外部との交流が仕事の意義を見出し自信へとつながる
石坂産業を地域で愛される会社にした“考える”マネジメントとは
石坂産業株式会社 代表取締役
石坂典子さん
社員が仕事を楽しめるように「自分の頭で考えよう」と呼びかけ続けた
改革を進めるにあたり、社員の皆さんからはどのような反応がありましたか。
まず、女性社長ということへの反発がありました。先代の父は創業者ということもあり、強いカリスマ性がありましたが、2代目はどうしても足りないところを見つけられ、厳しく批判されることになります。男性が多い業界で、ましてや世襲で継いでいるので、「お嬢さんに何ができるんだ」などと言われましたね。そのうえ、今までにない産廃施設づくりをコンセプトに掲げていたものだから、周りからは「訳が分からない」と思われていたかもしれません。でも、私はあまり気にしませんでした。先代の事業をそのまま引き継いでも、先は見えていたからです。
私は石坂産業を、持続可能性の高い会社にしたかった。どうすれば社会に必要とされる会社になるのかを考え抜いた結果が、業務変革だったんです。トップの代替わりは、ドラスティックに方向性を変えるチャンス。この機会を逃すわけにはいきません。
国際規格であるISOの取得をめざして業務プロセスを変えた2002年当時は、「やってられるか!」と半年で4割の社員が辞めていきました。会社としては大きな痛手です。さすがにまずいと思って、父に相談しましたが、父は思い切って任せてくれました。「経営スタイルに、正解はないのだから迷うな」と。そのひと言で、踏ん切りがつきましたね。社員の顔色をうかがって中途半端なことをしていたら、信頼は得られなかったと思います。
残った社員も、新しい方針に必ずしも賛同していたわけではありません。生活のために残っただけ、という人もいたはずです。人の入れ替わりもありながら、「地域に愛される会社になる」というビジョンについてきてくれる仲間が集まってくれました。
社長に就任された当時、「自分の頭で考えようよ」というのが口癖になっていたそうですね。
誰もが、自分のやりたい仕事に就けるわけではありません。しかし、私たちは一日の3分の1を仕事に費やしています。人生においてかなりの割合を占めますから、仕事の楽しさややりがいは、そのまま人生の充実へと直結します。では、どんなときに仕事が楽しいと思えるのか。それは、自分で考えたことを実践できたときです。
ところが当時の社員は、なかなか自分で考えようとしませんでした。会社に来て、言われたことをやってお金をもらえればそれでいい、という考え方です。しかし、それではつまらない。そこで、「自分の頭で考えようよ」と呼びかけるようになったんです。
どんな仕事でも、考えることに意味があります。例えば新聞記事のコピーをとるとき、紙のサイズに合わせて原寸よりも少し大きめにとるほうが読みやすい。また、コピーに新聞名や日づけをメモすれば、情報の価値が高まります。誰かの仕事には必ず受け手が存在し、受け手を思うことで仕事の質は向上します。お茶をいれるのだって、トイレを掃除するのだってそうです。創意工夫によって誰かにほめられると、それが成功体験となり、さらに頑張れる。そういった積み重ねによって成長し、エキスパートになれたとき、仕事はさらに面白くなっていくのだと思います。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。