ATD 2018 International Conference & Expo 参加報告
~ATD2018に見るグローバルの人材開発の動向~
株式会社ヒューマンバリュー 取締役主任研究員 川口 大輔
コンカレント・セッションから学ぶ
基調講演のほかにも、ATD2018ではプレセッションや出展者セッションなど400以上のセッションが行われました。その中から、私が参加したセッションをいくつかご紹介したいと思います。特に、昨年くらいからタレント開発の世界において、働く一人ひとりがグロース・マインドセットを育み、リスクを取ってアジャイルにチャレンジしていけるような職場環境の構築を指向する「心理的安全」というテーマが多く取り上げられています。今年はその心理的安全に関連するテーマとして、「バイアス」「コンフリクト」「フィードバック」といったキーワードが見受けられました。それらを中心にどんな議論が行われていたのかを深堀りしていくことで、人材開発のトレンドの一環を垣間見たいと思います。
(1)心理的安全とバイアス
今年のATDでは、「バイアス」が多くのセッションで取り上げられ、働く人々の認知的側面に踏み込んだ議論が行われていたことが印象に残りました。たとえば「M109:T.R.I.B.E.: A Model for Managing Biases and Building Psychological Safety(バイアスを管理し心理的安全性を築くモデル)」では、最新の脳科学の知見に基づき、無意識のバイアスが個人やチームの環境にどのような悪影響を及ぼすのかを明らかにし、サイコロジカル・セーフティ(心理的安全性)を実現するポイントが説明されていました。
セッションではまず、心理的安全とは何を指すのか、第一人者であるエイミー・エドモンドソン氏による定義が紹介されました。それによると、「心理的安全とはアイデアや疑問、懸念、失敗について率直に話すことで、その人が罰せられたり、辱められたりすることがなく、チームが人間関係でリスクを取ることが安全であるというビリーフ(信念)があること」
続いて、心理的安全についての理解を深めるモデルとして、下記のS.A.F.E.T.Y.というモデルが紹介されました。心理的安全を高める上では、これらの要素を損なわないようにすることが重要です。また、これらがおびやかされるところでバイアスが発生すると説き、心理的安全とバイアスの関係性が紹介されました。
- Security (安全:不確実なことに対して脳が感じる恐れ)
- Autonomy (主体性:脳は自分でコントロールすることを望む)
- Fairness (公平性:不公平に扱われると嫌気がさす回路が作動する)
- Esteem (尊重:自尊心の高低によって扁桃体は恐れを誘発する)
- Trust (信頼:自分と同じ<イングループ>か、否か<アウトグループ>での反応、いわゆる自己防衛バイアス)
- You (あなた:上述のS.A.F.E.T.が発動する自分のパーソナリティ、状況の理解)
続いて、そうしたバイアスを管理するためのモデルとして、以下のT.R.I.B.Eモデルが紹介され、それぞれを実践していくポイントが紹介されました。
●Trigger (トリガー)
自分は、S.A.F.E.T.Y.のうちのどのようなことがきっかけで、心理的安全を脅かすようなバイアスが誘発(トリガー)されるのか、注意を高める
●Interpret (解釈)
自分がそのトリガーをどのように解釈しているのか、脅威の対象となる人をどのように解釈しているのかについて、再評価する力を高める
●Build (相手の立場になって考える)
トリガーを引き起こしている相手の立場に立って考え、考え方の違いの多様性を理解することで、神経のバイアスを緩和することができる
●Engage & Embed (定着化させていく)
バイアスのトリガーの再評価を繰り返し実践することで、長期的に扁桃体の反応を変えていくことができることが証明されている。そして、コンフリクトの是正にもつながる
たとえば、自分の解釈を再評価する力を高めるアプローチとして、マインドフルネスに取り組むことの効果や、多様な人々に接する機会があることでバイアスが緩和すること、そしてそうしたプロセスを日常の仕事や生活の中で繰り返し習慣化していくことの重要性などが、データとともに紹介されました。
T.R.I.B.Eのモデルは認知行動療法で扱われているアプローチにも近しいように感じました。今後タレント開発の領域においても、こうした人の認知を扱っていくテーマが増えてくるかもしれません。
(2)フィードバック
心理的安全とは、単に仲が良いだけの集団を表しているわけではありません。異なる意見や厳しいことも率直にいい合うことで、より良い価値を生み出し、互いの成長につなげていけるような関係性が必要となります。
そのキーとなるのが、フィードバックです。パフォーマンス・マネジメントのあり方が、カンバセーションを通して人々の成長を促していくことにフォーカスが当たる中、フィードバックの重要性がかつてなく高まっています。しかし実際には、フィードバックが職場でうまく機能しているとは言い難い状況にあることも事実です。
そうした背景から今年のATDでは、フィードバックをテーマに取り上げるセッションが増えた印象を受けました。私が参加した中では、「TU407:Ouch, That Hurt! The Neurobiology of Feedback(あ痛っ!フィードバックの神経生物学)」において、脳科学の観点から有効なフィードバックのあり方を考えるセッションが行われており、人気を博していました。
セッションでは、まず人間関係と健康に関する具体的なデータを挙げていきます。「対人関係におけるストレスは他のストレスと比較すると、ストレスホルモンであるコルチゾールを3倍分泌する」といったデータを挙げながら、対人関係による痛みは身体的な痛みと同じ神経回路が作動することが紹介されました。
そうした背景を踏まえて、具体的にどのような形でフィードバックを行っていけばいいのでしょうか。セッションでは、脳の二つの状態、「タスク・ポジティブ・ネットワーク(TPN)」と「「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」に着目します。TPNは、意思決定や問題解決に取り組むなど、具体的なタスクを行っている状態です。DMNは、リラックスしていたり、ぼんやりと内省したりしているような状態です。fMRIを使ったいくつかの研究の結果として、DMNの状態においてコーチングを行うことが、前頭視覚野や頭頂野、腹側線条体、側坐核(モチベーションに影響)、腹内側前頭皮質を活性化させ、クライアントの満足度を向上させることを示唆しているとの報告がありました。
具体的には、いきなりデータや欠点に基づいたフィードバックを行うと、TPNの方が作動するので、会話のスタートとして、たとえば「あなたが最も輝いたときの状況を話してもらえますか?」「人生において情熱を傾け、愛するものには何がありますか?」「どんな人になりたいですか?」といった質問を投げかけることで、DMNを活性化させ、その上で、必要なフィードバックを行うことの重要性が主張されていました。フィードバックのあり方も、脳科学の知見を生かしながら、今後再考されていくと思われます。
(3)リーダーシップのダークサイド
心理的安全な職場を築いていく上では、リーダーシップのあり方も重要なテーマです。今年は、アカデミックな知見を生かしたトレーニング・ファームとしてATDでも人気の高いマインド・ジム社が、「SU204: Buddy, Bully, or Boss: The Dark Side of Leadership Behavior(同僚、いじめ、上司: リーダーシップ行動の暗黒面)」において、リーダーシップのダークサイドに着目した発表を行っていたことが印象に残りました。
セッションでは、まず「75%の従業員は、仕事で最もストレスがたまるのは、上司との関係であると答えている」「50%の従業員は、仕事を退社した直接的な理由として、上司との関係を挙げている」といったギャラップ社のデータが紹介されました。そして、うまく機能していないリーダーシップのあり方を「Buddy(同僚型)」「Bully(いじめ型)」「Boss(ボス型)」の三つに分類し、これらが、働く人々のエンゲージメントに大きな影響を与えていることに言及します。
また、機能不全を引き起こすのは、リーダーだけに責任があるわけではありません。ここでは、「有毒のトライアングル」というモデルが紹介され、「機能しないリーダー」に加えて、「追随する人たち」や「機能不全行動を許容する環境」といった文化的な側面にフォーカスが当てられていました。
そして、機能不全な環境を解決するためには「Culture of Respect(尊敬するカルチャー)」を築く必要があると説きます。レスペクトのカルチャーを築くには次の3点が重要であるということでした。
一つ目は、問題を予防する環境を作る、問題を局所化する環境を作るということです。誰にも機能不全の行動をする可能性はあります。機能不全の行動を局所化し、インパクトを低減することが重要です。一般的な組織には、「不適切な行動をした場合にどういうことをしたらいいか」というトレーニングが存在しないので、今後構築していくことが必要です。
二つ目は、権力・パワーの正しい使い方をおさえることです。乱用されるのは、「自分にはこのようにパワーがあって当然だ」と考えていることが背景にあります。周りにそう考える人がいると、私にもパワーがあって当然だっていう文化になります。まずは上司が自分で気をつけることが重要とのことでした。
三つ目は、声を出すことです。行動を変えるまえに声を上げるのです。矢面に立たされている人は、心理的ないろんな状況について、声をあげる勇気が出ないことが多いといえます。声を上げられる環境づくりが大事です。自己と他者の境界線をはっきりひいて、超えてきた場合はどういうふうに対処するべきか、どういうふうに違反行為が起こったかというのを冷静に話せるようにしましょうという投げかけがありました。