あなたの会社が「敵対的M&A」に巻き込まれたとき
ジャーナリスト
池上 彰さん
ラジオ局の「ニッポン放送」をめぐり、インターネット関連企業の「ライブドア」と民放キー局の「フジテレビジョン」が約3カ月にわたって繰り広げた敵対的M&A(合併・買収)の攻防戦。これをきっかけに日本でも今後、欧米のように企業のM&Aが本格化していくだろうと見られています。「敵対的M&Aは他人事ではない」と危機感を抱いた企業の経営陣は、自社の株価を上げる手を打ったり、買収者を撃退する手を導入したり、さまざまな防衛策を講じていますが、では企業の従業員は、M&Aに備えて何か防衛策を考えなくていいでしょうか?自分の会社がいつ買収されるか知れない時代、いざ買収されてもそこで生き残ることができるように、今から何をしておくべきなのか。近著『あなたの会社は狙われている!?』(講談社)で、企業のM&Aをわかりやすく解説した池上彰さんに聞きます。
いけがみ・あきら●1950年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、NHKに記者として入局。松江放送局、東京報道局社会部などを経て、89年から首都圏向けニュースのキャスターとしてブラウン管に登場。94年4月からは「週刊こどもニュース」編集長兼キャスター。同番組の「お父さん」として好評を博した。2005年3月にNHKを退職してフリージャーナリストに。『そうだったのか!現代史』(集英社)のシリーズや『なるほど!日本経済早わかり』(講談社)『大人も子どももわかるイスラム世界の「大疑問」』(講談社+α新書)など歴史から経済、ニュースまで、わかりやすく解説した著書多数。近著に『こどもにも分かるニュースを伝えたい――ぼくの体験的報道論』(新潮社)『あなたの会社は狙われている!?――ライブドア騒動が教えてくれるもの』(講談社)。
ホリエモン騒動は日本経済に影響を及ぼす「大事件」だ!
『あなたの会社は狙われている!?』(講談社)を上梓されたのが4月末、ライブドアとフジテレビの和解が成立した後です。今回の騒動について、改めて本にしようと思われたのはどうしてでしょう。
今回の騒動というのは、ただ単に、ライブドア対フジテレビ、若い堀江社長vs年配の日枝会長というようなおもしろおかしいバトルではなく、日本経済全体に影響を及ぼす大きな「事件」だと思ったからです。
騒動は2005年2月8日、ライブドアが突然、ニッポン放送の大株主に浮上したことによって始まりました。これ以前に、フジテレビはニッポン放送の株を公開で買い占め、子会社にしようという計画を進めていましたから、ライブドアの買い占めは不意打ちですよね。フジテレビにしてみれば「何の挨拶もなしに、横から入ってきて、けしからん!」となるし、ライブドアにしてみれば、「上場している会社の株を買って、何が悪い!」となる。そうした感情的な行き違いが騒動をややこしくもしました。
こうした買収劇はこれまでも何度か起きていたのですが、大きなニュースにはなりませんでした。ところが今回は、買収先が許認可事業の放送業界であり、それと同時に堀江社長が放送業界とインターネットの融合などと言い出した。買収なんて対岸の火事だと思っていた放送業界から新聞、雑誌まで多くのメディアが、そんなことが自分の身にも起こるんだと、敏感に反応したんですね。その結果、多くの人が注目する出来事になりました。
メディアは毎日のようにホリエモンの動きや日枝会長の自宅前でのインタビューなどを報道しました。
でも私は、報道の量はすごく多かったけれど、この出来事の本質的な意味をちゃんと伝える報道があったのかどうか、疑問なんですね。TOB(株式公開買い付け)とか転換社債とかいった専門用語も飛び交いましたが、その意味を報道で正確に理解できたという人がどれだけいたでしょうか。それに、企業の立場ではなく、従業員の立場に立って、「自分や自分の家族が勤める会社が買収される可能性はあるのか」とか「買収劇に巻き込まれると、いったい何が起こるのか」とかいう視点から報道をしたメディアがあったでしょうか。どちらも、少なかったんじゃないかと思うんです。ですから私は、多くの人にこの経済「事件」の意味をよくわかってほしい、自分の会社が買収されたらどうなるだろうと考えるきっかけにしてほしい――そんなことを考えながら、この本を書いたんですね。
ライブドアも楽天も「儲かっている企業」を買収して大きくなった
では、まず、基本的なことからお聞きしますが、そもそも現在、企業のM&Aが頻発している背景には何があるのでしょうか。
バブル経済が崩壊してから、上場企業の「株の持ち合い」が少なくなってきたことが、背景の一つにあるでしょうね。「株の持ち合い」は1964年に日本がOECD(経済協力開発機構)に加盟した頃から盛んになりました。加盟をきっかけに、資本の取引を自由化しようということになって、外国企業が日本に入ってきて日本企業に投資する、つまり株を買うことも自由化しよう、ということになった。当時はまだ日本企業の力が弱かったんです。それで、「第二の黒船がやってくる」と大騒ぎになって、危機感を強めた日本企業どうしが外国企業からの買収を防ぐためにお互いの株を持ち合うということを始めたのです。
友好的な企業どうしがお互いの株を持ち、お互いが大株主になっていれば、他の会社に過半数の株を買い占められる恐れはありません。ところが、バブル経済の崩壊で、そうした企業どうしによる強固な株の持ち合い関係が崩れてしまいました。それはこういうことです。まず、不良債権の山を抱えた銀行が、保有している企業の株を売却して資金をつくり、不良債権処理に充てました。次いで、経営悪化に苦しむ企業も、お付き合いで持っていた他の企業の株を売却して赤字を解消しようとしました。一方の企業が売れば、「じゃあウチも」となりますから、それから各企業で株の売却に拍車がかかった。で、気がついたら、過半数の株を持つ安定株主のいない企業が増えていた、というわけですね。そんな状況にM&Aのプロたちが目をつけたのです。
そんな状況が続いたら、企業のM&Aは増えることはあっても、減ることはないですね。
そうですね。しかも現在、国会で会社法の改正が審議されていて、新しい会社法が成立すると、外国の企業が日本の企業を買収しようとする際、多額の現金を用意しなくても、株を交換するだけで買収が可能になるんです。具体的にどんな仕組みかというと、外国企業がまず、日本国内に100%の子会社を設立します。その子会社には親会社の株を持たせる。そして、買収しようとする日本企業と合併させます。このとき、日本企業の株主たちに、その株と引き換えに親会社の外国企業の株を渡す。そうすることで、外国企業は自社株を使って日本企業を買収できるわけです。これは「株式交換による三角合併」と言われていて、これまで外国企業に対しては解禁されていなかったんです。
この三角合併の手法が外国企業に解禁される時期は、改正会社法の成立後、2007年からと見られています。じつは当初は、その1年前、2006年(つまり来年)から解禁しようという動きがあったのですが、ライブドアとフジテレビの騒動を見てから、1年先送りしようとの話になってきたんですね。1年先送りするから、会社法成立までに日本企業は外国企業からのM&Aに対する防衛策を考えろ、ということなのかもしれません。逆に言うと、段取りどおり会社法が2007年に成立して、三角合併が外国企業に解禁されたら、それを境にライブドアよりもはるかに巨大な外国資本が次々と日本企業を狙い打ちしてくる可能性が大きい、ということでしょう。
最近では日本のベンチャー企業によるM&Aも目立ちますね。
M&Aは、成長志向のベンチャー企業にとって有効な戦略ですから。この数年で、ジャスダックやマザーズ、ヘラクレスなど新興の証券市場が生まれて、上場のハードルは低くなっています。上場すると、それだけで何百億円という資金が手に入りますが、これをただ預貯金のかたちで積み上げていると、株主からすぐさま、「資本効率が悪い」という批判の声が出てくる。資本効率を計る指標をROE(株主資本利益率)と言いますけど、このROEが高いか低いか、それで経営者の能力が評価され、株価にも影響が出る時代になっているんですね。
ライブドアのことをよく、インターネット関連企業と言いますが、そう言われても何をやっている会社なのかわからない、という人も少なくないと思います。では、ライブドアとは実際に何をしている会社なのか?誤解を恐れずに言えば、また「週刊こどもニュース」ふうにわかりやすく言えば、「儲かっている企業を買収する会社」「儲かりそうな企業を買収する会社」なんです(笑)。会社を一から育てて大きくしようというのではなく、M&Aによって急速に組織を大きくし、競争力を高めていく。そういう企業は今やライブドアに限りません。その他にも、確実に増えています。
2005年3月にジャスダック上場したケーブルテレビ局「ジュピターテレコム」の社長さんは、上場のときの記者会見で「株の公開で得た資金は、M&Aの資金として活用していきたい」と発言しました。目ぼしい企業を買収するのは、手っ取り早く経営効率を上げる手段でもあり、ベンチャー企業が急成長する手段でもある。楽天だってソフトバンクだって、そうやって大きくなってきたんですね。
M&Aを仕掛けた企業の経営者と「敵対」するのは誰か?
では、そういった外国企業やベンチャー企業から敵対的M&Aの標的になりやすいのは、どんな日本企業でしょう。
ひとことで言うと、堅実な経営をしていて、預貯金や有価証券をたくさん持っている(笑)。そういう企業は資金を持っているのに、それを有効に使っていないとみなされて、株の時価総額が小さいケースが多いんです。ライブドアがニッポン放送の株に目をつけたのも、その頃、ニッポン放送株の時価総額よりも、ニッポン放送が持っていた資産――つまりフジテレビ株の額のほうが高かった。たとえて言うなら、1000円出せば10000円以上のお得な買い物ができるような状況ですから、ニッポン放送を狙わない手はない、ということになりますよね。
ライブドア騒動が起きた後、いろいろな企業の株価が上がるという現象が起きましたが、大半は「新規事業を始める」とか「企業業績が良くなった」とかいう理由で株が上がったのではありません。たとえば京成電鉄の株価が上がったのは、同社が東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドの筆頭株主になっているからです。京成電鉄が持っているオリエンタルランドの株のほうが、京成電鉄の株の時価総額よりも高かった。百貨店の松屋もそうです。松屋が建っている銀座の地価が値上がりして、松屋の時価総額より高くなったために、その株を買い占めようという投資家が増えたのです。
「上場する」は、英語で「go public」。企業が株を公開し、誰でもそれを売買できるようにする、という意味ですね。その意味から言うと、上場をしている企業はその株を誰に買われようとも、文句を言うことなどできません。「会社は誰のものか?」という問いに対する教科書的な答えはやはり、「株主のもの」。株式持ち合いで安穏に経営をしてきた企業は、今回の騒動でそのことを思い知ったのではないでしょうか。
とはいえ、株主が従業員にそっぽを向かれたら、会社はうまくいきません。今回の騒動では、M&Aを仕掛けられたニッポン放送の社員の8割が共同でライブドアに反発する声明文を出しました。
突然、よく知らない株主が現れて、「今日からこの会社は私のものだ」と言い出したら、会社の従業員たちは不安になって当然でしょう。でも、「敵対的M&A」と言われるけれども、これは誰と誰が「敵対」するのか。よく考えてみると、株を買い占めてM&Aを仕掛けた経営者と、仕掛けられた経営者が敵対するのであって、従業員は敵対するわけではないんですね。M&Aを仕掛けた経営者は、相手の経営者を押し退けて自分がその会社の経営をしたら、もっと利益が出ると思っている。自分の会社がM&Aの標的にされたということは、その経営者の能力が評価されていないということであって、従業員の能力が低いとか高いとかいうこととは関係がありません。むしろ、その会社の従業員たちの能力を評価しているからこそ、別の経営者がM&Aを仕掛けてきた、と言うことができる。ですから、M&Aを仕掛ける側は、「私たちが経営すればこの会社はもっと良くなりますよ。従業員の皆さんにとってもこれこれのメリットがありますよ」とアナウンスして、M&Aを従業員に納得してもらわなくてはいけません。ライブドアは今回、ニッポン放送の経営陣ばかりでなく従業員まで敵に回してしまいましたから、もしもその経営をやることになっていたとしても、うまくいかなかったでしょうね。
それから、労働組合はやはり必要だと私は思いました。ニッポン放送というのは、日本社会で組合運動が盛んだった時代に財界が「マスコミの左傾化」を危惧してつくったラジオ局です。労働組合がなかったのはそういう背景があったからですが、今回の騒動の最中に急きょ、結成されました。自分の会社が買収されそうだというときに、従業員の意見をまとめるところがない、みんなバラバラだというのでは、誰も不安になるでしょう。経営者や株主に向かって従業員が対等な立場から発言していくために、その代弁者の役割を果たす労働組合がやっぱり必要ですね。
会社と「with」の距離感で真面目に働いていれば人はM&Aなんて怖くない!
自分の会社がいつM&Aの標的になるか知れない時代、従業員一人ひとりはどういう準備が大事でしょうか。
自分自身と会社の「距離感」を今一度、見直しておくことが大事だと思いますね。英語の前置詞で言うなら、自分は会社に「in」しているのか、それとも会社と「with」しているのか。「in」でも「with」でもない距離感なのか。
私は最近、32年間勤めたNHKを辞めました。辞めて感じるのは、自分のように会社人生が当たり前だと思ってきた人間にとって、会社の存在というのは確かに大きいものだということです。でも、その一方で、会社を辞めてからの人生もまた、長いものだと思います。人生の中で、会社にいる時間というのは限られた時間に過ぎません。それなのに会社と「in」の距離感で働いていく、会社と一体化してしまうのはもったいないと私は思うんです。むしろ会社と「with」の距離感を保って働くのが理想ではないのか。その距離感で真面目に仕事をしている人ならば、ある日突然自分の会社が買収されても困るようなことは何もないと思います。新しくやって来た経営者が無能であれば、すぐにまた違う経営者にとって代わられるでしょうし、無能な経営者が代わらないとなれば、自分から転職の道を探せばいい。敵対的なM&Aというのは、経営者にとっての危機であって、自立した従業員にとっては必ずしも危機ではないのです。
自分の会社が買収されるときは悪いことばかりではないと。
ええ。自分というものをしっかり持って、自立した個人として仕事を続けている人は、会社ががらりと変わったとしても、それまでと同じようにやっていけますよ。経営者が無能なために、従業員たちはゴマをするしか出世の道がないとか、自分の能力が正当な評価を受けていないとかいった状況があるとしたら、むしろM&Aがそれを壊して、チャンスの芽を生んでくれるかもしれません。
会社とは本来、自己実現のために仕事をする場です。会社のために働くというよりは、みんなで一緒に何かをやって、成果をあげる。そのことによって従業員は満足感を、会社は収益を得る。そういう関係を、従業員は会社との間に築いておくことですね。
(取材・構成=村山弘美、写真=中岡秀人)
取材は5月26日、東京都内にて
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。