介護当事者との対話を基に「制度拡充」「風土醸成」を実現
花王が実践する「仕事と介護の両立支援」とは
齋藤 菜穂子さん(花王株式会社 DE&I推進部 DE&I推進部長)
荒川 真理子さん(花王株式会社 DE&I推進部)
介護を担う社員が増えることを早くから予測し、必要な支援制度を整えて社員への啓発活動を行ってきた花王株式会社。仕事と介護の両立支援においては、「当事者の声を聞くこと」と「社員への啓発活動」が、とりわけ重要だといいます。周囲に相談しづらく、実態の見えにくい介護について、社員の声をどう拾い、支援制度の整備や認知を推進してきたのか、DE&I推進部の齋藤さんと荒川さんにお話をうかがいました。
- 齋藤 菜穂子さん
- 花王株式会社 DE&I推進部 DE&I推進部長
さいとう・なおこ/1998年入社。研究開発部門にて皮膚や感覚の研究に取り組み、2018年より上席主任研究員 グループリーダーとして感覚研究を担当。2020年1月人財戦略部門DE&I推進部マネジャー、同4月より現職。多様性を強みとする花王グループになることをめざし、多様な社員一人ひとりが活躍できる環境整備と風土醸成に取り組んでいる。
- 荒川 真理子さん
- 花王株式会社 DE&I推進部
あらかわ・まりこ/2005年入社後、栃木工場、研究開発部門、本社組織開発と一貫して人事畑を歩み2016年よりDE&I推進担当。現在はInclusion推進リーダーとして、花王グループ社員がDE&Iの理解を深め、知識を習得することで、職場や仕事を通じて実践していくためのさまざまな啓発プログラムを企画・実行している。
15年後の介護両立社員割合をシミュレーションし、支援体制を整える
花王株式会社(以下、花王)では2008年から仕事と介護の両立支援に取り組まれていますが、どのような背景があったのでしょうか。
齋藤:古くは1934年の長瀬家事科学研究所設立を契機として、花王は女性社員の活躍の場を拡充してきました。以来、1990年代から2000年頃にかけて、女性の就業継続を支援するという観点で、「仕事と育児/介護の両立」のための制度の拡充に重点的に取り組んできました。
2000年代初旬は社会的にもワークライフバランス意識が高まってきた時期です。社内でも、今後は「仕事と介護の両立」がそれまで以上に課題になるのではないかという声が上がり始めていました。2008年に15年先まで試算してみると、10年後には当時の倍の約6人に一人の社員が介護責任を負う可能性があるという予測が出たのです。
荒川:介護との両立は、性別や年齢、婚姻の有無や役職などに関係なく、だれもが当事者になる可能性があります。潜在的な不安はあるはずですが、社員がどのぐらい介護を担っているのかという実態が見えにくいこともあり、まずはどんな課題があるのかを調査することになりました。
はじめに、福利厚生サービスのうち介護関連のメニューを利用したことがある社員にアンケートを実施。介護の状況や期間、介護対象者と社員の同居・別居、社員本人はどのような関わりをしているか、仕事と介護を両立する上での心配ごとや負担感などについて、数百名から回答を得ました。さらにその中から一部の社員には個別ヒアリングも行いました。
その結果見えてきたのが、介護責任を負う社員が抱える課題は「心理的負担」「時間的負担」「経済的負担」の三つの側面に大別されるということ。とりわけ心理的負担が大きいことがわかりました。
調査で見えた「心理的負担」「時間的負担」「経済的負担」それぞれに対応
三つの課題に対して、それぞれどのような支援策を用意されたのでしょうか。
荒川:まず「心理的負担」に対しては、周囲に相談できる相手がいない、職場でオープンにしづらいといった声に対応するため、外部支援機関による相談窓口を開設しました。介護は長ければ10年以上におよぶ場合もあり、見通しが立てにくいところがあります。今でこそ在宅勤務などの制度がありますが、当時は毎日出社することが前提。仕事と両立する時間を捻出してどのように効果的に活用すればいいのか、といった悩みを専門知識のある第三者に相談できるようにしました。あわせて、人事担当者向けの「介護相談対応マニュアル」を作成し、各勤務地の人事担当者が一次相談窓口として社員のサポートをできる体制も整えました。
また、2013年には「介護両立ハンドブック」を作成。介護の基礎知識や状況に応じた対応例、国・行政や会社の支援制度・サービス情報がまとまった1冊です。今年10年ぶりに全面リニューアルをして、介護を担う社員本人とその上司とのコミュニケーションをさらに円滑に進めるための手引きも加えて、日頃から職場で役立ててもらうことをめざしました。
花王の介護両立ハンドブック
2023年9月に改訂し、当事者社員向け・上司向けのコミュニケーション支援を充実させた。
(画像提供:花王株式会社)
当事者社員向けコンテンツ
- 介護が必要かなと思ったら確認すること
- いざというときの介護相談ポイント
- 介護の基礎知識と国・行政の仕組みの紹介
- 社内制度・サービスと申請方法の紹介
- 当事者社員向けコミュニケーションの手引き(休職から復職までのフローとポイント、面談用シート)
当事者社員の上司向けコンテンツ
上司向けコミュニケーションの手引き(当事者社員の状況に応じた対応、組織運営上のポイント、面談用シート)
荒川:「時間的負担」については、短時間・時差勤務、フレックスタイム制や在宅勤務制度などは以前から用意していました。2022年には、一定の条件のもと、やむを得ない事情がある場合に遠隔地での常時在宅勤務を認める「遠隔地勤務」制度を導入しました。
他にも、当社では介護休職を法定水準である93日を超えて、最長1年間・最大3回まで分割して取得できます。看護・介護特別休暇は、時間単位で最大年間40日分を有給で取得することが可能です。これには外部の専門家も「有給というのは他ではあまり聞いたことがない。花王の介護両立制度は手厚いですね」と驚かれていました。
齋藤:ただ当社としては、休職期間の長さよりも休職中の行動が重要だと考えて社員に啓発をしています。厚生労働省もいっているように、介護休職は「介護に専念するための期間」ではなく、「仕事と介護を両立する体制を構築するための期間」です。休職中に自分のすべての時間を介護に使ってしまうことで、休職期間が明けて職場復帰したときに仕事や生活がうまく回らなくなってしまう恐れがあることを懸念しています。また、介護両立において周囲との協力体制を作れないことで、一人で介護を抱え込み続けてしまう恐れもあります。
介護を担う必要があっても、社員には自分自身のことも大切にしてほしい。そのためには、介護休職の期間を使って外部の専門機関などを活用したサポート体制を整えるなど、両立しやすい環境を整えていく必要があります。
荒川:「経済的負担」へのサポートとしては、介護見舞金などに加えて、外部サービスを利用するための補助金など、共済会の支援メニューを拡充しました。当社は介護用オムツなどの介護用品も製造していますので、そういった物資的支援も含まれています。
周囲に求められるのは「お互いさま意識」と、介護と両立するライフスタイルの理解
介護をしながら仕事をしている社員に対して、周囲のメンバーはどのようなサポートができるのでしょうか。
齋藤:介護は当事者となる社員が主体的に対応することが必要ですが、会社はそれをできるだけ支援します。そのうえで周囲は介護責任を担う社員の事情を理解し、「お互いさま意識」を持って支え合うことが大切だと考えています。
花王では、社員自らの努力に対する支援策として、介護に関する知識や相談窓口の提供と、周囲に相談しやすい環境・雰囲気づくりという二つの側面から対応を進めてきました。
花王の両立支援基本方針
社員一人ひとりが仕事と生活を両立しながら、意欲と能力を存分に発揮して活躍することを支援します。
仕事と介護の両立支援の考え方
- 介護の状況はさまざまであり、当事者社員が主体的に対応することが基本です。会社は本人の自助努力を支援します。
- 周囲者が介護責任を負う社員の事情を理解し、「お互い様意識」をもって支援することが大切です。会社はこのような環境整備に努めます。
荒川:介護はだれにでも起こりうるものだという共通認識を持つためには、仕事と介護を両立するライフスタイルの理解が不可欠です。そこで「介護両立ハンドブック」配布のほかに、全社員向けにニュースレターを発行して介護に関する知識や情報を共有したり、外部の専門家を招いて介護両立セミナーを開催したりするなど、啓発活動を行ってきました。
特に介護両立セミナーは、直接専門家の話が聞ける機会として大変好評です。「働きながらの介護」、「認知症介護」、「花王の介護両立支援制度のポイントと賢い使い方」など、テーマを変えながら2010年以降、毎年継続して開催しています。以前は拠点ごとに対面で開催しており、のべ開催回数は約40回、4,000人以上が受講してきましたが、コロナ禍以降はオンラインセミナー形式としています。
「介護両立ハンドブック」や花王の制度の使い方に関するセミナー動画はDE&Iポータルに常時掲出して、社員がいつでもアクセスできるようにしています。いざというときに慌てることなく、必要な情報にスムーズにアクセスできるよう、情報基盤を整えることにはこだわっています。
齋藤:介護に限らず多様なメンバーがそれぞれの事情を抱えるなかで、管理職はチームとして成果を出す必要があります。そうした管理職の組織運営をサポートすることを目的に、柔軟なチーム運営を考えるための管理職向けセミナーも開催しています。また、「自分の部下から仕事と介護の両立について相談をされたら、どう対応しますか」、「自身が介護の当事者になった場合、どう対応すればよいと思いますか」といったケーススタディを作成し、気軽に学んでもらう機会も作っています。
社員の問い合わせ窓口となる各勤務地の人事担当者には、介護支援制度に関する問い合わせは、日々寄せられています。社員本人だけでなく、上司と一緒に制度の使い方について相談に訪れるケースも増えています。「お互いさま意識」が醸成され、介護について周囲に話しやすい風土が高まりつつあることを実感しています。
荒川:「お互いさま意識」の醸成をはじめ、各チーム内で安心して介護の話ができる風土づくりにも努めています。心理的安全性の啓発などに加えて、社員に対しては、「介護が必要になりそうだとわかったら、定期面談の機会を待たずに、早めに上司へ一報を入れてほしい」とメッセージを発信しています。早めに知ることができれば、組織として業務の分担や業務量の調整などのサポートがしやすくなるからです。
また、先ほどご紹介したオンラインセミナーは、介護との両立に関心のある社員ならだれでも参加できるように広く告知し、全国各地から毎回数百人がライブ参加しています。当日参加できなかった社員は後から視聴できるよう、録画配信も用意。必要に応じて家族と一緒に見られるよう、年末年始を含めて公開期間を設定しています。
こうした細かな工夫も、制度の認知拡大や実際に活用につなげるための風土醸成には重要だと感じます。
セミナーでは質問も募集するのですが、行政の制度・サービスのつかい方や、家族親族との介護分担の方法など、非常に多くの質問や悩みが匿名を含めて寄せられ、Q&Aセッションの時間は毎回熱気にあふれています。ライブ参加者数、録画視聴数ともに年々右肩上がりで増加しており、社員の関心の高さがうかがえます。また、仕事と介護を両立するライフスタイルはだれにでも起こりうることとして受け止めあえる風土が高まってきていることを感じます。
人事は介護支援制度を整え、その啓発を繰り返すことが重要
「社員に介護支援の制度が知られていない」など、両立支援の推進で悩む人事担当者は多いようです。人事担当者として、社員が仕事と介護を安心して両立するためにどのようなサポートをしていけばいいのでしょうか。
齋藤:まずは、自社に必要な支援制度が整っているのかをあらためて確認することが第一です。ひと口に介護と言っても、関わり方や状況は人によって全く違います。利用者数が少なくても、ニーズのあるところには選択肢を用意することが大切です。「あまり使われていないからこのメニューは不要」というものはありません。社員に必要なサポートがそろっているか、当事者の声を聞きながら確認することが大事だと考えています。
荒川:そのうえで、いざというときに頼れる窓口やサポート体制・制度があることについて、社員に認知してもらうための啓発活動は、手を変え、品を変え、繰り返し取り組んでいく必要があります。
例えば当社では、コロナ禍で対面のセミナーが実施できなくなった際には、「介護両立ハンドブック」の特に重要なポイントを解説した1本10分前後の動画をつくり、昼休みなどの隙間時間に気軽に見てもらえるようにしました。
また、イントラネットでの案内に加えて、対象社員向けの個別メール配信も適宜行っています。今年は、厚生労働省が定める「介護の日(11月11日)」を含む1ヵ月間を啓発月間とし、さまざまな介護両立関連のコンテンツや情報を周知する予定です。
私たちの部署から情報発信する際は「Diversity, Equity and Inclusion(DE&I)」と記した共通のアイコンを付けているのですが、最近は「DE&Iのロゴが付いているものは全て見ています」という社員も出てきています。
一方で、何年も前からあらゆる手段で繰り返し伝えていても、ポータルや各取り組みについて「初めて知りました」と言われることはまだあります。こちらが「伝えている」と思っていても、実際に社員に「伝わっている」こととは違うのだと心得て、社員の目に触れる機会を一つでも多くつくり、継続することが重要だと考えています。
齋藤:外部の専門家の手を借りることも大切です。客観的に見て自社の制度のどのような点が優れていて、何が足りないのかといった意見をもらうことで、自社の状況や効果的な活用の提案方法が見えてくることもあります。社員にとっても、第三者から聞くことで信頼性が高まり、制度の特徴や使い方を理解しやすくなるというメリットもあるようです。
介護との両立により働く時間が短くなることで、評価に影響があるのではないかと不安に思う人もいそうです。
齋藤:実際に社員からそうした声が耳に入ることもありますが、働いた時間の長さそのものが人事考課に影響することはありません。あくまで当期の目標に対する成果で判断します。介護に限らず、育児や社員自身・家族の病気などさまざまな事情で、勤務時間を調整する必要が生じる可能性は誰にでもあるものです。
どのような状況においても、社員一人ひとりが高い意欲と能力を発揮してパフォーマンスを発揮できるようマネジメントするのが管理職の役割であり、評価においては成果に基づいて公正な判断をすることが大切であると考えています。そのためのトレーニングを継続することなども重要な取り組みの一つです。
コロナ禍を経て働き方が変わったからこそリアルな声を聞きにいく
コロナ禍の緊急事態宣言により、半強制的に在宅勤務への移行を迫られたことは、仕事と介護の両立が必要な人にとって追い風になった側面もあるかと思います。働き方の変化を感じることはありますか。
荒川:以前から在宅勤務制度はありましたが、介護や育児など事情のある社員が1週間のうち2日間を上限として使える、一部の社員向けの働き方という側面がありました。しかし新型コロナウイルスの流行によって、多くの社員の在宅勤務を可能とする環境が整い、社内で一気に浸透しました。
現在は社会情勢がやや落ち着いたことを受け、業務特性に応じた出社となっていますが、会議は対面とオンラインのハイブリッド形式で行われるなど、「誰かがオフィス以外で働いている」状況が当たり前になっています。そのため、介護や育児などと両立させながら、在宅勤務で仕事をすることに対して、当事者社員が後ろめたさを感じることは以前より減ったのではないかと思います。
今後はどのような支援を行っていくのでしょうか。
齋藤:社員の介護の状況を把握するためのアンケートやヒアリングは、2016年頃まで継続的に行っていたのですが、アフターコロナになった現在の実態や課題は把握できていません。介護両立のために休暇や休職を利用する一歩手前の状況にある社員や、育児と介護の両方が必要なダブルケアラーとなっている社員、管理職で介護との両立が必要な社員などがどの程度いるのか。また、現行制度下において、必要な人が必要なときに制度を使えているのか、どのような困りごとがあるのかを改めて調査しなければならないと感じています。当事者の声を聞く、というのは当社の原点ですから。
特に「制度を利用したかったのに利用できなかった」社員など、数字には表れない実態を見逃さないように注意が必要です。そういう社員がいるなら、原因は業務量の多さなのか、管理職や周囲のメンバーとの関係性にあるのかなど、職場での困りごとをきちんと聞いたうえで、必要に応じて新たな制度や運用、支援を検討するなど、何らかの手を打っていかなければと考えています。
多くの社員が何らかの事情を抱えて仕事をしています。それらを隠すことなく話すことのできる雰囲気や、お互いさま意識で支え合う風土は、対話と啓発によって少しずつつくられていくものなので、今後も継続していきます。