社会的な欲求を満たす場としての「職場」とは
ポストコロナ時代に、職場における“人と人との関わりあい”はどう変わるのか
神戸大学大学院 経営学研究科 教授
鈴木 竜太さん
緊急事態宣言下で、オンライン会議や在宅ワークを導入する企業が増加。リモートワークが普及するにつれ、「多様な働き方」や「ジョブ型雇用」への関心が高まっています。一方、「職場」の存在意義とは何かを問う議論も活発です。新型コロナウイルス感染症の流行が収束の兆しを見せない中、これからの職場はどのような意味を持つのでしょうか。また、職場における人と人との関わりあいはどう変化し、組織をけん引するリーダーにはどんな対応が求められるのでしょうか。長きにわたり、組織と個人の関係のあり方を研究されてきた、神戸大学大学院の鈴木竜太教授にお話をうかがいました。
- 鈴木 竜太さん
- 神戸大学大学院 経営学研究科 教授
すずき・りゅうた/1971年生まれ。1994年神戸大学経営学部卒業。ノースカロライナ大客員研究員、静岡県立大学経営情報学部専任講師を経て、現在、神戸大学大学院経営学研究科 教授。専門分野は経営組織論、組織行動論、経営管理論。著書に『組織と個人』(白桃書房、2002年:経営行動科学学会優秀研究賞)、『自律する組織人』(生産性出版、2007年)、『関わりあう職場のマネジメント』(有斐閣、2013年:日経・経済図書文化賞、組織学会高宮賞)、『経営組織論(はじめての経営学)』(東洋経済、2018年)、『組織行動-組織の中の人間行動を探る』(有斐閣、2019年)など。
強い職場の特徴は、メンバーが組織のために“自分に何ができるか”を意識していること
新型コロナウイルス感染症の流行により、多くの企業がリモートワークやオンライン会議を導入しています。現在の職場や、人と人との関わりあいの状況をどのようにご覧になっていますか。
コロナ禍での生活が1年半以上続いていますが、「完全にリモートワークのみでOK」「1ヵ月のうち1回も出社しなくてもいい」という人は多数派ではないと感じています。
「職場で人と関わることはわずらわしい」と考えている人が多いのではないかと想像していたのですが、結果は少し違っていました。私自身もそうですが、一人でずっと家にこもって仕事をしているとストレスがたまります。在宅ワークは効率がいいものの、煮詰まるんです。
学生に「オンラインでの授業がいいか、対面での授業がいいか」を問うと、家族と一緒に暮らしている学生は「オンラインでいい」と答えます。一方、一人暮らしをしている学生は「対面がいい」と答えます。若い人たちも、インターネットやLINEでのコミュニケーションだけで十分というわけではないんですね。
このようなことから、「職場」とは仕事をする場所だけではなくて、ある種の「社会的な欲求を満たす場でもある」とあらためて感じています。職場は、人が働く場所として効率的・合理的だからという理由だけではなく、「人に会いたい」「外に出たい」「人の営みの中に入っていきたい」という人の本能的な欲求を充足する場でもあったんです。
コロナ禍が、職場のあり方として「人が集うこと」の意味を再認識する機会にもなったということでしょうか。
そうですね。職場に人が集まることの意味を考えるときには二つの側面があると思います。一つは「企業の成果や生産性をあげるために集まる」という考え方。もう一つは先ほどお話した「職場の仲間と関わりあうために集まる」という考え方です。
この二つは意味が異なります。実際にリモートワークをやってみて、人と人が成果や生産性を上げるために「情報を共有し合うこと」と「関わり合うこと」は少し意味が違うと実感した方も多いのではないでしょうか。
情報共有は、チャットやメール、Zoomなどのツールを使えば、問題なくできることがわかりました。ただ、情報共有だけでは、うまくいかないことがあります。職場で会わなければ、満たせない欲求や生まれないつながりがあるわけです。
そういうつながりが見えにくい職場、とくにリモートワークでは、働く個人が、職場や組織、仕事の全体像を把握しにくい。職場にはどんな地図が広がっていて、自分はいまその地図のどこにいるのかという“自身の現在地”がわかりにくいのです。
これまでの日本企業は、社員同士が密接な関係を持ち、曖昧な職務をみんなでこなしていく中で、「この会社はどこに向かっていて、職場や組織のために、自分は何をしているのか、あるいは何ができるのか」という感覚を自然と得られていました。
もう少し説明すると、日本企業の多くは、少ないリソースでどう拡大していくかに腐心してきました。簡単には人を採用できませんから、社内で「こういうことをできる人はいませんか?」「誰かこれをやってくれませんか?」と、何とかやりくりしてきたわけです。それには、社員に無理を強いて、一部に過剰な労働がかたよったり、不公平感が生まれたりした弊害もあったわけですが、その相互作用の中で、「関わりあい」も生まれました。
職場の全体像や自身の現在地が見えにくくなれば、みんなでやりくりするという意識も薄れます。また、やりくりするという意識が薄れ、自分のことだけをすれば良いとなれば、全体像における現在地が見えにくくなり、職場やチームのために「自分は何ができるか」を考える機会もなくなってしまいます。
鈴木先生は「強い職場あるいはチームの特徴は、メンバーが組織や職場のために“自分には何ができるか”という意識を持っていること」だとおっしゃっていますね。
はい。職場には、誰の役割でもないけれど、誰かがフォローしてくれると他の人の業務がはかどるような仕事、誰かがサポートすることで全体がうまくまわる隙間的な仕事が数多くあります。このような自分の役割外の仕事に取り組むメンバーがいることで、それぞれがやるべきことだけをやっている職場にはない強さが生まれます。
しかし、リモートワークの環境下で他者の仕事がみえなかったり、職場の仲間と同じ船に乗っているというような意識が薄らいでいったりすると、あうんの呼吸でお互いを支援し合うような強いチームづくりは難しくなるでしょう。
実はこの傾向はコロナ禍の前から始まっています。集団の目標よりも個人の目標が重視され、「何ができるか」よりも「何がしたいか」へのフォーカスが強まると、人は「自分のことだけを考えていればいい」と思うようになります。当然、「職場やチームのために」という意識がどんどん薄れていくのです。
そうならないようにするためには、職場や組織の中での「関わりあい」が重要です。コロナ禍で人が集まることが難しいのであれば、関わりあいを生むような職場やマネジメントを意図的に設計していかなければなりません。これまで自然と育まれてきた職場の関わり合いを意識してマネジメントしていく必要が出てきたのです。
人材育成における“ケアしすぎ”は自律心の育みを阻害し、成長を妨げる要因に
コロナ禍ではこれまで以上に、社員の“自律性”が重要になるといわれています。メンバーが自発的に動く組織をつくるために、リーダーに求められることとは何でしょうか。
職場やチーム、人によって育成の方法はさまざまですから一概にはいえないのですが、「メンバーを信頼して任せる」ことをしっかりと考える必要があると思います。
コロナ禍で、企業においては「若手社員をどうケアするか」が課題となっていました。もちろん一人で思い悩んでいたり、仕事への意欲がわかなくなってしまったりしている社員のケアはしなければいけませんが、成長という観点から見ると、ケアをしっかりとすることが必ずしもプラスに働くとは限らない、と私は思います。
仕事人としての過干渉は、自律心の育みを阻害します。自分なりに工夫する余地がなくなり、言われたことだけをやるという受け身や依存の姿勢を生んでしまうからです。リモートワークの環境下では自由に仕事を行える時間が増えるわけですから、この機会を利用しないのはもったいないでしょう。
メンバーの自発性を促すために、過干渉と放任のあいだの最適解をどう見つけていくかが重要です。しかし一方で、リモートワークの環境下では、それを見極めるのが難しいとも感じています。というのも、リモートワークの環境下では、「察する」ことが難しくなるからです。リーダー自身もそうですし、職場であたりまえに行われていた「察して、動く」ことが減っていきます。
上司に叱られている後輩を見て、先輩がそっとサポートしてくれたり、隣に座っている同僚が忙しそうにしている気配を感じて「私が代わりにやっておこうか?」と声をかけたり、あるいは「ここは任せてみよう」としたり。リーダーは、こういった職場の「察する」行動自体が減っていることや、職場全体の「察する能力」がこれから低下していく可能性があることを、心に留めておく必要があるでしょう。
対策としては、仕事や職場の状況を見える化し、お互いに察せられる状況をつくることなどが大事でしょうか。
それも一つのやり方ですが、リモートワークの環境下で、察せられる状況をつくりだすのは、なかなか難しいと思います。いかに「察してもらうか」ではなく、いかに「言ってもらうか」に注力したほうがいいのはないでしょうか。
これまで職場で顔を合わせて仕事をしていたときは、黙っていても察してもらえたかもしれません。しかし、これからは自分自身で困っていることのシグナルを出していくことが必要になります。
チームづくりにおいて「心理的安全性」が評価されているのも、この一環だと思います。ただ「心理的安全性」は、実際に行ってみると、難易度が高い。リーダーは全体最適もふまえたうえで、言った者勝ちにならないような采配をしていく必要があります。
リーダーの仕事とはメンバーに“問いかける”こと
リーダーからメンバーへの問いかけで、メンバーの自律心が育まれていくこともありますか。
はい、十分あります。私は、マネジャーやリーダーの仕事は“問いかけ”だと考えています。問いをどのように用意するか。成長するヒントをどう提供するかは大事なことです。
リーダーがメンバーに問いかけるときに重要なのは、相手が自律的に考えたり、工夫をしたりできる余地を残すこと。問いかけているつもりが詰問になっていたり、すでに出ている答えを復唱させるだけになっていたりすることが、よくありますよね。メンバーに裁量を持たせたうえで、考えてもらいたいポイントを喚起するような問いを用意したいところです。
「1on1」はオンラインでも可能なため、上司や部下とのコミュニケーションや職場の関わりあいを維持するために導入する企業が増えています。この「1on1」においても、メンバーの自律性を促す問いかけができているか、注目したほうがいいですね。
そうですね。スキル的なことでいうと「Why」を聴くというのは大切で、「なぜやるのだろう?」「何のためにやるのだろう?」といった、考えるきっかけをつくる問いは重要だと思います。
ただし、職場の関わりあいを維持するために「1on1」を行うという考え方には注意が必要です。さまざまな研究で縦のつながり、つまりマネジャーやリーダーとのつながりが強くなればなるほど、横のつながりが薄くなることがわかっているからです。
上司と頻繁にコミュニケーションをとる組織では、たとえ同僚が何か問題に気づいた場合でも「上司がきっと言ってくれるだろう」「リーダーが話せばいい」とコミュニケーションを控える傾向になるんです。人間関係と同じで、特定の関係が強くなると、その他の関係が弱くなります。
鈴木先生は「社員間のつながりが強くなりすぎると、閉鎖的な組織になる危険性がある」ともおっしゃっています。これも同様の原理でしょうか。
そうですね。内部でのつながりが強いと、内部でのコミュニケーションだけで十分事足りると感じるようになります。中にいる人は居心地がよいわけですが、その分、外部との軋轢(あつれき)が生まれやすくなります。
たとえばそのコミュニティに新しい価値観を持つ人が入ってきたときに、自分たちのルールを押しつけたり、疎外しようとしたりしてしまう。強いつながりというのは強制力を発揮するため、居心地のわるさを感じている人に我慢を強いてしまうんです。郷に入れば郷に従えと。ダイバーシティを推進する企業でも、似たような事象が起きがちです。
つながりを持ちながらも、常に見直していく。固定化しないように気をくばる。新しい価値観を柔軟に受け入れる……。開放的な組織になっているかどうか、リーダーはよく見ておく必要があります。
職場は「仕事をする場所」から「人と会う場所」「情報やアイデアを交換する場所」へ
新型コロナウイルスが収束していけば、オフィスに出勤する割合が増え、オンラインとリアルのハイブリッドで働く職場が増えそうです。職場における人と人との関わりあいは、どのように変化していくと思われますか。
先日テレビで、オンラインとリアルのハイブリッド型の働き方を採用している企業の事例が紹介されていました。その企業では週1回の出社日はデスクワークをしないと決めているそうです。オフィスに出社した日は、プロジェクトの細部をつめるための議論をしたり、たくさん雑談をしてアイデアをふくらませたりすると。「在宅で行うこと」と「対面で行うこと」をうまく切り替えている点が面白いと感じました。
職場に仲間が集うことは、どのような意味を持つのか。あるいは、働き手や組織にとって、人と会わないほうがいい仕事とは何なのか。それぞれの役割を突きつめて考え、ハイブリッド型の働き方を設計できれば、人と人との関わりあいがたとえ不十分でも、それぞれが果たすべきことを果たし、従来とは違った意味での組織の強さにつながるのではないかと思います。
多くの場合、これまでのオフィスは「仕事をする場所」と定義されていましたが、これからは「人と会う場所」「社会的欲求を満たす場所」「情報やアイデアを交換する場所」に変わっていくかもしれませんね。
リモートワークやオンラインでの仕事を継続していくうえで課題となることは何でしょうか。
メンバーの仕事を管理し、評価しなければならない管理職の不安をどう解消していくのかは、一つの課題といえそうです。部下の仕事が見えないと、どうしても不安になる心配性のマネジャーはいますよね。その結果、部下の仕事や行動を監視するようになると、組織にとってマイナスの影響があると危惧しています。監視に傾きすぎてしまうと、社員の自律性を阻害することはもちろん、組織の雰囲気を息苦しくしてしまいますから。
加えて、監視には実はものすごくコストがかかることも忘れてはいけません。たとえばテレワークをする日に計画書を提出させる企業の話を聞いたことがありますが、メンバーは計画書の作成に毎日30分とか1時間を費やし、管理職も報告書をとりまとめて上司に提出するのに多くの時間を割くことになります。10人にこれをさせているだけで、1日5時間から10時間の有意義な労働時間を失っているわけです。
なにか問題が起こりそうなときにチェック体制を強化するのは常とう手段なのですが、そのために労働時間を大きく使ってしまうのは本末転倒。本来やるべき、業績につながる活動の時間を減らしていることに自覚的になるべきです。
また、このような手法をとっている企業は、管理職の自律性を高めていくべきだとも思います。一人ひとりのマネジャーやリーダーに裁量を委ねて、組織の成果をあげるためのマネジメント手法を考えさせれば、無駄な時間を極力減らしたいと思うはずです。
コロナ禍になり「ジョブ型雇用」に関心を持つ企業が増えています。ジョブ型雇用が導入された企業では、「私の仕事はここからここまで」と線引きする社員が増え、職場における関わりあいも減っていくのではないしょうか。
それは制度の設計次第だと思います。ジョブ型雇用を導入しながらも、チームワークが発揮されるような設計・運用の仕方がなされれば、問題はないでしょう。
私は日本にジョブ型雇用が浸透するという意見には少し疑問を持っています。まず、労働市場の問題があります。ジョブ型雇用というのは、人材を部品化すること。AさんがいなくなったときにはAさんと同じことができる人を探して、そのジョブをやってもらいます。パズルのピースをいくらでも調達できる状況、つまり潤沢な労働市場があれば機能するでしょうが、日本の場合はそれほど労働市場が流動的ではありません。いざAさんのような人が欲しいというときに、さっと連れてくることは難しいでしょう。
ただ、ジョブ型雇用のような枠組みは、これまでの日本企業でも一部活用されています。「時短勤務」がその一例です。しかし時短勤務の場合は、フォローしてくれる人がまわりにいました。善意から行われていることが多いため見過ごされがちなのですが、「誰もやる人がいないならやっておこう」と、自分の役割以外のところで、漏れている仕事をぜんぶ拾ってくれる人たちが組織にはいます。
従来の総合的な評価であれば、そのような日々の活動も含めて評価することが可能でした。しかし、ジョブ型雇用になれば、与えられたジョブに対してどれだけ成果を残したかが評価の対象になりますから、職場のために行われた仕事が、ますます見えなくなってしまいます。
それでは、職場を愛し、一生懸命にフォローしてくれている人たちの努力が報われません。徒労感を生み、パンクしてしまうこともあるでしょう。結果、人と人のあいだでこぼれ落ちる仕事が増え、もしかするとそれを管理職が拾っていくことになるかもしれません。パズルがきれいにはまらない仕事をどう埋めていくのか。ダーティジョブは誰がやるのか。一部の人だけに負担が集まり、見えない人の疲れが見過ごされれば、職場はこわれてしまいます。
少ない資源の中で工夫しながらやりくりしてきた日本企業に、無理やりジョブ型雇用というフレームワークだけを当てはめても、うまくいかないのではないかというのが率直な印象です。
せっかく、というとおかしいかもしれませんが、いろいろな創意工夫やチャレンジが許されるコロナ禍ですから、「フレームワークを持ってきて、当てはめる」だけではなく、自社に最もフィットするやり方を考えることが大切だと感じます。
ポストコロナを見据えて人事戦略や職場のあり方を検討するときは、処理的にならずに立ち止まって考えることが必要でしょう。とくに人事の方々は、技術でもお金でもなく、人を相手にする仕事ですから。たとえば家族や友人といった親しい人との関係づくりなどもヒントにしながら、どのような職場が最善かを模索してほしいと思います。
(取材:2021年8月2日)
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