酒場学習論【第41回】
恵比寿「パルテノペ」とキャリアにおけるトランジション
株式会社Jストリーム 執行役員 人事責任者
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
国内屈指のピッツェリアであり、ナポリ料理を供する素晴らしいイタリア料理店「パルテノペ」。私にとって、山ほど思い出が詰まった酒場でもあります。イタリア・ナポリに本部のある「真のナポリピッツァ協会」認定店であり、日清製粉グループのフレッシュ・フード・サービス株式会社が運営するパルテノペは、2000年に広尾店(2021年に閉店)が、2001年に恵比寿店がオープン。日本におけるナポリピッツァ・ブームを創出し、けん引する役割を担ってきました。
今では日本中の街にナポリピッツァを提供するピッツェリアを見かけ、ピッツァを焼く薪窯も珍しくはなくなりました。日本国内の真のナポリピッツァ協会認定店の数も100軒に迫る勢いです。しかし、まだ本格的な「ピッツァ」ではなく、お手軽な「ピザ」が主流だった2000年頃までは、その中心的存在は宅配ピザでした。宅配ピザは、ナポリ生まれのピッツァが移民とともに大西洋を渡り、アメリカで花開いて日本に紹介されたものです。生地の上を彩るバラエティ豊かな具材が主役の食べ物です。
これに一石を投じたのがパルテノペでした。当時はまだ日本では数店しか見られなかった本格的なナポリピッツァを紹介し、広尾店は日本で3軒目の真のナポリピッツァ協会認定店、恵比寿店は日本で4軒目の認定店となりました。恵比寿のパルテノペは166番の認定番号を掲げていますが、これは全世界で166番目の認定店であることを意味します。
プルチネッラと呼ばれるナポリの道化師をあしらったデザインの甲板を掲げることを許された真のナポリピッツァ協会認定店は、厳しいルールに則って伝統的なピッツァを提供しています。熱対流を効率よく利用するためにドーム型をしているピッツァ窯の内部は、400度から500度という高温になります。ピッツァはこの高温でごく短時間で焼き上げられるため、表面はしっかりと焦げ目がついてパリッとしながら、生地の内部の水分が飛びきっていないので、もちっとした何ともいいがたい食感を楽しめます。ナポリピッツァは生地が主役のピッツァなのです。噛みしめるほどに美味しい、短時間で焼き上げられた生地が魅力なのです。
このパルテノペの創成期に、私は運営会社のフレッシュ・フード・サービス株式会社に在籍しており、ナポリピッツァの普及や真のナポリピッツァ協会の日本組織の立ち上げに携わりました。もともと業務用小麦粉の営業からビジネスキャリアをスタートした私ですが、29歳のときに人事部に異動。しばらくすると、人事こそ天職だと思いながら仕事に打ち込むようになりました。
しかし、不惑を超えて少したった頃、晴天の霹靂(へきれき)で異動を命じられます。その異動先がフレッシュ・フード・サービスでした。まさに、キャリア論におけるトランジション(過渡期)です。
トランジション理論の代表格の一人であるアメリカの心理学者ウィリアム・ブリッジスは、「トランジション3段階説」を提唱しています。トランジションを3段階で表したもので、第1段階は「何かが終わるとき」、第2段階は「ニュートラルゾーン」、第3段階は「何かがはじまるとき」としています。トランジションは、終わりから始まりへと進むのです。
何かが終わるときは、私の異動の内示のように突然やってきます。そして、気持ちがなかなか抜け出せないニュートラルゾーンがしばらく続きます。苦しい気持ちから抜け出せない時期です。このニュートラルゾーンから無理やり抜け出そうとするのではなく、逃げずにそこに留まることの重要性をブリッジスは説きます。そうするうちに第3段階は、あまり印象に残らない形で始まるといいます。
私の場合は、社外の人事の仲間がニュートラルゾーンに留まることを支えてくれました。そして、異動先の営業の若いメンバーたちやナポリピッツァの仕事が、私をいつの間にか第3ゾーンにいざなってくれたのです。しばらく暗闇の中をさまようような日々を過ごしていた私を救ってくれたのが、ナポリピッツァとの出会いと、一緒に働く若いメンバー、そして小回りの効く小さな組織で働く面白さだったのです。
そして、パルテノペの存在も大きなものでした。夜な夜なお客さまをパルテノペに案内して飲んだり、さまざまな仲間のグループとの会食をパルテノペで何度も開催したり。案内した仲間は数百人に及ぶでしょう。皆がパルテノペを楽しんでくれ、私もパルテノペを誇りに思いました。
トランジションに見舞われるのは、人だけではありません。会社組織にも店舗にも、トランジションはやってきます。パルテノペも幾多のトランジションを経て、たくましく今日を迎えています。当初は順調に店舗数が増え、4店舗にまでなりました。また、運営会社のフレッシュ・フード・サービスは、日本中の多くのピッツェリアやさまざまな外食店舗が新たにナポリピッツァを提供するように支援しました。そんな努力が報われ、ナポリピッツァ・ブームが到来し、着実に日本の食文化の中にナポリピッツァが溶け込みます。ここが最初のトランジションでしょうか。
ナポリピッツァが日本に定着するとともに当初の目的は薄れ、2店舗を閉鎖し、広尾・恵比寿の2店体制となります。そこでやってきたのが、コロナ禍です。日本中のすべての飲食店と同様、パルテノペも大きなトランジションに見舞われます。2021年に広尾店を手放し、恵比寿1店舗での営業に集中します。さらには人的な面でのトランジションも経て、今日に至っています。
私の好物であるマルゲリータと田舎風ピッツァのメタメタ(ハーフ&ハーフ)をいただきながら、いろいろな思い出が頭をめぐります。しかし、そんな思い出を抜きにしても、美味しいピッツァと料理、そして素敵な仲間にこの店では出逢えます。ぜひ皆さんも、足をお運びください。昔はよく行っていたけど最近はご無沙汰しているという方もぜひ、ご一緒しましょう。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員人事責任者
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会副会長。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。