行司
テレビで見る姿は本当の姿じゃない!
八つの階級でしのぎを削る大相撲復活のキーパーソン
不祥事続きで一時は存続の危機とまで言われた国技・大相撲が近年、人気復活の兆しを見せている。2015年の初場所は15日間すべて「満員御礼」。その土俵の活況を、陰に陽に支えているのが行司である。「行司とは何か」と聞かれたら、「相撲の勝敗を裁く“審判”」と答える人がほとんどだろう。それは正解であり、不正解ともいえる。大相撲は単なる競技スポーツではなく、日本古来の武道であり、神事であり、また興行でもあるからだ。独自の伝統文化を担う行司の仕事には、テレビ中継に映らない数々の意外な役割や仕組み、習わしがある。知れば知るほど、大相撲の世界は奥が深い。
館内放送から書き物まで、土俵を降りたらまるで総務部!?
「はっけよい、残った、残った!」――。対戦する力士を立ち会わせ、決着がつくや、間髪を入れず東西いずれかに軍配をあげるのが行司の役目だ。しかしその裁きは“絶対”ではない。大相撲の行司には勝敗を決める最終権限がないからで、自らの判定に物言いがついた場合は、土俵下の勝負審判の協議による評決が優先される。そこが、他競技における主審やレフェリーとは大きく異なる。取組中は勝敗を裁くだけでなく、力士や観客の邪魔にならない適切なポジションをとりながら、力士に声をかけて奮戦を促し、力士の緩んだまわしを締め直したり、はずれた“さがり”を土俵外によけたり、さまざまな用事に対応しなければならない。行司は審判であると同時に、土俵という舞台を盛り上げ、取り仕切る進行役でもあるのだ。
きらびやかな装束や美しい所作とあいまって、行司といえば、誰もが思い浮かべるのはそうした取組中の姿だが、実は取組以外でも忙しく、大相撲という催しを支える脇役、あるいは裏方として、数々の重要な役目を担っている。たとえば横綱や幕内、十両の力士が土俵入りを行う際には、行司が先導役にあたる。横綱土俵入りに続く「顔触れ言上(かおぶれごんじょう)」では翌日の取組を独特の口調で場内に披露し、場所前には土俵の神聖と安泰を祈る土俵祭の儀式で司祭を務める。意外なところでは、観客に力士紹介や取組の決まり手などを案内する場内アナウンスも、行司が装束を脱いで行う仕事のひとつだ。
また土俵の外では、取組結果の公式記録係や、番付編成会議・取組編成会議の書記役など、いわゆる“書き物”の仕事が非常に多い。力士の番付表や星取表を作成したり、顔触れ言上で披露する翌日の取組を和紙に清書したり、あの「相撲字」と呼ばれる独特の文字で相撲情緒を盛り上げるのも、実は行司の職人技なのである。番付表は、特に達筆な行司が約10日間かけて書き上げるという。筆太の楷書体で、番付に隙間もないほどびっしりと書きこむ相撲字には、観客がぎっしり入るようにとの願いが込められている。
さらに地方巡業の際には渉外役として重宝され、交通機関や宿泊先の手配、部屋割りなどにあたるほか、それぞれが所属する相撲部屋では番付の発送、冠婚葬祭の仕切り、人別帳の作成といった実務をこなす。企業でいえば、総務部的な役回りも果たしているのだ。
力士同様の“格”差社会、実力で「木村庄之助」を目指す
大相撲の行司の正式な身分は財団法人日本相撲協会協会員で、力士同様、各相撲部屋に所属する。相撲界は「番付1枚違えば家来同然」と言われるほど上下関係が厳しい階級社会だが、行司も例外ではない。最高格の立行司を筆頭に三役格行司、幕内格行司、十両格行司、幕下格行司、三段目格行司、序二段格行司、序ノ口格行司と、八つの階級=格が定められ、昇進して格が上がれば、裁く取組の番付や順位も上がる決まりだ。階級によって、給与や付け人の有無など待遇に差がつくのはもちろん、土俵上でも装束の色形から草履・足袋の有無、軍配の房の色まで細かく区別されているため、格の違いがひと目でわかる。
また、すべての行司が入門当初から「木村」家か「式守」家の行司名を名乗り、格に応じて由緒ある行司名を継いでいく習わしも大相撲独特の文化である。たとえば立行司は二人で、それぞれ「木村庄之助」と「式守伊之助」を名乗るが、同じ立行司でもより上位とされるのが木村庄之助。力士でいえば“東の正横綱”にあたり、通常は結びの一番しか裁かない。。
こうした行司の階級は、決して年功序列で決まるわけではなく、土俵上の勝負判定や姿勢態度の良否、掛け声・声量の優劣、指導力の有無、日常の実務の働きぶりなどに基づいて評価され、年1回階級の昇降が決まる。つまり行司は力士同様、実力で上を目指せる仕事なのだ。研さんを積み、技量を磨き続ければ、世界で唯一無二の木村庄之助を名乗ることも夢ではない。努力が昇格という明確な形で報われるからこそやりがいがあり、行司修業のつらさや縦社会の厳しさにも耐えられるのである。大相撲は日本中が注目する“国技”だけに、その土俵を裁く苦労やプレッシャーは計り知れない。最高格の立行司が腰に短刀を帯びているのは、「軍配を刺し違えたら切腹する」との覚悟を示したものだといわれる。しかしその使命と責任の重さもまた、行司を志した者の本懐といっていいだろう。
10代から65歳まで終身雇用、安定性は大企業より上
大相撲の行司の採用資格については、日本相撲協会寄附行為施行細則第6章・第64条に、「行司の新規採用は義務教育を修了した満19才までの男子で、適格と認められる者から行う」と定められている。募集は各相撲部屋単位で行われることが多く、かつては相撲界に何らかのつてがなければ、そういう情報はまず手に入らなかったが、最近は各部屋の公式ホームページなどを通じて一般に告知するケースも増えてきた。ただし、行司には全体で45人の定員枠があり、新規採用はその枠内である場合に限られる。また、狭き門を突破して採用されても、まず3年間は行司見習いとしての養成期間を経なければならない。中学を出てすぐに入門するなど、若くしてこの世界に飛び込む人が多いのは、それだけ下積みの時期が長いから。行司は「十両格に上がってやっと一人前」といわれるほどだ。
とはいえ、いったん採用されれば、原則として65歳の定年までは終身雇用。下位の行司や見習いでも相応の収入が保障されるうえ、部屋に所属しているので、若いうちは寝食の心配もいらない。雇用の安定という意味では有利な職種といえる。行司の給与は月給制。日本相撲協会寄附行為施行細則によると金額(手当を除く)は、立行司が40万~50万円まで、三役が36万~40万円未満、幕内が20万~36万円未満、十両が10万~20万円未満、幕下が4万2000~10万円未満、三段目が2万9000〜4万2000円未満、序二段が2万円〜2万9000円未満、序ノ口以下が1万4000〜2万円未満で、これに手当や階級に応じた装束補助費が加わる。
行司の仕事内容は幅広く、さまざまなスキルや実務能力を要するが、10代で始めることを考えれば、それらは修業の中で自然と身についていくものだろう。むしろ適性として何よりも求められるのは、相撲への純粋な情熱だ。相撲が心底好きであれば、下積みの苦労も、場所中の目の回るような忙しさも乗り越えられるに違いない。その大好きな相撲の取組を、誰よりも近くで堪能できるのが、行司という仕事の最大の“特権”なのだから。
※本内容は2015年2月現在のものです。
この仕事のポイント
やりがい | 相撲の取組を、誰よりも近くで堪能できる |
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就く方法 | 募集は各相撲部屋単位で行われることが多く、最近は各部屋の公式ホームページなどを通じて一般に告知するケースも増えてきた |
必要な適性・能力 | 相撲への純粋な情熱と長い下積み期間に耐えられる忍耐力 |
収入 | 月給制で「格」によって異なる(1万円台~50万円まで) |
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。