日本の人事部 HRアカデミー2018 夏期講座スターバックスの人材マネジメント
~企業文化をベースとした組織開発への挑戦~
いま多くの企業では、従業員のエンゲージメントをいかに高め、それを維持していくのかが課題となっている。スターバックス コーヒー ジャパンは独自の企業文化をつくり出し、それをベースにエンゲージメントを醸成、組織開発に活かしている。どうすれば従業員はエンゲージメントを高め、企業のために頑張りたいと思うようになるのか。同社人事部長の久保田美紀氏が、その実態について語った。
- 久保田 美紀氏(クボタ ミキ)
- スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社 人事本部 人事部 部長
ドイツ系IT企業で採用・教育・部門人事を経験した後、2010年スターバックス コーヒー ジャパンに人材開発部長として入社。リテイルおよびサポートセンターの人材開発・組織開発に従事した後、2016年より人事部長に就任、現在に至る。米国CCE,Inc.認定GCDF-Japanキャリアカウンセラー。
改定した「Mission & Values」で「人間らしさを大切にした成長」を宣言
スターバックスでは、ミーティング前などによく行うアイスブレイクがある。久保田氏は、HRアカデミーの冒頭でそれを再現した。
「緊張感を解いて場の雰囲気を和ませることを目的に、当社ではコーヒーのテイスティングをよく行っています。皆さんもやってみましょう。コーヒーテイスティングには、四つのステップがあります。最初は、カップに鼻をつけて、香りを嗅ぎます。次は、すすって口に含みます。三つ目のステップでは、舌の上にコーヒーを広げます。最後に、自分の言葉で味を表現してみてください。どんな表現が出てくるでしょうか」
コーヒーテイスティングが終わり、いよいよ本題へ。最初に久保田氏はスターバックスの現状を紹介した。スターバックス コーヒー ジャパン株式会社は、米国スターバックスによるTOB(株式公開買い付け)により、2016年秋に完全子会社化。本体のスターバックスは2017年4月にCEOがハワード・シュルツ氏からケビン・ジョンソン氏に交代し、新たな体制となった。
現在、スターバックス コーヒー ジャパンの従業員数は約3万5000人で、そのうち8割がアルバイト・契約社員。1店舗あたりの在籍数は25~26名で、そのうち社員は2~3人だ。店長とアシスタントストアマネジャーの2名だけが社員、というところも多い。アルバイトの6割は学生で、その多くは卒業時に辞めるため、毎年1万人以上の人員が入れ替わるという。
「当社は2002年に赤字へ転落しましたが、翌年には黒字回復。2013年に国内1000店に到達し、現在は1363店です。そのうち、直営は95%。直営で1000店以上を展開する飲食チェーンは、国内では他にはないと思います。ただし、スターバックスはチェーンではありますが、店舗ごとに店づくりや運営に個性があり、チェーンであってチェーンでないものを提供しています」
このような独自の考え方は、人材育成にも表れている。スターバックスは企業文化を軸に人材を育成。アルバイトを含めた従業員のすべてを「パートナー」と呼んでいる。1990年にミッションステートメントを制定し、これまでに4度の見直しを行っている。直近の変更は2016年に制定された“Mission & Values”だ。
「スターバックス コーヒー ジャパンでは、米国本社から届いた“Mission & Values”を英文訳のまま使用しませんでした。組織ごとの代表が集まって、3ヵ月にわたり話し合い、自分たちの言葉で意味づけをして完成させたのです」
同社が定めた「Mission & Values」のうち、2016年の変更でもOUR MISSIONは変わっていない。
「人々の心を豊かで活力あるものにするために――
ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」
変更されたのは以下のOUR VALUESの部分だ。
「OUR VALUES
私たちは、パートナー、コーヒー、お客様を中心とし、Values を日々体現します。
お互いに心から認め合い、誰もが自分の居場所と感じられるような文化をつくります。
勇気をもって行動し、現状に満足せず、新しい方法を追い求めます。スターバックスと私たちの成長のために。
誠実に向き合い、威厳と尊厳をもって心を通わせる、その瞬間を大切にします。
一人ひとりが全力を尽くし、最後まで結果に責任を持ちます。
私たちは、人間らしさを大切にしながら成長し続けます」
このOUR VALUESをベースにして、ビジネスのすべてが回っていると久保田氏は語る。そして、自分たちのブランドはどうあるべきかを再定義したものが「Moments of Connection(つながりの瞬間)」だ。
「コーヒーを通じて心からつながりを感じる、一瞬でもそんな時間を共有できたら、ちょっとしたことでも誰かにとっては最高に幸せな瞬間になるでしょう。スターバックスのどこのお店でも、コーヒーを飲むたびに、毎回そんな瞬間が訪れるなら、お客様や私たちだけでなく、世界に明るい未来が待っています。
人事を含めた店舗以外の機能を、社内ではサポートセンターと呼んでいます。間接部門では目の前にお客さまがいらっしゃいませんが、私たちはお世話をするパートナーがどうすれば喜んでくれるのか、わくわくしてくれるかを想像しながら、サポートの中身を考えています」
「ここで自分を変えたい」「何かを成し遂げたい」と語る人材を積極採用
次に久保田氏は、スターバックスにおけるエンゲージメントについて解説した。最初に話したのは「エンゲージメント」と「ロイヤルティ」の違いについて。エンゲージメントは、企業や商品、ブランドに対して、ユーザーが愛着を持っている状態を指す。従業員エンゲージメントとは、従業員が自社に愛着を持っている状態のこと。それに対してロイヤルティは直訳すると「忠実」「忠誠」といった意味であり、会社と従業員の関係におけるロイヤルティとは、従業員が会社に忠誠心を持っている、忠実に行動している状態といえる。
「なぜ今、エンゲージメントという言葉が私たちの心に刺さってくるのか。エンゲージメントは会社側で一方的につくられるものではありません。相手があってこそ、生まれるものです。実は私たちも、この点で何度も失敗を経験してきました。そのたびになぜ失敗したのかを考え、パートナーと対話し、修正してきました。私たちは常に試行錯誤しているのです」
では具体的に、エンゲージしている社員の特徴とは何なのか。久保田氏は「能動的、自律的な行動を取る」「仕事や組織に対する強いオーナーシップを持つ」「同僚やチームに対する信頼感と敬意を持つ」「目的を達成するための努力を惜しまない」「自己成長の欲求が強い」の五点をあげた。
「皆さんはスターバックスの店舗に行ったとき、どの人がアルバイトで、どの人が社員かわかりますか。パートナーは一人ひとりが自分の店だと思って行動していますから、全員がエンゲージしている状態に見えるのではないでしょうか。スターバックスのマネジメントではよく『マニュアルがないのに、よく主体的なサービスができますね』と言われます。社内にメニューづくりのレシピはありますが、サービスに関するマニュアルはありません。基本的な行動はパ―トナーに任せています。そのため、一人として同じサービスをすることはありません」
同社が常に意識しているのは、スターバックスが大切にしたい価値観と個人の価値観、その重なった部分に生まれる共感の要素だ。
「アルバイトの入社面談でも、個人が大切にしている価値観を一人ひとり聞いています。何か一つでも会社の考えと重なるものがないか、と探しています。一つでも重なりがあると、それが共感のポイントになるのです」
例えば、最初は働きたい理由が「スターバックスに憧れていた」とか「雰囲気が良さそうだ」といった表面的な言葉でも、なぜそう思ったのかを繰り返し聞くと、「人見知りだった」「人とのコミュニケーションが苦手だった」など、自分の弱みとのつながりが見えてくることもある。
「私たちは、そういう人を積極的に採用しています。小さな目的意識でもいい。スターバックスで働くことで自分を変えたい、ここで何かを成し遂げたい、と思うような人材です。現場の店長たちも、面談で何か一つでも共感点が見つかれば『いかようにも育てますよ』と言ってくれています。店長に育成を任せられる環境にあるので、私たちはその入り口で価値観のすり合わせに注力できるのです」
異なる言葉を選ぶほどに対話が深まる「価値観ワーク」
続いて、グループワークが行われた。スターバックスですべての従業員が行っている「価値観ワーク」だ。ここで配布されたシートには「責任 協力 平等 成長 熟練 感謝 精神力 冒険 管理 卓越 幸せ 開放 知識豊富 組織 利他主義 正確 刺激 正直 指令 他者への尊敬 地位……」といった価値観に関する単語が84個並んでいる。
「自分が大事と思うものを三つ、5分間で選んでください。そして、なぜそれを選んだのかを考えて、グループで議論してみてください」
討議後の参加者からは次のような声が聞かれた。
「人によって選ぶものは全く違う、と思いました。価値観が完全な個人だったりチームの中での自分だったり、さまざまだと感じました」
「選んだ三つはほとんど重なりませんでした。しかし、個々に理由を聞いてみると『それは違うな』と思うことがほとんどなかったことが意外でした。人の価値観の多様性を体感できたように思います」
ここで久保田氏は「価値観を話していて、各々が違っていいと感じられたのではないか」と語った。
「確かに選ぶものは違います。ただ、どの言葉を選んでも、スターバックスの店舗における出来事に通じるものばかりで、そこから話も広がっていきます。相手も同じ思いをしているとわかれば、そこから対話も生まれます。ただし、価値観は人や経験の影響を受けるため、ずっと同じということはありません」
次に久保田氏はスターバックスで面談時に重視している質問を紹介した。「Why you're here?(あなたがここにいる理由を教えてください)」という質問だ。
「面接で聞いても、答えられる人はほとんどいません。でも働いているうちに、自分がなぜここにいるのかと考えることは、誰にでもあると思います。ここで実際の例として、最近入社した社員に話してもらいたいと思います」
ここで登場したのは、人事部の香内さんだ。昨年10月に中途採用で入社し、現在は聴覚障害のパートナーを中心とした、サイニング(Signing=手話)スターバックスという店舗のプロジェクトも担当している。
ここで1本のビデオが上映された。映像は聴覚障害のパートナーを中心としたサイニングスターバックスを運営する様子を紹介したものだ。
「3月に鎌倉の店舗でトライアルを行った際に撮影したビデオです。『マレーシアにあるサイニングスターバックスを日本にもつくりたい』という聴覚障害のパートナーの声がきっかけでスタートしました。私もプロジェクトスタッフとして参加しています。マレーシアの店舗は私も視察しましたが、実際に客としてパートナーに接して感じたことは、障害も個性だということです。さきほどの価値観ワークで私が大切にしているワードは『成長』『他者への尊敬』『多様性』。聴覚障害のパートナーにとって、サイニングスターバックスが自分の居場所と思えるものになれば一つの『Mission & Values』を体現できるのではないかと思います。これからはこのミッションに対する共感の輪を、社内外に広げていきたいと思っています」
久保田氏は、サイニングスターバックスのプロジェクトが、上からの指示がなくても、自然にどんどん進んでいると語った。
「自分の思いと仕事が重なれば、仕事はどんどん進んでいきます。元CEOのハワード・シュルツは『人が、自分の勤める会社とつながりを持つことができれば、会社と心の絆を結ぶことができれば、会社の夢を実現するための一端を担おうと思うことができれば、人は物事をより良くするために心を注ぐでしょう』と言っています。会社と個人のつながりの中にこそ、エンゲージメントのヒントがあるのではないでしょうか」
「長く続く関係や人間としての繋がりを築いている時、私たちは最高の状態にある」
次に久保田氏は、スターバックスにおける人材マネジメントについて解説した。スターバックスにおける人材の成長のステージは3段階ある。フェーズ1は「自己存在の証明」。この職場にいていい、と思えることだ。フェーズ2は「自分に対する期待感」。自分への期待が高まると自ら動き出す。そしてフェーズ3は「他者への影響」。自分だけでなく他者に影響を及ぼしたくなる。例えば、学生のアルバイトは2年ほど経つとその多くの人はバリスタトレーナーとなり、人を教える立場となって新人の成長を助ける。
「3段階を話題のアドラー心理学で捉えると、次のようになります。フェーズ1は『自己受容』。自分を知り、自分を社会に役立てようとする。フェーズ2は『他者信頼』。人からフィードバックをもらい、自分で解決する。最後のフェーズ3は『他者貢献』。自分を変えた方法で他者を変えようとする。この他者貢献はやったほうもハッピーな気持ちになります。このような行動がエンゲージメントのベースであり、こういった共同体での感覚が店舗全体へ、地域コミュニティへと広がります」
では、スターバックスにはどのようなエンゲージメントを高める人材育成メカニズムがあるのか。スターバックスのOJTのメカニズムには4段階があり、その中にミッションと個人のとった行動を意味づけするプロセスが埋め込まれている。第一段階は「ミッションへの共鳴」。第二段階は「ビジョニング&ロールモデル」。店舗ごとにビジョンを掲げており、そのことへの共感が問われる。第三段階は「コーチング&フィードバック」。店舗内で何度でも行われる。そして第四段階は「内発的動機の醸成」。自身の考えが自身を動かす原動力となっていく。
「OJTのサポートツールとして『グリーン・エプロン・カード』があります。パートナーが『Mission & Values』に沿った行動を見つけたら、カードに感謝の気持ちを書いて渡す、というものです。上司が部下に渡すだけでなく、部下が上司に渡すこともあります。これにより、パートナー同士で行動を認め合う文化が育っています」
スターバックスは、具体的に人事考課や目標設定をどのように行っているのか。ここで久保田氏は「パフォーマンス マネジメント シート」を紹介した。そこに書かれるのは主に「個人の成長目標」と「パフォーマンスに関する目標設定」だ。
「『個人の成長目標』には、将来の目標や個人が思い描く理想の人物像や行動など、スターバックスでの仕事を通して身に付けたいこと、なりたい姿などを書きます。例えば、入社時に『コミュニケーションがとれない自分を変えたい』という思いがあれば、これからどんなコミュニケーションを心掛けるのか、どんな行動を取るのかを書きます。バリスタなら4ヵ月に1度人事考課があるので、そこでシートの見直しを行います。次に『パフォーマンスに関する目標設定』には自分のミッションを果たし、店舗のビジョンを実現するために、お客様や一緒に働くパートナーに対してどう貢献するのか、具体的なパフォーマンスについての目標を書きます」
最後に久保田氏は、スターバックスにおけるカンバセーション(対話)アプローチの考え方を紹介した。その考えを表しているのは、ハワード・シュルツ氏の言葉だ。
「長く続く関係を築いているとき、人間としてのつながりを築いている時、スターバックスは最高の状態にある。私は常々そう言っている。このブランドの真髄なのだが、達成するのは簡単ではない」
「人と人のつながりをつくっていく。作業は単純でも、簡単なものではありません。自分たちが日々行うことが常に合っているかというと、そうではないこともよくあります。だからこそ対話を通じて、自分たちの組織をどうより良くできるかについて考えなければならない。人事でも、組織をどの方向に開発していくのかを、一昨年から考え始めています」
スターバックスでは一昨年から、パフォーマンス評価のレーティングをなくす作業を開始している。1年目にサポートセンターで導入し、昨年秋からは店舗の社員にも導入。今は人の関わり方を「レーティングを軸とした対話」ではなく、「成長を軸とした対話」へと変えている最中だ。
「スターバックスは人を軸にビジネスを行ってきました。私たちは人を大切にし、人の成長を通じて会社のビジネスを成し遂げてきたところに原点があります。対話は難しいものですが、『その原点になぞらえれば、できないことはない』と言い聞かせて、よりよい対話の実現にトライしています。本日はどうもありがとうございました」