指揮者に見る、「組織・人材」マネジメント力
読売日本交響楽団 正指揮者
下野 竜也さん
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今日的な指揮者の「要件」
ところで、尊敬する指揮者には誰がいますか。
指揮者としての「資質」で言うと、朝比奈隆先生(故人・前大阪フィルハーモニー交響楽団総監督)は別格として、私が師事した中では秋山和慶先生(東京交響楽団桂冠指揮者)、そして読響の名誉客員指揮者である尾高忠明先生にはとても学ぶ点が大きかったです。
どういうことかと言うと、「今、このオーケストラに何が必要なのか」が明確に分かり、瞬時にポイントとして突ける。何より、それが確実な効果として表れるので、楽団員からの信頼も高い。その結果、リハーサルで培ったことが、演奏会で目に見えるように生きてくるのです。これはそう簡単にできることではありません。
会社組織でも同じようなことが言えるかもしれません。この人の言うことならついていける、そう思わせるためには何が必要なのでしょう。
指揮者の場合、演奏会当日に向けて、プロセスをどう組み立てていくかがポイントです。要は、リハーサルをどう充実させるかということ。たまに、リハーサルがダメでも本番は良かったというケースがありますが、基本的にはリハーサルで9割が決まると言っていいでしょう。実際問題としてリハーサルで手を抜くと、それは会場にいるお客様にも分かってしまいます。すると、お客様の足が会場から遠のいてしまいます。これはまずい。
リハーサルを充実させるためには、何よりも楽団員のモチベーションを高めること。これに尽きます。そうすれば、音の「精度」や音楽の「質」が高まっていきます。そして、オーケストラ全体として自分の思うイメージ通りに曲をまとめ上げていくことができます。
口で言うのは簡単ですが、現実はそううまくいきません。実践していくには忍耐力が必要です。常に全体に気を配り、バランスよく整理していく能力と言えばいいのでしょうか。人と組織をモチベートさせるリハーサルができるかどうか、これが今日の指揮者には必須とされる能力の一つです。
端的に言うと、音楽の質を上げるには、奏でる人の気持ちの部分を上げる、ということでしょうか。
基本的にはそうです。しかし、我々はプロなのですから、それはできて当たり前です。それよりも、聴いてもらうお客様に感動を与えることを第一に考えなくてはなりません。この点を、正指揮者としてはもっと意識していきたいですね。
伝統ある「組織」から、若い人が学ぶことは多い
オーケストラというのは「専門家集団」ですが、同時に、非常に人間臭い組織でもあるわけですね。楽団員との関係性ではどのようなことに気を配っていますか。
楽団員が100人いたら、その100人と話をすることを心がけています。現実的にはなかなか難しいですが、オーケストラで音楽を奏でる楽器の向こうには、一人ひとりの人間がいるわけです。その楽団員とちゃんとした関係ができていなければ、良い音楽はうまれてこないでしょう。
これはオーケストラに限った話かもしれませんが、楽団員にとって、指揮者は私だけではありません。特に読響の場合、現代の巨匠と呼ばれる方たちが頻繁に指揮台に立つわけです。当然、その方たちから数多くのことを学んでいます。
そうした経験の場が持てるオーケストラの楽団員は、「もっと良い音楽を奏でたい」「もっと良いオーケストラになりたい」という向学心が自然と高まってきます。さらには、「もっと良い指揮者の下で演奏したい」となるわけですから、私も安穏としているわけにはいきません。
正指揮者といっても、私は39歳。指揮者の中ではまだまだ若手です。ですから、経験豊かな読響から学ぶ点が非常に多いのです。私が最初に読響を指揮したのは33~34歳の頃でした。指揮者としては未熟だったにも関わらず、楽団員の方が非常に私を盛り上げてくれ、その懐の深さに感激したことを今でもよく覚えています。
ただ、こうした私の若さは、同時に良さでもあると思っています。なぜなら、今現在、自分の思ったこと、感じたことを包み隠さずオーケストラに投げ掛けることができるからです。もちろん、中には受け入れられない場合もあるでしょう。しかし、そこから面白いものが出てくることもきっとあるはずです。
最近のクラシック界を見ると、世界的にも若手の指揮者が活躍していますね。
これは、オーケストラ、若手指揮者の両者にとって、とても意味のあることだと思います。先ほど言いましたように、伝統のあるオーケストラにおいて、若い指揮者が学ぶことはたくさんあるからです。また、若手には先入観がありませんから、新しい視点をどんどんオーケストラにぶつけてきます。
巨匠とならばトップダウンで進めていくことが多いのでしょうが、若手指揮者となら忌憚なくキャッチボールができます。オーケストラは若手から新たな刺激やモノの見方を知ることができるし、若手はオーケストラから経験や規律を学ぶことができます。これは組織の新陳代謝という点でも、非常に有効です。
考えてみてください。クラシック音楽が長く演奏されてきたのは、それなりの理由があるからです。それは、今までの伝統を踏まえた上で、なおかつ新しい試みも行っていくという前向きな姿勢。そうした取り組みがあったからこそ、積み重ねが長い歴史となって今日まで至っているのです。
なるほど。組織として考えれば、長く存在しているのは、それなりの意味があると。そこに、新しい視点から問い掛けを行い、残すべきものは残し、変えていったほうがいいものは変えていく。その結果、組織としてより良いものになっていく。こうした際の音頭取りがオーケストラでは指揮者であり、会社ならリーダー、マネジャーの役割ということになるのかもしれませんね。
指揮者は、中間管理職である
最後に、企業のリーダーやマネジャーに向けて、下野さんなりのアドバイスをお願いします。
指揮者は、会社組織で言えば、中間管理職のようなものです。思うに、人の上に立つ者として、組織におけるリーダーやマネジャーというのは、基本的に「上に厳しく、下に優しく」という姿勢であるべきではないでしょうか。
ただ、最近の組織を見ると、年上の部下や年下の上司がごく当たり前になってきています。この場合に大切なのは、やはり一人の人間として相手に対して尊敬の念を持つということです。年齢が上の人を敬う、下の人を可愛がるといったごく自然な対応です。これは日本人のメンタリティーとして、以前からあったものです。
もちろん、仕事として具体的な指示を下す場合、それがトップダウンという形になるのは当然のことかもしれません。しかし、人に接する態度として高圧的なのはどうか。それは違うと思います。
カリスマ指揮者としてそうした態度を終生保った人もいましたね。
今はそのような時代ではありません。相手の人格や技術力までを否定するような言い方は避けるべきです。何より、指揮者は自分で音を出すことができません。音を出すのはあくまで演奏者です。演奏者に気持ちよく奏でてもらえなければ、良い音楽を創り出すことはできませんから。
方向性を明確に示すことは大事です。しかし、それを具体的にどう実現していくかを考えた時、自分一人では何もできないことを知る必要があると思います。
管理職は、部下に仕事をいかにやってもらえるかが問われます。
おっしゃる通りです。さらに言うと、指揮者もリーダーやマネジャーも、最後は自分自身で決断しなければなりません。これは結構、孤独な作業です。
正しい判断をするためには日々勉強し、自分を鍛えなければなりません。私が作曲家本人の書いた「自筆譜」を事前に確認するのもそのためです。音楽を創り上げていく判断基準になる素材として、当然、チェックしなければならないものだと考えるからです。
現場を任されている指揮者がやるべきことは何か。演奏会の成功という目的を達成するために、その判断の拠り所になるものを徹底的に調べ上げ、自分なりの解釈や方向性を示していくことです。それは、ビジネスの世界でも同じではないでしょうか。人と組織との関わりの中で、物事や周囲に対する正しい態度や判断力を身に付けることを、今日のリーダーやマネジャーはもっと意識してもいいのではないかと思います。
取材は2008年5月22日、神奈川・川崎市の読売日本交響楽団練習所にて
(取材・構成=福田敦之、写真=中岡秀人)
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さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。