伝統的な退職金制度の心理的捉え方に関する一考察
マーサージャパン株式会社 年金コンサルティング シニアアクチュアリー 藤田 剛氏
筆者は先日、前職のアルムナイネットワークに参加し、元同僚の活動/活躍に大きな刺激を受けた。お世話になった会社を含め、各人の属する会社は様々だが、尊敬すべき仕事をしている方が数多くいると実感した。その一方、職業柄どうしても気になった点は、世の中の中途退職者の多くは退職金の大部分(確定拠出年金以外)が清算されている事実であり、その支給額については相応の金額(場合によっては削減がかかったもの)になっているという点である。そこで本稿では、一般化したケースとして、伝統的な日本の退職金制度の特徴的な部分を挙げた上で、心理的な受け止め方について考察したい。
伝統的な退職金制度の期待と現実
勤続年数の短い社員が自己の都合により退職する際に退職金額として、日本企業では多く採用されている制度は以下のようなものである。
例 1.
勤続年数5年、ポイント制の退職金制度により、5年間で累計100ポイントを付与された方が自己都合退職した際の退職金
100ポイント×ポイント単価(10,000円)×自己都合退職時の乗率(0.3)=30万円
5年間で100ポイントがいかがなものかという要因と、退職時の乗率により削減される部分があるという要因が重なり、期待している金額に満たないと感じる社員は多いように思う。このような制度の場合、キャリアの後半での金額の上昇量が大きくなる傾向があり、定年退職時には例えば以下のような非常に大きな退職金額になる場合がある。
例 2.
勤続年数30年、ポイント制の退職金制度により、30年間で累計4,000ポイントを付与された方が自己都合退職した際の退職金
4,000ポイント×ポイント単価(10,000円)×自己都合退職時の乗率(1.0)=4,000万円
この設計は、キャリアの途中で退職した場合に、いわば損をする制度であり、その狙いは短い勤続期間で退職する人を減らすことだと推測される。しかし、近年は退職する若年層が増えているという話をよく耳にするため、筆者は本件をどう解釈できるのかを考えた。退職金の金額と退職には関係がないと言えばそれで話は終わりだが、伝統的な退職金制度から期待される効果が、何らかの社員側の受け止め方の変化によって得られにくくなっているのではないか。
以下、筆者の仮説として、社員の退職金制度の受け止め方の変化について提示する。
従来の退職金の受け止め方:安定志向型
前述(例1, 2)の退職金制度を持つ会社の若手の社員からこんな声を聞いたことはないだろうか。
「今の会社で定年まで働けば、たくさんの退職金がご褒美としてもらえる。今転職すると退職金が間違いなく少額になる。また、処遇全体としても今よりも増える可能性は不確かだ。だから今の会社で働き続けて確実な処遇を得よう」
このような考え方を、ここでは安定志向型と表現する。人生のプロセスを、何かのレールに乗っている状態と捉えている側面が強く、自分が所属する組織の中での地位や処遇の着実な向上を目指していこうとする発想である。リスクが低く安定した生活を優先した捉え方であり、いわゆる平穏な暮らしを目指す多くの方にご賛同いただける発想だろう。ただしこの考え方は、所属する組織が好調で、今ほど情報化社会になる以前の時代の方がマッチするのではと筆者は見ている。組織が好調であれば自分の所属する組織への期待を持ちやすく、情報化社会になる以前であれば外部の情報を入手しにくく帰属意識も高まり、会社としても社員の一体感を醸成することができたのではないだろうか。
一方で、近年は日本社会全体としての将来の不確かさや所属する組織の成長性・持続性への不安感が強まっており、情報化社会により様々な情報へのアクセスがしやすくなっている。そんな昨今では、これまでの安定志向型の社員の割合は減っている可能性がある。
近年の退職金制度の受け止め方:チャレンジ志向型
前述(例1, 2)の退職金制度を持つ会社の別の若手の社員からこんな声を聞いたことはないだろうか。
「今の会社で今退職した場合の退職金の額が想像以上に少ないらしく大変残念だ。これまで頑張って貢献してきた自負はあるが、会社から評価されていないということだと考えてしまう。定年近くまで働けば金額は大きくなると聞くものの、もっとやりがいのある仕事と納得感のある処遇を得るチャンスを失いたくない。だからこれまで培った知識・経験・スキルなどを活用し、さらに活躍・成長できる次の会社を探そう」
このような考え方を、ここではチャレンジ志向型と表現する。若年層の退職金が少ない点を早期に解決すべき問題点であると捉え、長期勤続以外の選択肢も積極的に検討する発想である。人生は長い旅だと捉えている側面が強く、いわゆる自発的なキャリアデザインを行うことにより、変化によるリスクがあったとしても自身が考える成功を目指す捉え方だ。前述のとおり近年は将来への不安感と外部の情報へのアクセスの容易さを背景に、この考え方に立つ従業員が増えているのではないだろうか。この考え方の社員にとって長期勤続しなければ退職金額が十分に上昇しない制度の存在は、現在または近い将来の活躍がその時点では正当に評価されないと捉えられ仕事への熱意を薄れさせる要因になり、会社が想定するよりも早く本人は会社を退職する可能性がある。
以上、将来の不安定感と情報化社会の進展により、退職金制度への受け止め方は従来の安定志向型からチャレンジ志向型へ変わってきている可能性について述べた。この傾向は今後も続くと想定すると、伝統的な退職金制度の会社がこれまで同様の制度を続けていると更に退職率は上がっていく可能性すらあるため、タイミングを見極めた上でチャレンジ志向型の社員に受け入れられる退職金制度を設計することを検討すべきだろう。
退職率だけの問題ではない可能性
優秀な人材がもし早期に会社を退職した場合、会社の生産性や創造性へのダメージが懸念される。チャレンジ志向型の発想の人材が退職してしまうインパクトは、人数だけの問題ではなく、残る社員により形成される組織風土が安定志向型に偏るおそれもある。制度の設計者として、どんなマインドセットを持った社員に会社で活躍してもらいたいかという発想から検討を始め、そんな社員に好まれる制度はどのようなものかというステップを踏んだ、退職金制度の設計が求められる。その手法により制度を変えることが、会社を内から変革させることにつながっていくと筆者は期待する。
最後に
これまで、日本の伝統的な退職金制度の心理的な捉え方の変化について述べた。退職金制度はあくまでも人事制度の一部でしかなく、退職金制度の改革は必ずしも優先度の高い項目ではないという点は十分に理解しているものの、社員から見た制度の受け止め方は日々変化していくものであるという視点を提供できれば幸いである。
著者
組織・人事、福利厚生、年金、資産運用分野でサービスを提供するグローバル・コンサルティング・ファーム。全世界約25,000名のスタッフが130ヵ国以上にわたるクライアント企業に対し総合的なソリューションを展開している。
https://www.mercer.co.jp/
人事の専門メディアやシンクタンクが発表した調査・研究の中から、いま人事として知っておきたい情報をピックアップしました。