日本郵船株式会社:
世界と戦う「ビジネスリーダー」はこうして鍛える――
創業125年の企業文化を反映する人づくりとは
辰巳曜一郎さん(日本郵船株式会社 人事グループ 育成チーム チーム長)
松原俊二さん(株式会社MTI Chief Human Resources Development Officer)
『 働きがいのある会社 日本におけるベスト25 』(Place to Work Institute Japan 編/斎藤智文 著)において堂々7位にランクされた日本郵船。同社は1885年に設立。三菱グループの源流をなすグローバル企業として、世界有数の輸送網による総合物流サービスを展開しています。「人づくりは時間がかかって当たり前」と言い切る名門企業の人材観は、明快かつユニーク。人事グループ育成チームの辰巳曜一郎さんと、グループ会社で教育研修の運営を担うMTIの松原俊二さんにお話をうかがいました。
- 辰巳曜一郎さん
- 日本郵船株式会社 人事グループ 育成チーム チーム長
たつみ・よういちろう● 1989年日本郵船入社。入社以来、財務・企画・営業・ITとさまざまな部門を経験し、2007年4月より現職。海外はアメリカで約4年勤務。慣れない業務と環境の中で何度も挫けそうになったが、それを乗り越えた達成感が今の自分の原動力。「みんながもっと面白く仕事に取り組める組織作り」を目指し、今は思い悩む日々。
- 松原俊二さん
- 株式会社MTI Chief Human Resources Development Officer
まつばら・しゅんじ● 1982年日本郵船入社。約28年の経歴の中で海運・空運実務が11年、人事関連業務が11年。他に途中在外日本大使館に勤務し湾岸戦争を現場で経験という経歴も。海外勤務は6年。2005年4月より(株)MTIへ出向。地道に愚直に気長に、教育研修の企画・立案・実施・レビューに取り組む。
自立性の高い“大人の社員”を育てるおおらかな風土、しかし……
日本郵船といえば、世界に名を馳せる日本海運のフラッグ・キャリア。歴史と伝統を誇る老舗だけに、「人材」や「人づくり」に対してどのような考えを持っているのか、興味は尽きません。
辰巳:弊社は総合物流企業として、安全・確実かつ効率的な「もの運び」サービスを提供しています。ただ、これはそう簡単に他社との差別化が図れるビジネスではないんです。たとえば「もの運び」ではなく、「ものづくり」なら、組織に天才が一人いて、何か画期的な製品を開発すればシェアを獲れるでしょう。しかし、弊社の場合、そうしたスーパーマンに依存するような仕事の仕方はあてはまりません。物流はネットワークです。荷物の送り手側が良くても、途中の運び手や受け手側がダメなら良いサービスにはなりません。全員が持てる能力を最大限に発揮することによって、はじめて他社との差別化が実現するのです。その意味では月並な言い方ですが、それぞれの持ち場で働く「人」がすべてだと思っています。
松原:一人のスタープレーヤーがひっぱるよりも、何かあったら、みんなで話し合って改善していくというスタンスは、私が入社した28年前から基本的に変わっていません。もちろんスタープレーヤーはいてもいいんですよ。できるなら、むしろたくさんいてほしい。ただそれよりも、スターとまではいかなくても、一人ひとりのレベルアップを促したい。だからこそ、社員教育が重要なんです。あくまでも組織全体の底上げを目指すのが、私たちの人づくりの基本方針です。
おふたりからみて、日本郵船という企業のカラーをひとことで言うと?
辰巳:私に限らずたいていの社員は、自由に発言できる「風通しのいい会社」だと思っているのではないでしょうか。もともとそういう風土の会社だと知って入社しましたし、入ってからもずっとそう聞かされて育ちましたから。
松原:私も昔、いまでいうエントリーシートのような書類の志望動機の欄にこう書いたのを覚えています。「国際的な仕事がしたい」「社会を根底から支えたい」など、もっともらしい理由に続けて「御社の、のんびりした雰囲気が好きです」と(笑)。弊社は三菱グループの一員ですが、実際、その中でも際立ってものの考え方が“おおらか”。個人を細かく管理したがらないリベラルな社風が、伝統的に受け継がれています。
辰巳:ただし、そうした社風が、いまもそのまま維持されているのかというと難しいところですね。私の若かった頃と比べても、最近は何か違う。何かが変わってきている気がしてなりません。
それは、御社の伝統的なカラーが時代の変化にそぐわなくなってきているという意味なのか、それとも社風そのものが変質し始めているのか、どちらでしょう。
辰巳:後者でしょうね。私たちより上の世代には、物事の大局や本質さえ見据えていれば小事にはとらわれなくていいというおおらかな人が、もっと多かった気がします。
松原:いろいろな意味で余裕がなくなってきたのかもしれません。たとえば昔は、社員がお互いを「肩書き」で呼ぶなんて考えられなかった。役員に対しても皆、「さん」づけでした。ところが最近は、「○○常務」や「△△グループ長」などと呼ぶ社員が若手を中心に増えてきて、何だか堅苦しさや、よそよそしさを感じています。まだ全社的な風潮ではありませんが、自分もそう呼ばれると上下の距離感が確実に広がっているなと実感しますね。
組織内に余裕がなくなってきたのは、どういうところに原因があると思われますか。
辰巳:ビジネス全般のスピードアップや競争の激化を背景に、おおらかさを失い社内がせわしなくなってきたという印象がありますね。成果主義という言葉は好きではありませんが、指示する側も、応える側も短絡的に結果を求めすぎる風潮が、弊社にも少しずつ現れてきたのかなと。もちろんこういう時代ですから、鷹揚に構えるばかりでは生き残っていけませんが、すべて変わってほしくはないというのが私の正直な思いですね。
松原:そもそもそうした伝統が長きにわたって受け継がれてきたのは、やはりそれなりに理由があります。細かく管理しないからこそ、社員の自立性が高まるわけです。自分で考え、自分で判断し、手に余るなら自ら周囲に協力を求める。弊社はそうした自律的な人材を、おおらかな風土や組織の風通しを担保することで育んできました。「社員は“大人”であれ」ということです。そこが最近、ちょっと怪しくなってきたかなと。特に新入社員研修で、それを強く感じますね。いままでの方法論が通用しないというか、ある程度管理しないととんでもない方向へ行ってしまう。いまの若い人全般にそういう傾向があるのかもしれませんが……いずれにせよ、最近の若手育成に危機感を持っています。
現場を動かすのは現場を知ってから―― “急がば回れ”の新人教育とは
人材育成の体制や具体的なしくみについてお聞かせください。教育研修プログラムの企画と運営管理を、日本郵船(NYK)グループ会社のMTI(Monohakobi Technology Institute)が専門に請け負うというシステムはユニークですね。
辰巳:社員教育を統括しているのは、本社人事グループの育成チームですが、いわゆる実行部隊はMTI。研修のテーマや講師を選定したり、具体的なカリキュラムを実施して、その効果を検証したりという部分を、松原さんたちにお願いしています。
松原:人事にはいろいろ重要な仕事がありますが、私の経験上、教育研修というのは採用や評価などと違って、それが滞ってもすぐに会社が傾くものではありません。ですから、どうしても後回しになってしまいがちなんです。しかし先ほども申し上げたように、私どものビジネスは「人」がすべて。であるならば、教育に特化した専門組織を持つべきだろうと判断し、2004年に本社人事グループから教育研修機能をMTIに委託しました。私たちは、内外の陸上事務所で働く約33,000名のグループ社員を対象として、その総合力を強化するために「NYKビジネスカレッジ」という研修プログラムを実施しています。
新人研修も、その「NYKビジネスカレッジ」の一環として行われるわけですか。
辰巳:そうです。日本郵船本体の新入社員20-30人に対し約半年間の研修を行っています。最初の10日は集合研修で日本郵船社員としてのマナーや基本的なビジネススキルを学びますが、それが終わると「臨港店研修」で、海運の現場に送り込まれます。横浜や名古屋、神戸など主要な港湾にある事務所(臨港店)で、関係官庁に対する手続きから荷主や関連業者との折衝まで、およそ船舶の入出港に関する実務全般を体験するのです。臨港店での研修期間は5ヵ月間におよびます。
松原:臨港店は日本郵船が直営しているわけではありません。いまはすべて代理店化していて、その代理店に新人研修を受け入れてもらっているのです。私が入社した頃は、まだ「日本郵船○○支店」という形で直接、臨港店業務を行っていました。同期の3分の1は各地の港に配属され、OJTで現場の仕事を覚えていったものです。代理店化が進んだのは1980年代後半から。臨港店への配属がなくなり、新入社員はいきなり本社で船の運航を管理するオペレーション業務に就くことになりました。混乱が起きないはずがありません。現場での業務の流れを実感としてわからない素人が、どこそこへ行って何を何日間で積めなんて指示を船長や現場の管理者に出すんですから。それではまずいということで、2001年からまず現場に出して、そこで何が起きているのかを経験させることにしたのです。
しかし代理店化されているなら、せっかく研修を受けても、その臨港店業務に新入社員が就くことはないということですね。それでも5ヵ月間を費やす意味があると。
辰巳:もちろんです。新入社員教育の目的は、グループを引っ張っていくコア人材の養成にあり、目先の仕事の準備には止まりませんから。私自身、臨港店業務が縮小され始めた頃に入社し、残念ながら現場を肌で感じることなくキャリアを重ねてきました。現場の事情に疎いと的はずれな判断や指示を下しやすく、現場から文句を言われても何が問題なのか皮膚感覚でわからないから似たような間違いを繰り返し、なかなか信頼してもらえないんです。「現場を動かすのは現場を知ってから」――。遠回りに見えても、それがNYKのビジネスリーダーを育てる最短ルートだと、私たちは確信しています。
「臨港店研修」の後も、現場での実地教育が続きますね。
松原:10月からは「海外倉庫研修」です。一昨年からはじめました。中国やタイなどにある物流倉庫に行ってもらい、現地スタッフとともに3週間にわたって倉庫の実務作業にあたります。目的は二つです。一点は物流の現場を肌で感じながら、自分なりに業務の課題を見つけ、改善にまで結びつけてほしい。二点目は、日本人以外の現地スタッフに交じって、どれだけコミュニケーションをとり、異文化に適応できるか。現地の人々と作業と心情を共有することで、将来のグローバルリーダーの礎としてほしいのです。
長い現場研修を、いまの新入社員はどんな思いで受け止めているのでしょう。
辰巳:やはりトータルで7ヵ月も研修を受けていると、将来任されるわけでもない業務に明け暮れていて、自分はこれでいいのかと迷いが出る新人もいるようです。他の企業なら、とっくに配属されてバリバリ働いている頃ですからね。実際、相談を受けたこともありましたよ。でも、最終的には現場を体感できてよかった、あとで振り返ってみるとあの濃密な経験がすごく役に立ったという話をよく聞きます。松原さんの感触ではどうですか?
松原:以前、3~5年目あたりの若手を集めて、この新人研修のレビューを実施したところ、大半が今後もぜひ続けてもらいたいという意見でした。少なくとも「不要」という人はゼロでしたね。研修終了後は、3~4年を目安としたジョブローテーションに移りますが、さまざまな仕事や責任に触れ、業務の全体像が見えてくるほど、身をもって海運物流の基盤を実感した体験が活きてくる。たんなる「広く浅く」ではない、真のゼネラリストを育てるためには、揺るぎない礎としての現場教育が必要なんです。
「NYKの一員でよかった」 ――集中研修で海外人材のモチベーションを高める
「NYKビジネスカレッジ」では、海外のグループ社員に対してもさまざまな研修を実施されているとうかがいました。
松原:中核となるのは「Global NYK Week」とよばれるプログラムです。年一回、世界各地の現地法人からマネージャークラスの優秀な人材を25名ほど選抜し、日本に招いて一週間の集中研修を行います。NYKの主要事業戦略について議論したり、本社経営陣と直接意見を交わしたり、特定のテーマを与えてグループで議論し、役員がずらりと並ぶ前で発表会もします。また京都などへ足を延ばして、日本の伝統文化に触れることもあります。09年度までに13回開催し、参加したグループ社員は300名近くになりました。
効果のほどはいかがですか。
松原:「Global NYK Week」の卒業生を追跡調査したところ、辞めた人はほとんどいません。むしろ参加を機にモチベーションがあがり、現地でさらに活躍しています。
辰巳:効果として大きいのは、研修に招かれることで自分が会社にいかに必要とされているのかを、彼らが実感できることでしょう。トップと直接対話できるのも、非常にいい刺激となる様です。いずれにせよ「NYKの一員でよかった」と思ってもらえたら、この研修の目的は果たされたといえるでしょうね。
とはいえ、海外人材の育成にあたっては特有の難しさもあるのでは。特に長い歴史に培われた御社の理念や価値観を、彼らと共有するのは簡単ではないでしょう。
松原:そうでもないですよ。NYKでは07年にグループバリュー「誠意・創意・熱意」を策定し、120年以上にわたって引き継いできた弊社のDNAというべき精神をはじめて明文化しました。その後このバリューの普及活動を全世界で展開したのですが、国内よりむしろ海外の社員のほうが理解と受け入れがより早かった。欧米の企業では、バリューが定められているのが普通ですからね。「NYKの考え方がよくわかった」と素直に受け止めてくれています。むしろ「うちにもやっとできたか」という感じかもしれません(笑)
それはおもしろいですね。
松原:逆に、「いまさらそんなこと言わなくても……」と思っているのは日本人。“以心伝心”が好きだからでしょうか。どうもベテランには違和感がある人が結構いるようですよ。
ところでおふたりは、どういうところに「人を育てる」という仕事のやりがいを感じていますか。
松原:立場上、研修を受ける社員と直接関わりますから、たとえば新人は配属されてからも私のことを覚えていて、会うとよく挨拶してくれます。彼らに対する印象は1、2年でかなり変わりますね。4年ぐらい経つと、もう別人(笑)。一人前の社会人、企業人になりきって、バリバリ仕事をしている面構えなんです。そもそも人材育成というものは、何か研修を行ったからといって即、目に見える成果が出るわけではありません。でも、ある程度長いスパンでみると、はっきり成長がわかる。そんなとき、この仕事ならではの喜びを感じますね。やってきたことは間違いじゃなかったんだと。
辰巳:同感ですね。松原さんのように直接教えたりはしませんが、私も、新入社員が研修している現場には顔を出します。4月に送り出して夏頃会いに行くと、たった数ヵ月で、顔つきも発言も以前とはまるで変わっている。若い人は急激に伸びるんだなと驚かされることが多いですね。そんな人間の成長の現場に関われることが、理屈抜きに楽しいんです。だからこそ成果を急いではいけない、今日明日で判断してはいけないと自らに言い聞かせて業務にあたっています。人材育成は時間がかかって当たり前。少なくともNYKの企業文化を理解しバリューを体現した“即戦力”というものは存在しないと思っていますから。
松原:人づくりを手がける私たちがまずゆったり、おおらかに構えないと。若手が誰も、「さん」付けでよんでくれなくなったら困ります(笑)
日本郵船グループにとって、人事セクションの果たす役割は今後さらに大きくなっていきそうですね。
松原:冒頭に申し上げたとおり、「自分で考え、自分で判断し、自分で行動する人材」を育成するのがわれわれの使命であり、私個人の目標でもあります。人が能力を向上させる上で一番効果的なのは、実際に本人が意欲をもって、主体的にその仕事に取り組むことでしょう。MTIの研修は、それをあくまでも側面から支援するものでしかありません。しかし日々の仕事だけでは、主体性の大切さに気づき、意識を高めることは難しい。「NYKビジネスカレッジ」をはじめとする研修体系が、社員の気づきや意識向上に寄与し、その結果、組織としての総合力が強化されれば、私としてはこれ以上の喜びはありません。
辰巳:人事が果たすべき役割とはつまるところ、「組織を活性化させること」に尽きるのではないでしょうか。社員一人ひとりがおもしろいと思って自分のタスクに立ち向かえる状況を整えること。そしてそのために何ができるかを考え抜いて、実行することが自分の仕事だと思っています。弊社には、各部門の取り組みをアピールする社内サイトがあるのですが、人事グループのページにはこう書かれています。「ヒトゴトではなく、ヒトの事を考える人事グループ」――このキャッチフレーズがとても気に入っています。迷ったら立ち返る仕事の原点ですね。
(取材は2009年12月10日、東京・千代田区の日本郵船・本社にて) (取材・構成=平林謙治、写真=東幹子)