人事部がスポーツ、そしてサッカーから
得られるヒントとは何か?
日本経済新聞社 編集局 運動部 編集委員
武智 幸徳さん
景気悪化が進む中、環境変化に対応できる組織と人材を育てることが急務の課題となっています。このような時代だからこそ、ビジネス以外の世界であるスポーツ、なかでもワールドワイドで行われているサッカーから学ぶことが少なくないように思います。サッカーは、状況に応じて、瞬時に判断を下していく決断力と自立的な行動が求められるスポーツ。まさに、変化の激しいビジネスの現場にも通じる部分があるのではないでしょうか。今回のゲスト・武智幸徳さんには、長い間さまざまな現場でサッカーを見続けてきた記者としての経験を踏まえ、企業が組織と個人をいかにマネジメントしていくかという視点から、お話をうかがいました。
たけち・ゆきのり●1961年兵庫県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、日本経済新聞社に入社。自ら運動部への配属を希望し、以来、アマチュアスポーツ、大相撲、ボクシング、プロ野球、サッカーなどさまざまな競技を取材してきた。ビッグイベントについても、五輪をはじめ、サッカーのワールドカップ、欧州チャンピオンズリーグ、アジア大会など数多くの「修羅場」を経験している。日経本紙でのチームマネジメントに対する明晰な分析と親しみやすい文章には読者が多く、とりわけサッカー日本代表監督へのインタビューでは、独自の視点から歴代監督の人となりや戦術を見事に浮き彫りにしている。運動部・部長を経て、現在は編集委員。著書に「敗因の研究」(日本経済新聞社・共著)、「サッカーという至福」(日経ビジネス人文庫)などがある。
スポーツは社会に活力を与える
毎朝、スポーツ記事を楽しみに読む社会人はとても多いように思います。武智さんが記事を書く際に、心がけていることは何ですか。
務めて、明るい話題を提供したいと思っています。今のようなご時世では、余計にそういう思いが強いです。先般のWBCや五輪、サッカーのワールドカップなどを見ても分かるように、スポーツの持っている意味・意義は計り知れません。見ている人を鼓舞していく、さらには「人間ってスゴイ」「日本人でよかった」といった感動を与えていくことが、スポーツの大きな役割の一つではないでしょうか。
また、「するスポーツ」だけでなく「観るスポーツ」の対象がバラエティーに富むようにもなりました。最近はこの「観るスポーツ」の果たす役割が非常に大きくなってきたように感じます。いろいろな競技で職業としてのスポーツが成立するようになり、お金を払ってまで観たいと思う人たちが出てくるまでにスポーツが成長してきたと言えるでしょう。
そうした時、別に暗い気持ちになろうと思ってスポーツを観るわけではありません。明日の生きる糧につながったり、生きる気力を奮い立たせるため、と考えるのが普通です。事実、それを報道する我々も、必要以上に人を暗くするために紙面を作っているわけではありません。基本的な考え方としては、紙面に明るさというのは絶対に必要です。
もちろん、何も問題意識を持たずに、記事を書いているわけではありません。新聞記事ですから、問題提起することはあります。是々非々を貫く――つまり、中立的な立場を守り、冷静な報道というのも常に心がけています。
スポーツとビジネス社会は相性がいい
日本のビジネス社会では、昔からスポーツを語ることが職場の内外で頻繁に行われています。
日本固有の現象なのかどうかは分かりませんが、ビジネス社会でスポーツがよく引き合いに出されるのは、試合の結果がはっきりと表れるからではないでしょうか。それは、企業にとっての業績のようなもの。何よりスポーツでは、業績を出したチームと出なかったチームが目に見える形ではっきりと示されます。
では、なぜ明暗が分かれたのかを考えた場合、そこにはマネジメントの違いが大きく関係しています。あの監督がこんな采配をしたから、こんな結果が出たといった類の話が「可視化」された形で、毎日のように新聞やテレビで報道されていきます。昨今ではベンチワークだけでなくフロントの力もうんぬんされるようになりました。いわばビジネス社会で繰り広げられる諸々の出来事と同じようなことが、スポーツの世界では衆人監視の中で繰り広げられるわけです。
特に野球では、送りバントや盗塁、選手交代など監督の采配の一つひとつがすぐ結果として表れます。それはまるで、管理職の手腕が凝縮された形で示されたようなもの。だからこそ、プロ野球監督の采配の如何が、観る側にとっては議論の種になりやすいです。このような意味から言っても、スポーツとビジネス社会は非常に相性がいいように思います。
野球の場合は、特に“采配議論”がしやすいスポーツですね。では、サッカーはどうでしょうか。
1993年にJリーグができたことによって、サッカーは日本人にとっては新しいスポーツとして登場しました。とにかく「見た目」が野球とまったく違ったし、監督の位置付けも違っていました。サッカーでは試合が始まると、ハーフタイム以外、監督は口出しできません。一方、選手は自由にグランドを動き回り、それがまた生き生きとして見えました。実際、当時のヴェルディ川崎などは監督よりも選手のほうが偉そうに見える、といった雰囲気がありました。それまで野球ばかり観ていた人には、こういう関係性もありなのかと思ったのではないでしょうか。
その頃、「野球型組織」と「サッカー型組織」の是非が問われたように記憶しています。
バブル崩壊後の1990年代、企業においてもピラミッド型からフラット型組織への移行が叫ばれた時代です。ビジネスの現場では、新しいマネジメントのあり方が模索されていました。偶然ですが、まさに野球からサッカーへと人々の関心が移っていった時期とシンクロしています。そういう点でも、サッカーは非常にインパクトを与えました。もちろん、当時のJリーグ関係者はそんなことは意識していなかったとは思いますが、ブームが起きるときというのは、まさにこういうタイミングなのでしょうね。
その後、日本のサッカーもこの10数年で成長してきました。
「ドーハの悲劇」があった1993年の頃を思うと、まだまだ日本サッカーはナイーブでした。ワールドカップの最終予選、2-1でリードしていたのにも拘わらず時間稼ぎができなくて、終了間際に追いつかれてしまい、本大会に出られなかったのですから。それが今では、小学生でも勝っている試合では、残り時間が少なくなると時間稼ぎをします。本当に、時代は変わりましたね。小学生のこうしたプレーを見て、「子どもらしくないな」と思うものの、勝つために何をすべきかといった「リアリズム」を着実に身に付けつつあるわけで、これはこれで評価すべきことなのでしょう。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。