新入社員に求められる「主体性」の本質
認識のギャップを解消すれば仕事はもっと面白くなる
早稲田大学 教育・総合科学学術院 非常勤講師
武藤 浩子さん
何気なく使われる「主体性」という言葉。従業員の望ましい態度として、多くの企業が新入社員に期待する資質でもあります。しかし、主体性とは一体どのようなものなのか。私たちはどのような文脈で、主体性を捉えているのか。早稲田大学で講師を務める武藤浩子さんは、『企業が求める〈主体性〉とは何か:教育と労働をつなぐ〈主体性〉言説の分析』(東信堂)を2023年に発刊。会社員として主体性を発揮するとはどのような状態をさすのか、また若手社員が主体性を発揮するには、現場ではどのようなフォローや支援が有効か、武藤さんに話をうかがいました。
- 武藤浩子さん
- 早稲田大学 教育・総合科学学術院 非常勤講師
むとう・ひろこ/早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。大学教育学会・学会奨励賞受賞(2021年度)。東京大学高大接続研究開発センター特任助教を経て早稲田大学非常勤講師。著書に『企業が求める〈主体性〉とは何か:教育と労働をつなぐ〈主体性〉言説の分析』(東信堂)がある。
20年で変化した「主体性」の意味合い
武藤先生は研究者になる以前、企業で長らく勤務されていたそうですね。
IT企業で大型コンピューターのOS開発に携わったり、教育用のITシステムをつくる会社で管理職を務めたりしました。そのまま企業人として働き続けるつもりでしたが、教育工学を専門とする先生方との共同開発を担当して、研究の世界を垣間見たことなどがきっかけとなり、大学院に進学しました。
ある日、研究の一環で授業を見学していたとき、教員が学生たちに質問を促すと、意見を言う学生とそうでない学生に、はっきりと分かれました。私はその様子を見て、質問をしない学生に「主体性がない」という印象を持ったんです。
なぜ私はその学生に対して、主体性がないと感じたのか。その場が会社で、同じような態度をとる社員がいたら、同じく主体性に欠けていると感じたでしょう。何がそう判断させるのだろうと疑問を持つうち、主体性の正体そのものに関心があると気づきました。
たしかに「主体性」は抽象的な概念ですね。
はい。社会では当たり前のように「主体性」という言葉が使われているけれど、どのような意味合いを持つのか、主体性を発揮するとはどういう状態をさすのか、実ははっきりしていません。さらに、企業と学校では主体性に対する認識が異なる可能性がある。それらが明らかになれば、学生から社会人への移行がスムーズになるのではないかと考えました。
「主体性」研究にあたって分析対象にしたのは、(1)経団連などが発表する求める人材に関する提言やアンケート、(2)就職四季報、(3)企業の事業部門で管理職を務める人へのインタビューです。(1)と(2)はそれぞれ、計量テキスト分析という手法を使い、「主体性」という言葉の使われ方について調べました。(3)は、業界や会社規模が異なる課長職、部長職など24人を対象に行い、主体性をどのような意味として捉えているのか、また部下に主体性を求める理由などを聞き取りしました。
その分析によって、どのようなことが明らかになったのですか。
まず1990年以降の経済団体の提言で、主体性に関わる言葉が頻出していることがわかりました。2010年代には少し出現率が下がったものの、主体性はどの時代でも最も求められていたと言えそうです。
また、2011年に経団連が企業に行ったアンケートでは、採用にあたって重視する素質や能力の選択肢に初めて「主体性」が登場しました。以降直近の調査まで、皆さんもご存じのように、主体性は企業が学生に求める能力として毎回トップになっています。
他方、教育界を見ると、2012年の日本の学校教育の方針を検討する中央教育審議会(中教審)の答申には、「生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」というサブタイトルがつき、主体的な学びが強調され、“アクティブ・ラーニング”という教育法が提唱されました。この頃、産学で主体性が重視される状況にあったと言えるでしょう。
また、就職四季報を対象として、企業規模や業界ごとに、学生に求める能力の変遷を分析しました。2000年頃に「主体性」を求めていたのは、主に従業員数1000人以上の大企業でした。業界によってもばらつきがあり、主体性を求めるのは情報・通信や商社・卸、製造業などと、限定的だったのです。
それが2020年頃になると大きく変化しました。企業規模に関わらず企業は主体性を求めるようになりました。また、業種を見るとマスコミを除いたすべての業種、金融・保険、建設、サービスなどでも、学生に主体性を求めるようになっていたのです。
企業規模や業界にかかわらず、「主体性」が重視されるようになったのですね。
そうなんです。主体性が持つ言葉の意味合いも変わってきていることが明らかになりました。2000年頃には「主体性」は、「行動力」という言葉とひもづけられて使われていました。それが2020年頃になると、「思考力」や「協調性」とともに使われる傾向が見られます。
それを裏付けるかのように、企業の管理職へのインタビューでは「自分なりに考える」ことが主体性の発露だと考えられていることがわかりました。さらに「発信する」「仕事に関して協働する」ことも、主体性という言葉に内包されています。インタビューをして驚いたのは、どの企業で働いている方も、「主体性」について同じような認識をしていたことです。やはり企業規模や業界を問わず、求められる「主体性」は同じようなものであると考えられます。
「主体性」が持つ意味の変化が生じた背景には、何があるのでしょうか。
この20年を振り返ると、情報化が進んで社会変化のスピードが非常に速くなりました。企業規模や業界を問わず同じような「主体性」が求められているのは、どの企業も、日本の置かれている状況や市場状況から同じような影響を受けているからだと考えています。
例えば、今の管理職が若手の頃は、企業トップが「世界最速のコンピューターを作るんだ!」と言ったら、その実現に向かってただ走り出せばよかった。つまり、どうすれば会社は利益を上げられるかが比較的明確で、目的もシンプルだった。決められた目標に向かって走れるような行動力のある人材が求められたということなのでしょう。
ところが今は、昔と同じマネジメントが通用する時代ではありません。管理職層の持つ知識やスキルも日々アップデートが求められますし、旧来の常識や価値観が成長の足かせになる恐れもある。社会変化の激しさによって、上司は部下に対して自分たちが進むべき道を示すことが難しくなっています。
そこで重要になってくるのが多様な視点です。異なる視点や経験を持つ人たちが、それぞれの立場で考え、協働しながら課題に取り組む。そうしたプロセスが必要になったため、「主体性」が「思考力」や「協調性」までも内包するように変わってきたのだと考えられます。
今求められている「主体性」とは自分なりに考え、発信し、仕事に関して協働すること
現在の企業が人材に求める主体性とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
複数の分析を踏まえて、主体性の意味を概念化したものが次の図です。
まずは、仕事に関して「自分なりに考える」という内的活動が必要です。企業では、この自分なりに考えることが重視されています。しかし自分の考えを本人の内にとどめておいたままでは、周囲がそれを認知できず、組織が役立てることもできません。したがって何かしらの形で「発信する」必要があります。
「発信する」といっても特別なことが求められているわけではありません。自分なりに考えたことを、会議の場で意見として出す、先輩や上司に話す、メールで意見として伝えるなど、日々の業務の中で当たり前に行われるようなことを意味しています。しかし管理職の方々は、若手社員に「発信」してもらうことは、「それほど容易ではない」という共通認識を持っていることもわかりました。
「自分なりに考え」たことを「発信」した結果、周囲の人たちと「仕事に関して協働する」ことまでつなげることが必要です。ここで言う協働とは、他者に同調することではありません。自分なりに考え、発信したことで、社内のタテ・ヨコの人たちと仕事に関して協働することにつながれば、「主体性」として評価されるでしょう。この協働についてもそれほど難しく考える必要はなく、仕事に関して上司から意見や承認をもらう、先輩と仕事の次の一手を考える、他部門の人に協力をしてもらうというようなことでもよいと思われます。
学生や新入社員も、主体性を同じように捉えているのでしょうか。
ここが難しいところです。自分なりに考え、発信するという点では重なる部分もあります。しかし先ほどお話ししたように、企業では考えたことを発信するだけで、それを主体性として評価してもらえるとは限りません。企業では「仕事に関して協働する」ことまで含めて主体性とされるからです。
この理解が抜け落ちた状態でいると、「主体性」の認識ギャップが生じます。ある学生の話なのですが、大学を卒業後、就職してすぐに「主体性が大事だ」と思って職場で積極的に意見を述べたところ、「とにかくうちのやり方を覚えろ」と怒られた。後に大学に戻って来たその学生は「会社は主体性など求めていなかった」と指導教員に話したそうです。
大学では多様な発言が歓迎され、発言内容自体について叱られることはほとんどありません。仮に、前提となる知識不足があったり、問題解決には役立たない発言であったりしても、学びの途中にある学生の意見、あるいは学術的な議論の一意見として尊重されるからです。
また、最近の学生は集団の中で目立つことを特に嫌がる傾向があります。私はアクティブ・ラーニングの推進によって、自ら積極的に発言する学生が増えるのではないかと考えていました。しかしそれほど単純なものではなく、クラスという集団の中で自ら意見を述べたりすることには、むしろ消極的な様子が見られます。
このような大学生活を送ってきた学生や新入社員が、「自分で考え、発信する」ことまでが「主体性」であると考え、「仕事に関して協働する」という意識にまで至らないのは無理もないのかもしれません。
しかし、このような「主体性」の認識ギャップがあると、学生や新入社員が仕事の場でネガティブな体験をすることになり、「企業では主体性は求められない」という認識を持ったり、思考や発信を放棄したりすることが起こりうるのです。
管理職や上司は、やはり若手社員に主体性を発揮してほしいと思っているのでしょうか。
管理職へのインタビューでも「社員に主体性は必要ですか?」と聞くと、ほぼ全員がきっぱりと「必要だ」と答えます。理由はこれまで述べたように、複雑で正解のない時代への対応や、仕事における協働の重要度が増していることが挙げられるでしょう。そしてもうひとつ興味深いのが、管理職の方にとって、仕事を通じて主体性を発揮したことが成功体験になっていることです。
管理職も、ほとんどの方が「自分が若い頃は主体的ではなかった」という趣旨の発言をしています。しかし彼ら/彼女らは主体的に仕事をすることで、仕事の中で面白さを感じ、成長し、上司や他部門の人との関係を築けた経験をしています。さらに長い目で見れば、大きな案件を任されるようになったり、新しい仕事に挑戦したりと、キャリアアップのチャンスに恵まれる可能性も高まります。
管理職の方々は、会社の業績や利益のためだけでなく、主体性を発揮することで個人的にもメリットを享受できたという共通の経験があるため、新人や若手社員にも同じように主体性を発揮してほしいと思っているようです。
過去の自らの仕事における成功体験に基づいているんですね。
「主体性」は個人だけに帰するものではない
若手に職場で主体性を発揮してもらうためには、どのようなことに注意が必要でしょうか。
まずは若手と管理職の双方が、これまで述べてきた「主体性」に関する認識のギャップを自覚し、お互いにそのギャップの解消に努めることが必要です。大卒の新入社員なら、小学校から数えて16年間も、企業とは異なる文化圏で過ごしてきたわけです。何の説明もないまま企業文化に適応してもらおうというのは無理があります。
できれば、入社段階もしくはその前段階で、企業が求める主体性について理解してもらえる機会を持てるとよいですね。そのためには、新入社員を迎え入れる上司や先輩が主体性について考え、「主体性」の認識ギャップがあるかもしれないことを、あらかじめ意識しておくべきでしょう。
上司や先輩が、「彼ら/彼女らは新人だから、自分からは何もできない」「わかっていない」とはなから決めつけることも望ましくありません。過度な新人扱いは、「自分ができることもやらせてもらえない」「自分は評価されていない」と思わせることにつながります。新人であろうと一人の職業人として尊重し、尊敬する意識が大切です。
もし上司や先輩として、主体性や仕事の面白さについて話すことがあれば、自分の価値観を押し付けることにならないよう注意が必要でしょう。自分が面白いと思うことは人それぞれです。営業職を例にとってみると、売り上げ目標を超えることが面白いと感じる人もいるでしょう。お客さまの期待に応えて感謝されることにモチベーションを感じる人、複数の企業と関わりスキームを確立することに面白さを見いだす人もいることでしょう。
何に仕事の面白さを感じるのかは個人によって異なりますから、それを認識しておくことが重要です。
主体性と結びつく「仕事の面白さ」を体験するには、何が必要なのでしょうか。
管理職へのインタビューを通じてわかったこととして、彼ら/彼女らは若手の頃に「自分は何をすれば面白いと思うのか」を、メタ認知していた点が挙げられます。仕事で経験を重ねる中で、「人と会う仕事は楽しい」「気づけばいつも、業務改善策を考えている」など、メタ認知をすることで、自分にとって面白いと思えることを自ら発見していました。このように自分の仕事に関してメタ認知を働かせることは、意外と重要だと考えています。
また、主体性を発揮するには、「仕事裁量」が与えられていることを認識する必要があります。多くの仕事においては、ある程度の仕事裁量が与えられていると思います。例えば営業であれば、売り上げ目標や主な市場が決まっていたとしても、具体的なアプローチ方法は担当者に委ねられていることが多いでしょう。
自分にどんな仕事裁量が与えられているのかを認識できれば、仕事を自分が面白いと思う方向に進めたり、面白いと思う方法で行ったりできます。そしてそれは主体的に仕事をすることにつながります。逆に、仕事裁量があることを認識できなければ、人に言われたことをやるだけの、やらされ仕事になってしまいます。
しかし、仕事裁量が与えられていることについて、全員が気づけるわけではないようです。ですから、上司など周りの人が、仕事裁量があることを言葉で説明することも必要なのかもしれません。
どこに仕事の面白さがあるのか、自分では見つけられないこともあるのですね。
昨今のキャリア教育も、多少なりとも影響しているのではないかと思います。キャリア教育自体が問題なのではありませんが、キャリア教育においてしばしば見られる「好きなことを仕事にしよう」というメッセージが、選択の幅をかえって狭めかねないことを懸念しています。なぜならば、「好きなこと」と「仕事の面白さを見つけること」は似ているようで違うからです。
多くの学生は、ゲームや動画、アイドルなどのエンターテインメントが大好きです。だからといって「好き」なエンターテインメント業界で働くこと、あるいは自らがタレントになることが、好ましい選択なのかというと、そうとも限らない。
例えば、「本が好き」だから書籍の編集者を目指すとしても、本や原稿を読むことだけが編集者の仕事ではない。スケジュール管理や、デザイナーとの相談、印刷や製本の手配や、営業との販売戦略のすり合わせなど、関係者同士をつなぐ、ハブのような役割も担うと思います。「本が好き」でも、誰かに連絡をとるのが苦痛では編集者としてはうまくいかないでしょう。
逆に本への関心はほどほどでも、人との出会いを楽しみ、調整に面白みを感じる人であれば、編集者という仕事に面白く取り組める。人と出会い、調整をすることが求められる仕事であれば、その人にとって面白い仕事になりえる、と可能性が広がるのです。
このような仕事の面白さは、上司に言われた仕事をこなす中で、自分なりに徐々に気づきを得ることもあるでしょう。また、好むと好まざるとに関わらず、主体性を発揮せざるを得ない場に身を置くことになり、苦しさの中で自分なりの面白さを発見するということも考えられると思います。
最後にお伝えしたいのは、近年、企業で求められる「主体性」は個人だけに帰するものではないということです。「主体性」に「仕事に関して協働する」ことが含まれているのは、ある人の主体性は、他者の関わりによって決められてしまうという面があることを示唆しています。
ある社員が「発信」したことを「仕事に関して協働する」ことにまでつなげるのは、その社員だけでなく、上司や先輩たちの関わりにも影響される。発信をする社員とともに、それを受け取る側も、「主体性」を構成する一定の役割を担っていると考えられます。
企業で人材育成に関わる方々は、自分たちにとって当たり前になっている「主体性」を捉え直し、「主体性」の意味について学生や若手社員と共有することによって、「主体性」の認識ギャップを解消していく。このようなことから始めてみてもいいのではないでしょうか。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。