スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社:
「自主性を引き出す」人材マネジメントとは
~マニュアルがなくても人は動く~
人事本部 部門人事部 コーポレート人事チーム チームマネージャー
田中 良興さん
正社員でも保ちにくいハイ・モチベーションを、パートやアルバイトなど非正社員に求めるのは難しい――そう諦めていないだろうか。しかしいまや彼らが働き手の4割近くを占める時代。現場のレベルを維持するために、そのやる気や組織へのロイヤリティをどう引き出すかは、避けて通れない重要な課題といえる。正社員・非正社員を問わず、「人を尊重する経営」を標榜し、実践しているスターバックス コーヒー ジャパンの取り組みにヒントを求めて、人事本部チームマネージャーの田中良興さんにお話をうかがった。 一杯のコーヒーに凝縮される、同社の「人材」へのこだわりとは――。 (聞き手=ライター・平林謙治)
- 田中 良興さん
- スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社
人事本部 部門人事部 コーポレート人事チーム チームマネージャー
たなか・よしおき●1999年慶應義塾大学卒業後、大手電機メーカーの営業職を経て、2001年にスターバックス コーヒー ジャパン入社。店舗研修を経て人事本部に配属され、現職に至る。現在は店舗だけでなく、サポートセンター(本社)における人事制度や育成プログラムの開発、改善にも力を注ぐ。
「ミッション宣言」に込められたハワード・シュルツの思い
外食チェーン店やファストフード業界といえば、パート・アルバイトを含む従業員の回転率の高さが半ば常識となっていますが、スターバックスでは「パートナー」(同社ではすべての従業員をこう呼ぶ)の退職率がきわめて低く抑えられているとうかがっています。
退職率は正社員で年間8%、アルバイトで40%程度です。アルバイトは学生が中心ですから、どうしても卒業などを機に人員が入れ替わってしまう。それでも他店と比べると、長く働き続けてくれる人が多いのは確かですね。
とくにサービス業の場合、「人材こそが競争力の源泉」「顧客満足は従業員満足から」と謳っている企業は少なくありません。にもかかわらず働き手が定着しない、育たない……。そうした企業と、御社との違いはどこにあると思われますか?
スターバックスが人材を最優先し、「人を尊重する経営」にこだわりつづけてきた歴史の根本には、現CEOであるハワード・シュルツの深い思いがあります。シュルツ氏はニューヨーク・ブルックリンの低所得者向け集合住宅で生まれ育ちました。日雇い労働者だった父親が仕事を転々としたあげくに若くして亡くなったため、家族はとても苦労したといいます。そうした辛い体験から、自分がビジネスを始めるにあたっては、誰もが持てる能力をイキイキと発揮できて正しく報われる、働きやすい環境をつくろうと志したそうです。それが弊社の人に対する考え方の原点。経営理念を示した「ミッション宣言」にも、いの一番に「働きやすい環境をつくる」と記されています。
働き手を尊重する経営はもともと日本企業のお家芸。しかしバブル崩壊以降はマネジメントの現場に、人材をコストとしか見ないような風潮が広がっています。
コストとして管理する部分も必要でしょう。人材にどれだけ投資すれば、どれだけのリターンがあるかはきびしく問われなければいけません。従業員は大切ですが、お客様をおろそかにはできないし、企業が存続するためには利益性も欠かせない。ただ私たちは、これらの価値には“優先順位”があると考えています。「ミッション宣言」の言葉の順番どおりで、まずは人ありき。パートナー一人ひとりが働きやすい環境を整えてはじめて、いいサービスやいい商品が生まれ、それが顧客満足や社会貢献を実現し、最終的に弊社の利益へとつながっていく。この順番を、組織として守り抜いていくことがスターバックスの信条です。
マニュアルレスだからこそ実現した「究極のホスピタリティ」
創業の思いや理念を、実際に組織全体でどれだけ共有できるかが課題ですね。
ええ。それを現場にまでより深く浸透させるためには、ミッション宣言にもとづく一貫した人事制度や人材教育プログラムの開発、運用が行われていなければなりません。つまり、弊社でいう「ミッションマネジメント」をちゃんと実践しているか否か。退職率が高い企業との一番の違いは、そこにあるのではないでしょうか。 現場でいえば、各ストアマネージャーには、きちんとミッションに沿った行動をもってアルバイトに接することが求められます。アルバイトにとっては、自分の働いている店の職場環境がスターバックスという会社のすべてですから。トップがいくら立派な理念を謳っても、ふだん接している上司や仲間たちがそれを体現していなければ共感できるはずがありません。まあ、そうはいっても、いまは全国に約800店舗ありますからね。すべてのお店が完璧とは言い切れませんが、完璧であるように心がけてはいます。
組織や店舗が急速に拡大すると、やはり人材マネジメントの面で追いつかない部分も出てきますか?
一番難しいところですね。実は昨年4月に人事制度を改めたのですが、心を砕いたのは「いかに小さなときのままでいられるか」というテーマでした。会社の規模が大きくなっても、小さい頃のように全員が思いを共有して店舗運営にあたれるか。本来、弊社はリテールの接客業ですから、お客様一人ひとりの要望に沿うサービスを即座に提供できるよう、現場レベルで臨機応変に対応できなければいけません。そこで、迅速な意思決定と情報の共有を促すために、体制の見直しを進めたのです。変更点は大きくふたつ。ひとつは「組織のフラット化」です。階層が増えて、複雑になっていたものをシンプルにしました。そして階層を減らした分、もうひとつの改革として「現場への権限委譲を拡大」しました。
よく知られていることですが、スターバックスの現場には、多くのチェーン店で見られるようなマニュアル管理がほとんどありませんね。アルバイトにも、マニュアルレスで業務を任せているのですか?
ドリンクのレシピなど、品質にかかわるルールは厳しく定められています。でも、お客様へのサービスに関するマニュアルは、アルバイトも含めて一切ありません。スターバックスならではのホスピタリティを実現するためには、マニュアルで細かく縛るよりも権限を委譲して、パートナー個々の自主性や創意工夫をどんどん引き出したほうがいいと考えているからです。
実際、「そこまでやるの!?」というようなことまで対応しますからね。たとえば東京・築地のお店では、お客様から「市場で買ってきた魚を預かって」という前代未聞のご要望があったんですよ(笑)。もちろん現場の判断でお預かりしましたが、マニュアル漬けの接客ではなかなかありえないことでしょう。その他には、地元のリピーターの方たちといっしょに絵本の朗読会を企画したり、ハロウィンパーティーを催したりしているお店もあります。そういうアイデアがアルバイトからも自然と出てくるのが、弊社の強みですね。
スターバックスの店員はなぜイキイキしているのか
外食業界は人手不足が深刻です。アルバイトも、少々時給を上げたぐらいでは集まりません。御社で求められるような意欲的な人材を確保するのは、至難の業では?
たしかに都心部では人材の獲得競争が激しくなってきていますが、それでも新しい店舗をオープンさせるときは、20人の枠に100人ぐらい応募が来て、それなりの倍率になります。基本的にはアルバイトでも長期勤務が前提。私たちが大切にする価値観に共感した上で、スターバックスという会社にきちっとコミットしてほしいですから。
単純にスターバックスが好きだから、ファンだから、という動機で御社を選ぶ若者も多いでしょうね。
採用では、そういう純粋な思いを大切にしています。私の知る限り、お客様としていい“スターバックス体験”をした人ほど、お店に入るといいサービスをしますからね。グッドカスタマーであることは採用の重要な条件なんですよ。だからいい人材を採用しようと思ったら、まずお店の環境を良くしなければいけません。人を採用できないお店は、不思議と店舗の雰囲気がよくないんです。逆にサービスや雰囲気がよく、パートナー同士のチームワークもとれている店舗はお客様から見てもわかりますから、働きたい人が直接そのお店に応募してきて、スムーズに採用が進んでいく。弊社の場合、サービスや店づくりがそのままリクルーティングに結びついているんです。
たしかに現場でイキイキと働くパートナーの姿は、いつ訪れても印象的です。彼らの笑顔と意欲の源泉は何ですか? モチベーションの秘密を教えてください。
特効薬はありません。基本はていねいにコミュニケーションをとり、きちんと認知してあげること。そのきっかけとして、次のような取り組みがあります。
ひとつはインセンティブ。ボーナスのように大げさな話ではなく、お店のパートナーをチームに分けてキャンペーンで一番だったチームにちょっとした景品を贈るなどですね。ストアマネージャーの裁量で、ゲーム感覚のインセンティブを実施している店舗もあります。もうひとつは、アルバイトに対して年3回行われる人事考課。その都度、目標の達成状況や今後の取り組みについて上長とじっくり話し合います。三つ目は表彰制度で、これも大げさなものではありません。パートナー同士がお互いを観察しあい、パートナーとして必要とされる行動を正しく実践していると思う人がいたら、こういう点がよかったとカードに書いて、渡す。「グリーンエプロンブックカード」というのですが、5枚集めると、お店で正式に表彰してもらえるんです。
現場のパートナー、とくに若い世代の反応はどうですか?
カードを渡して褒めあったりするようなムードに、最初はしらけた反応を見せる人もいますが、やっているうちにたいていハマリますね。うちの現場の主力は、最近何かと話題にのぼる「ゆとり世代」の若者ですが、彼らだってやっぱりうれしいんですよ、まわりから褒められて、認められると。自信がついていくのが、見ていてよくわかります。その意味では、本人の主体性を尊重し、信頼し、もっているものを引き出すという弊社の人材マネジメントの思想そのものが、案外彼らにはフィットしているのかもしれませんね。
私は2002年に始まった障がい者雇用にもずっと携わってきました。コミュニケーションが苦手な人もいて、最初はお店で働けるのか心配でしたが、一期生6名はまだ誰も辞めていません。仲間に認められていくうちに人と話す自信もついてきて、いまでは堂々と接客を行っています。人は、誰かに認知されることで本当に変わるんですよ。
人に教えてはじめて、教えられたことが身につく
自信を培うには、周囲からの働きかけと同時に、トレーニングによるスキルアップの裏づけも欠かせません。御社ではOJT、OFFJTともかなり時間をかけるそうですね。
新人は店舗のオペレーションを学ぶために、正社員、アルバイトの区別なく全員が同じ教育プログラムを受講します。最初のステップである「バリスタ(ドリンクをつくる技術者)」の研修だけでOFFJTが4クラス、OJTが7つのモジュールの計11プログラム。26時間を要します。私たちのプログラムにおいては、どんな研修でも一方的に「こうしなさい」と指示することはありません。マニュアルレスの現場を支える育成制度の根幹をなすのは、「ラーナードリブン」(Learner Driven=自ら学ばせる)という発想。パートナー自らが「なぜそうするのか」を考え、納得して行動できるようにコーチングしています。
また、教わったら次は必ず教える立場に回る――「学習のリサイクル」も大きな特徴のひとつでしょう。誰かに教えてはじめて、教えられたことが定着する。教えられてばかりではダメなんです。だからアルバイトでも、一定の経験を積んだパートナーには指導役的なポジションにどんどんチャレンジしてもらっています。
田中さんも、最初にバリスタになるためのトレーニングを受けられたわけでしょう。いま、お店でドリンクを作れといわれたら、スターバックスの味を出せますか?
いや、すぐにはちょっと……。店舗の繁忙期に、私たちサポートセンター勤務の社員が応援にいく「ホリデーヘルパー」という制度があります。去年、私も参加したのですが、実際どれだけ戦力になれたかどうか…。配属先の店長に、一応謙遜のつもりで「皿洗いぐらいしかできませんよ」と事前に伝えておいたら、本当に8時間皿洗いをやることになりました(笑)。でも、ふだんお客様の顔が見えにくい私たちにとって、それがとても貴重な機会であることは間違いありません。現場の最前線に立つことによって、スターバックスという会社の魅力があらためて再確認できるんです。何よりもそこに惹かれて入社したわけですから、役に立てるなら、皿洗いでも何でもやりますよ(笑)
(取材は2008年12月4日、東京・渋谷区のスターバックス コーヒー ジャパン、サポートセンター(本部)にて)