報酬制度のあるべき姿とはーメッセージとしての賃金
マーサージャパン株式会社 プロダクト・ソリューションズ アソシエイトコンサルタント 四野宮 祥子氏
報酬の市場ベンチマークと賃上げ
2024年の春は昨年に引き続き「賃上げ」が過去最高の盛り上がりを見せた。連合が発表した「2024春季生活闘争 第7回(最終)回答集計結果」1 によると、月例賃金の賃上げ率は5.10%と、30年ぶりの高水準を記録した昨年をさらに1.5ポイントほど上回る結果となった。
2024年10月にマーサーが実施した調査 2 では、こうした賃上げの際に水準の参照先を「業界内の競合の報酬水準・賃上げ動向」とする企業は88%と、9割近くにのぼった。自社の報酬競争力を担保するために市場の動向を参照するという手法も、近年の賃上げムードの広がりとともに定着しつつある。
その流れと呼応するように、マーサー総報酬サーベイを活用する企業数も年々増加傾向にあり、最新の2024年調査では1,326社が参加し、うち日系企業の数は623社と6年前の63社と比較すると約10倍に増加した。本サーベイは、参加各社から提供された従業員の実際の給与データをもとに構築した報酬データベースで、産業別、企業規模別、等級別、職種別等の条件ごとに報酬の市場水準を確認できるサービスである。ここで得られる情報は、昨今の賃上げ機運の高まる市場で年々重要性を増している。市場動向に基づいた報酬の見直しは、競争力を維持するためには必要不可欠だろう。
報酬のベンチマーク自体は定着しつつある一方、現状は各社ともに一律で上昇させる傾向が強い。一律昇給は日本経済の活性化を目的とした賃金の底上げには不可欠だが、単一的な上昇だけではいずれリスクとなる可能性をはらんでいる。理由はいくつかあるが、外的要因としては、高度専門職など特に採用競争の激化する職種では、社内の他の職種と横並びの昇給では他社との競争に負ける可能性があること。内的要因としては、限られた予算の中で一律の上昇を続けることは難しく、いずれ市場の伸びに届かなくなるリスクがあること。さらには、公平性を過度に重視する昇給は、優秀人材にとっては処遇が評価に見合わない印象を与え、離職につながる恐れがあることが挙げられる。
こうした背景を踏まえると、各社が自社の事業の方向性に応じて重要なポジションを優遇する必要性は高まっていると言える。処遇を差別化する仕組みの一つとして、先行事例の増えている取組みが「職種別報酬制度」である。
1 2024年春季労働闘争第7回(最終)回答集計結果
2 マーサー『賃上げ動向に関するスナップショットサーベイ(2024年10月版)』
職種別報酬制度による説明性の担保
事例が増えているとはいえ、日本市場における実態を報酬サーベイの結果から見ると、総現金報酬におけるプレミアムでは、±10%程度の差分がある外資系企業と比較して、日系企業は±5%以内と、職種間の差はまだ小さいのが現状だ。
また、マーサーが2024年2月に実施した調査 3 でも、制度として職種別報酬を導入していると答えた企業は11%にとどまった。昇給という定期的なタイミングで既存のテーブルの中で差をつける以上に、制度そのものを見直すというハードルが高いことが窺える。実際、特に高度専門人材に関しては既存の報酬体系で処遇が釣り合わない場合、個別運用で対応している企業が多い。上述の同調査の中でも、個別契約や昇給による運用上の対処を行っていると答えた企業は37%にのぼった。
特に昇給に関して職種別の報酬では、ジョブ型の人事制度を導入しているケースが多い外資系企業の方が昇給差は大きいと考えられがちだが、経年での報酬サーベイのデータを見ると、同一従業員における基本給の昇給率は日系企業ではデータアナリティクスが特に高く、最小の生産との差は外資系企業における最大値と最小値の差よりも大きな開きになっている。職種間でこのような差が生まれていることが、まさに上述の個別運用の実態を表しているといえる。
個別契約や昇給のみによる待遇の差別化は、必要な人材を迎え入れ、囲い込むという人材確保の目標は達成できる一方で、中途採用者間での不均衡や既存制度の形骸化といった問題がいずれ生じる可能性が高い。こうした個別運用の実態や採用の難易度が職種によって異なるという現状を踏まえると、「なぜその処遇なのか」を説明できる仕組みとして、職種別に報酬差が生まれていくことは一つの自然な流れだろう。
3 マーサー『雇用の流動性と「キャリア自律・市場価値」関連人事施策に関する動向調査』(2024年2月実施)
さらなる透明性を求めて ―報酬における「スキル」の観点
職種ごとに一つの水準を設けるだけでは、各従業員の評価を反映しきれない場合がある。その解決策の一つとして「スキル」を基にした報酬設計が注目されている。この考え方はグローバルではトレンドとなっており、マーサーがグローバルで実施した調査 4 によると51%がスキルを報酬に反映していると回答している。
日本市場では事例が少なく、当社としてもデータソースとして分析・蓄積を始めたばかりのものではあるが、スキルの報酬への影響を独自の手法で算出したデータを見ると、日本市場においても、スキル価値の基本給に対する割合に大きな差があると分かっている。マーサーでは、職種をさらに細かく分類した概念を「ジョブ」(仕事の種類と等級を掛け合わせたもの)と呼んでいるが、以下のグラフはジョブごとのテクニカルスキル割合が高い順に上位・下位三位を示したものである。ジョブによって、テクニカルスキルが報酬全体に与える影響が大きく異なることは明らかだ。
さらに、同データではひとつのジョブに占めるスキルごとの価値を内訳として確認できる。例えばテクニカルスキル割合の最も高い「Data Science/Big Data Mining」のジョブでは、特定のプログラミング言語スキル価値を報酬全体に対して4%、機械学習に関するスキルを2%など、スキルごとの価値割合を算出している。こうしたデータを基にすることで同一ジョブでも、個人ごとに特定のスキルを持っているかどうかによって、処遇を変える仕組み作りができる。優遇するスキルを整理すれば、企業はどのスキルを重視しているかを明確に伝えることが可能となり、また従業員側もスキルという価値を基に処遇の差分を説明されることで納得感が生まれ、キャリアパスを描く中で特定のスキルを獲得するモチベーションにつながる。
ここではテクニカルスキルという一つのスキルカテゴリを例に挙げたが、すべての職種をスキルで再評価する必要はない。特に採用競争が激しい職種など、より細分化された説明が求められる領域では、この考え方の導入が有効な手段の一つとなる。
4 Mercer Skills Snapshot Survey Report 2024/2025
報酬のあるべき姿とは
まとめると、賃上げを巡る議論が活発化する中、自社の報酬を見直す機会として、以下のような観点がポイントとなる。
- 報酬競争力の担保にあたって市場ベンチマーク無しに報酬を改定することはもはやリスクとなりつつある
- 一律昇給には限界があり、自社内での報酬の差別化の検討が必要である
- 報酬の差別化では個別に対処するのではなく、制度としての仕組み化が望ましい
本稿では、職種別報酬やスキルによる報酬設計を一案として紹介した。企業として「何に重きを置いているのかを報酬に反映させること」自体が、人材を惹きつけ、引き留めるための有効な手段である。この点を踏まえ、ぜひ一度、自社の報酬制度に込められたメッセージを改めて問い直してほしい。
組織・人事、福利厚生、年金、資産運用分野でサービスを提供するグローバル・コンサルティング・ファーム。全世界約25,000名のスタッフが130ヵ国以上にわたるクライアント企業に対し総合的なソリューションを展開している。
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