ウェルビーイング時代の人事のあり方
カゴメが推し進める、働き方の改革の先をゆく
「生き方改革」とは
カゴメ株式会社CHO(最高人事責任者) 常務執行役員
有沢正人さん
日本の人事部「HRアワード2020」企業人事部門 最優秀賞に輝いた、カゴメ株式会社。多くの企業の注目を集めたのは、多様な働き方を推進し、より良い働き方と暮らし方の実現を目指す、同社の「生き方改革」です。カゴメの最高人事責任者である有沢正人さんに、「生き方改革」が始まった背景や具体的な取り組み事例、カゴメ人事部門において大切にしている考え方について話をうかがいました。
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- 有沢正人さん
- カゴメ株式会社CHO(最高人事責任者) 常務執行役員
ありさわ まさと/1984年に協和銀行(現りそな銀行)に入行。 銀行派遣により米国でMBAを取得後、主に人事、経営企画に携わる。2004年にHOYA株式会社に入社。人事担当ディレクターとして全世界のHOYAグループの人事を統括。全世界共通の職務等級制度や評価制度の導入を行う。また、委員会設置会社として指名委員会、報酬委員会の事務局長も兼任。グローバルサクセッションプランの導入等を通じて事業部の枠を超えたグローバルな人事制度を構築する。2009年にAIU保険会社に人事担当執行役員として入社。ニューヨークの本社とともに日本独自のジョブグレーディング制度や評価体系を構築する。2012年1月にカゴメ株式会社に特別顧問として入社。カゴメ株式会社の人事面でのグローバル化の統括責任者となり、全世界共通の人事制度の構築を行っている。2018年10月より現職となり、国内だけでなく全世界のカゴメの最高人事責任者となる。
「働き方の改革」への違和感から生まれた、「生き方改革」
「HRアワード」企業人事部門 最優秀賞の受賞、おめでとうございます。受賞のご感想をお聞かせください。
驚いたというのが正直な気持ちですが、カゴメが推し進めてきた「生き方改革」を多くの方に知っていただき、認めていただいて、とても光栄に感じています。
生き方改革には、「経営戦略のなかで人事戦略が一番イノベーティブであるべき」というカゴメ人事部門の信念も反映されています。近年、その重要性が注目されているウェルビーイングやマインドフルネスを、いわば仕組みや制度で体現したものとも言い換えられます。新しい人事のあり方ともいえる「生き方改革」にスポットライトを当てていただいたことは、驚きでしたし、とてもうれしいことでした。
私個人としても、生き方改革の考え方が、多くの企業に浸透していくことを願っています。生き方改革をテーマに、積極的に講演やセミナーでお話しさせていただいているのも、「うちの会社ではできない」と諦めるのではなく、「どうやったらできるようになるか」を模索するきっかけになれば、と考えているからです。
受賞理由となった「生き方改革」は、企業側の「働き方の改革」と従業員の「暮らし方改革」が合わさったものだとうかがいました。「生き方改革」は、どのような背景で始まったのでしょうか。
カゴメの場合も、出発点は「働き方の改革」でした。2017年に当時の寺田社長から「社員の総労働時間を年間1800時間以下にする」という話があり、中期経営計画に盛りこみました。これは全社平均ではなく、全社員の総労働時間を1800時間以下にするという意味です。
この目標は、これまでの考え方や仕組みを変えなければ達成できません。そこでまずは当時の寺田社長主導で、スケジューラーの活用と勤怠システムを連動させて、‟総労働時間の見える化”から始めました。当時、営業職の多くはみなし労働制を採用していましたが、この制度では、何時間残業をしているのかがわからず、正確な実労働時間を把握できませんでした。また残業代も、実労働時間に対してしっかりと支払われるべきものであると考え、制度を変更しました。
実労働時間を‟見える化”すると、さまざまな無駄が浮き彫りになってきました。たとえば、わざわざ上司に報告するためだけに、訪問先からオフィスに戻ってきていたりすることもしばしばありました。しかしスケジューラーを利用すると、どこに行って何をするかを入力すれば会社に来る必要がない、例えば営業も上司とミーティングをするためだけに会社に戻る必要はない、といったようにどんどん変えていきました。
始まりは、従業員の「総労働時間を減らすこと」だったのですね。他社では、このまま「働き方の改革」を推進していくのが一般的な流れだと思いますが、ここから「生き方改革」に発展したところに、カゴメの独自性があると思います。
生産性の向上や総労働時間の管理、テレワークの導入など「働き方の改革」を推進すればするほど強く感じたのは、「一般的な働き方改革はあくまで企業側の論理だ」ということでした。
会社側がいくら労働生産性を高めても、個人の生活の質が高まらなければ、従業員は幸せを感じられないはずです。会社に「働き方の改革」が求められているように、個人は「暮らし方改革」を求めている。それならカゴメでは、「働き方の改革」と「暮らし方改革」を掛け合わせた「生き方改革」に挑戦しようと経営トップの寺田社長が考えました。これまで会社の論理に偏っていた時間を社員に渡して、より充実した人生を歩んでもらいたいという思いが経営のトップにあったのです。
そもそもカゴメは食品メーカーですから、そこで働く人には、生活者としての視点がとても大切です。料理を楽しんだり、家族とゆったりとした時間を過ごしたり、子育てに奮闘したりするのに性別は関係ありません。現在では男女共に、家庭の中にある負担を分担し、喜びや楽しさを共有し合っていくことが大切なのです。
カゴメの長期ビジョンの一つに「トマトの会社から、野菜の会社に」というものがあります。事業領域を広げ、今後は「健康寿命の延伸」「農業振興・地方創成」「食糧問題」などの社会課題の解決を目指していく未来も見据えています。「生き方改革」は、このような長期ビジョンを実現するうえで欠かせない考え方です。
改革の本質は、社員が「自分のキャリアを自分で決められるようにする」こと
「生き方改革」を実践するために導入された制度や行われている取り組みについて、お聞かせください。
さまざまな取り組みを行っていますが、ここでは社員が働く地域を選べる「地域カード制度」をご紹介したいと思います。
地域カード制度とは、配偶者との同居や育児など個人の事情に配慮して、一定期間勤務地を固定したり、希望の勤務地へ転勤したりすることができる制度のことです。
地域カードは二種類あります。一つ目は、一定期間勤務地を固定する“動かない”カード。たとえば、お子さんが保育園に入園したばかりで転勤したくないときなどに使えます。二つ目は、希望勤務地へ転勤できる“動ける”カード。他社に勤める夫や妻が転勤するのでついていきたい、といったニーズに応えます。
ともに3年間有効で、2回まで利用可能です。もちろん、このカードを利用することで昇進や昇格に影響が出ることはありません。
もともと私は、単身赴任というものを世の中からなくしたいと思っていました。アメリカやヨーロッパに出張し、現地のCEOやマネージャーと話をしているときに「単身赴任」に関する話題になったことがあったのですが、私が概要を説明すると、みんな口をそろえてこう言うのです。「それは何かのペナルティーなの? 仕事のために配偶者や子どもとの生活を犠牲にするなんて、ありえない」と。
それまで私は、単身赴任の制度を「そういうものだ」と受け入れていたわけですが、たしかに言われてみれば、会社の都合で家族の人生を変えてしまうのは、人の生き方として不自然だと思い至りました。
私自身も、父親が銀行員で転勤が多く、子ども時代に親元を離れて暮らしていた経験があるので、子どもの寂しさはよくわかります。カゴメの社員のご家族に、そんな思いをさせたくない、というのが正直な気持ちです。
また、「地域カード」を導入する前は、夫の転勤を理由に退職する女性が少なからずいました。転勤への帯同を理由に女性社員が退職してしまうのは本来あってはならないと考えました。これらの離職防止も、地域カードを導入した理由の一つです。この制度は社員にとても好評で、多くの従業員が利用しています。
生き方改革の一環として、「副業制度」も導入されたそうですね。
はい、副業も解禁しました。もはや会社が個人を束縛する時代ではありません。一社に限定せず複数の仕事を持ち、自分らしいキャリアを築いていくのが当たり前の時代です。副業は「複業(いずれも本業という考え方で複数の仕事をすること)」と考えており、他社と雇用契約を結んでも構いません。
しかし、利用対象者は「年間総労働時間が1900時間未満」の人に限定しています。また、副業時間は本業での時間外労働と合計して45時間/月以内と定めています。
副業は自律的なキャリア形成に有効ですが、働きすぎて体を壊してしまっては元も子もありません。カゴメには、主たる雇用者として社員の健康を管理する義務があります。副業時間は自己申告になりますが、副業をしている社員は従業員の健康を管理している保健師との面談を受けられるように配慮しています。
生き方改革で大切にしているのは、柔軟に選択できる働き方のオプションを増やすこと。そして、一人ひとりが自分のキャリアを自分で決められるようにすることです。自律的なキャリア形成は、個人のマーケットバリューの向上につながります。ヒューマンリソースという人的資産の観点から見れば個人の市場価値の総和が、会社全体の市場価値だと考えています。カゴメの社員には機会があれば個人のさまざまなキャリア観に基づき、いろいろな仕事にチャレンジする機会を利用するチャンスがあると考えています。そのうえでカゴメは、選ばれる会社になるための努力を重ねていかなければなりません。
「人事部を辞めろ」――苦い原体験から芽生えた人事として生きる指針
有沢さん個人として、これまで人事の仕事にどう向き合ってこられましたか。仕事のポリシーや大切にされていることについてお聞かせください。
人事として大切にしてきたことは、大きく二つあります。一つは、「人事戦略は、経営戦略の中で最もイノベーティブであり、最もエッジの効いた存在でなければならない」ということです。これは新卒で銀行に就職し、その後人事の仕事に携わったときから一貫して大事にしている考え方です。
なぜ、人事が最もイノベーティブでいなければならないのか。それは、たとえば新しいビジネスを立ち上げたり、新製品を開発したり、営業戦略などを展開するうえで、それぞれの戦略の後追いで人を育てていては遅いからです。新しい試みをやりますという際に、「その戦略を実行できる人材が社内にいません」「採用も育成もできていません」というのでは、何も始められません。
だからこそ、人事は時代を読み、全社方針や事業戦略を先取りして、新たな人材を採用したり、必要とする人材が魅力に感じる仕組みや制度をつくったり、社内の人材を発掘・育成したりする必要があります。人事が率先して改革を仕掛けることで、会社側も、安心して思いきったチャレンジができるようになります。
大事にしているポリシーの二つ目は、「人事は、人の人生に責任を持たなければならない仕事である」と自覚することです。
これは若かりし頃の苦い体験が影響しています。銀行時代に初めて人事異動のミッションを任されたときの話です。私は、約400人分の人事異動案をつくり、先輩に報告しました。すると、その先輩は、異動候補一人ずつについて質問するのです。「なぜ、この人はこの部署に異動するの?」「この人の後任が〇〇さんなのはなぜ?」といった具合でした。
20人ほどについて質問が終わったころでしょうか。その先輩は「もういい」と質問をやめ、こう言いました。「有沢、人事部を辞めろ」と。
「有沢は、人の人生に責任を持つ覚悟がまったくできていない。人事異動をしたあとのその人の人生を、想像したことはあるか? 仕事場が変わる、職種が変わるということは、その後の人生も変わるということだ。異動するということは、その人の家族の人生も左右することになる。だから、人事異動は完璧でなければいけない。目の前の異動だけではなく、その先の先、その人の一生のキャリアについて考えなければならない。それを考えない人事異動というものはあってはならないんだ」
私は半ば泣きながら、3日徹夜して、人事異動案を組みなおしました。このときの経験が原体験となり、人事として生きていく指針になりました。一人ひとりの人生を大切にする、個人を尊重する考え方は、そのときの体験によるものだと思っています。
人事では新たな制度を導入したり、システムをつくったりすることはもちろん大切なのですが、やはり運用が大事です。「人事制度をつくれば完成」ではなくて、制度をつくったのならどのように運用されているかをしっかりと見ることが大事なのです。運用には考え方やポリシーがあらわれます。だから、人事は現場に足を運ばなければいけません。現場で起こっていることをきちんと見る。それが人の人生に責任を持つ、ということでもあると思います。
カゴメの人事に抜擢されるのは、現場の痛みがわかる人
有沢さんは、人事部のメンバーを採用・育成されるときにも、「イノベーティブであること」や「人の人生に責任を持つこと」といった考え方を重視されていますか。
そうですね。実は現在のカゴメの人事部は、部長以外は、基本的に「人事経験がない人」ばかりなんです。カゴメのさまざまな現場で活躍していた人が集まっています。
なぜかというと、現場の痛みがわからない人に、人事の仕事を任せてはいけないという思いからです。現場の苦しみや葛藤に寄り添える人でなければ、どんな取り組みをしても“他人事”になってしまう。私は、人事部のメンバーには、「人事の目線で会社を見てください」ではなく、「現場の目線で人事を行ってください」と伝えています。
人事部への異動辞令が出たときにみんなは「なんで私が、人事なんですか?」と思ったのではないかと思います。その感覚が、実はとても大切で、その感覚は人事部員が現場サイドに立っていることを示していると思っています。
最後に、カゴメ人事部としての今後の目標について教えてください。
現在行っている「生き方改革」をさらに進めて、本当の意味で、会社と社員がパートナーとしてフェアな関係が築ける組織づくりにまい進したいと考えています。
会社を改革していくには、多くの施策を同時並行で進めることが肝心です。私は3年を一つのタームと捉えています。この期間設定も重要で、長すぎれば社員から見れば組織の変化に気づきにくく飽きられますし、短すぎれば拙速すぎて社員がついてこられません。
ウィズコロナ時代に、人事はどうあるべきなのか。グローバル全体でカゴメの一体感をどう醸成していくのか――。これは今後の重要な課題であり、私のミッションです。個人的には現場に足を運ばなければわからないことがたくさんあると考えているのですが、コロナ禍で思うように動けないところもあります。コミュニケーションの方法を含めて、模索している最中です。いずれにしても、「イノベーティブであること」「人の人生に責任を持つこと」を大切にして、取り組んでいきたいですね。
(取材日:2020年12月4日)