個の時代にふさわしい自律型組織への変革を目指す
カインズの新たな人事戦略「DIY HR®」とは
株式会社カインズ 執行役員 CHRO(最高人事責任者) 兼 人事戦略本部長 兼 CAINZアカデミア学長
西田 政之さん
ホームセンター業界のリーディングカンパニーであり、ライフスタイル提案企業としても注目されているカインズが、人事の大改革に取り組んでいます。すべてを本部が主導してきた典型的なチェーンストア型の組織風土を、多様化する市場のニーズに対応できる自律型組織へと大きく転換していく試みです。「DIY HR®」をコンセプトにさまざまな改革を同時並行で進める同社のチャレンジは、組織のバージョンアップが課題となっている企業にとって大いに参考になるでしょう。2021年6月に同社CHROに着任し、変革のキーパーソンとなっている西田政之さんに、改革の背景や「DIY HR®」に込めた思い、実際に進めている人事施策や今後めざしていく方向性などをうかがいました。
- 西田 政之さん
- 株式会社カインズ 執行役員 CHRO(最高人事責任者) 兼 人事戦略本部長 兼 CAINZアカデミア学長
にしだ・まさゆき/1987年、金融分野からキャリアをスタート。1993年米国社費留学を経て、内外の投資会社でファンドマネジャー、金融法人営業、事業開発担当ディレクターなどを経験。2004年に人事コンサルティング会社マーサーへ転じ、人事・経営分野へキャリアを転換。2006年に同社取締役クライアントサービス代表を経て、2013年同社取締役COOに就任。2015年にライフネット生命保険へ移籍し、同社取締役副社長兼CHROに就任。2021年6月より現職。日本CHRO協会 理事、日本アンガーマネジメント協会 顧問、日本証券アナリスト協会検定会員、MBTI認定ユーザー、森林組合員。
ホームセンター市場でトップに立つからこその改革
現在貴社では大規模な人事制度改革が行われていますが、まずは改革を行うことになった背景からお聞かせいただけますでしょうか。
カインズの歴史は、変革による成長の歴史でもあります。第一創業期はホームセンターというビジネスモデルの勃興期であり、第二創業期はSPA(製造小売)導入で差別化をはかりました。現在は第三創業期として、全社的なDXを推進しています。
ホームセンター業界は約4兆円の市場規模で、全体としてはやや頭打ちの傾向もありますが、当社は創業以来一貫してオーガニックな成長を続けてきました。業界首位の業績は、これまで行ってきた変革の結果と考えています。
現在、私がCHROとして取り組んでいる人事戦略の改革もそうした変革の一環で、2019年に策定した経営戦略「PROJECT KINDNESS」の四つの柱の一つとなっています。当社では従業員を「メンバー」と呼びますが、メンバーのエンゲージメントを高めることを核とした「メンバーへのカインドネス」を実現するための施策を数多く展開しています。
「PROJECT KINDNESS」では、新たな顧客価値やよりエモーショナルな顧客体験の創造、店舗空間のブランディングといった戦略的な取り組みで全社のさらなるステージアップをはかっていますが、そこに人事面の改革も含まれていることに大きな意味があります。
営業戦略や商品戦略だけでなく、人事戦略の変革も進めることになった理由は何でしょうか。
当社は本部に権限を集め、店舗はオペレーションに専念するチェーンストア理論をベースに成長してきました。これまでの実績を見ると、その考え方は正しかったといえます。
しかし、現在の市場は急速に変化しつつあり、多様化も進んでいます。現場でより柔軟に対応することが求められるようになっているため、現場が自分たちで考えて自走する、自律的な組織へと生まれ変わる必要があります。
人材採用の面で見ても、ネームバリューや安定性だけでは選ばれない時代です。学生が注目するのは、自己実現できる組織かどうか。これまでのように上司の指示をすばやく正確に実行できる人が登用されてきた組織から、自分で考えて自律的な行動ができる人が評価される組織へと変えていかなければなりません。そうした思い切った改革は、企業が好調なときでなければ不可能です。だからこそ今、取り組む必要があったのです。
全社を貫く戦略的キーワード「DIY」を人事戦略にも導入
新たな人事戦略は、2021年6月に西田さんがCHROに就任されてから本格的にプランニングされたとうかがいました。
新しく策定した人事戦略は、三つの具体的な施策から成り立っています。一つ目は「DIY HR®」と名づけたコンセプトのリリースです。これはさらに「DIY Career Path®」「DIY Learning®」「DIY Communication®」「DIY Workstyle®」「DIY Well-being®」という五つの分野に分かれます。CHROに就任して最初に取り組んだのが、今後の組織のあり方、方向性を示すための人事戦略ストーリーづくりでしたが、その中心に置いたのが「DIY HR®」という考え方です。
二つ目はコーポレート本部の傘下にあった人事部を新たに「人事戦略本部」として独立させ、これまではなかった人事戦略企画の機能を持たせたことです。「DIY HR®」の理念を社内に浸透させ、施策を実行していく土台となるHRBPの制度も導入しました。各事業部に人事部長という形でHRBPを配置しています。
三つ目は「人事制度の刷新」です。メリハリのきいた評価・報酬制度にするとともに、複線化したキャリア選択や成長のモデルケースなどを示し、個人の成長を後押しすることに注力しています。メンバーそれぞれの成長や挑戦を支援し、それに報いることを基本思想として設計しました。実際の稼働は2022年9月からですが、3月には内容をリリースし、各店舗を巡回して制度の説明会を行っています。
「DIY HR®」というコンセプトは、言葉そのものに強いインパクトがありますが、そこに込めた意味についてお聞かせください。
人事戦略ストーリーを構築するにあたって重視したのは、経営戦略との一貫性です。強い企業の多くは、経営戦略・事業戦略と人事組織戦略にしっかりした一貫性を持たせているからです。
カインズの中核ビジネスはホームセンター事業であり、もともと「DIY(Do It Yourself)」という戦略的キーワードを持っていました。店舗にはお客さまが気軽にDIYを体験できる「CAINZ工房」が設けられていますし、近年ではDIYを介したコミュニティの場となる「CAINZ DIY Square」に注力するなど、常に顧客にDIYの楽しさを訴求してきました。そのため、このキーワードはメンバーにも広く浸透していました。
それを踏まえると、新たな人事戦略が「自分で楽しみながらやってみる」というDIYの思想にもとづくものになるのは必然でした。それを発展させて、「DIY Career Path®=自分のキャリアは自分で考える」「DIY Learning®=その達成に向けて自主的に学ぶ」「DIY Communication®=1on1ミーティングをコミュニケーションのベースとして個に向き合う」「DIY Workstyle®=自分のライフスタイルやライフイベントに応じた働き方をする」「DIY Well-being®=自分や家族の健康を守り、自己実現と社会的貢献の両方を満たすことで充実した生き方を実現する」という五つのコンセプトになりました。
「DIY HR®」を実現する上で人事として大切にしているのは、ただメンバーに自律や自主を求めるだけでなく、会社も一人ひとりに寄り添って伴走することです。現在は個の時代であり、その重要性はさらに増していると感じています。
昨今、キャリア自律に取り組む企業が増えていますが、貴社の「DIY HR®」もそれを意識されたものなのでしょうか。
はい。これからは自分で考えることが何よりも重要です。これまで当社は、指示された仕事を確実に速く行うことが重視される、完全な上意下達文化の組織でした。また、人事異動は会社主導で、キャリアパスも基本的には店長をめざす単線ルートのみという状況でした。店長は大きな店舗だと300名以上のスタッフを統括することになりますから、ちょっとした中小企業の社長にも相当するような誇りを持てる仕事です。ただ、そこには自分のキャリアを自分で選ぶという発想はありませんでした。
現在は事業の拡大とともに、店舗以外でもさまざまな才能に活躍してもらうことが必要になっています。例えばデジタル、広報、商品開発など、本部を中心に140以上の職種があります。最近は最初から商品開発を希望して入社してくる人もいますが、それだけでは足りません。店舗の現場をわかっているメンバーが自分の「やりたい」と思う仕事を見つけ、主体的に取り組んでいくことがより重要になっています。
そこで、社内公募型の異動制度を設けました。ただし、どの仕事もやりたいという気持ちだけでできるわけはないので、学びを支援するプラットフォームを用意しました。自主的に学んだ上で、やりたい仕事に手をあげる。段階を踏める仕組みも「DIY HR®」の施策として導入しています。
人事全員がエバンジェリストとなって進める制度改革
人事を人事戦略本部として独立させたり、各事業部にHRBPを配置したりといった人事の組織改革も進めていますが、その結果として人事のメンバーにはどのような変化がありましたか。
以前はやるべきことを粛々とやる傾向があり、どちらかというと受け身の姿勢だったと思います。しかし、新しい人事戦略の核として打ち出した「DIY HR®」は、自律・自主をベースとしたものです。その理念を全社に広めるには、まず人事が率先して自律的になる必要があります。リリース直後は、まず人事部門内に「DIY HR®」をいかに浸透させるかが課題でした。
結果からいえば、ほとんど苦労することなく腹落ちしてもらえたように思います。人事のメンバーも私がCHROに着任したときから変化を期待していたようで、何人かが「DIY HR®」の考え方を理解して変わっていくと、その変化がどんどん数珠つなぎで広がっていきました。
メンバーに言ったのは「みんなで『DIY HR®』のエバンジェリストになろう」ということ。人事戦略ストーリーで自分たちのやるべきことが明確化されたことで、高い意識を持って前向きに仕事に取り組むことができるようになったようです。
以前は習慣だけで行っていた朝会も、メンバーの発案で大変充実してきました。出社していないメンバーもリモートで参加して、曜日ごとに「DIY HR®」の五つの分野に関する話題を提供してくれています。
「DIY Well-being®」の日には、本部にいるヨガのインストラクターを招いてみんなでヨガをやったり、聴覚障害のあるメンバーが講師になって手話を学んだり、「DIY Career Path®」の日にはメンバーがそれぞれ自分のキャリアをプレゼンしたりと、盛りだくさんな内容です。司会は持ち回りにしているので、一人ひとりの意外な個性やポテンシャリティを発見することもできました。組織に一体感が生まれ、明るく前向きに「もっとこうしたい」といったさらなる自主性も芽吹いてきています。
このような人事の変化は、他部門にも確実に伝わりつつあります。先日も千葉の店舗をまわって数十名の店舗スタッフと1on1ミーティングを行ってきたのですが、将来のキャリアの話題になったとき、「人事戦略本部に行きたい」と言う人が数名いました。これまでのカインズは店舗第一主義でメンバーも現場に愛着が強い人が多く、どちらかというと本部の仕事は人気がなかったので、うれしかったですね。人事が「DIY HR®」の先頭に立っていきいきと働いている姿をちゃんと見てくれているのだと実感しました。
「DIY HR®」では柱となる5分野それぞれに、同時並行でいくつもの新施策を打ち出されていますが、その中でも特色のある施策をいくつかお聞かせいただけますか。
自主的な学びを支援する「DIY Learning®」は、「DIY HR®」のコンセプトを理解してもらうための格好の入り口です。まず、公募型研修を三つ立ち上げました。一つ目は「カインズ白熱教室」。学ぶのはリベラルアーツです。著名な方を招いて講義をしてもらい、自社しか知らなかったメンバーを刺激していきます。
二つ目は「SF思考ワークショップ」。30年後の未来を構想することで既存の枠組みをはずす体験をするというユニークな講座です。現在の世の中も30年前から見れば、SF的なテクノロジーが実現した未来社会です。同様に30年後のイメージからバックキャスティングして、イノベーションにつなげる試みです。
三つ目は「ビジネススキル研修」。アクセンチュアの現役コンサルタントが講師で、ロジカルシンキング、業務効率分析、プロジェクトマネジメントなどを学びます。
メニューはこれだけではありません。数が多いので研修専用ポータルサイトをつくり、今どんな学びが可能なのかが一目でわかって、直接申し込みもできるようにしました。グロービス「学び放題」は現在、600名以上が利用しています。
コロナ下で重要になるコミュニケーション研修は、社長以下役員から受講してもらいました。コーチングや1on1ミーティングのスキルを磨くものです。1on1は第一人者であるヤフーの本間浩輔さんに講義してもらい、そのエッセンスを16パターンのロールプレイング動画にして手軽に参照できるようにしています。
「DIY Communication®」では、社内ラジオを運営しています。情報をテキストで送っても現場は忙しくて読めないという声から、ラジオでの情報発信を発案しました。「くらしに、ららら。」という当社のブランドにひもづけて「らららジオ」という名称です。
Voicyというアーカイブ型音声アプリを利用した音声コンテンツなので、通勤中や昼食・休憩時間などに聴くことができます。社内のさまざまな仕事、顧客の声などを紹介するほか、私も「CHRO TALK LIVE」という番組では、私と社外の識者との対談を流しています。
ラジオの良いところは、文字や写真では表現しきれない臨場感やエモーションがダイレクトに伝わること。新店オープン当日のセレモニーや災害を受けた店舗の復旧の様子などをライブ配信することで、みんなで感動や一体感を共有できるツールとなっています。
自ら学ぼうとするメンバーが目に見えて増えてきた
新たな人事戦略を社内に浸透させるため、どのような取り組みを行われていますか。
第一は、人事戦略本部の一人ひとりが「DIY HR®」を理解し、エバンジェリストとして発信・訴求していくことです。最初期には「DIY HR®」のTシャツをみんなで着てアピールしたこともあります。
第二は、トップのコミットメントです。トップのメッセージは大きな力になります。人事戦略ストーリーのリリース前には経営陣全体で十分に議論して、全員が腹落ちしてから公開するという手順をしっかりと踏みました。私自身も社内SNS上の「CHROコミュニティ」で日々発信を続けています。
第三は、「DIY HR®」の施策そのもので、方向性の正しさや有効性を証明していくことです。先ほどの「DIY Learning®」や「らららジオ」など、さまざまな取り組みを通して「今回は違うぞ」「会社は本気だな」という感覚をメンバーに持ってほしいと考えて進めてきました。
メンバーからは、どのような反応がありましたか。また、課題と感じていることは何でしょうか。
手応えは非常に感じています。店舗を巡回してメンバーと話しても、「DIY HR®」への期待は確実に高まっています。理念が浸透しつつあるだけでなく、部長クラスから「メンバーの学ぶ姿勢が変わってきた」などと聞くようにもなりました。
これまでは店長をめざすコースだけだったので、それ以外のことを進んで勉強しようというメンバーは決して多くありませんでした。しかし、さまざまな研修制度を活用して自ら学ぼうという人が増えてきています。自律してきたということでしょう。
これは店長以外にもいろいろなキャリアがあることを知ってもらえた効果が大きかったと思っています。もっといえばカインズだけでキャリアを終わらせる必要もありません。今後は会社の枠組みもその境界線も曖昧になっていきます。自分の目標は何か、その目標を実現するにはどんな学びが必要なのか。さらにはキャリアだけでなく、自分の存在理由や働く意味、生きる意味なども自らに問いかけるようになってほしいと考えています。
とはいえ、人事制度が実際に刷新されるのは2022年9月です。本当に変わったと実感できるのは、制度が運用されて1タームまわったところになると思います。計画を立てるのは簡単ですが、難しいのは運用して成果を出すこと。全社的に見ればメンバーの受け止めにも濃淡があるので、根気よく継続していく必要があります。人事戦略本部のメンバーには、これからが正念場になると言っています。最終的な指標は、カインズ全体の従業員エンゲージメントの向上です。
CHROのもっとも大事な仕事はメンバーの自律を促すこと
西田さんがCHROとして心がけていること、人事として施策を行うにあたって大切にしていることをお聞かせください。
三つあります。一つ目は、経営戦略と一貫性のある人事戦略のディレクションです。二つ目は、個に寄り添いながら会社の目標とメンバーの自己実現目標をすりあわせていくこと。入社時には誰でも成長したいという意気込みを持っています。その人たちに成長機会を提供しながら会社目標とベクトルをあわせることができれば、パフォーマンスを最大化できます。三つ目は、メンバー自らが良質な問いを立てられるようにすること。これは自律を促すと言い換えることもできます。実はこのことに、私の最大の思い入れがあります。
問いを立てることは自分の頭で考えることです。そもそも自律とは、自力と他力のバランスを自分で決めること。そのためには自分自身を知ることが欠かせません。禅の言葉ではこれを「己事究明」と言うそうです。メンバーが自分を知ろうと考えるきっかけを、その組織のレベルにあった質・量・タイミングで発信していくことは、CHROのとても大事な仕事です。
当社はこれまで、異動は会社都合だけで、メンバーはキャリアを会社に委ねていたといえます。そこに「自分のキャリアは自分で考えろ」というメッセージを送ると、そもそも自分は何がしたいのか、なぜ働いているのか、生きる目的は何なのだろう、といった哲学的な問いに向きあわざるをえません。こうした自問自答、自己探求のプロセスこそが自律への道ではないでしょうか。人事の仕事はそのプロセスを支えていくことだと考えています。
最後に、人事に関して今後取り組んでいきたいことをお聞かせいただけますか。
シニア活用、リスキリング、介護支援、副業制度など、課題はたくさんあります。組織内におけるフェアネスの担保、心理的安全性の確保なども真剣に考えていかなくてはなりません。小売業ならではの壁もありますが、それらを乗り越えて時代にマッチした職場にしていく必要があると思っています。
働きやすい環境をつくっていくことは大切ですが、会社は優しいだけではダメだとも考えています。年齢に関係なく学び、組織に貢献する姿勢をすべてのメンバーに求めていきます。学びのためのプラットフォームは用意しますが、それを活用して時代にあったリテラシーを身につけ、社会や市場の変化に対応しながらキャリアを築いていけるかどうかは本人の自主性次第。ここでもやはり、自律型の人材、組織を育てていくことが不可欠です。
カインズには「創るをつくる、枠をこえる、Kindnessでつながる」というコアバリューがあります。他社では行わないような施策を、これからも思い切ってやっていくことが大事だと考えています。
(取材:2022年3月30日)