ATD 2017 International Conference & Expo 参加報告
~ATD2017に見るグローバルの人材開発の動向~
〈取材・レポート〉株式会社ヒューマンバリュー 取締役主任研究員
川口 大輔
基調講演から学ぶ
ATDでは、さまざまな分野におけるオピニオン・リーダーや有識者、経営者や実践家による基調講演が行われます。基調講演がカンファレンス全体の議論や傾向に、大きな影響を与えます。
困難な道を歩む(講演者:マーク&スコット・ケリー兄弟)
マーク&スコット・ケリー大尉(Captains Mark and Scott Kelly)
共に米国海軍のパイロット・NASA宇宙飛行士を務めた経験のある、一卵性の双子の兄弟。宇宙と地上に分かれ一年間を過ごし、NASA初の双子実験に多大な貢献をしたことで知られています。著書に、兄弟の少年時代の体験をもとに書かれた子ども向けフィクション小説『ASTROTWINS』があります。
最初の基調講演者は、一卵性双生児の宇宙飛行士である、マーク&スコット・ケリー兄弟です。マークは、NASAを退職するまでの15年の間、50日以上を宇宙で過ごし、2011年のスペースシャトル「エンデバー号」の最後の飛行、「ディスカバリー号」の指揮を執りました。彼は世界中で二人しか存在しない、国際宇宙ステーションを4度も訪れた人物のうちの一人です。そして、スコットは、米国で1年を通して活躍する宇宙飛行士として、2015年3月から2016年3月の間、ロシア人宇宙飛行士のミハイル・コルニエンコ氏とともに、だれも見たことのない国際宇宙ステーションからの中継インタビューで世界を驚かせ、新しい記録を打ち立てました。
講演は、ケネディ大統領のスピーチ、「我々はこの10年で月に行くことを選択した。それらが容易だからではない、それらが困難であるからだ」という言葉の引用からスタートしました。そして、彼らが生まれ育った、ニュージャージーから海軍を経て、NASAに向かうまでの彼ら自身の困難を乗り越えてきたジャーニーを、ユーモアと、自身がそこから学んだことを交えながら話しました。
彼らの母親は、ウェイトレスからニュージャージー州で初めての婦人警官になった人物です。自宅裏に体力テスト用の壁をつくって猛練習を重ね、合格を勝ち取った母の姿から、ゴールを定めて計画を立て、一生懸命に実行することの素晴らしさ、その価値を学び取ったというエピソードが紹介されました。
また、彼ら自身のキャリアも最初からうまくいったわけではありません。宇宙飛行士になるという夢を持った彼らは、アメリカ海軍に入りますが、当初は航空機の母艦への着陸がうまくいかずに、「この仕事に向いてないのではないか」と言われていたそうです。しかし、そうした失敗は、成功への決意をより強いものにしました。「何かにトライしたときの最初の出来は、最終的にどれくらい成功するかの指標にはなりません」とマークは言います。彼らは、計画を立て、一歩ずつステップを進み、最終的にチャレンジを乗り越えていきます。
また、宇宙ステーション滞在時の宇宙ゴミとの衝突危機の際のエピソードからは、そうした危機的な状況においても、自分がコントロールできないことに振り回されるのではなく、そのときに自分ができることに集中すること、見えているリスクに対しては、最も細かいことに注意を払ってリスク管理をすることの大事さを教訓として語っていました。
また、講演中は、背景に彼らが見てきた素晴らしい宇宙の背景が映っていましたが、宇宙から地球を見た時の感想を次のように述べていました。
「宇宙から惑星としての地球を見ると本当に真っ青で美しいことが分かる。こんなに美しいものを見たことはない。それと同時に、地球の環境のもろさも見て取れる。大気圏というのは本当に薄いフィルムで、これだけで地球は守られているが、実際に大気汚染が起きているところがある。そして、熱帯雨林が破壊されていることも分かる。また、宇宙から見ると、そこには国境線がないことに気がつく。一緒に何かをする、問題解決を行うということはどういうことかが分かる。宇宙から見ると本当のグローバルな考え方というものが分かってくる」
こうした彼らのストーリーから、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。ATDの中でも、VUCAやアジャイルといった変化の激しさを表す言葉が飛び交い、私たちはまさしく変化の海の中にいるといってもいいかもしれません。そうした状況だからこそ、外的環境の変化に振り回されるのではなく、ムーンショットとしての大きな夢を描いて、あえて困難な道に挑戦し、自分がコントロールできることに集中し、異なる視点を持った他者と問題解決を図っていく。そうした変化の時代を力強く生き抜くスタンスのようなものを感じ取った参加者も、多かったのではないでしょうか。
マーク&スコット兄弟は、最後に、”If we choose to do the hard things, then the sky is not the limit(もし私たちが困難な道を選択するのであれば、限界は空をも超えるのです”)という言葉で講演を締めくくりました。通常英語では、”Sky is the limit(限界は空まで高い)”という慣用句が、可能性が無限に広がっていることを意味して使われます。”Sky is not the limit”、つまり空ですら限界でない、という、宇宙飛行士として数々の困難を乗り越えてきた彼らだからこその言葉に勇気づけられた講演でした。
ストレスを力に変える(講演者:ケリー・マクゴニガル博士)
ケリー・マクゴニガル博士(Kelly McGonigal)
スタンフォード大学で心理学、神経科学から経済学まで最新の科学的成果を交えながら斬新な講義を展開。意志の力を扱った『スタンフォードの自分を変える教室』は世界的ベストセラーになっています。
二人目の基調講演者は、日本においても『スタンフォードの自分を変える教室』シリーズの著書で知られる、ケリー・マクゴニガル博士でした。同氏の著書、“The Upside of Stress(邦題:『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』、大和書房)”の内容をベースに、私たちのストレスに関する思い込みを打ち破り、バランスの取れた捉え方を行っていくことの必要性を提唱しました。
ストレスは、一般的には病気のリスクとなり、身体に害を及ぼすものとして扱われています。しかし、アメリカで3万人の成人の動向を8年以上追跡調査した結果からは、ストレスそのものではなく、「ストレスが体に悪い」と信じることが実際には悪影響を及ぼすのであり、反対に「ストレスが無害である」と信じていたことが死亡リスクを下げるといったことがわかってきています。
マクゴニガル博士は具体的に、ストレスと向き合う三つのマインドセットを指摘しています。一つ目のマインドセットは、「ストレスは、自分が利用できるエネルギーである」と捉えること。チャレンジングな状況に身を置いたときに、心臓の鼓動が速くなり、汗をかいたり、呼吸が速くなったりすることがありますが、その反応は、体や脳がチャレンジに向けて立ち上がっている証拠で、酸素が体中に行き渡り、能力が一番でるような状態を作ってくれます。マクゴニガル博士は、「心配や不安を感じることは問題ではないと知ることが大事です。それはあなたがステップアップする時期にいることを知らせてくれているのです」と語ります。
二つ目のマインドセットは、ストレスを抱擁すること。ストレスは、私たちの中の最高のものを引き出してくれます。アメリカ海軍の過酷な訓練を例に挙げ、人間は非常に深刻なストレス下に置かれると、その反応としてDHEAと呼ばれるホルモンが脳内で分泌され、恐怖を抑制し、冷静にアクションが取れ、ストレスレジリエンスが高まることが報告されています。そのようなストレス状況からの回復を経験することで、その後、もっと大きな困難に直面した際も乗り越えることができるようになるといいます。「ストレスフルな経験は、私たちが学び、育つための重要なパートなのです」とマクゴニガル博士は述べます。
そして、三つ目のマインドセットは、ストレスが私たちをより社会的な存在にさせるということ。ストレス環境の下では、社会的なつながりや共感を求めようとするホルモンであるオキシトシンの分泌が促されます。マクゴニガル博士が実際の体験談として、乱気流に遭遇した飛行機の中で、たまたま隣の席に座った老夫人が不安を博士に訴えたとき、自分も怖いことを伝えると、その夫人は博士の手を握り、博士を優しく支え励ます存在へと変容したというストーリーを紹介ました。こうしたマインドセットが表れるとき、私たちは、自分よりも大きな存在を感じ、自分ひとりでは何もできない、あるいはこうした経験をしているのは自分だけではない、という考えが生まれ、そこから他者を支援したり、他者に助けを求めるという行動が生まれるそうです。
マクゴニカル博士の講演は、ストレスに対する私たちのものの見方、マインドセットの大切さを気づかせてくれます。マクゴニガル博士自身も、ストレスの研究に着手する前は、「ストレスは健康に悪い」と信じて疑わず、また健康心理学者としてそれを力説してきたそうです。しかし、冒頭の研究成果を目にしたとき、見ないふりをするのではなく、自分の仮説が間違っていたのではないかと真摯に向き合い、より良い社会に向けて自分の考えを改めていったそうです。
限界まで人生を生きる(講演者:ローナン・タイナン氏)
ローナン・タイナン( Ronan Tynan )
生まれつきの身体障害に加え、事故で両足を失うものの、1981〜1984年のパラリンピックでは計18の金メダルを獲得、14の世界記録を達成。スポーツ医として働く一方で33才から声楽を始め、オーディション番組「Go for It」で入賞し、テノール歌手としても活躍しています。
最後の基調講演は、ローナン・タイナン氏による素晴らしい歌声とストーリーテリングにあふれたものとなりました。
タイナン氏のスピーチは、Celtic Thunderの“Ride On”の歌唱から始まりました。テノールの響きに会場が圧倒されながら、タイナン氏のこれまでのライフ・ジャーニーが、困難を感じさせない、ユーモアに富んだ口調で語られました。
タイナン氏は、生まれつき下半身に障害を持ってアイルランドに生を受けます。障害を持っていても、馬に乗ったり、バイクレースをしたりとやんちゃな少年として育ちますが、20歳のときに事故で足を切断するという不遇に見舞われます。しかし、そこから1年経たないうちにパラリンピックで金メダルを取ります。また、その後にトリニティ・カレッジの医学部に進学して、スポーツによるけがの専門の整形外科医として働く傍ら、声楽の勉強を始めてテレビのオーディション番組で優勝し、テノール歌手として活躍するまでに至ります。
多くの困難に見舞われながらも、なぜこのような道のりを歩んでくることができたのか。タイナン氏の話からは、そこには素晴らしい両親や周りのサポートがあったことがわかります。自分がいじめられているときなど、どんなときでも、「ロニー、君は素晴らしい人だ」と常に語り続け、勇気づけてくれ、大事なレッスンを与えてくれたメンターとしての父。自分がレースをするのを見たことがなく、舞台裏で無事に自分が返ってくるのをひそかに祈り続けてくれた母の存在。「達成する気持ちはどこからくるのか。それは周りの人が私ができると思ってくれたこと、そのサポートがあったこと、絶対に成功すると思ったその気持ち、そして家族や友達が愛を注ぎ、支援してくれたおかげでこのようになったと思います。成功するということは誰かの力添えがないとできません」タイナン氏のストーリーテリングは、周囲への感謝に満ち溢れたものでした。
そうした中から育まれたタイナン氏自身の人生の捉え方も、多くの人の心を打ちます。
「紆余曲折のあった人生ですが、いまこの場に立って自分の前にはエンドレスなチャンスがあると考えています。肉体的障害があったゆえに、人が想像できないことにチャレンジできました。人生におけるもっともリスクはリスクをとらないことです。命は自分の中にあります。内側で幸福に包まれるのです。自分の安らぎを周りが感じます。にっこりとした笑顔に周りの人はひかれます。にっこり笑いかけることを忘れないでください。
私たちは実を言うと、能力的には平等ではありません。ただ直近のやるべきことにベストをつくして、100%の努力を尽くせばそれ以上できることはないのです。背が高くても低くても、太っていてもやせていても、自分を自分として受け入れたら望む変化はいつでも達成できます。受け入れるのが初めの変化です。受け入れたら、太刀打ちできる人は誰もいません」
アイルランドの景色を背景に『ハレルヤ』が歌われる形で幕を閉じたタイナン博士のキーノートスピーチは、最後に以下のようなメッセージが添えられて終わりました。
「信じることは、夜明け前の闇の中で光を感じ歌っている小鳥のようだという言葉があります。(Faith is the bird that feels the light and sings when the dawn is still dark.)その暗い中でも光を感じて希望の詩をうたうことができるのです」
経験も立場も違う4名の基調講演者でしたが、困難な時代の中で、私たち一人ひとりがどう生きるのか、その中での学びとは一体何かといった本質的な問いを共通して感じられた、豊かな時間であったように感じました。