第37回:「経営理念」を実現する人材マネジメント(後編)
~「経営理念」を社員が体現できるための仕組みをどう作っていくか[前編を読む]
解説:福田敦之(HRMプランナー/株式会社アール・ティー・エフ代表取締役)
「前編」では、企業理念の持つ重要性を紹介してきた。「後編」では、具体的な「事例」を交えながら、企業理念を社員が体現できるための仕組み作りについて紹介していく。
経営の「拠り所」となるものを持つ
■全員の思いを共有し、ベクトル、価値観を揃えて取り組んでいく
一般的に、経営の良し悪しを判断する基準として「業績」があるだろう。しかし、業績は経営の結果であって、経営の良さとして直接的に評価できるものではない。それは、右肩上がりの時代の話。これからは、単に製品やサービスの質が高いだけではなく、経営全体のクオリティが高い企業の製品やサービスが売れる時代になってくる。
例えば近年、「経営品質」という概念が注目されている。商品やサービスのように目に見えるものだけではなく、マネジメント全体にクオリティがあるという発想である。実際、昨今の厳しい経営環境の下でも、この考え方で経営を実践し、大きく伸びている会社がベンチャー企業などには多いと聞く。
経営品質では「リーダーシップ」(理念・ビジョンとその浸透・確認)」をはじめとした経営を司る8つの機能から、企業の経営全体の仕組みをとらえている。だから、人材戦略も個別に存在するものではなく、大きな経営のフレームワークの中で、有機的に存在するものとなっている。
一般的な意味での人事考課も、特定部分における評価・改善に止まっている限り、全社的な意味での問題解決とは成り得ない。経営者と同じ視点で仕事ができるかどうか、これがブレークスルーの源となるのである。結局、人事制度や能力開発といった一部分だけを取り上げてもだめなのだ。広く全体から見て考え、やるべきことを明確にしていく。そして、その思いを皆が共有し、全員のベクトル、価値観をそろえ取り組んでいくことが、企業経営においては非常に重要なのである。これは、「前編」の「人材マネジメントの『バリューチェーン』で考えてみる」でも指摘した通り。
経営理念を実現するには、こうしたアプローチが欠かせないだろう。次に、このような考え方の下、経営理念を人材マネジメントへと展開していった企業の事例を、3社紹介していく。
「経営理念」を具現化した3社の「事例」
【1】外食レストランJ社~「マネジメントのクオリティを高める」アプローチを活用
郊外型ロードサイドを中心に積極的なチェーン展開を推進しているJ社では、さまざまなツールや仕組みを活用し、社員やアルバイトへのきめ細やかな評価を行い、動機付けを図り、収益性の高い店舗経営を実現している。これも、経営理念を具現化する際に、上記の「経営品質」のアプローチを活用しているからだ。
■各自に「経営の自己診断書」を渡していく
J社の処遇体系は「資格給」と「職務給」で構成されるが、年齢・経験に関係なく「成果主義」を実践している。その際に用いるツールが「目標管理シート」。これを基に、3ヵ月に1度、評価を行っている。この「評価シート」は、特に変わった形式のものではない。実にシンプルであっさりしたものだが、他と違うのはそこに記入する事項に対する「考え方」。経営品質を反映した内容で、評価を行っている点がミソである。
例えば、アセスメントの結果は、店舗別や部門別をはじめ、個人別にも3ヵ月ごとに各々の項目のポイント上下が見られるようになっている。『情報の共有化』という項目であれば、「データが戦略に役に立つように検討されているか」「課題が明確化されているか」「戦略は有効か」といったポイントについて、全社員、全店舗ごとにチェックできる。こうした多々ある項目について細かく検討していくことで、改善すべきポイントの抽出が可能となる。まさに「経営の自己診断書」が渡されたようなものだろう。
さらに、別途実施している「お客様アンケート」の中で、重要と思われる項目をピックアップし、ポイントをさらに絞り込む。それが、目標管理シートの中に組み込まれる、という一連の流れとなっている。このように“選択と集中”された内容だからこそ、単に人事側面から見た目標管理シートとは大きな違いがある。
■「経営指標」も全社的にオープン
さらに、経営に関する様々な指標を全社的にオープンにした。「売上高」「人件費」「一般管理費」「営業利益」など、部門別・店舗別に損益に関わる指標全てを誰もが見ることができる。この結果、収益力が急激にアップしてきた。各店舗による経営的な位置付け、強み・弱みがはっきりと示されるわけだから、良い意味で“尻に火が点いた”状態となる。各店長が自立的に行動を起こし始めたのは言うまでもない
「他店と比べて売上高が低いと判断すれば、これまで休みだった1月1日を営業できないものかと考えるでしょう。そのためには、人員のローテーションをはじめ、メンバーへのモチベーションアップ対策など、様々な施策を講じる必要があります。そのことにより、店舗のさらなる活性化、効率化が図れるという好循環を生んでいます」
こうした「経営計画」は自分たちで作っていくという取り組み姿勢は、同社の企業ポリシーである「自主性」「創造性」「チーム・エンパワーメント」を育む源ともなっている。「人材」に対する考え方も、社員とアルバイトは同じ。またJ社では、「顧客本位で物事を考える」「独自の能力を持つ」「社員重視」「社会への貢献」の4つを企業理念として掲げており、それに基づく8つの「約束事」を定めている。
1.約束事を守ります
2.嘘をつきません
3.愚痴・陰口を言いません
4.トライする前にできないと言いません
5.失敗を他人のせいにしません
6.積極的に発言し、果敢に行動します
7.他人の意見を聴きます
8.人として恥ずかしいと思うことはしません
何かあったときには、これを優先する。そして、常に意識できるように「カード」として持ち歩くことで、行動がぶれなくなるという。アルバイトも入社する際に、上記の約束事を記した「誓約書」を書かせている。
■「暗黙知」を「形式知」とするツール
トップのビジョンを末端まで徹底するには、きめ細やかな施策・ツールの活用がポイントとなる。その一例が「情報カード」。社員のみならず、現場のアルバイトに至るまで情報の共有化を推進し、経営トップに直接情報カードを介して意見を具申できるものだ。「お客さんからクレームを言われたら赤い紙に書く」「褒められたら青い紙に書く」「自分の意見があったら、白い紙に書く」の3種類のカードを各店舗に備えている。
注目すべき点は、社長がこれに対して一つひとつ丁寧に返事を書いていること。その結果、自分の提案がメニューに載ったり、店のオペレーションが変わったりするケースも出てくる。アルバイトが「会社は自分たちのことを大切に思ってくれている」という思いを持つことは、想像に難くない。
こうした地道な努力を積み重ねた結果、現場で起こっていることがダイレクトに分かり、その対策を共有化することができてきた。「暗黙知」を「形式知」とするツールと言えようか。そして、これらが組織のノウハウとして蓄積されることにより、経営理念を実現するための組織の機能、サービスレベルが向上していき、ミスやトラブルを未然に防ぐことへとつながっているのだ。
【2】オンラインショップ運営I社~経営者自らが陣頭に立って人材を育成
会社経営で重要なのは、経営理念、そして社長が何を考えているかを、いかに社員に伝えていくかであろう。I社では、社員とのコミュニケーションを図る朝会や食事会のほか、「社長塾」で中核となる人材の育成にも力を注いでいる。I社は、社長が総合商社に在籍していた当時、社内ベンチャーとして始めたもの。社内外を対象にインターネットビジネスの応募が行われ、その第1号となった。
■「誇り」「信頼」「I 社スピリッツ」を企業理念として掲げた
「企業理念」として、「誇り」「信頼」「I社スピリッツ」の3つを掲げている。特に、「誇り」については、社員の満足度を高めるため。また「信頼」は、人そして組織として良いこと、正しいことを行うことで、広く社会に貢献していきたいという思いがある。そして、「I社スピリッツ」。自主性、勤勉さ、謙虚さ、互助の精神、熱意を持つ全従業員により新しい価値を生み出すことを求めている。と同時に、これが同社の「人材理念」へつながっていく。
ネットビジネスでは、常に新しいアイデアが求められている。しかし、重要なのはそのアイデアをいかに育てて大きくしていくかということ。そのためにこうした企業理念を掲げ、実践していく必要があるという。さらに、それをI社の「行動規範」として記している点も見逃せない。
■自社の文化を理解し、コミュニケーションを図る機会を設けた
I社の場合、ほとんどが中途採用の人材。当然、皆のバックグラウンドは異なり、それぞれ違った価値観・目標を持っている。その上で、I社の文化にどう馴染んでもらうのか、同じ方向へとベクトルを向けていくのか、ということに対して、常に工夫をしている。社長との食事会などを通して、I社の文化を理解してもらうようにしているのはその一例だ。
「入社以降、社長と話す機会というのは少ないので、全社員を均等に分け、8~10人単位で行っています。夜のディナーは都合が悪いという人には、ランチで対応。両方をうまく利用して、会社の将来などについて、皆で語り合うようにしています」
毎週1回の月曜日の朝会、そしてディナー・ランチを共にし、同じ釜の飯を食うことによって、お互いに理解を深め合う機会を用意しているのだ。
■「社長塾」で中核となるメンバーを育てる
そして、自ら先頭に立つ「社長塾」を開始した。8人いる部長と4人のチーム長、そして5人のチーム長候補と、合計17人を対象としている。これらI社の中核を担うメンバーに対して課題図書を与え、ビジネスの基本について勉強させている。
その際、17人が各々チームを組んで、発表するというスタイルを取っている。ここで重要なのは、自ら「考える」ということ。日々の仕事に忙しくなると、じっくりと物事を考える時間がない。「ロジカルシンキング」「マーケティング」「ブランディング」といったテーマが与えられ、まずはじっくりと考える。そして、考えた結果を皆の前で「発表する」。そのプロセスの中で、社長の思いや考えとすり合わせを行い、最後は1つにまとめていく。こうしたセッションを月に1回、合計で5回行う。さらに、それが最終的に事業戦略へと落とし込まれていく、という流れとなる。非常に手間暇をかけている。
創業時、社長一人で事業戦略を考え、皆がそれに従って仕事を進めていくという形を取っていたが、これではこの先のさらなる成長が見込めない。だから、「社長塾」では中核となるメンバーを巻き込み、皆で事業戦略を作るということを主眼に置いている。
■「力関係」を浮き彫りにする理由
部長だけではなく、チーム長やチーム長候補を入れたのには、理由がある。中核となるメンバー全員が集まることにより、誰が優秀で、誰がダメなのかが一目瞭然となるからだ。会社の中で誰が一番よく考えているのか、誰の意見が最も説得力があるのか、といった諸々の「力関係」が浮き彫りとなるのだ。一方で、期待に添えなかった部長にとっては、奮起を促される場となる。そして、こうした実態を皆で共有することで、組織としての結束力が生まれることになっていく。これらの相乗効果を期待して、意図的にこうしたメンバー構成にしたというわけである。
「若い会社ですから、中途で入ってきた人でも優秀でやる気があれば、その意見をどんどんと吸い上げていくので、自ずと相応しい役割が決まってきます。それが、組織としての原動力となっていくわけです」
変化の激しいネットビジネスの中で、リーダーシップにより経営理念を具現化させていった好例と言えるだろう。
【3】タクシーM社~「気づき」を促す機会を設け、自ら判断・行動していく人材を育成
M社は、経営理念として掲げる「お客様から選ばれるタクシー」を実現するために、乗務員教育を徹底している。乗務員が楽しく、やりがいを持って仕事ができれば、お客様に最高のサービスが提供できると考えているからだ。
■全ては「経営理念」を実現するために…
後に二代目となる社長が入社した当時、乗務員のマナーの悪さを目の前にし、人材教育の必要性を痛感したという。「乗務員講習会」を導入し、一方通行での押し付けではなく、共に議論し、自分たちで「あるべき接客法」を考えるアプローチを推進した。合わせて、勤務形態を「隔日勤務」から「半日勤務」に変更するなど、乗務員の労働条件改善に取り組んでいった。さらに、不況と規制緩和を乗り切るため、「受け待ち」「流し」から配車依頼のみで営業する「無線タクシー」へとスタイルへと転換していった。「お客様に愛され、必要とされる会社を目指す」をポリシーとし、現在では介護タクシー、子育て支援タクシーなど、さらなる地域密着に根差した戦略を推し進めている。これらは全て、「経営理念」を実現するために行ったことである。
■乗務員の「意識改革」へと取り組む
M社は、配車依頼の電話だけで成り立っている珍しいタクシー会社。大都市圏では当たり前の駅での「付け待ち」、街中での「流し」をしないで経営できるのは、お客様からの指名が数多く舞い込むからである。配車依頼なので、経営効率は良く、業績も安定している。これを実現できるのも、乗務員のサービス、応対が非常に良いから。しかし、この状態になるまでには、乗務員に対する教育、環境整備への地道な取り組みがあった。
タクシーはお客様に乗ってもらって、初めて商売となる。ところが、当時の乗務員は「お客様」という意識が皆無で、「車に乗せてやっている」「文句を言うのはお客が悪い」という状態。「これだったら、タクシー会社はやらないほうがいい」と先代社長に進言すると、「乗務員から良くしていけばどうか」と言われる。乗務員が良くなれば、お客様からの苦情もなくなる。苦情がなくなれば、仕事につながる。そうすれば、利益も出るようになる。つまり、「意識改革をしなさい」ということだった。とはいえ、ベテラン乗務員が多い中、「押し付け」で言っては効果が薄い。
「意識改革を行うには、まずは本人の気づきが必要。そして、気づいてもらうには時間もかかる。実際、話をしていくと、1時間から1時間半は当たり前で、3時間以上におよぶケースもありました。ただ、そこまで話をしていくと、本意が分かってもらえる。すると、その人は同じような過ちをしなくなります」
とはいえ、やはり個別の教育では限界がある。全員を対象とした「集合教育」の必要性を感じた。集合教育によって情報を皆で共有し、同じような過ちをなくしていこうと考えたのだ。
■「乗務員講習会」で、皆の「気づき」を促していく
月に1度、全乗務員を対象とした月例の「乗務員講習会」を開始することにした。開催日は毎月の「給料日」。給料を現金で支給しているので、参加率が高くなると思ったからだ。2時間ほど皆で話し合う機会を持ったものの、最初のうちは喧々諤々。苦情事例一つをとってみても、「それはお客が悪い」「そんなことを言うこと自体がおかしい」といった具合。自分の落ち度を棚に上げて人のせいにする。あるいはできない言い訳。そんな話ばかりだった。特に声をよく出す人、声の大きい人は、そういう傾向が強かった。
ただ社長も、「そうですか」とはいかない。「確かにそういう側面もあるかもしれない。でも、こうやっていれば、また結果は違っていたかもしれないね」といったように、相手に気づきを促すような方向に話を持っていった。すると、不思議なことに状況が落ち着いてきた。今まで大きな声を出していた人の声が小さくなっていった。逆に、今まで声を出さなかった人たちが、「確かにお客も悪いかもしれないが、乗務員がもうちょっとこういう言い方をしていたら、また違った結果が出たかもしれない」「それより、こういう言い方のほうが良かったのでは」といった改善策を提案するようになってきたのだ。
そして、1年を過ぎたころには、ガラッと雰囲気が変わった。「こういうやり方をすれば良かった」「今度は、こういうことに気を付けていこう」など、ポジティブな意見が数多く出るようになったのである。また、それは自分たちが自ら発した声だから、当然のごとく実行するようになっていった。
恐らく、会社側からの押し付けで「こういう苦情があったから、こういうことをしないように」と告げ、「はい、分かりました」では、雰囲気は変わらなかっただろう。皆の話し合いの中から自発的な発言が出てきたからこそ、気づきが生まれてきたのだ。まさに、経営理念を浸透させるための効果的なアプローチを見た思いがする。
■「旗振り役」としての人事部に期待
ここに紹介した3社は、経営理念という「拠り所」を持ち、それを具体的な施策へと落とし込んだ経営を目指し、独自のリーダーシップの下、それを絶えまなく行ってきた。その結果が、企業の業績にも大きく表れている。しかし、拠り所を持っていない多くの企業は、「成果」ばかりを求め過ぎ、事前にやらなければならないことができていないように思う。だから、昨今のような大きな不況が来たときには、土台や柱のないテントのような組織しか作っていなかったため、あっという間に吹き飛んでいってしまう。
その意味からも、経営と現場をサポートする人事部には、制度・施策を作るだけではなく、「旗振り」としての役割を期待したい。つまり、全社員が経営理念を正しく知り、マネジメント層が自分の言葉で語れるようになり、実践を通して伝承していくためのサポートである。さまざまな機会を通して、経営理念を社内に根付かせていくのだ。経営理念を「知る」→「理解する」→「実践・伝承する」というサイクルで回していくことによって、理想と現実のギャップを改善し、スパイラルアップしていくことを期待する次第である。
そうすることで、社員は全てのことに「意味」や「価値」を見出せることだろう。これが、経営理念を実現する人材マネジメントの本来の目的である。こういう組織は、本当に強い。