「笑い」が職場にもたらす効果とは
メンバー全員でつくりあげる笑いが組織を変える
西武文理大学 サービス経営学部 准教授
瀬沼 文彰さん
近年は組織を構成する人材が多様化する一方で、コミュニケーションの活性化やチームワークの向上、生産性の向上など、組織力の強化が強く求められています。そこで注目したいのが、職場における「笑い」の効果です。西武文理大学 サービス経営学部 准教授の瀬沼文彰さんは、「効率化において遠回りに思える“笑い”が、実は職場をより良い環境にする」と言います。笑いが職場にもたらす効果とは、どういうものなのでしょうか。また、職場に笑いを生み出すために必要なことは何なのでしょうか。瀬沼さんにうかがいました。
- 瀬沼 文彰さん
- 西武文理大学 サービス経営学部 准教授
せぬま・ふみあき/桜美林大学 非常勤講師、追手門学院大学 上方文化笑学センター 客員研究員、日本笑い学会理事を兼務。東京経済大学 博士後期課程 満期単位取得退学。専門はコミュニケーション学、社会学、笑い、ユーモア、お笑い文化の研究。吉本興業にて、瀬沼・松村というコンビで芸人(1999-2002)として活動。東京NSC5期生。著書に『キャラ論』(2007、スタジオセロ)、『笑いの教科書』(2007、春日出版)、『なぜ若い世代はキャラ化するのか』(2009、春日出版)、『ユーモア力の時代』(2018、地域社会研究所)がある。
「笑い」が職場にもたらす効果とは
そもそもなぜ「笑い」を研究しようと思われたのでしょうか。
実は、私はもともと芸人だったんです。高校時代、クラスでウケたことに気をよくしてオーディション番組に挑戦したところ、とんとん拍子に通過。当時の桂三枝師匠(現在は桂文枝)に自分たちのネタを褒めていただいたことを真に受けて、「自分にはお笑いの才能があるのかもしれない」と思い、大学3年のときに吉本興業が運営する吉本総合芸術学院(NSC)に入りました。
そのようにして「人を笑わせる」ことに挑戦していましたが、いかんせん芸人は層が厚く、どうしたら売れるのかがまったくわかりませんでした。焦りや不安を抱えたまま2~3年が経過し、だんだん芸人としての限界を感じるようになっていったんです。またそのタイミングで、「人はなぜ笑うのだろう」「同じネタなのにステージによってウケ方が全く違うのはなぜだろう」など、「笑いそのもの」が気になり始めました。
そんな思いを周囲の人たちに相談したところ、芸人の先輩や大学の先生が「お笑いの研究をしてみたらいいんじゃないか」と、アドバイスしてくれました。そこで、研究の道に進むことを決意したのです。大学院ではまず「キャラ」の研究から始め、次に「若者の笑い」を調査し、現在は「職場の笑い」を研究しています。
職場における笑いの効果について教えてください。
一番重要なのは、単純に「楽しくなる」ことです。ただ「楽しさ」はその瞬間には感じにくく、笑った後に振り返って「あぁ楽しかったな」と思うものです。さまざまな場面に楽しさを求める時代の中で、職場を楽しいものにするには、笑いがある程度必要でしょう。
職場の中で笑い合えば、「あなたはそういう笑いのツボを持っているんですね。私も持っています」といった暗黙の了解が生まれ、一気に打ち解けられることも珍しくありません。すると、信頼関係や集団の絆を強めることにつながったり、「あの人が頑張るから自分も頑張ろう」といったモチベーションの源泉になったりすることもあります。
たとえば誰かがちょっとした冗談を言い、周囲が笑ったとします。冗談を言った人は「自分のことをわかってもらえた、認められた」といった思いが生まれるはずです。そういう環境であれば、ささいな思い付きや話すべきか悩むようなことでも、言い出しやすくなりますよね。このように笑いは結果として、職場のコミュニケーションを円滑にし、心理的安全性を高めることにもつながるのです。心理的安全性を高めることができれば、クリエイティブな発想の創出や、イノベーションも期待できるでしょう。
笑いには、対立を和らげる効果もあります。研究者の中には「大阪で笑いが発展したのは、対立を和らげる要素が求められたことが大きかった」と述べている人もいます。大阪は商人の町として発展しましたが、商売とは結局「高く売りたい」側と「安く買いたい」側の対立ですよね。ストレートに「安くしてくれ」と言うのも、それを断るのも角が立つので、笑いが取り入れられるようになったという説です。
メンタル面でも、笑いは効果を発揮します。笑う回数が多いほど心は安定するからです。また、たとえば仕事を失敗したときはつらいかもしれませんが、10年後には大抵のことが笑い話になっているはずです。笑うことで、過去の失敗を乗り越えることもできるのです。
「笑い」はみんなでつくりあげるもの
笑いにこれほどの効果がある一方で、「職場には笑いが必要だ」といった認識はあまり広がっていないように思います。その理由はどこにあるのでしょうか。
大きな要因として、日本では「笑い」と言ったときに認識される幅が狭いこと、またウケたかウケなかったかを、笑いの発信者の責任にしてしまうことが挙げられると思います。
たとえばアメリカでは、そもそも笑いの幅が日本よりも広い。宗教や政治などへの皮肉を織り交ぜるスタンダップコメディが人気ですし、学校や職場といった日常生活の中でも意識的に笑いが取り入れられています。またアメリカにおける笑いには、「みんなでつくりあげる」という特徴があります。学校で教師が冗談を言えば、生徒がそれを盛り上げる。仕事で初対面の相手に冗談を言えば、相手もそれが互いの緊張を和らげるためのジョークだとわかっているから、反射的にフォローする。そういった習慣が根付いています。
対して日本では、プロの芸人による漫才やコント、バラエティ番組などだけが「笑い」として認識され、日常では笑いの受け手側がその笑いを盛り立てようとはしない傾向にあります。学校で教師が冗談を言うと「先生がすべった」と言われがちです。仕事で初対面の人に対して場を和ませようと思って冗談を言ったとしても、大して盛り上がらずに「変わっている人」というレッテルを張られてしまう可能性が高い。
コミュニケーションは、誰か一人に責任があるわけではなく、みんなで育てていくものです。しかし、日本ではコミュニケーションの捉え方からして間違っています。私のゼミの学生も、就職活動が始まるとよく「コミュ力が足りない」などと嘆いていますが、日本ではコミュニケーション能力が重視される一方で、その力の高低が個人の責任であるかのように捉えられています。
笑いについても、発信側だけの責任にされがちな状況になっています。しかし、笑いが成立するためには、受け手側のフォロワーシップが大変重要です。たとえば吉本新喜劇や、芸人が多数出演するバラエティ番組を思い浮かべてください。そこでは、誰かが発した笑いをほかの人が広げることで、笑いがさらに大きくなっているはずです。たとえすべったとしても、他の人が「イジる」ことで、笑いに変えています。しかし一般的にはそのようなフォロワーシップの意識が乏しいため、笑いの活用がなかなか広がっていかないのだと思います。
フォロワーシップを身につけるにはどうすればいいのでしょうか。
まずは笑いの効果やコミュニケーションのあり方について、学ぶとよいと思います。自分で勉強するとさらに興味を持つようになり、どんどん面白くなっていくはずです。具体的には、バラエティ番組を観るときにただ楽しむだけではなく、「あの芸人さんが発した一言をこの芸人さんがフォローをしたことで笑いが生まれ、空気がよくなったな」といった見方をしてみるといいでしょう。
職場では、上司がダジャレを言うと場が凍ってしまいがちですが、受け手としてはぜひ、それをダジャレで返すくらいのことに挑戦してほしいですね。さらに上司がダジャレを被せてきたら、間違いなく笑いが生まれるでしょう。「この人、すべったな」ではなく、「この人がすべったのは、自分にも責任がある」といった思いを持つことができれば、コミュニケーションそのものが変わってきます。
現在はテレワークが定着していますが、オンライン環境では笑いが生まれにくくなる側面もあるのでしょうか。
オンライン環境では、どうしても笑いが難しくなります。相手の温度感を直接測ることができないし、ちょっとした雑談をする間もない。リモート会議で複数の参加者がいる場合、笑い声がノイズになることすらあります。ここでもやはり、コミュニケーションは発信側と受け手側双方の責任で図っていくものだと考えます。
たとえば私が50人の学生に講義をするとすれば、1人あたりの学生の責任は1%しかないかもしれません。しかし、その1%がスマホをずっと触っていれば、それを画面越しに目にした私の気分は落ち込み、パフォーマンスが低下します。オンライン環境でもリアクションを取ってみるなど、「受け手側としてどういう行動を取るべきか」を考えてほしいと思います。
「笑い」でネガティブをポジティブに変えられる
会社で笑いを生み出すためには、どういう手法が有効なのでしょうか。
「キャラ付け」は効果的だと思います。キャラは自分から発信しているもののように思われがちですが、調査をすると、案外、他者から貼られたレッテルであることが多いんです。キャラが設定されるとそれがコミュニケーションのフックになりますし、「いつも通りでも面白いし、そのキャラからずれても今度は意外性が伴って面白い」といった状況が生まれます。
子どもやアニメ、お酒など、その人の好きなものでキャラを設定することに対しては、きっと本人もそこまで嫌な気分にはならないでしょう。「アイドル好きキャラ」などであれば、有給を取る際に「ライブに行くので休みます!」と堂々と言いやすくなるなど、本人にとってのメリットもあります。
容姿に言及するなど、ネガティブに捉えられかねないキャラ設定は避けたほうがいいのでしょうか。
確かにネガティブなもの、性的なものは時代にそぐわなくなっていると思います。一方で私は、「ネガティブだから絶対に駄目だ」とまでは考えていません。言う側に愛情があり、言われている側も周囲も許容できていて、うまく回っているのであれば、一般的にネガティブに捉えられることでも活用していいと思います。ただハラスメントでよくあるのが、「相手も喜んでいると思っていた」など、関係性を見誤ること。いじめやハラスメントにつながらないように、細心の注意が必要です。
言われた側が「やっぱりそのキャラ付けは嫌だな」と思ったときに、しっかりと「嫌です」と言えたり、周囲が「あんなふうに言われているけど大丈夫?」と気遣えたりする環境も重要ですね。そんな環境であれば、一般的には負のレッテルであったとしても、そのレッテルをポジティブで明るい方向に変えていくことができます。たとえば大学でも、わがままな学生を「わがままキャラ」にしてしまうことでみんながそのキャラをイジり、それによってうまくバランスが取れている場面を見かけることがあります。
最近は「からかい」や「イジリ」全般が許容されづらくなってきています。笑いが人を傷つけてしまうおそれもあることについては、どうお考えでしょうか。
からかいやイジリによる笑いは、笑いの中でも特に作りやすいものです。あるアメリカの研究者は「からかいは批判であると同時に賞賛であり、攻撃であると同時に人を親密にし、侮辱であると同時に親愛の表現である」と述べています。もちろん「この笑いは許される笑いなのか」と常に意識しておく必要はありますが、攻撃や優劣の要素が含まれてしまうことは、笑いの本質でもあります。
私は、笑いには人を攻撃してしまう二つの可能性が含まれると考えています。「からかい」や「イジリ」には、その前提としてどうしても攻撃性が含まれます。「じゃあ自分の失敗談ならいいだろう」と思って話したとしても、同じ失敗を経験し、かつまだその傷が癒えていない人を傷つけてしまうことがあります。これが一つ目である、意図が相手にしっかり伝わったうえでの攻撃です。
そこで出てくるのが「ギャグやダジャレなら、誰も傷つけないのでは」という意見です。しかし、たとえば受け手の中で一人だけその意味がわからなかったとしたら、その人は疎外感を覚えるかもしれません。これが、相手に意図が伝わらない二つ目の攻撃です。
このどちらもクリアできる笑いとなると、今度は難しすぎて誰も実践できません。「誰かを傷つけてしまう笑いは絶対に駄目だ」という風潮が強くなりすぎてしまえば、仕事以外は何もできない環境になってしまうでしょう。そんな環境はかなり息苦しいと思います。
そもそも「職場は仕事をする場所であって、笑いなんていらない」と感じている人もいるかと思います。
確かにそういった意見は出てくると思います。職場で信頼関係をつくっていく観点からも、笑わせようとするより、与えられた仕事をきちんとこなすことのほうが大事でしょう。しかし、職場にいるのは結局「人」です。多かれ少なかれ、笑いにはその人らしさが表れるし、その笑いの中に自分との共通点を見いだすこともあるはずです。一緒に働く仲間の人となりや共通点を知っておいたほうが、働きやすくなると思います。
単に言われた通り仕事をこなせばいいような仕事は、ロボットやAIに取って代わられるかもしれません。笑いは一見遠回りで無駄なように思えるかもしれませんが、実はより効率的・効果的に仕事を進めていくために重要な要素だと私は思います。笑いを許容できる遊び心や余裕さは、イノベーションにつながっていくはずです。
経営者・人事から「笑い」を実践していこう
組織のリーダーや人事は、どうすれば笑い合う組織をつくっていくことができるのでしょうか。
前提として、職場がいきなり変わることはありません。そのうえで、まずはトップダウンで「笑いを活用していこう」というメッセージを発信することが重要です。「いきなり『笑いを大切にしよう!』とは言い出しづらい」と感じるときは、雑談の場を増やしてみたり、飲み会を設定してみたりすることから始めてもいいでしょう。
昨今は飲み会も忌避されがちですが、あるアメリカの研究者は「日本の職場には笑いが少ないけれど、居酒屋やカラオケでは笑いが多い」と述べています。そういったインフォーマルな場で上司や部下の意外な一面を知り、より結束が深まることはよくありますね。さらに日本では、管理職など「強い」立場にいる人のほうが笑いを発しやすいとの研究結果も示されていますから、ぜひ実践してほしいと思います。
上司が冗談を言うと、部下は愛想笑いをするかもしれません。最初のうちは愛想笑いでもいいと思います。そもそも愛想笑いと笑いの境界線は難しく、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」とも言われるように、愛想笑いが「楽しい」という感情を引き出してくれるかもしれません。
たとえば低く評価されがちなダジャレ一つとっても、当意即妙にダジャレを言えることは、実はすごい技術なんです。それなのに自分の価値観だけで「いらない」「つまらない」と一刀両断してしまうのは、現在の多様性の時代と逆行していると言えます。他人に興味を持てず、上司のギャグをただ切り捨てるような会社では、きっとイノベーションは起こらないでしょう。
日本人はとかく笑いをハードルの高いものとみなしがちですが、決してそうではありません。声を出して笑わせるだけでなく、少しにっこりとさせたり、ほっこりした気持ちにさせたりすることも笑いです。自分の座席にぬいぐるみを置いたり、遊び心のあるメッセージを残したりするなど、ちょっとした工夫から始めてみるのも効果的です。
笑いのフォロワーシップの話の観点からは、いかにリーダーや人事がいろいろな人たちの面白さに気付いてあげられるかがすごく重要です。自分から面白いことを言い出すことが苦手な人でも、何かを言ったときの返答にはその人なりのユニークさが出ます。もちろん「本人が嫌じゃなければ」という前提のもとですが、そういったユニークさにツッコミを入れることで生まれてくる笑いもあるでしょう。
従業員の中には、無意識のうちにフォロワーシップを発揮できている人もいると思います。人を見る目がある人事だからこそ、フォロワーシップに長けている人材を要所に配置し、全体のフォロワーシップを高めていくといった取り組みも重要でしょう。
最後に、経営者や人事パーソンの方に向けてメッセージをお願いします。
ここまで紹介したように、笑いにはさまざまなメリットがあります。今後の理想としては、お笑いというプロの芸能の笑いではなく、会社で仕事をしている人たちが面白いと思える「プロではない一般の社会人から生まれてくる笑いカルチャー」が日本に芽生えてほしいと思っています。そのようなカルチャーにより、働く人たちの間で「職場の笑い」に関する認識が共有されれば、コミュニケーションはもっと楽になるはずです。
そのためにはまず、経営者や人事の方から、遊び心や余裕さの大事さを考えてみてほしいと思います。本来笑いとは、私たちが思っているよりも身近なものです。「こんなこと、気軽に言っていいんだ」と従業員みんなが思える環境になれば、自然と組織から生まれてくる笑いもつくっていけるはずです。誰かを傷つけることが少ない冗談や自分の失敗、たとえ話などから始め、フォロワーシップも鍛えながら、職場での笑いの量を増やしていってほしいと思います。
(取材:2024年10月22日)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。