“評価”ではなく“期待”をする
目標管理をしないクラシコムの「キャリブレーション」
金 恵栄さん(株式会社クラシコム 人事企画室 マネジャー)
筒井 あい子さん(株式会社クラシコム 人事企画室)
一人ひとりにフィットする暮らしを提案する、株式会社クラシコム。同社が運営するECプラットフォーム「北欧、暮らしの道具店」の商品販売を中心に、WEB記事、ポッドキャスト、オリジナルドラマやドキュメンタリーなどさまざまなコンテンツ制作も行っており、顧客ロイヤリティの高い企業として知られています。クラシコムの人事制度「キャリブレーション」は従来の人事評価制度とは全く異なり、“評価”ではなく“期待”に着目した制度です。業績評価も目標管理も敷かない仕組みとは。人事企画室の金恵栄さんと、筒井あい子さんに聞きました。
- 金 恵栄さん
- 株式会社クラシコム 人事企画室 マネジャー
きむ・へいよん/大学卒業後、グローバルに展開する教育サービス企業や教育福祉のベンチャー企業を経て、2020年にクラシコム入社。「健やかな組織づくり」をテーマに、採用から組織開発・労務まで人事領域全般を担当する。2020年に国家資格キャリアコンサルタント取得。
- 筒井 あい子さん
- 株式会社クラシコム 人事企画室
つつい・あいこ/大学卒業後、文房具メーカーに入社し、新卒採用や社員の育成などを中心とした人事領域を経験。2016年に一人目の人事担当として株式会社クラシコムに入社。人事総務業務からスタートして、現在は採用から組織開発・労務などを担当。
「人は人を正しく評価できるのか」という問いから生まれたキャリブレーション
最初にクラシコムの事業について教えてください
筒井:2007年に代表の青木(耕平氏)と、その妹である佐藤(友子氏)が、北欧旅行から得たインスピレーションをもとに、ECサイト「北欧、暮らしの道具店」をオープンしました。現在は、ライフカルチャープラットフォームとして、さまざまな国の商品を取り扱うとともに、オリジナル商品の開発、メディアコンテンツの発信、国内の事業者に向けてマーケティングソリューションを提供しています。従業員は約100名です。
金:クラシコムのミッションは「フィットする暮らし、つくろう。」です。私たちはWell-Beingに繋がる要件として、自分の暮らしを自分らしいと感じ、満足できることを掲げています。お客さまの「フィットする暮らし」に貢献することで、ここちよい社会を築く一助になること、そして従業員自身もフィットする働き方を実現することを目指しています。
ミッションの実現に向けて、「自由・平和・希望」というマニフェスト(経営方針)と、「正直・公正・親切」というポリシー(判断指針)、「センシティブ・チャーミング・サステナブル」というフォーム(行動指針)を設けています。経営判断やマネジメント、日常のコミュニケーションに至るまで、すべての活動はマニフェスト、ポリシー、ミッションが反映されています。人事施策についても例外ではありません。
クラシコムの「キャリブレーション」という人事制度について教えてください。
金:通常、「キャリブレーション」と聞くと、査定会議における評価者の目線合わせを想像されるかもしれません。クラシコムのキャリブレーションには、「期待をすり合わせる」という意味があります。評価のすり合わせではないところがポイントです。そこには「人が人を正しく評価することは難しい」という思いがあります。
当社の組織開発は、「モチベーションを高める」のではなく、「モチベーションを阻害する要因を取り除く」という発想で進められてきました。会社の理念に対する強い共感と意欲をもって入社した仲間が、自然に力を発揮できるように環境を整えていくという考え方です。
筒井:従業員が20名程度の頃は、代表が全社員のパフォーマンスを見ながら随時フィードバックしていました。しかし組織が大きくなって、代表がすべてを見るのが難しくなり、マネージャーと協力する必要が生じてきました。会社とスタッフがともに良い状態を維持するにはどうすべきか試行錯誤した結果、従業員を厳密な指標で評価する方法をとるのではなく、期待を伝える方法にトライするという結論に至りました。
キャリブレーションは、どのように進めているのですか。
金:核となるのは、半期に一度行われる「キャリブレーション会議」と、「フィードバック1on1」です。キャリブレーション会議では、経営陣とマネジャー・人事が2日間にわたって、次の半期に従業員へ期待することのすり合わせを行います。
従業員への期待は、「ロール」という役割によって変わります。「ロール」は一般の会社でいう、等級に近いものです。Associateが4種類、Leaderが2種類、そして経営に近いVice Presidentと、7種類のロールを設けています。すべての従業員はいずれかのロールを担っていますが、それぞれがどのロールに相当するかはオープンになっていません。
キャリブレーション会議の1日目の多くの時間は、各ロールに期待することの再定義に充てられます。それぞれのグループは、「フィットする暮らし、つくろう。」という会社のミッションを念頭に置きながら、グループのミッションとプロダクトの具体的な内容を言語化します。
人事企画室であれば、「クラシコムのミッション実現のために、健やかな組織をつくり続けること」がグループミッションです。そのためのプロダクトが組織開発であり、採用を含めた人的リソースの調整、マネジメント支援、制度の開発と運用、労務管理という四つの機能を持っています。その実践に向けて、それぞれのロールを引き受ける人たちに何を担ってほしいのか、仕事を進める上で期待するフォーム(行動指針)の発揮はどのようなものかをを、会議で話し合います。
筒井:各グループで従業員に期待する行動などを言語化し、会社全体でバランスを取る作業と考えると、わかりやすいかもしれません。そのため、同じロールに対する期待値の難易度はグループ間で偏りなく定義することが重要です。
たとえば、部門によって特定の専門領域に特化するところもあれば、広い範囲を管掌するグループもあります。その際は、キャリブレーション会議で各グループのロールの内容を横並びで見ながら、難易度にばらつきがないかを調整し、参加者でディスカッションします。7種類のロールは給与テーブルにひもづいていて、期待する役割と給与は全社員に向けて公開されています。
当初はグループ単位ではなく、会社全体の共通のロール定義を設定するところから制度がスタートしました。したがって、今よりも抽象度の高い言葉でロールが定義されていたんです。しかし、スタッフに期待を伝えるときに、より具体的で業務とひもづいた言葉にしたほうが伝わりやすいし、マネジャーと本人の間ですり合わせがしやすいということがだんだんわかってきて、変更を加えて現在の方法に至ります。
目標を管理せずとも、モチベーションは自然と湧く
会議の2日目は、何をテーマに議論するのでしょうか。
筒井:次の半期における従業員全員分のロールについて議論していきます。あらかじめマネジャーたちは、この半年間の各従業員の貢献を、パフォーマンスとコストの観点で振り返っています。ここで言うコストとは、「教える・心配する・かわりに決める必要がある」というマネジメント上のコミュニケーション負荷のことです。これらも踏まえ、従業員一人ひとりがどのロールに最もフィットするのかを、会議で話し合います。
金:一般的な人事考課との違いは、定量的な業績評価をしない点だと思います。マネジャーは、前期にすり合わせた期待に対してどのような貢献だったのかを定性的に振り返ります。そして直属のマネジャーだけでなく、経営や人事、他のチームのマネジャーも交えて合議して、一人ひとりのロールを決定します。
筒井:目標管理制度ではないので、個々に目標を立てたり到達度を測ったりすることはありません。またロールは相対ではなく、絶対で決めます。そのため相対的な人事評価にありがちな、「S評価は○人で、A評価は×人」とか、「XさんをAにしたから、YさんはBで」というような話にはなりません。
金:ロールが上がり続けることを推奨はしておらず、「フィットしているか」に最も重点をおいています。そのため、スモールチェンジを検討する場合もあります。それだけに、議論は真剣です。マネジャーの起案に対し、ほかの参加者も率直にロールチェンジに対して自らの意見を伝えます。そうした忌憚(きたん)のないやり取りを行える信頼関係づくりが、非常に大切です。
そして後日、各従業員に対して「フィードバック1on1」の場で、マネジメントチームの総意として、ロールと具体的に期待する内容を伝えます。
目標管理や業績を加味しない制度とは斬新ですね。
金:各チームとも、指標としている成果は存在します。サイトのコンバージョン率をどのくらい上げたい、投入した新商品は初月でこれだけ売りたい、人事ならカルチャーフィットする人材をこのポジションで○人採用したいといった具合です。
しかし、成果はいろいろな要因に左右されるものであり、結果自体をコントロールするのは不自然だと私たちは捉えています。ただ、成果に繋がりやすい取り組み方や工夫はあると思っていて、コントロールできる領域については、とても貪欲です。
筒井:従業員全員が数字に興味がないわけでなく、むしろ最後まで粘る傾向にあります。たとえば月次の売り上げ予測と実数にギャップがあれば、新たなコンテンツを作って集客を図ります。市場の動きを見つつ、チーム間で連携しながらお客さまへ良いものを届けることに力を尽くしています。
これまでの経験から、数字で見える成果はお客さまへどう届いたかを表しているものでもあると従業員が皆実感をしているので、短期的な業績を個人にひもづけなくても、自然と社員がやるべきことに注力できる環境ができているのではないかと考えています。
目標管理制度になじんだキャリア入社の方にも、すぐに受け入れられるものなのでしょうか。
金:オンボーディング期間を終えて、キャリブレーションの対象になったときに「評価のために頑張るのではなく、お客さまと仲間のために頑張ってほしい」と必ず説明しています。大切な人たちに向けて注力していたら、おのずとよい仕事、よいパフォーマンスにつながっていくという発想です。
仮に、目標管理制度を取り入れて定量評価を重視すると、数字の達成のみが目的になるリスクが発生します。たとえば、コロナ禍のように急激な社会環境の変化が起こったときに、目標を意識するあまり柔軟にアジャストできなければ、成果に繋がるチャンスやリスクに気づきにくくなるかもしれません。
また、私たちの仕事は、チームを越えて助け合う場面に多く直面します。自身やチームの目標を達成することに縛られて、仲間のSOSに手を差し伸べないのは本末転倒です。常に全社最適の視点で行動できることが、今のクラシコムでは求められます。
成果のために働くのではなく貢献の末に成果を得る、という発想なのですね。
筒井:自分の役割と居場所があり、お客さまに価値を提供していて、それが自身の働く意義と重なっていれば、自然とやるべきことがわかってくるし、やりたい気持ちが湧いてくるのではないかと思います。
金:自分は何を期待されていて何をすればいいのかを、個人が組織としっかりと握り合えていたら、安心してその役割を担えるとクラシコムでは考えています。最後は従業員と経営が、互いに信じ合えるかどうかにかかってくる。それにはクラシコムが目指すことへの共感と、カルチャーマッチが強く関わるので、実は採用がカギになると考えています。
ありがたいことに、クラシコムでは一度の採用活動で100倍を超えるエントリーが集まるのですが、時間をかけて対話を重ね、理念やサービス、仕事に対する考え方などを十分に理解した方たちに入社してもらっています。そのため入社当初はキャリブレーションに戸惑うことがあっても、自然と適応できるのだと思います。
腹落ちするまでコミュニケーションを惜しまない
「キャリブレーション」を機能させるために、人事ではどのようなことに注意を払っていますか。
筒井:コミュニケーションを惜しまないことでしょうか。たとえばキャリブレーションのことは、採用段階、オンボーディング、キャリブレーションの対象になるタイミングで何回もお伝えしていますし、代表の青木は半年ごとに行われるリアルの全社員会議の場で毎回必ずそのコンセプトを話しています。クラシコムの根幹をなす重要な制度だということを、折に触れて従業員全員に感じてもらえたらと思っています。
金:「フィードバック1on1」でも、従業員が期待をイメージできるまで話し合いの場を継続して持つこともあります。本人に納得したうえで仕事に臨んでもらうためにも、期待を言葉にして丁寧に伝えることを強く意識しています。フィードバックの内容がデリケートな場合や慎重に進めたいときは、人事も同席するなど、相互理解のためにあらゆる手を尽くします。
筒井:企業風土にも関わりますが、クラシコムでは言語化や言葉を介してのやり取りを大切にしています。当社は現在、出社とリモートワークのハイブリット勤務で、リモートワークの割合の方が大きい状況です。コロナ禍をきっかけにリモートワークへ移行したのですが、以前から言葉によるコミュニケーションを重視する文化があったからこそ、対話の場がビジネスチャットに移っても、大きな問題は発生せずに、従業員は柔軟に変化に対応してくれました。むしろテキスト化することで、情報が見える化され、コミュニケーションの効率が上がったように感じることもあります。
互いに理解し合うために、コミュニケーションコストをかける文化が根づいているのですね。
筒井:新入社員には、自己開示の必要性をお伝えしています。「察してほしい」ではなく、言葉にして助けを求めること。「どうして気づいてくれないの?」ではなく、「わからない」「困っていることがある」と率直に伝えれば、仲間が力を貸してくれる会社だと知っていただければいいなと思っています。
金:不安やモヤモヤをそのままにせず、オープンにできる環境づくりも心がけています。社外取締役の倉貫義人さんが推奨されている言葉、“ザッソウ(雑な相談)”が社内では浸透していて、カレンダーにも「◯◯についてのザッソウ」と予定が組まれていることが珍しくありません。
筒井:キャリブレーションで期待を伝えた時点から、後に状況が変化して、具体的な担当領域や業務が変わったりするケースがあります。そのようなときは、通常の1on1や日々のコミュニケーションの中で、その背景を伝えます。キャリブレーションにおけるロールの定義は、絶対的なものではなく、会社や社会の状況に応じて変化していくものだと思っています。
金:キャリブレーションを続ける中で、社員に求められる役割として、ロールが徐々に高度化する傾向があります。社会の不確実性が高まり、変化が激しくなる中で、かつては不確実性への対処はLeader層が担っていました。しかし、今はSenior Associateにも求められています。
筒井:会社を取り巻く状況や、お客さまからの期待は日々変化しています。そのため、同じロールを担い続けることは、実は非常に高度なことです。ロールが変わらないことは、むしろ良い形で役割に貢献できている証であり、ことあるごとに全社に伝えています。
金:だからこそ、ラージチェンジでモチベーションを上げることは絶対にしません。モチベーションを「上げる」のではなく、「阻害要因を取り除く」設計にしていることは、先に述べたとおりです。また、ロールの高度化に合わせて、全体の処遇も見直しています。社会の変化と業務の難度、そしてそれに伴う処遇は、一体で検討すべきだと考えています。
コミュニケーションが制度のカギなのですね。
金:その通りです。キャリブレーション会議では、率直に意見を述べられるだけの心理的安全性が必要です。特に他のチームのメンバーのロールについて発言することは、非常に勇気がいることですから。
組織が健やかであるためには、横の関係でも深い議論ができる必要があります。そのためには、日頃からマネジャー同士がお互いをよく理解し、本音で語り合ったり、悩みを打ち明け合ったりできる関係を築くことが重要です。
そのため、人事の主要業務の一つに「マネジメント支援」をおいています。マネジャーを対象に毎月「お茶会」という交流会や、半期に一度のマネジメント合宿を開催していて、日頃どのような思いでマネジメントに臨んでいるのかを、率直に話せる場づくりを意識しています。先日も、「フィードバック1on1」が終わった直後にお茶会を開きましたが、経営・マネジャー・人事で1on1の様子や気づきを共有し合うことができました。
短期目標では得られない健やかな成長のための制度
社員として、キャリブレーションをどのように捉えていますか。
金:前職では期初に数値目標を設定し、その達成に向けてどのように工夫するかが問われました。クラシコムに入社した直後は、指標がなく自分の働きが期待に応えられているのかどうか、戸惑いを感じたのは事実です。周りに「ありがとう」と言われても、本当にこれでいいのかと不安になりました。
一方で、数値目標がないからこそ、自分が果たすべき成果とは何かを深く内省しなければなりません。というより、内省せざるを得ない状況に置かれているんです。たとえば採用でも、「いつまでにこのポジションで○人採用しなければならない」という目標をマストに動いていません。組織やチームの状況を丁寧に捉えて、どんな人材がフィットするのか、どうすればその人材に出会えるのか、根本的なところから毎回真剣に考えていく必要があります。
仮に半期かけて一人も採用できなかったとしても、そのことで責められることはありませんし、数値目標を達成するために残業を強いられることもありません。
思うように成果が上がらなかったときは、自身の成果に対する認識が甘かったのか、プロセスへのコミットが足りなかったのかなど、自分の未熟さを突きつけられます。そのような意味では、ある種の厳しさと隣り合わせです。
目標という逃げ場がないことに、大変さがあるのですね。
筒井:目標管理がないからこそ、ロールの本質を理解し、貢献とは何かを問い続ける必要があると思います。クラシコムでは、「正射必中」という弓道の言葉がよく出てきます。正しい射法であれば、必ず的に当たることを意味しており、社内では「ミッションに向かって正しい構えで取り組み続けること」に当てはまります。
キャリブレーションは自分が注力すべきことは何か?ということを、日々マネジメントも従業員も考え続ける制度だと感じています。
貴社では今後も、キャリブレーションを続けていくのでしょうか。
金:私たちは目標管理という仕組み自体を否定するつもりはまったくありません。現在のクラシコムでは別のやり方をしているだけで、今後、組織の規模や体制、あるいは社会状況が変化する中で、目標管理制度がベストな手法だと判断したら、当然導入を検討するでしょう。
しかし現状では、キャリブレーションが健やかな組織を作る上で大事な制度だと認識しています。今後も、コミュニケーションコストを惜しまず、丁寧に続けていきたいと考えています。
筒井:キャリブレーションの仕組みも、最初から完成されていたわけではありません。先に述べた通り、ロールへの期待をチームごとに定義するなど、運用開始から8年ほどの間にブラッシュアップし続けています。
私自身、特に最近、ロール定義を半期ごとに頻度を高くして見直すことの重要性を感じています。一度定義を作ると、つい固定化したものとして捉えてしまいがちなのですが、定期的に全社的な視点で、従業員への期待を明確に言葉にするプロセスを通じて、会社の現状を把握できます。
「どのチームもこの要素に強く注目しているのか」とか、「クラシコムに対するお客さまの認識は、このように変化しているのか」といったことが、はっきりと見えてきます。
金:キャリブレーションは一見、短期的な成果には結びつきづらい仕組みに思えるかもしれません。ただ、不要な競争意識や他責思考が生まれにくく、変化に柔軟に対応でき、経営やマネジメントと従業員間で繰り返しコミュニケーションすることで信頼関係が育まれていく制度だと考えています。そういった土壌をつくることが、日々のマネジメントを下支えし、事業と組織の健やかな成長につながると信じています。