延べ1,000人以上が活用する不妊治療支援制度
インクルーシブな価値観を支えるオムロンの理念経営とは
オムロンエキスパートリンク株式会社 ダイバーシティ推進部
瀬川 明子さん
2022年4月から、人工授精や体外受精など不妊治療の一部が公的保険適用の対象となります。これまでは費用が高額になりがちでしたが、保険適用でその門戸が広がることが予想され、最近は従業員の不妊治療をサポートする企業も増えてきました。オムロン株式会社はその先駆けとして、2005年から従業員の不妊治療を支援しています。どのような背景で支援を行うようになり、実際にどういった効果があったのか。オムロンエキスパートリンク株式会社ダイバーシティ推進部の瀬川明子さんにうかがいました。
- 瀬川 明子さん
- オムロンエキスパートリンク株式会社 ダイバーシティ推進部
せがわ・あきこ/2006年オムロン株式会社に入社。事業広報の担当を経て、2019年よりダイバーシティ推進部で女性活躍推進と障がい者活躍推進を担当。オムロングループの女性管理職登用に向けた育成と支援、身体障がい者、精神・発達障がい者の採用と活躍機会の拡大などを担当している。
2005年に最大365日の不妊治療休職制度と、20万円の給付金を導入
まずは、どのようにして不妊治療を支援されているのか、概要をお聞かせください。
不妊治療休職制度と給付金制度を導入しています。休職制度は、不妊治療を受けるために年次有給休暇を上回る長期間の休業が必要な場合に利用できる制度です。通算365日以内で取得でき分割取得も可能です。1ヵ月以上、1日単位で取得できます。ただし休職期間中は無給になります。
もう一つの給付金制度は、本人またはその配偶者が不妊治療を受けたとき、治療に要した実治療費から各市町村の公的補助合計金額を差し引いた額を、2年間で通算20万円以内を給付する制度です。3年目以降も2年ごとに複数回の申請が可能です。
休職制度と給付金制度は、人事部が窓口になっているのですか。
給付金制度は、共済会から支給されます。治療を受けていることを知られたくない人もいますので、上司の承認や人事部を通さずに申請できるよう、必要書類を共済会に送付すると、本人の口座に直接入金される仕組みになっています。
休職制度は各職場において業務の調整が必要になるため、所属部門や人事部へ申請してもらっています。
国内でもかなり早い2005年から取り組みを始めていますが、当時の日本は多様性という考え方がまだ浸透していなかった頃だと思います。不妊治療支援を始めた背景には何があったのでしょうか。
当時、組織風土改善のプロジェクトの中で、「在職中から退職後まで」「本人と家族まで」などの側面で人事制度、福利厚生制度について議論されていました。
仕事と育児の両立支援や従業員の働きがいなど、さまざまな切り口から組織のあり方を見直す中、従業員の中でも私たちを取り巻く環境の中でも、少子高齢化が議題に挙がりました。社会課題でもある少子化に対して企業ができることは何か、また従業員へ支援できることは何かを協議した結果、不妊治療に対する支援制度が必要だという結論に至りました。プロジェクトで検討されたさまざまな制度の中の一つが、不妊治療支援でした。
当時、国内での事例はほとんどなかったのではないかと思います。不妊治療支援制度を導入するにあたり、反対の声などはありませんでしたか。
同じ質問をよくいただくのですが、反対意見や反発があったという話は聞いていません。女性への厚遇と捉えられかねないという意見もあるかと思いますが、そもそも不妊治療は女性だけの問題ではありません。男性が治療をする場合もあり、不妊治療の支援に男女の区別はありません。従業員の配偶者が治療を受ける場合も給付金の支給対象としており、男女に関わらず必要とする従業員がこの制度を利用しています。
支援内容を検討するときは、従業員へのヒアリングなども行ったのでしょうか。
特にヒアリングなどは実施しておりません。プライバシーへの配慮もありますが、不妊治療に悩んでいる従業員がいることは認識しておりましたので、治療と仕事の両立をサポートする制度は人事側で設計できました。この不妊治療制度以外も同様で、多数の声を起点に制度設計をしているかというと、そうではありません。ここ数年、社内規定における家族(配偶者)の定義に同性のパートナーを含むよう改訂するなど、LGBTQへの取り組みにも力を入れていますが、マイノリティ、マジョリティにかかわらず、今、どのような支援をすればパフォーマンスを最大限に発揮して活躍できるのかを考えています。
制度があることで、キャリアビジョンを描きやすくなった
制度導入時は、どのように従業員に周知したのでしょうか。
人事制度の改訂時は社内サイトに通達が掲載され、従業員各々が確認します。不妊治療制度に関しても同様で、特別に周知促進は行っていません。制度がスタートして17年が経ち、利用者が増え続けていることから、制度への理解は浸透していると実感しています。
長期的に休みをとる場合、どうしても上司や同僚からの理解が必要になります。周囲の理解を得るためにどのようなサポートや取り組みをされているのですか。
不妊治療だけでなく長期間の休職となる場合は、業務の調整が必要になるため人員の再配置やリソースの再分配は柔軟に行えるようにしています。それでも、本人が休みづらさを感じてしまうことはあると思います。そういったときにいつでも相談できるよう、ダイバーシティ推進部に問い合わせ窓口を設置したり、各事業所にいつでも相談できる医療職を配置したりしています。相談しやすい環境を整えることで、安心して長期的な治療や休職取得を計画してもらいたいと考えています。
休職制度と給付金制度は、実際にどのくらい活用されているのでしょうか。
給付金はこれまでに、延べ約1,000人が利用しています。休職制度の利用者は数名程度です。有給休暇は半日単位や時間単位でも取得でき、コアタイムのないフレックスタイム制も導入しているので、休職をしなくても有給休暇とさまざまな制度を活用しながら治療と仕事の両立ができる場合もあるのではないかと捉えています。
制度を導入して、従業員からはどのような反応がありましたか。
制度の利用については、プライバシーの観点から誰がどのように活用しているかは把握していないのですが、制度があることでライフデザインを描きやすくなったという話は聞いています。妊活や不妊治療をする時期、出産をして育休に入る時期というように、未来のイメージを描けることはキャリア開発においても重要なことです。私たち、ダイバーシティ推進部が実施している女性活躍推進の研修の中で、不妊治療が話題になることもあり、制度の理解浸透とともに、キャリア形成との両立をキャリアビジョンとして語る方が増えてきました。
また、オムロンには再雇用(キャリアリエントリー制度)もありますが、「休職制度があることで、会社を辞めなくても治療を続けることができる、安心して働くことができる」といった声も届いています。
不妊治療支援のスムーズな導入の背景にある「企業理念」
大きく苦労せずに不妊治療支援を開始したのは素晴らしいことだと思いますが、その背景にはどのような社風や価値観があるのでしょうか。
オムロンは「企業は社会の公器」であるという考えに基づき、よりよい社会づくりに貢献することを使命とし、その実現に向け、企業理念を軸にした経営を実践しています。オムロンの社憲は「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」です。そして私たちが大切にする価値観として「ソーシャルニーズの創造」「絶えざるチャレンジ」「人間性の尊重」があります。これらは事業だけで発揮されるものではありません。人事・総務部門も同じで、従業員が能力を発揮するために必要な制度を整え、職場風土を変化させていこうという考えに基づいて実行しています。早くから不妊治療や働く女性のワークライフバランスを整備していくことに積極的であったことも、この企業理念が影響しているのではないかと思います。
企業理念や大切にする価値観を従業員の方が体現できているのですね。企業理念はどのように浸透させているのでしょうか。
企業理念を浸透させるための取り組みの一つとして、当社には「TOGA(The OMRON Global Awards)」と呼ばれる表彰制度があります。TOGAは社員を表彰することだけを目的とした制度ではなく「グローバル全社員が参加する企業理念実践の運動」になっていることが特徴です。社員自らが社会的課題の解決に向けた目標を立て、日々の仕事における企業理念実践の取り組みを全社員で共有し称え合うことで企業理念実践への共感、共鳴の輪を拡大しています。TOGAを通じて企業理念実践にチャレンジし続ける風土の醸成が出来ていると捉えています。
5月10日の創業記念日は、予選を勝ち抜いたチームが京都で開催されるグローバル大会に進み、企業理念実践の取り組みについて紹介します。TOGAは、インドネシアでの企業理念実践の取り組みを発端として、2012年に始まりました。2020年度の述べ参加人数は、社員数約28,000人を大きく上回る51,033人となりました。社内はもちろん、パートナー企業や投資家、メディア関係者、学生も来場するなど、社外にまで輪が広がっています。
どのようなテーマがグローバル大会まで勝ち進むのですか。
受賞テーマはさまざまですが、例えば昨年度のゴールド賞の一つには「ウェアラブル血圧計」の開発がありました。世界では男性の4人に1人、女性の5人に1人が高血圧症に罹患していると言われています。高血圧症は放置すると心筋梗塞や脳卒中などの疾病を引き起こす原因となります。そこで、オムロンのとあるチームは食事や睡眠などの要因で変動する血圧をいつでも測定できるウェアラブル血圧計の開発にチャレンジしました。その結果、世界で初めて米国の医療機器認証を受けた腕時計型のウェアラブル血圧計が完成したのです。
また「ダイバーシティ組織」が評価された事例もあります。革新的技術を起点とする近未来デザインの創出を行っているオムロンサイニックエックスでは、世界最先端のAIやロボティクス技術人財を採用しており、10ヵ国以上から国籍もキャリアパスも、雇用形態も全く異なるメンバーが集まっています。究極のダイバーシティ組織だからこそ、衝突が起こることもあります。そうした中、多様なメンバーをまとめるために一人ひとりに真摯に向き合い、人間性を尊重することで違いを活力へと変えた事例がオムロンの企業理念に沿っていると高く評価されました。
その他にも、オムロンの温度制御技術をベースにした環境にやさしい包装材「パーフェクトシーリング」を開発したり、自然災害から住民を守るために地方自治体とコラボレーションしたり、TOGAではさまざまな企業理念実践の物語が紹介されており、全ての取り組みが企業理念実践に通じています。
TOGAを始めてから、従業員にはどのような変化がありますか。
企業理念を自分ごととして考えられるようになったと思います。普段、業務を行う中でも企業理念の実践を意識しながら取り組んでいる従業員は少なくありません。TOGAが始まってから、企業理念は単なるスローガンではなく、私たちが向かう方向なのだと多くの従業員が実感したと思っています。
今後さらに取り組んでいきたいことがあればお聞かせください。
何か新しい取組みを始める際にはネガティブな意見も出てきますが、実際にやってみることが大切だと学んできました。私たちダイバーシティ推進部は従業員が自律的にキャリアプランを描けるように、また何か支援が必要となったメンバーが、必要なときに、必要な制度を、自分で選択できるようにするめに、これからも多様なメンバーがイキイキと働くための取組みを進めていきます。
(取材:2022年2月4日)