガポールにはオッチャホイという料理がありません。謎のシンガポール名物料理なのです。シンガポール食堂の創業者は幼少期をシンガポールで過ごされ、創業者のお父様がオッチャホイの名付け親だそうです。シンガポール食堂のメニューをみると「元祖オッチャホイ」とあります。
しかし、どうやらオッチャホイを提供する店はこちらのシンガポール食堂が世界唯一のようです。元祖を名乗ること自体がとても微笑ましいとともに、シンガポール料理の元祖がなぜ日本の新発田にあるのかなど突っ込みどころは満載です。いかがでしょうか、実に謎めいて愛すべきメニューではありませんか。わざわざ新発田を訪れるだけの価値があります。
オッチャホイには皿オッチャホイと汁オッチャホイがありますが、当日、ビールと一緒にいただいたのは皿オッチャホイ。どうやらこちらがお薦めのようです。えび・しいたけ・肉のトッピングもあるのですが、週末は提供できないとのことで、シンプルな皿オッチャホイをいただきます。卵、小松菜、キャベツ、もやしあたりが入っていて、なかなかニンニクがきいています。平日にまた来て、肉トッピングで食べたくなるようなテイストです。昼下がりのビールにもマッチします。
オッチャホイという名前の料理はなくても、おそらく創業者のお父様がシンガポールで食べたオッチャホイの原型となるメニューがあるはずです。日本の新発田という街で、店名にシンガポールを冠する食堂を開き、オッチャホイと名付けた料理を提供し、それに「元祖」とまで称した創業者。時とともにオッチャホイはこの店の誇る最強のオリジナル料理に育ち、令和の世になっても日本各地から人を呼び込みます。
シンガポール食堂では、ラーメン・炒飯・餃子といった町中華メニューもあるのですが、訪問したのが休日だったからなのか、すべてのお客さまが皿オッチャホイをオーダーしていました。
「真似は最高の創造。3年やればオリジナル」――以前にもご紹介したことがありますが、株式会社武蔵野の小山社長の言葉です。同社はダスキンの代理店などをされている会社ですが、自らの経営の仕組み自体を「経営の動くショールーム」として紹介しながら展開する経営サポート事業でも有名で、多くの中小企業をサポートされてきました。どんな脈略で語られた言葉かは失念しましたが、なかなか好きな考え方です。オッチャホイも原型はあるにしても、もはや元祖と名打つだけある、偽りない完全なシンガポール食堂のオリジナルメニューです。
人事の世界では、よく仕事の中で他社事例を研究します。世の中のトレンドも意識します。そして、「あっ、素敵だな」と感じた他社の事例や世の中の動きを参考にして、自社の施策や制度を考え、研修を企画します。
誰も思いついたことのないオリジナリティあふれる施策など、普通の人にはそうそう創れるものではありません。しかし、他社施策を自社に取り入れるといっても、いわゆるコピペとは違います。自社に合わせて自社のものとして必死に考えて取り込むのです。
3年も想いを込めて運用を続けていれば、自然とさまざまな知恵や工夫がつけ加えられており、気づいたときには立派なオリジナルになっているはずです。単にパクったり、コピペするのではなく、自社のものとして徹底的に取り込めばいいのです。オッチャホイという料理を日本に持ち帰り、新発田の地で提供し続けてきたシンガポール食堂の創業者のように情熱と愛情をもって。そして、ふと振り返ってみると、自社にはさまざまなオリジナリティあふれる制度や研修ができている、そんな仕事を続けていきたいものです。
シンガポール食堂。雨と強風の中でお邪魔するだけの価値ある素敵な食堂でした。素晴らしいお昼の食堂呑みの機会をいただけたことに感謝します。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。