田中潤の「酒場学習論」【第26回】
弘前「土紋」と360度評価
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
弘前の「土紋」。酒呑み同士で話していて「弘前に行った」といえば、必ず「土紋は行ったの?」と聞かれるくらい、酒呑みの間では有名な酒場です。地方を呑み歩く楽しみは、著名な酒場を訪れてみることと、気ままに通りがかりの酒場に足を踏み入れてみることの二つですが、私の場合、1軒目は著名な酒場を選択することが多いです。
夕暮れ前から街歩きをして街の概要をつかみ、面白そうな酒場を心に刻んでおきます。小心者ですから、地方の常連客が多い酒場にどんどん入っていくことはできません。なので、まずは著名なところにお邪魔し、そこでアルコールの力を借りて、通りすがりのはしご酒を開始するというのがパターンです。
その意味では、土紋も1軒目にチョイスする酒場です。ただ、難点はアテが美味しすぎるので食べすぎてしまい、2軒目以降が苦しくなること。
この酒場には、二つのスペシャリテがあります。一つ目は「いがめんち」。郷土料理なのでいろいろなところで食べられますが、ここのは圧巻です。イカのゲソを粘りが出るまで包丁で叩いて細かくし、刻んだ野菜を混ぜてこねた、一見はイカのハンバーグのような一品です。
もともとは各家庭で、イカの身を寿司などに使って余ったゲソと余りものの野菜を刻み、小麦粉を加えて多めの油で焼いたことが始まり。余りものをすべて使い切るという、生活文化に根差した郷土料理です。ただ、これを大量につくるとなると、もの凄く労力が必要です。市場などでは揚げているのも見ますが、ここは焼きです。そしてイカ含有量が半端ではない。カウンターの全員が間違いなくオーダーします。
そして、もう一つは地元三浦酒造の「豊盃」。驚くくらいの種類が並び、「豊盃」づくしの一夜を楽しめます。
郷土料理の酒場なのですが、実は隠れた洋食の名酒場だと私は勝手に思っています。メニューは行くたびに微妙に変わりますが、オムライス・オムレツ・ホタテフライ・トンカツ・ウインナー・ベーコンバーガーなどが並びます。ホタテフライは地料理でもありますが、ここのは最高です。そして、オムライス。私は洋食屋呑みのシメでオムライスを食べるのが好きなのですが、ここのオムライスは、卵を何個使っているんだろうという食べ応えです。でも、食べたくなる。
この酒場の良いところは、中心街からはかなり距離があるところ。大きくなったお腹を抱えて、次の酒場を探しに腹ごなしをしながら、中心街を目指して歩き出します。腹ごなしに十分な距離があります。
さて、人事の話に変わりますが、組織管理者への360度評価の導入を検討しています。評価や登用に用いるつもりはなく、フィードバックと育成に活用し、蓄積されたデータは組織開発の材料にも活用できればと思っています。
360度評価に対しては、ネガティブな印象もよく聞きます。評価のトレーニングをされていない部下に評価をさせても単なる人気投票にしかならないだろうから意味がない、というのが典型的な批判でしょうか。幾分かの誤解が入ってはいますが、部下からダメ出しをされるのを恐れる気持ちが伝わってきます。そして、よく理解できます。ただ、このようなタイプの方は、普段は部下に随分とダメ出しをしているんだろうなと想像したりもします。
ダメ出しというのは、ネガティブなフィードバックです。もちろん、時には育成のために重要です。ただ、ダメ出しばかりされていると、人はなかなか前を向けないものです。ましてや、対象は組織管理者。部長にまでなった人に、ダメ出しをしてここを改善しなさいといっても、なかなか改善できるものではありません。いわれてすぐに改善できるようなことなら、とっくに何とかしていたでしょう。
もちろん必要なネガティブ・フィードバックはするにしても、大切なのはポジティブ・フィードバックだと思っています。これは、褒めて育てるのとは意味が違います。もはや相手はそういう立場ではありません。強みを再認識してもらうことと、自分では気づいていない強みや良さを感じてもらうことです。
人は自分が当たり前にできることの重要さに気づいていません。当たり前のように相手に配慮をしている人は、自分が配慮上手だと必ずしも認識していないものです。そんなポイントをフィードバックして、自己効力感を高めて元気になる、そんな流れが作れればいいなと思います。自分のポジションで、その良さを精一杯、活かしてもらうのです。
その上でそっとネガティブ・フィードバックも添えます。気持ちが元気になれば、マイナス点にも少し素直に目を向けられるのではないでしょうか。理想的な実施はなかなか難しいとは思いますが、そんなバランスではないかと感じています。
いがめんちに豊盃のラインナップというキラーコンテンツをもっている「土紋」も、最初からいがめんちが名物だったわけではないと思います。お客さまからの有言・無言のフィードバックを受けて、酒肴も酒場も育ちます。そして、私にとってのこの酒場のさらなる魅力は、洋食酒肴の数々と大将・女将のお人柄、そして酒場全体の空気感です。中心街や駅からの距離すら魅力です。よいところをますます伸ばしていくのが、愛される酒場であり続ける秘訣でしょう。遠からぬうちに再度、弘前を訪問し、元気の出る360度フィードバックを実現させたいと思います。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。