田中潤の「酒場学習論」【第32回】
芝「SAKE Scene 〼福(ますふく)」と、燗酒のポータブルスキル
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
路地に面した大きな窓から店内をのぞくと、ちょっとしたギャラリーのような洒落た雰囲気。それが芝にある「SAKE Scene 〼福(ますふく)」です。よく目を凝らすと窓の奥に並ぶのは日本酒の一升瓶の数々。ここは間違いなく日本酒をいただける酒場のようです。
少しハードルが高いかなと思いつつ入口に向かうと、トリコロールの三色旗デザインの暖簾(のれん)が待ち受けます。こちらはフレンチと日本酒をあわせる酒場なのです。コロナ禍の今は、アラカルトはお休みして事前予約のコースのみの提供となっています。フレンチと合わせる日本酒は冷酒と思いがちですが、こちらはうれしいことに燗酒推しの酒場です。燗酒とフレンチ、何ともいい組み合わせです。
フレンチとなると、そうそう頻繁にはお邪魔できない……そんなイメージをこの酒場に持つ人もいるようですが、この酒場にはもう一つの使い方があります。それはカウンターで楽しむ「燗酒バー」という使い方です。フレンチのコース料理を前面に出すこの酒場ですが、予約があり店を開けているときは、カウンターで一杯だけいただく気軽な酒場としての使い方もできます。
私はたまたま職場が近いこともあり、出社した日には1軒目酒場として利用し、カウンターで次に行くはしご酒の酒場を思案します。それにしても、燗酒と相性のあう食べものの多いこと。カレーやスパイスと燗酒があうことは多くの酒場で実証済ですが、フレンチとの相性も間違いありません。どんな料理とも合わせられる最高の食中酒が燗酒だといえます。
ポータブルスキルという言葉をご存じでしょうか。業種や職種が変わっても持ち運びができるスキルのことで、転職場面などで活用されてきた考え方です。
ポータブルスキルには、専門スキルと専門性以外のスキルがあります。後者はいわば仕事を進めること自体のスキルです。キャリアの棚卸しが必要な時、自らのポータブルスキルを考えることは有効です。例えば、課題発見スキルや業務遂行スキルが高かったり、状況対応スキルや社外交渉スキルが高かったりすれば、それを軸にまったく新しい仕事を考えることも可能になります。
しかし、専門性以外のスキルは、専門スキルに比べると可視化しにくく、とらえにくい傾向があります。実は転職のミスマッチの多くは、専門性以外のスキルのミスマッチではないでしょうか。組織が違えば、同じ「法務」という仕事でも、求められる専門性以外のスキルが違ってきます。しかし、私たちは安易に専門性に飛びついて合否を判断しがちなのです。専門性は職務経歴書や面接である程度のチェックができますが、専門性以外のスキルはなかなか面接では確認しにくいものです。
さらに専門性以外のスキルが難しいのは、当の本人も自覚していないことです。人は自分が当たり前にできていることを自分の強みだと意識していないのです。「あなたのポータブルスキルは何ですか」という質問ほど意味のない質問はありません。ですから、専門性以外のポータブルスキルは誰かが一緒に棚卸ししてあげる必要があります。棚卸しの際には、次のように問いかけるのがポイントです。
「これまでのあなたのすべての仕事経験の中で、一番力を発揮できたこと、充実していたこと、達成感を得た仕事を思い出してください。そして、その仕事のエピソードについて、“どんな課題が与えられたのか?”“その時のあなたの役割はどのような役割だったのか?” “そこで上げられた成果は?”“その仕事であなた自身が取り組んだ工夫は?”を教えてください」。
このように過去の経験について、課題・役割・成果・工夫にフォーカスしてヒヤリングをします。この語りの中から、その人の専門性以外のポータブルスキルを見出していくのです。本人も気づいていないポータブルスキルは、まさにその人の価値そのものです。自分でも気づいていないポータブルスキルが言語化されるとき、間違いなく当人の自己効力感も高まります。
多くの人たちの努力によって、燗酒の持つポータブルスキルが開花しようとしています。燗酒を扱う酒場が増えていて、しかも、その多くは若い担い手です。どうやら、燗酒はどの世界に持ち運びしても通用する食中酒のようです。スパイス料理やカレーだけでなく、「SAKE Scene 〼福」のようにフレンチとも合わせられます。燗酒が気づいていなかったポテンシャルが、多くの担い手によって可視化されつつあるのです。
「SAKE Scene 〼福」はフレンチと日本酒、特に燗酒を合わせてくれる酒場です。そして、気軽な燗酒バーとしての一面もあります。さらに女将は日本酒の輸出も手掛ける国際的なビジネスパーソンでもあります。酒粕の用途拡大にも取り組み、自ら酒粕の菓子類も扱います。カウンターの片隅には巨大なかき氷機が鎮座し、かき氷には酒粕をつかったシロップが合わせられます。この酒場の持ち味も多様に広がっているのです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。